別れ
コミックス6巻、2月14日発売です。
書籍は3月25日発売です。
だからと言って、次の日に旅立つというわけではない。
ガーディニアに返事の手紙を出し、それを向こうが受け入れるかどうかを決め、その連絡がまたガーディニアから届く。
急ぎで連絡したとしても、往復で一〇日以上かかるだろう。
その間に、ウルヴァリエ家は王都のタウンハウスにも連絡を入れ、アンをはじめ、エルムにサラ、そしてアレンにハルトが滞在する準備をしてもらう。
一方でサラも、薬師ギルドに移動を報告し、残った仕事をこなさねばならない。
「ガーディニアからの返事次第ではあるんですが、しばらく王都に行こうと思うんです」
「サラも毎年忙しいわね」
薬師ギルド長のカレンも苦笑しているが、確かにサラほど出かける薬師はいないのだろう。
「一二歳のアンの付き添いなので、どのくらいかかるかも正直わかりません。この際思い切って王都の薬師ギルドに所属を移動したいんですが、可能でしょうか」
「サラなら文句なしに大丈夫よ。ヨゼフにも認められたんでしょ?」
「たぶんですけど」
去年一緒に仕事をしていた時は、うまくやって行けたと思う。
「特薬草の採取ができなくなってしまうのが申し訳なくて」
「それよね。でもね、申し訳なく思わなくてもいいから、ここを経つまでの間、薬草採取の研修をお願いできないかしら」
「はい、それは大丈夫ですけど」
そう言うカレンのほうが申し訳なさそうだったのはなぜか。
「本当は、特薬草をサラとクリス様にだけ頼っていてはいけないとわかってはいたのよ」
カレンは話し出した。
「だから、かねてからやろうと思っていた通り、サラ以外の薬師にハンターの護衛を付けて、深層階に送り込もうと思うの。その監督をお願いしたいわ」
「ひええ、責任重大です」
サラと一緒ならバリアで完全防御ができて安心だが、サラがいない時にも薬草採が取できるようにしてほしいという依頼である。護衛が優秀なハンターでも、万が一ということもある。サラに課せられたのは、バリアで防御せず、見守って特薬草採取のコツを教えるという、ある意味とても難しいものであった。
「それで採取が無理というなら、王都の薬師ギルドには定期納入を諦めてもらうしかないわね。もともと、私は特級ポーションを今のペースで作ることには反対だし。無理なら無理でいいのよ」
にこりと笑うカレンの目の奥にはちょっぴり闇が見えた気がする。
特級ポーションの使い方についてのレポートは昨年まとめたが、使い方の難しい薬であることに変わりはなく、むやみやたらに作るものではないというのがカレンの考え方である。
「それから、王都の薬師ギルドへの所属の件なんだけどね」
カレンの話が最初に戻る。
「無理にどこかに所属しなくてもいいんじゃないかしら。今のクリス様みたいに、フリーの薬師っていうのもありだとは思うのよ。必要な時に短期で雇われれば、移動する時も制約がないでしょ」
「フリーの薬師ですか。ぜんぜん考えてませんでした」
どうせ働くなら、臨時ではなく正規の安定した仕事に就きたいとい思うのは、日本にいた頃の感覚が抜けていないからだということに気がついたサラである。
「ちなみにうちのギルドは、サラがいつ戻ってきても雇うから、心配しなくていいわよ」
「はい! ありがとうございます」
今まではハイドレンジアの薬師でいるということがサラの心のよりどころであり、誇りでもあった。だが、ハイドレンジアはいつでも迎えてくれるし、フリーの薬師でいれば、いつまでに王都に着かなければならないとかいう縛りはなくなる。
思い込みから解き放たれたサラは、なんだかずいぶん心が軽くなったのだった。
サラへ依頼はしたものの、薬師が深層階に行くのは、実現は難しいと思われていた。ハンターが護衛に付いても、万が一ということがあるからだ。
