懐かしい人
「さあて、今日は俺も一緒だ」
クンツがダンジョンの前で背伸びをしたのは、町でのデートから数日後のことだ。
「こないだは遠慮して来なかったくせにさ」
アレンがクンツの肩をこぶしでとんと軽く叩く。
「お前らがダンジョンでデートなんて無茶なことするからだろ」
ダンジョンでデートはクンツにも不評である。
「けど、やっと町中で普通のデートをするようになったから、その他の時間は俺が一緒でも大丈夫になったってわけだ」
「なんだよ、その謎理論」
にぎやかな二人をニコニコと眺めるサラには、クンツの気持ちはよくわかるし、ありがたいとも思う。
ダンジョンはアレンにとってもクンツにとっても仕事の場だ。サラとアレンに時間を作ってやりたいが、仕事もちゃんとしたいというということなのだろう。
ダンジョンを急ぎ足で下りるクンツには、サラのバリアはもう必要ない。もともと周囲をよく警戒しているタイプだし、去年編み出した、サラのバリアを応用した盾をうまく使って、魔物の攻撃を防いでいる。
それは最下層でも同じで、クンツのことを弱いと馬鹿にしていた高山オオカミも、最近は近寄ってこないほどだ。
「じゃあ、私は薬草採取をするからね」
ある程度進んだら、解散してそれぞれの仕事をする、それが最近の三人のやり方だ。もっとも、サラがいるときは、目の端にサラがいる範囲で狩りをしてくれている。
サラはと言えば、まるで若草色の傘をかぶっているみたいに、バリアの上半分に色を付けるようにしてからは、今のところワイバーンに襲われることはなく、心の平和が保たれている。
「よーし、今月の特薬草分は採取終わりっと」
王都の薬師ギルドに納入する分を採り終わったサラは、立ち上がって腰を伸ばす。
「ありゃ、意外と近くで狩りをしてる。おや?」
「ギエー!」
サラのところには来なくなったワイバーンが、アレンとクンツのほうに急降下するのが見えた。
いつも思うのだが、ワイバーンも、急降下する前に声を出さないほうが狩りの成功率が上がるのではないだろうか。
そう考える余裕があるくらいには、アレンの狩りを信頼できるようになっていたサラだが、そのアレンはと言えば、まるでその場から逃げるかのように一歩、二歩と下がっていく。
そしてその分、クンツが前に出て手を空に向けた。
ブンと空気を震わせるように生じた茶色の盾は、一回り大きいうえ、いつもより離れたところにくっきりと姿を現した。
どうん。
突然現れた茶色い盾に回避もできなかったワイバーンは、クンツの前に倒れ伏した。
「動かない」
サラのバリアと同じことが起きたのなら、ワイバーンは首の骨が折れて、死んでしまっているだろう。
両手を握って天に突き出したクンツのもとに、サラは急いで走り出した。
「やったぜ! やった!」
何度も繰り返しているクンツに、サラはとりあえず言うべきことを言わねばならない。
「おめでとう! でも早くしまわないとオオカミにとられちゃうよ」
「そうだった」
冷静になったクンツがワイバーンをしまおうとかがみこむと、今度はアレンが自己主張するように前に出た。
「次は俺かな」
クンツを狙っていたのか、それとも倒れたワイバーンを狙っているのか、上を見るともう一頭のワイバーンがこちらの様子をうかがっている。
「いつでも来い!」
気合を入れるアレンの声にかぶせるように、どこか聞き覚えのある声が響く。
「雷! 神!」
ドン、という衝撃と光と共に、高所からひゅーんとワイバーンが落ちてきた。
どがん。
先ほどとは比べ物にならない質量感と共に。
「悪いな! 君が狙ってたかもしれないと思ったんだが、まどろっこしくてな」
気取った物言いに振り返ってみると、そこには腕を組んでそっくり返っている青年がいた。
アレンはため息をつくとすたすたとその青年に歩み寄り、こぶしで肩を叩いた。
「わざとだろ。素直に久しぶりって言えよ」
「それじゃ面白くないだろ」
「相変わらず面倒な奴だよ」
面倒な奴という割には嬉しそうなアレンと青年のもとに、クンツも走り寄った。
「久しぶりだな! ハルト!」
