大きくなって
「へえ、平野はどこも農地が広がってる。確かに、山の西側とは全然違う景色だな」
「ツノウサギもほとんどいないから、農作業が安全なんだって。でも確か、北部にはワタヒツジはいるんだったかな」
「魔物じゃん。ゼロじゃないんだ」
初めて東部に来たハルトは興味津々だが、サラにとっては前回も来た道である。
とはいえ、作物の生育具合が違うから、山並みは変わらなくても、平地の印象はだいぶ違う。
旅が楽しかったからか、サラに合わせてもらっても、超特急の手紙と同じ速さで目的地に着きそうな一行である。
「迎えに行きますって書いてもらったライの手紙、エルムが持ってますもんね」
よく考えたら、突然五人もの客がやってきたらグライフ家は迷惑ではないだろうか。
今頃心配になったサラだが、その心配は無用のものだったようだ。
相変わらず陽気な門番さんが急いでお屋敷に伝令に向かうと、ラティが風のように急いでやってくるなり、エルムを抱きしめた。屋敷まで結構距離があるから、その喜びようがうかがわれる。
「エルム! 久しぶりね! よく顔を見せて!」
「抱き着いていたら顔は見えないだろう」
「サラもよく来てくれたわ!」
話を聞かないラティとクールなエルム、人となりがよくわかる会話である。
だが、サラはラティよりも、ラティを追い越さないように気を使いながら一緒に走ってきたアンに目が釘付けだった。
「アン! 大きくなって……」
アンは、背が伸びただけでなくしっかりと肉が付き、最初に見た時の消え去りそうなほど繊細な印象はどこかに行ってしまっていた。顔に浮かぶ笑みと生き生きした表情を見ると、毎日楽しく過ごしている様子が目に浮かぶようだ。
嬉しさで涙がにじみそうになる。これではラティのことを、心配性すぎるなんて言えない反省していたら、アンがそっとハグしてきた。
ネリーとなら嬉しいだけなのに、アンとのハグは少しばかり照れくさい。
それでも嬉しくて、同じようにそっとアンの背中に手を回したサラは、ここで愕然として固まってしまった。
「アン……」
「どうしたの?」
体を離して、不思議そうにサラの顔を見るアンの顔を、サラはほんのちょっと見上げて呆然と立ち尽くす。
「私より背が高くなってる……」
「ああ。フフフ」
ちょっと首を傾げ、背中で手を組んでもじもじしているアンはとてもかわいい。かわいいが、成長しすぎではないか。
「もっと高くなると思うの。私、もともと一七〇をちょっと越えてたから」
「まだ成長期だった……」
「サラったら、おかしいんだから」
クスクスと笑われてちょっと恥ずかしいが、身長に驚いている場合ではなかった。
「アレンとクンツは知ってるだろうから、ハルト、ハルトを紹介しなくちゃ」
サラは焦ってハルトのほうを振り返った。
本当は保護者となるエルムから紹介したほうがいいのだが、いや、なんならラティが紹介するまで待って、いや、とりあえずは屋敷に戻ってから、いや、やっぱりハルトから?
アンの成長が意外過ぎて、サラがぐるぐるしている間に、ハルトがずいっと前に出てきていた。
「紹介される前に話しかけることを許してほしい」
珍しく真剣な顔をしているハルトに、サラは何も言えずそのまま任せることにした。
「俺は、招かれ人だ。トリルガイアに来てからもう一〇年を超えた。名前は」
ハルト。そういえば、ハルトとしか聞いたことがなかったことに、サラはいまさらながら気がついた。
「ハルト・ギャラガー。ギャラガー伯爵家にお世話になっている。日本名は、西谷大翔。西の谷に、大きく翔けると書くんだ」
「ええと、はじめまして。アン・グライフです。日本名は、吉川杏子です」
「あんずか。アンって呼んでいいのか?」
「大丈夫です」
ハルトってそういう漢字だったんだと感心しているサラの目の端に、アレンとクンツが写る。
そういえば、会話から外れてしまっていたと焦ったサラが、アレンとクンツのほうを振り返ると、二人はぽかんと口を開けてハルトのほうを見ていた。
そこは成長したアンに驚くべきじゃないのと思ったサラだが、改めてハルトとアンを見てみると、始めて会った時のハルトが重なって見える。
目も合わせず、失礼なことを言い、名乗りもできなかったハルト。
でも、今ここにいるハルトは、むしろ初めて会った時のリアムやテッドと年が近い、ちゃんとした大人だ。いつまでも最初の印象を引きずっていたサラには今までそれが見えていなかったことに気づいた。
アレンとクンツも、サラと同じように感じたに違いない。
「王都へは俺も同行するし、しばらく滞在しようと思っている。招かれ人の先輩として、遠慮なく頼ってくれ」
「ありがとうございます」
サラたちが感慨にふけっている間にも、二人はしっかりと挨拶を交わしている。
その後すぐにハルトはくるりと振り向いてサラをまっすぐに見たので、思わず後ろに下がりそうになる。
「サラ。ずっと後悔していたんだ。最初に会った時、ちゃんと挨拶できなかったことを」
「そうなの?」
