アンの望み
騎士隊を目指すことは知っていたが、なぜ今なのかとか、アンに聞きたいことはたくさんあったが、滞在中はまったくそんな余裕はなかった。
家族だけでなく招かれ人が二人も来たのだからと、社交、パーティ、合間にアンの準備、そしてラティの心の準備。せっかく徒歩で五日という最短時間で来たというのに、ガーディニアでこんなに時間が取られるとは予想外ではあった。
社交に引っ張りまわされるエルムの目は完全に死んでいる。
ハルトとサラは、招かれ人として適当に愛想を振りまいて、必要のない社交はさっさと抜け出すようにしている。
そして、いよいよ王都への旅立ちの日がやってきた。
「アン、無理はしないのよ」
「大丈夫。エルムもアンも、それからハルトもアレンもクンツもいてくれるから」
「わかってはいるんだけれど……」
「それに、リアム副隊長も、女性の騎士は歓迎すると言ってくれました。ネリーも騎士だったということも心強いです」
「でもねえ……」
出発の間際になってもなかなかアンを手離せないラティだった。
だが、サラたちは誰も口を挟まず、静かに別れが終わるのを待った。
確かにラティはことのほか心配性だろう。だが、まだ一二歳の娘を遠くにやる親代わりの人の気持ちを考えたら、いくら別れを惜しんでも仕方がないと思うのだ。
「さ、ラティ。なんとか仕事をまとめて、私たちも少しでも王都に行けるよう頑張ろうではないか」
エドがラティの肩をだく。
「こんな時、君はいつも魔力があふれて、慰めたくても肩を抱くのも大変だった。アンが来てくれたことがきっかけで、私たちもこんなに成長できたんだ」
そういえば、ラティはネリーと同じで、魔力量が多くてコントロールが難しい人だったとサラは思い出す。
「やりたいことを見つけられる人生がどんなに素晴らしいことか。皆に感謝して、快く送り出そう」
「そうね」
さすがラティをずっと支えてきた旦那様だ。いい仕事をする。
「一年に一度は、必ず戻ってきます」
「必ずよ。待っているわ」
涙の別れを済ませ、ようやっと旅に出ることができた。
ちなみに、今回はちゃんと馬車での旅だ。
陽気な門番にも見送られて、街道に出たあたりでアンがふうっと大きく息を吐いた。
「サラたちが馬車じゃなかったおかげで、付き人を減らしてもらえて助かったわ」
馬車は二台、サラたちと、もう一つは荷物と付き人用だ。
付き人と言っても、御者もやる侍従のような若者が二人と、侍女の仕事をする人が一人と、合わせて三人である。ライと一緒の旅を思い返してみると、確かにお屋敷からもっとたくさんの使用人を連れて来ていた。もちろん、旅の間だけでなく、王都のタウンハウスでも手伝ってもらうためだ。
私たちが迎えに来なくても馬車二台だったってこと?」
「そうなの。私一人にそんなにたくさんの付き人、変でしょ?」
「変ではないぞ。貴族のご令嬢の一人旅などありえない。護衛だって必要だ」
貴族というものをよく知っているエルムがそう説明してくれた。
今回はその護衛が私たちみたいなものだから、いっそう人数を減らせたのだと思う。
「それに、喜んで付いてきてくれるならいいけど、ガーディニアの人たちって、あんまり王都に行きたがらないの。往復にも時間がかかるし、長く滞在すると家族とも離れることになるでしょ? 申し訳なくて」
「それは気まずいかも。気にしすぎだとは思うけど、わかる」
サラは深く頷いた。
「今回付いてきてくれた侍女は、ずいぶん若そうに見えたけど」
一緒に来る使用人とは顔合わせはしてある。
「一六歳だから成人したばかりみたい。お屋敷で働いている人なんだけど、お手当が高いから付いてきましたってさばさばしてて。王都で弟妹にお土産を買うんだって楽しみにしてくれてるの」
アンがくすっと笑ったから、その人は大丈夫なのだろう。
「何もせずに、お屋敷でできることをするのが一番迷惑をかけないんだとわかってはいても、私はもっと、体を動かせて、人のためになる仕事がしたいの!」
ぐっと手を握るアンは、二年前に会った時と変わっていなかった。
「ただ、こんなに大ごとになるとは思わなくて、本当にごめんなさい」
しゅんとしたアンに、ハルトが気楽な調子で声をかけた。
「俺ら招かれ人って、この世界では一応、女神の恩寵なわけだろ。基本、何をやるにも大ごとになるんだよ。そういう意味では、アンの環境って、王都じゃないだけで典型的な招かれ人の扱いだぞ」
「そうなんだ」