だが、驚いたことに、クンツの盾を使えるハンターが何人か育っており、それも深層階まで行けるベテランであった。
「クンツほどにはうまくできないが、身を守るのにこれほどいい魔法はないよな」
サラのバリアを真似るのは無理とあきらめていた魔法師でも、盾の応用で魔力量の消費が少ないクンツのやり方なら真似できる。
「これ以上は伸びないと思っていた自分の力が伸びるのが面白くてさ」
そういう理由で、盾の魔法を使う学ぶハンターが増えているらしい。そしてすぐ上達するのもベテランというわけだ。
護衛の力が上がったことで、何とか最下層まで薬師を連れていくことはできた。そして特薬草が生えている場所にさえ行けば、結界箱を複数、そして頻回に利用することで、採取自体はできそうな感じだ。
「自分しかやる人がいないと思えば、必死で工夫するしかないとわかったよ。今までサラにばかり負担をかけていて本当に申し訳なかった」
と同僚の薬師に言われた時は、サラは涙が出るほど嬉しかった。
「いやあ、しかしダンジョンで薬草採取は楽しいなあ」
魔の山に似た空を見上げる薬師を見て、もっと早く取り組んでおけばよかったとサラは後悔もした。自分以外の薬師がダンジョンになんて行けるわけがないと、思い込んでいたのかもしれない。つまり、同僚の薬師を本当には信じ切れていなかったのだ。
その反省は、これからの自分の薬師生活の中できっと生かされていくだろう。
「どうせネリーに会いに戻ってくるんでしょうし、ハイドレンジアに二度と来ないわけじゃないんだから、そんな決意を固めなくていいのよ」
気合を入れるサラに力を抜くよう諭すカレンは、何もかもお見通しのようだ。
「はい。でも、ハイドレンジアの薬師ギルドは私の薬師としての始まりの場所だから、なんか特別なんですよね」
「ここが特別なのは、ギルド長として私が優秀だからだと思うわ」
その自信こそ、カレンがクリスの生粋の弟子である証明だなあと思う
。
若手の実力者であるアレンとクンツ、そしてサラが抜けるのはハイドレンジアのハンターギルドにとっては痛手ではあったが、最下層の出現により、他のハンターも着実に力をつけてきたところだったので、快く送り出してくれることになった。
そしてハルトはといえば、ガーディニアからの返事が来るまで、ダンジョンで暴れまわるかと思いきや、意外にもそうでもなかった。
サラが薬師ギルドで特薬草の採取を教えていた時期に、アレンやクンツと一緒に、ハンターギルドで講師をしていたらしい。用があってハンターギルドに顔を出した時に初めて知って驚いた。
「教えるということとハルトが結びつかないんだけど」
「そうか? 俺、そもそもが親切なんだよな」
鼻を高くしているハルトはいつもと変わらないように見える。
「で、何を教えたの? スターダストとか?」
「ちょ、やめろよ」
慌ててサラをさえぎったハルトの顔が少し赤い。
「もうそういう時期は終わったんだよ」
まさかと思ったサラだが、再会した時のハルトを思い出すと、確かに頷ける。
「そういえばワイバーンを倒した魔法の詠唱も短かった気がする!」
「雷神か? だろ?」
ハルトの鼻がますます高くなる。
「本当は漢字で言うと一文字がかっこいいと思うんだけど、雷だけじゃ、他の雷魔法と区別がつきにくいし、けっこう考えるの大変だったんだぜ」
「かっこいいことは外せないんだ」
「大事だろ? ものすごく大事だろ?」
サラにはよくわからないが、クンツが頷いているところをみると、魔法師にはかっこよさも大切なのかもしれない。
「けど、雷はやっぱり少し難しいみたいなんだ。ヴィンスが静電気を参考にしてるっていうから、それをもとに教えてるけど、それでもできたのはほんの数人だ。それも威力が弱いから、攻撃というより防御向きだし、防御と言えばクンツの盾のほうが使い勝手がいいから、成果が出せたかっていえば、微妙」
「ちゃんと相手のことを考えて教えてるんだね」
