デートっていうか
更新再開です!
サラはコートの襟に顔を埋めるように首をすくめた。季節は春に向かおうとしているが、頬をなでる風はまだ冷たく、春物をまとうには早すぎる。
見上げれば空には大きな鳥が舞っている。町を出ればすぐ草原だから、ウサギかネズミか何かを狙っているのだろう。
「ワイバーンじゃないところが安心だよね。狙われているのが私じゃなくてよかった」
魔の山なら、空を舞っているのは確実にワイバーンだったと懐かしく思い出す。
だがここはハイドレンジアの町で、魔の山でもダンジョンでもない。
「サラ! 待たせたな」
「おはよう。私も今来たところだよ」
サラは通りの向こう側から走ってきたアレンに答えて、ふにゃりと微笑み、思わず胸に手を当てた。
体が弱くて、友だちとの待ち合わせなど夢のまた夢だったサラが、一度は言ってみたかった言葉がこれだ。ましてや付き合っている人との待ち合わせときたら、胸の中で小さなツノウサギが跳ねるような、そんなくすぐったい気持ちになるのだと初めて知った。
「ええと、じゃあ、昼飯食べに行くか」
「うん、楽しみ」
本日は二人の初めての本格的なデートである。
正式にお付き合いすると決めたのは、去年の夏の終わりころだった。
春にケンカして、仲直りにずいぶん時間がかかって。
お互いの存在が大事だという気持ちは確かめ合ったけれど、それがどういうものかは少し曖昧だったサラとアレンを焚きつけたのは、クリスだった。
どの口が言うのかと誰もが思ったに違いない。だが、
「お互いが大切ならば、その関係をはっきりさせないと、付き合うまでに私たちのように二〇年以上もかかることになる」
と言われてしまえば、それは説得力しかなかった。
だが、サラには、素直にはいと言えない気持ちがあった。
それは、曲がりなりにも日本で生きた記憶があるからだ。
だが、その気持ちを正直にアレンに伝えて、返ってきた言葉はこれだった。
「それって、サラの相手がリアムくらいの年の人じゃないとだめだってことか? それともクリス? ヨゼフ?」
お手本になるような男性が身近に意外と少ないことに遠い目になるサラである。
だが、前の人生の自分にとっての適正年齢ということだけを考えると、クリスは少々年が行き過ぎているし、リアムはむしろ年下だし、薬師のヨゼフは論外だ。というか、リアムは昨年結婚したと聞いてほっとした記憶があるし、ヨゼフはあれで妻帯者である。
もし全員が独身だったとしても、今一〇代の自分は、相手にとっては釣り合わない。
サラの実質的な年齢に合わないから身を引く、というという考えはアレンにはなく、逆にサラが身を引くという考えもまったく理解できないと言う。
「面倒くさいことを考えずに、俺と結婚を前提に付き合ってください」
真正面からそう言われたら、断るという選択肢はもうなかった。
「よろしくお願いします」
そうして正式にお付き合いを始めたわけだが、そもそも付き合う前からだいたいは一緒にいたので、今までと何も変わらない日々である。
サラはそれで何もかまわなかったが、秋も深まり王都からハイドレンジアに戻ってきた時、そわそわとしたアレンについにデートに誘われた。
「ダンジョンにデートに行かないか。最下層なら、今ちょうどいい気候だと思うんだ。ほら、お弁当持ってさ」
「ダンジョンって……」
ロマンチックさがみじんもないところがアレンらしいなとちょっとあきれながらも、サラが頷いたのは、魔の山に似たハイドレンジアの最下層はサラの好きな場所だからだ。
「右手にある丘で寝転ぶのもいいね」
「俺たちけっこう、毎日しっかり働いているからさ。たまには何もせずに過ごすのもいいと思うんだ」
クンツを誘ったら、
「デートに俺を巻き込むな」
と断られ、二人きりで出かけることになった。
サラだけに小さくバリアを張り、時には飛び掛かってくるツノウサギやヘルハウンドをアレンが殴り飛ばしつつ歩く道中は、とってもサラたちらしい気がして楽しかった。
ダンジョンのこと、今まで行った場所、大変だったこと、楽しかったこと。
六年も一緒に過ごしてきたからか、話題は尽きず、笑い合い楽しげにダンジョンの下層へ向かう二人を、仕方ないなという顔でちらりと見るのはハイドレンジアのハンターで、信じられないという顔で二度見するのは、最近来たばかりのハンターだ。
そんなことさえおかしくて、最下層の一六階まで来るのはあっという間だったような気がした。
「わあ、何度来ても魔の山だ」