アンはハルトから、実年齢はほぼ同じだから、敬語なんて使わなくていいと言われている。
「魔の山に落とされたサラが特殊だっただけだ」
「本当にね」
サラも苦笑するしかない。
「そう! それでね、私、王都に言ったらまずやりたいことがあって」
騎士隊に入ることがやりたいことではないのかとサラは続きを待つ。
「あのね、ハンターギルド証を取りたいの」
「ハンターギルド証」
あまりにも意外な言葉で、サラは反射的に収納ポーチから自分のギルド証を取りだしてみた。
「これ?」
「それ! 見せてもらっていい?」
「はい」
ハンター証は、カード上の金属の板に、名前が彫ってあるだけの簡素な作りだ。
強さや所属しているギルドによって色が変わったり、等級がついたりということもない。
アンはサラのハンター証を大切そうに両手で受け取ると、ニコニコとそれを眺めた。
「前にサラの話を聞いてずっと憧れていたの」
サラの話に憧れるような要素が一つでもあっただろうか。いつでも魔物がたくさん出て、巻き込まれて苦労した話しかないと思うのだが。
「あのね、いつまでに騎士隊に来るようにとは言われていないから、王都に着いたらまず、お金を貯めて、ハンター証を取ろうと思うの」
「あー、そこかあ」
思い返してみると、サラが最も苦労したが、最も楽しかったと言える時期がギルド証を取るためのお金を貯めた時期だった。
「でも、あの時私、本当はお金があったんだよ? 薬師ギルドが買い取ってくれたら、迷わずすぐにハンター証を取ってたけど」
「でも、エドとラティに持たされたお小遣いで取るのも違うような気がして」
ハルトがうーんと腕を組んだ。
「サラっていう見本があるから、そうしたいって思っちゃうんだろうな。俺なんて、一二歳が働くなんて思ってもいなかったから、後見してもらっている家に素直にお金を出してもらったけどな。剣や防具もだし、なんならダンジョンに行く馬車から、一緒に潜る仲間まで用意してもらった」
「お坊ちゃまだ!」
「まあな」
アンに答えるハルトのまあな、には、少し苦さが混じっている。
甘やかされたそれが当たり前と思っていた自分に対する後悔なのだろう。
「私もそれが当たり前だったから、アンの気持ちはわからないな」
エルムもお坊ちゃま派である。
「でもさ、もし日本にいたとしても、十二歳で習い事や部活をやりたいと思ったら、やっぱり金はかかるじゃん。それって、結局親が出してくれるだろ」
サラは帰宅部だったので、あまりお金はかからなかったが、ハルトの言う通り、兄や友だちを見る限り、確かにお金はかかっていたように思う。
「そう考えると、日本ってみんな貴族みたいなとこあるよね」
「確かになあ」
保護者のお金でいいじゃないかという流れに、アンは必死に抵抗した。
「でも、ここ日本じゃないし、ギルドに登録するために頑張れる機会は一度しかないんだよ!」
「それも確かになあ」
ハルトが日和っているが、正直どうでもいいのだろう。
そこに、今まで黙って話を聞いていたクンツが口を挟む。
ちなみにアレンはまったく興味がなさそうだ。
「エルムは、アンのやりたいことを、どう思います?」
もう答えたはずなのにどうして聞くんだろうと、記憶をさらってみると、そういえばアンの気持ちはわからないとしかエルムは言っていない。
「アンの気持ちはわからないが、好きにすればいいと思っている」
「ほんとですか!」
なるほど、そうつながるのかと腑に落ちた。
そして、それに気がついたクンツを尊敬の目で見てしまう。
「すごい」
「違うって。単純なことなんだよ」
クンツは参ったなというように鼻の頭を指でこする。
「みんな、いろいろ言いたいことはあるとは思うけど、アンがやりたいって言ったことを、認めるかどうか決められるのは保護者だけなんだよ」
「あ、ああ、そうかあ」
みんな、なるべく苦労しないようにと好意で言っているのだが、アンがやりたいことは決まっているというのに余計なお世話なのだ。
アンがそうしたくて、エルムがいいというのならば、そうすればいいというだけのことである。
「あれこれ言っちゃってごめんね」
どうしても自分より小さい子は守らなくてはと思ってしまうけれど、それではラティと同じ過保護になってしまう。
「そんな。私のためを思って言ってくれてるのは、わかってるの。それに、反対されてもやりたいことはやりたいもの」
「そうだね」
あのラティを説得して、騎士隊に入ることを決めたアンだ。
心配しなくても、ちゃんと自分で進んでいける。