「当然だろ。あ、なんか呼ばれてるから行ってくるわ」
質問があるのか、声をかけてきたハンターのところへ歩いていくハルトは、そもそもの明るくて愉快な性格もあって、ハイドレンジアのギルドではあっという間になじんだらしい。
ローザで問題児扱いされていた頃と本質は変わらないのに、不思議なものだ。
「俺たちと同じだよ」
ぽつりと口に出したのはアレンだ。
「ハンターになったばかりの頃は、自分のことで精一杯で、頭の中も自分のことだけしか考えられなくて。でも今は、自分はなんとかやっていけるって自信が付いたから、他の人のことを考える余裕ができた。そうじゃないかな」
サラ自身も、二年前、いや、一年前でも、今回のような、突然の提案は迷惑だと、巻き込まれたくないと思ったに違いない。
でも、今回は違う。
自分が手伝えるなら、手伝ってあげたいと思うのだ。
サラが一二歳だった頃、アレンがそうしてくれたように、あるいはローザのハンターギルドが導いてくれたように。
連絡が来るまでは動けないにしろ、王都に行くことだけは決まっている。ガーディニアを経由するか、直接王都に行くか、それだけの違いだと分かっているサラは、残った時間で精一杯のことができた気がしている。
そして、ガーディニアからは、即答に近い速さで返事が来た。
ネリーに断られたのは残念だが、エルムが保護者として王都に行くのも、サラが付き添うのも、そしてガーディニアに迎えに来てくれるのも大歓迎だという。
「そりゃあそうだろ。よく考えたら、どれ一つ取っても、向こうにとっては破格なくらい好条件だもん」
まるで試験の合否を待っている気分だったサラは、ハルトのこの言葉で思い切り気が抜けた。
「エルムは優秀なハンターで、伯爵家の次男。そんな人がわざわざ王都まで行って面倒を見てくれるんだぜ。しかも住むところと、話し相手を用意してくれる。そんでもってお迎え付き。お迎えには招かれ人が二人も入ってる」
ガーディニアから返事が来た日の夜のお茶会で、サラたちはそんな話をしていた。
が、意外な人がその話に加わった。
「そのくらいの気持ちのほうが、アンも気が楽だろう。姉様があれこれ手配したのだろうが、アン本人は、できるだけ人に迷惑をかけたくないと思っているような気がするがな」
「ネリー……」
ずっと一緒だったネリーとは、これからしばらく離れることになる。それなのに、忙しさに紛れてまだちゃんと話もしていなかった。
「じゃ、俺、宿に戻るから」
「俺も、先に休むな」
気をきかせたのか、アレンとハルトはあっという間にいなくなってしまった。
部屋に残っているのは、サラとネリーだけだ。
「サラ、隣に座らないか」
「うん」
二人でお茶のカップとおやつの皿を、窓際のソファに移動させる。
「おやつの皿を忘れないところがサラだな」
「ネリーだって嬉しいでしょ」
「もちろんだ。大きな声では言えないが、サラの作った菓子だともっといい」
お屋敷の料理人の作るお菓子はとてもおいしい。だが、時にはサラの作った素朴なお菓子も食べたくなる気持ちは、サラ自身にもよくわかる。
サラはポーチからそっとお菓子を出した。ドライフルーツのたくさん入ったケーキである。
「懐かしいな」
「うん。魔の山で、ネリーの買ってきてくれるドライフルーツでよく作ったよね」
「サラの指定する果物を、店先で選ぶのは難易度が高かった。その点、ドライフルーツは、ハンターもよく持ち運ぶものだから買いやすくてな」
「そんな秘話があったことを初めて知ったよ」
山の上だから、保存食を買ってくるのだろうと思っていたが、よく考えたら、収納ポーチには新鮮な野菜を入れることができるのだから、そんなわけはなかった。
「ハイドレンジアなら、どこの店にも入れるし、『サラの好きそうな果物をひと通り見繕ってくれないか』って言うだけで新鮮な果物がそろうというのにな。ローザでは、店に入るのさえ難しくて」