「久しぶり、クンツ。いつの間にかワイバーンを倒せるようになってたんだな。いつ助けに入ろうかとひやひやしたぜ」
ちょっとひねているが、いい子なのである。
何年ぶりだろうか。本当に久しぶりだが、ハルトは魔の山にいたのではなかったか。
駆け寄って話を聞きたいたいのは一緒だが、サラには言わなければならないことがある。
「あのー」
「サラ! なんだよ、遠慮せず近寄ってくれよ」
両手を広げられても、ハグするような仲ではない。
「ええと、ワイバーン、オオカミが狙ってるよ」
「えっ」
「えっ」
クンツとハルトは、急いでワイバーンを回収しに行った。
「しまらないな」
「ハルトらしいよね」
ふふっと笑い合っていると、戻ってきたハルトにいきなり指をさされた。
「あっ! お前たち!」
「いきなりなんだよ」
「友だちだとか言っといて、ついに、あれだ、いわゆるお付き合いを始めたな!」
「その話、何年前だよ……」
初めて会ったころの会話を思い出して、サラも噴き出してしまった。
「ハルト、変わらないよね」
「それはあれか、当時も今も、もてない俺を憐れんでいるのか? そうなのか?」
ハルトと一緒にいると、ここがダンジョンの最下層だなんて忘れそうになってしまう。
「違うよ。今も昔も面白い人だよねってこと」
「それならいいか。いいのか?」
首をひねるハルトに、サラは気になっていたことを聞いてみた。
「それよりハルト、どうしてここにいるの? ブラッドリーは知ってるの?」
「それなー」
どれなんだよと突っ込みたいサラである。
「とりあえず、ここじゃゆっくり話もできないから、あそこの丘の上に行かない?」
他のハンターが聞いていたら、そもそもダンジョンはどこでだってゆっくりできないとあきれたことだろう。
だが、サラにはバリアがある。
もっとも、景色のいいところを選んだら、ちゃんと四隅に結界箱を置いて、魔物が入ってこられないようにするのは忘れない。
「ハルトが魔の山に行ってから五年、いや、そろそろ六年になるか?」
「お前たちが旅に出たのと同じだから、五年だな。ローザと魔の山を行ったり来たりして、時には王都にも遊びにも行ってたんだけど、結局は一つの場所にいるってことだろ。人から離れたくて行ったところだけど、魔の山は拠点にするにはちょっと寂しすぎてさ」
「ハルトはブラッドリーみたいに本好きには思えないもんな」
「失礼だな。俺だって本は好きなんだぜ。日本では他にすることもなかったし、よく読んでた」
すっかりトリルガイアの住人になってしまっているサラには、ハルトがちょくちょく出してくる日本の話題が懐かしいが、同時にとても遠いものにも感じる。
「魔の山も落ち着いているし、なにより街道が整備されて、ローザからハンターが来るようになったんだ」
「ほんとに?」
日本の話題より、魔の山のほうに反応してしまう自分に戸惑うサラである。
だが、魔の山も、魔の山からローザに向かう街道も、結界などなくツノウサギに襲われ放題だったことを考えると、格段の進歩である。
「ほら、あのいけ好かない町長代理。テッドがさ」
サラは思わずアレンと顔を見合わせた。
懐かしい名前を聞いた。
最後に顔を合わせたのは、タイリクリクガメを追ってローザまで行った時だから、二年以上前だ。
それにしてもハルトに町長代理とはっきり言われるなんて、テッドもちゃんと仕事をしているんだなと微笑ましく思う。
「お前たち三人ならわかると思うけど、近年魔物の大量発生とかが多いだろ。そのせいか魔石が入手しやすくなっているらしくて」
確かに、魔物の大量発生ならだいぶ関わっている。
「サラのいるところだけじゃなくて、あちこちで小規模だけど魔物が増えていたり、いつもと違う魔物が出てきたりしてるらしい。これはブラッドリー情報なんだけどな」
久しぶりで旧交を温める間もなく、とても重要な情報を聞かされている気がする。
「特別な大量発生や、こないだのタイリクリクガメのようなイレギュラーを除いては、俺たち招かれ人が出しゃばるまでもなく、地元のハンターでやっていけるくらいの違いだから、そんなに心配するほどのことじゃないんだぞ」