空にはワイバーンが飛び、遠くではオオツノジカの群れが移動している。手前には高山オオカミがうろうろし、何とか一口でもサラたちをかじれないかどうか思案しているところだ。
「よし、じゃあ右手の丘まで、どっちが早く着くか身体強化で競争しようぜ!」
「それはずるいよ!」
「ハハハ!」
「待って!」
アレンが手加減したのか、丘にたどり着いたのは同時で、はずむ息のまま草むらに倒れこむと、二人並んで空を見上げた。
「空が青い」
「多分ダンジョンの天井だろうけどな」
「夢がない。あ、ワイバーン」
サラは慌ててバリアを大きく広げた。
「ギエー!」
どん、という音を立ててワイバーンはバリアにぶつかると、そのまま滑り落ちて行く。
「うーん、できれば倒したくないんだけど……。どうにかしてワイバーンが襲ってこない方法はないかな」
サラは高山オオカミに取られてしまわないように、ワイバーンを収納ポーチにしまいながらぶつぶつと文句を言った。
「俺なら運がよかったって思うだけなんだけどな。それに、バリアに当たらなかったとしても、結局俺が倒していたと思うよ」
「ダンジョンに来ている以上、子どもの頃みたいにヤダヤダ言っていても仕方がないことはわかってはいるんだけど」
生き物を殺したくないと言っても、攻撃を反射するバリアは魔物の攻撃を跳ね返し、結果として命を奪ってしまう。ダンジョンという魔物の巣窟に自分で足を運んでいるわけだから、いつかは割り切らなければならないと思ってはいるのだ。
「そこを迷うのがサラなんだから、別に変わらなくていいと思うぜ。でも気になるならさ、なにか工夫したらいいんじゃないか。クンツの盾みたいに、色を付けてみるとか」
「色ね。盾だったら茶色か……。いや、待って?」
サラははっと思い出した。
「確か魚は、下から見たら水面に見えるようにお腹が銀色で、空から見ると海面に見えるように背中が濃い色だった気がする。ということは」
サラはぐるりと回りを見渡した。
「私の結界が、空から見た時に、草の色になっていればいいってことだよね」
「俺、あの木の上に登って見てみるから、サラ、ちょっとやってみろよ」
「うん! いや、そう単純じゃないな」
トラが縞々なのは、森で目立たないからだし、軍隊の迷彩柄も同じ理由だ。緑の単色ではなく、複雑な模様にすべきだろうか。
「サラ! 準備はできたぞ!」
さっそく上ったのか、近くの木の上から、アレンの声がする。
「よし、とりあえずは単色でいいや。草の緑! いけ!」
サラはバリアの上半分だけを、目の前と同じ草の色に変えた。
「どう?」
「サラは見えなくなった! けど、緑の布が置いてあるみたいに不自然だ。サラ! 注意!」
アレンの緊張をはらんだ声に、サラはぴたりと動きを止める。
「ギエー」
ワイバーンの声だが、少し距離がある。真上は草の緑でサラからは見えないが、おそらくワインバーンは近づいてきているところだろう。
サラはバリアが動かないように、自分の頭を固定しながら、目だけをアレンの登っている木のほうに動かした。
サラはバリアがあるからいいが、アレンこそ木に登っているところを見つかったらと心配になったからだ。
だが、アレンはうまいこと木の枝に隠れ、空からは見えないようだ。
「ギエー」
そうこうしている間に、ワイバーンはどこか見えないところに去っていった。
「成功、かな?」
アレンはするすると木から降り、サラのところに満面の笑みで戻ってきた。
「サラ! 成功だ!」
「よかったー」
サラはほっとして座り込んだ。
「ワイバーンがサラのいたあたりを見たのは確かなんだが、そのまま旋回して戻っていったから、見つけられなかったんだと思うぞ」
「見たってことは、違和感があったってことかな」
木に隠れながら、ちゃんと観察していたらしい。
「サラと俺を見たから寄ってきたけど、いたはずの獲物が見えないから確認していただけじゃないかな」
アレンの言っていることが正解のような気がした。
「バリアを大きくしすぎなければ違和感はそこまでではないんじゃないか? ただ、ダンジョンには岩もあれば土がむき出しのところもある。移動している時どうするかが課題だよな」
「歩いているところに合わせて勝手に色が変わるバリアがあればいいんだけど、さすがにその機能は付けられる気がしないよ」
バリアも、サラができると思うことしかできないから、万能ではないのである。
その時、ドッドッと重い足音が遠くから響いてきた。
「まずいな。さっきのワイバーンに追い立てられたのか、オオツノジカの群れがこっちに向かってる。サラはそっちの木の向こうに隠れて!」
しばらくは一日おきくらいの予定です。