「ずっと一人でいたら、話し方だって忘れちゃうよ」
本当にそうだと思う一方で、出会った頃のネリーのずれ具合もたいしたものだったと苦笑する。
「それに、ローザがいいところばかりじゃなかったこと、私も知ってるもの。ネリーが買いやすいように声をかけてくれるところもあったと思うけど、そうじゃないとこもいっぱいあったでしょ」
「言われてみたら、そうだったな。けんもほろろの扱いをされると、次は行きたくなくなるということも知った」
一人でいたころのネリーを思うと涙が出そうになる。
「今、薬師ギルドに所属していて何を言うって思うかもしれないけど、私、ローザでがっかりしたの、テッドだけじゃなかったんだ」
「そうなのか」
並んでくっついて座っているから、ネリーの声がすぐ近くで響くのが嬉しい。
「テッドが意地悪してるって気がついていても、他の薬師は何もしてくれなかった。クリスだって、私がネリーの知り合いじゃなかったら、目にも入ってなかったんじゃないかな」
「そうではない、とは言い切れないのがつらいところだ」
クリスは素晴らしい人ではあるが、人格者ではなかったのをネリーもわかっているのだ。
「どこに行っても、いい人もいればそうでない人もいる。薬師にだっていい人もいれば、そうでない人もいる。その中で一生懸命生きていくしかないんだよね」
「サラはほんとに、強くなった」
ネリーはサラの背中に手を回すと、そのままぎゅっと引き寄せた。
「ネリー、私しばらく戻ってこないかもしれない」
「わかっている。私はね、サラが数年どころか、ずっと戻ってこないこともあると覚悟しているよ」
サラは驚いてネリーを見上げた。
「王都でやるべきことが終わった時、次にやりたいことが、ハイドレンジアにあるとは限らないだろう?」
「そう、かもしれないけど」
そんな先のことまで考えてもいないサラは、戸惑ってしまう。
「私だって、いつまでハイドレンジアにいるかはわからない。やりたいことが見つかるかもしれないし、やるべきことがあるかもしれない。それはもしかしたら私じゃなくて、クリスに起こるかもしれない」
「クリスに」
「今は私のもとにいるが、優秀な薬師だ。その力を必要としている場所は多い」
サラはネリーにもっとぎゅっとくっついた。
「そうしたら、ネリーは付いていくの?」
「付いていく。きっとその頃には、ハイドレンジアには次の世代が育っているだろう」
薬師の護衛としてきたハンターはベテランだったけれど、クンツの盾を真似して、まだまだ成長できると笑っていた。既にハイドレンジアは変わりつつある。
「サラもそうだぞ。今まではサラばかりがいろいろなことに巻き込まれていたが、今度はアレンがそうなるかもしれない。優秀なハンターに育ったからな」
自慢そうな口調はちょっとハルトに似ている。
「アレンがどこかに招かれたら、サラはどうする?」
「付いていく」
迷いなく答えられた自分に驚いてしまう。
「もちろん、自分の仕事の責任を果たしたらだけど。そして、付いていった先でもちゃんと薬師の仕事をする」
「な? そうだろう?」
ネリーもサラも同じ、言い換えれば、クリスもアレンも同じだ。
「この数年、サラとクリスと、そして家族と一緒に一つ所にいられて、なんて幸せだったのかと思うよ」
「うん」
どの場所も楽しかったけれど、ハイドレンジアで、薬師としてのやりがいを知ったのは、ウルヴァリエの家族に支えられたからだ。
「今度はウルヴァリエとして、アンという家族を支える番なんだね」
「そして、それが終わったらまたその先もある」
ハイドレンジアに戻ってこない未来もある、ということがストンと心に落ちた。
だが、これが永遠の別れというわけではない。
「時々は戻ってくるよ」
「私だって会いに行くからな」
「どこに行っても戻ってくる」
「どこに行っても会いに行くよ」
魔の山で始まった物語は、まだまだ続いていく。