心配性のサラを安心させるためか、ハルトがわざわざ説明を足してくれた。
「で、ローザの町が、というかテッドが率先して、その増えた魔石を使って街道を整備してくれているんだ」
「テッドがねえ。薬師としては優秀だけど、薬師以外のところで才能を発揮するとは、正直なところ思ってもみなかったよ」
サラにとってテッドがどういう人か改めて考えてみると、今はちょっと面倒くさい性格の親戚のお兄さんという感じだ。
だから、頑張っているとは思うけれど、意外だなというのが素直な感想である。
「それは間違ってないよ。だって、街道を整備した理由がそれだからな」
街道を整備した理由。
サラははっと気が付いた。
「ギンリュウセンソウ! まさかクリスのため?」
「相変わらず、クリス様クリス様ってうるさいぜ、あいつ」
ハハッと笑うハルトだが、意外と交流があるようだ。
「テッドはさ、薬草を採取しに、魔の山にはよく来るんだよ。一人では来られないから、護衛付きなんだけど、そのおかげで、魔の山は準備と覚悟さえあれば行ける場所だってハンターに認知されるようになったんだ」
「テッド、最初は魔の山のふもとに行くのもやっとだったのに、成長したなあ」
アレンもテッドのことを、サラと同じように感じているのがわかる。
「ハンターがたまに来るようになって、魔の山の管理小屋もだいぶにぎやかになってきてたぜ」
「ブラッドリー、嫌がってない?」
「思ったよりはそうでもない。たまに来る人とは表面的な付き合いで済むし」
「それならよかった」
ネリーがいた時にこそ、そのくらいにぎやかだったらよかったのにとサラは思う。
二人での暮らしはとても楽しかったけれど、今思えば少し寂しすぎたし、サラももう少しこの世界の常識を知ることができたはずだ。
「で、ブラッドリーも大丈夫そうだし、俺もそろそろ独り立ちしようと思ってさ。半年くらい前から魔の山を下りて、あちこち回ってるんだ」
得意そうに鼻の下をこするハルトは、もう二〇歳を超えているのに、まだ少年のように見える。
「それでどこを回ったんだ?」
「まずはさ……」
時間が遅くなってきたのでお茶道具を片付けて、帰り道でも楽しい話は続く。
「そういえばさ、ハルト、もう宿は決めたのか?」
「アレンとクンツのとこも宿なんだよな。すごく行きたいけど、今日はまずご領主のとこにお世話になることにする」
招かれ人が訪れることは名誉なことなのだ。逆に、その土地に訪れたのに領主のところに寄らないのも、失礼に当たるとか当たらないとか。
「さすがハルト」
「最初は貴族のとこでお世話になってたから、一応な」
にぎやかに家路をたどり、ウルヴァリエの屋敷に着くと、家族が勢ぞろいしていて、ハルトは大歓迎を受けた。
「ハルト殿が訪れてくれるとは。すっかり大人になられたな」
もと騎士隊長のライには、王都でハンターをやり、渡り竜討伐にも参加していたハルトの心証はとてもよいものだった。
「ほう、お前がハルトか」
さすらいのハンターと言われる割に、居心地がいいのかハイドレンジアに留まっているエルムもハンターをやっている招かれ人に興味津々だ。
「姉さん!」
「姉ではないと言っているだろうに」
苦笑するネリーもクリスも、久しぶりのハルトに優しい目を向けている。
アレンやクンツも食事に加わり、にぎやかで楽しい夕べとなったのだった。
夕食を終えて、さてお茶を飲もうとなった時、ライがコホンと咳払いした。
「さて、今この時、ハルトが来てくれたのは女神のお導きかもしれない」
招かれ人こそ女神のたまものとはいえ、日々の生活に信心のかけらもないトリルガイアで、女神のお導きなどという言い回しを聞いたのはこれが初めてだ。
まして、自分の人生は自分で切り開くという方針のウルヴァリエではありえない言葉に、サラの警戒度は一気に上がった。
「これだ」
ライが胸のポケットから出したのは、一通の手紙だった。
「また手紙?」
さて、今度の手紙はいったいどこからやってきたのか。
始まりはいつも手紙からである。