ハルトと反省という言葉が結びつかないサラは、まだ最初の印象を引きずったままだ。
「はじめまして。王都から来た、招かれ人のハルトだ。ギャラガー伯爵のところでお世話になっている。日本名は西谷大翔。西の谷に、大きく翔けると書く。困ったことがあったら言ってくれ。招かれ人の先輩として、できるだけのことはするから」
「ええと」
内容は、アンに話していたことと同じだ。
それはつまり、今度招かれ人に会うことがあったら、こんなふうに挨拶しようと決めていたからに違いない。
あの時サラは自分から招かれ人だとは言わなかった。自分は王都に招かれ人がいると知ってはいたけれど、ハルトはローザに招かれ人がいるとは知らなかった。
突然、同じ境遇の子どもが現れたとして、すぐに仲良くなれるわけがない。
本当はこういえばよかったと後悔する気持ちは、サラにはよくわかる。
だから、ちゃんと返事をしよう。
「はじめまして。私は魔の山に落とされてから、ようやっとローザに来れたサラです。魔の山の管理人のネリーにお世話になっています。日本名は一ノ蔵更紗。苗字は一番目の蔵、名前は布の更紗が由来です」
「よろしくな」
「こちらこそ」
挨拶が終わったとたん、ハルトの顔はボッと火が付いたように赤くなった。
「カーッ! 柄じゃねえ! 恥ずかしい!」
頭を抱えてうずくまるハルトは、いつものハルトに戻っていた。
「招かれ人は変わった人が多いのねえ」
ラティがエルムの横で不思議そうにハルトを見ている。
「違います」
「誤解です」
サラとアンの声が微妙に重なり、二人は顔を見合わせて噴き出した。
「なんだよ。ちゃんとすればいいんだろ」
ハルトはまだ少し赤らんだ顔で立ち上がると、きちんとラティに向き合った。
「招かれもしないのに、突然来てしまって申し訳ありません。私は、ギャラガー家に後見してもらっている招かれ人のハルトです。アンのことは話だけは聞いていて、一度顔を合わせておきたいと思っていたんです」
ちゃんと目上の人に対する話し方になっていて、サラは感心してしまった。
「うちはお客様がたくさん来る家だから、突然来たとか心配しなくてもいいのよ。それに、招かれ人だなんて、こちらこそ来ていただいて光栄よ。しかもアンに会いに来てくれたなんて」
にっこりと笑うラティは、ネリーとよく似て美しいが、きりっとしたネリーに比べるとはかなげでたおやかだ。よく知っている人なら、違いのほうが目立つかもしれない。
「わあ、本当にネリー姉さんにそっくりだ」
姉さんじゃないと、ネリーの代わりにサラが突っ込むべきだろうか。
驚いたように目を丸くし敬語も抜けてしまったハルトに、ラティはむしろ楽しそうに微笑んだ。
「ネフェルと似ていると言われるのが一番嬉しいのよ。招かれ人ならアンの兄弟みたいなものだから、言葉遣いも気にしないで」
「はい。ありがとうございます」
一瞬で女主人の心をつかみ、この場の主役と化したハルトに、サラは感心しきりである。
「アレンもクンツも、来てくれて嬉しいわ。前回は本当にありがとう」
ラティはわざわざ名前を口に出した。前回二人はハンターとして参加していたので、ラティの記憶には残っていなかったのではないか。歓迎していることを示すために、おそらく今回覚えたのだろう。
「はい。付き添いみたいなものですが、よろしくお願いします」
「俺も、よろしくお願いします」
この全方位に気を遣えるラティがいつものラティだというなら、前回はいかに心を痛めていて、通常の精神状態ではなかったかがよくわかるというものだ。
「でも、アンが王都に行ってしまうと思うと寂しくて。こんなに早くお迎えに来なくてもよかったのではと、つい思ってしまうのよ。それに騎士隊なんて危なくて仕方がないわ。ネフェルが入る時だって反対したのよ。アンにはよいところに嫁いでほしいと思っているのに」
そういうところだぞと、サラはちょっと半目になってしまう。やっぱり人の価値観はなかなか変わるものではない。
「だったらどうして宰相家に預けなかった? 三男のノエルは、今一押しの婚約相手だとクリスが言っていたぞ」
エルムがそういったことに関心があると思わなかったサラは少し驚いた。そしてやっぱりクリスはヒルズ家推しなんだなあと遠い目になる。
「よいところに嫁いでほしいけれど、今すぐに将来が決まるのも嫌なのよ。婚約者が決まるのはもう少し後になってからでいいでしょ」
わがままとまでは言わないが、自分の欲求に忠実で、アンが一番大切というのは変わっていなかった。
「アンはまだ先でいいのよ。人のことより、エルムはどうなの?」
「来た」
来たじゃないよ、とエルムに突っ込みたいサラである。
「ラティ、嬉しくて門まで歩いて来てしまったけれど、まだ少し肌寒いと思うわ」
「まあ、大変。馬車で屋敷に向かいましょう。乗せていってくださる?」
ハイドレンジア一行が馬車ではなく徒歩で来たと知ったラティが卒倒しそうになったりしたけれど、アンの機転で、エルムもラティの追及を逃れることができた。