焦燥感(クンツ視点)
9月25日、書籍『まず一歩8巻』です。
活動報告に書影を載せてあります。
(クンツ視点)
クンツは、サラが地上に帰っていく様子をなんとなく納得できない気持ちで見送った。
納得できないどころか、なんとなく焦燥感さえある。
クンツと同じなのか、ネリーも腕を組んでサラが消えた階層の穴を見つめている。
「卵にこだわりすぎて、怒らせてしまっただろうか」
「サラはそんなことでは怒らないでしょうが」
クンツは別にサラとはもめていない。したがってネリーとも別に気まずくはない。いつも通りポンコツなネリーには遠慮なく突っ込ませてもらう。
「だがな。なんだかいつものサラと違うような気がしてな」
「うーん。俺もそうです」
「やつのせいか」
ネリーがちらりとアレンのほうに目をやった。
クンツから見てもネリーはさっぱりとしたいい人だが、サラとアレンが気まずくなってからは、明らかにサラのほうに立っていて、アレンとは微妙に距離を置いている。
もっとも、師匠と弟子とはいえ、もともとべたべたした間柄ではない。
「アレンのせいといえばアレンのせいかもしれないけど、それはここのところずっとそうだから。そうじゃなくて、何と言ったらいいか」
ネリーと二人で言葉にできずにいると、すっとクリスが話に入ってくる。
「かくしごとをしているな」
「かくしごと? サラが私にか」
「いや。ネフにだけではなく、私にも後ろめたそうにしていた」
「そういえばずっと元気がなかったかもしれない。アレンのせいかと思っていたが」
ネリーがついにはっきりとアレンのせいと言った。だが、今度はアレンが話に入ってきた。
「俺のせいだったかもしれないけど。それももうすぐ終わるから」
「終わるとはどういうことだ」
ネリーが腕を組んだままアレンのほうに向きなおった。
「俺が特級ポーションを飲んでからもうすぐで一ヶ月なんだ」
そう言われて数えてみると、確かに一ヶ月になる。
「サラに言われた通りに、一ヶ月、魔力も身体強化も使わなかった。毎日、体の調子がどんなふうだったか記録もつけてる。魔力は使わないけど、体の中の魔力の量やそれがどう動くのか、ちゃんとちゃんと観察して、サラに役立つようにって」
アレンがぐっと手を握った。
「それでやっと、ごめんって言える。もうすぐ元に戻れるんだ」
無理を言って深層に来た割に、たんたんと過ごしていると思っていたが、そうではなくきちんと毎日サラのことを考えていたらしいと知って、クンツは安心する。
「あー、甘いな。甘い甘い。ヤブイチゴのタルトより甘いぜ」
突然後ろから声がする。
「なんだよ」
たいていのハンターは年上と言えど、なめられたままではいられないアレンは、強気に言い返した。
「いまさらごめんって言ったからって、許してもらえると思ってるのが甘いって言ってるんだよ」
「あんたには関係ないだろ」
「俺らのサラちゃんが、一ヶ月ずーっと暗い顔でいたんだぞ。この一ヶ月、お前らの間に挟まって俺たちがどれだけ気まずかったと思うよ」
サラがもう戻ってこないからこその本音だろう。
「だいたい、一度仲たがいしておいて、お前がサラちゃんから選ばれるどんな理由があるよ」
「俺はサラの親友だ」
「親友があんなに冷たい態度を取るか?」
アレンがぐっと詰まった。
だいたい、サラが地上へと戻った後、誰も探索に出かけていないとはどういうことだ。
クンツは周りをぐるっと見渡した。
ハンターほぼ全員が、アレンとパイロンを囲んで言い合いを眺めているではないか。
それだけ全員がサラとアレンの動向を気にしていたということなんだろう。
「そんなにみんなが気になってたのなら、サラがいる間に気遣ってやればよかったじゃないか」
クンツは思わずつぶやいてしまい、全員から非難の目を向けられた。
「サラは私には構わないでくださいって態度だったじゃないかよ。どうすればよかったんだ。俺の娘があんな悲しい顔をしてそれでも一生懸命仕事していたら、俺は相手の男を殴りに行っていたぜ」
これはネリーやクリスと同年代のハンターの言葉である。
クンツの口からは乾いた笑いが漏れそうだった。
せめて自分だけはアレンの味方でいよう。アレンだってサラと同じ年なんだからなとひそかに決意する。
「やってらんねえ」
アレンはぼそりと口にすると、さっさと朝食の弁当の片づけを始めてしまった。
「絶対謝る。許してくれるまで謝る」
その気持ちをケンカした次の日にでも発揮してくれたら、誰も気をもまなかったのにとも思うが、謝るのにきっかけが必要なのが男というものだ。
結局はハンターはみんな、なんだかんだ言って若いハンターを応援したくてたまらないのである。そこから六日間のサラのいない探索の間に、ネリーとクリス以外はハンターは全員アレンを応援する側に回っていて、クンツの心配はだいぶ減った。
ハンターの皆に応援されて、だいぶ表情も明るくなったアレンが、神妙な顔をして夕食後のネリーとクリスのところに歩み寄り、声をかけた。
「クリス」
クンツも何気ないふりをして付いていくが、ネリーではなくクリスに声をかけたことにちょっと驚いた。
「今日で一ヶ月たつんだ。俺はもう、身体強化を使ってもいいだろうか」
「ふむ」
返事をしたクリスの目は、薬師の目だったが、珍しくそれだけではない何かの色が見え隠れしているような気がする。
「本来なら、最初から面倒を見ていたサラが判断を下すべきだと思う」
「はい」
「それが薬師としてのサラの成長にもつながったはずだ。患者にそれを言うのは違うのかもしれないが、友であるはずのお前が意地を張って、その機会を失わせたことは心に留めておけ」
クリスが丁寧にアレンの体を診た後、ついに結論を口に乗せようとしたその時だった。
「待て、クリス」
二人の様子を近くで見つめていたネリーから待ったがかかった。
「どうした、ネフ」
クリスも不思議そうだ。
「私もアレンの様子を毎日見ていたから、クリスが出す結論は想像がつく。だが、先ほどクリスが言った通り、その判断はサラに出させたほうがいい」
「なるほど」
クリスは少し考えて、納得したのかかすかにうなずいた。
「サラに会うのは三日後なのに、それまで待てってことなのか?」
「そうだ」
即答するネリーに、食って掛かりそうなアレンをクンツは慌てて止めた。
「反抗できる立場だと思っているのか」
ネリーにしては厳しい言葉が飛ぶ。
「お前が身体強化を使わずに、しっかりと鍛錬していたのは知っているし、兄様からも報告は受けている。今の時点で、怪我の前よりも身体能力は上がっているな?」」
「そうだ。それが悪いか」
きつい表情でネリーをにらむように見るアレンは、サラに意地を張っていた時と同じ顔をしている。
「はっきり言わせてもらう。どんなに体と技を鍛えようが、お前がサラより強くなることはない。怪我の前のお前も、鍛錬して強くなったお前も、サラにとっては同じだ。サラのために強くなることには何の意味もない」
ネリーがアレンにそこまで言うのは珍しくて、クンツは驚いてしまった。
「お前は私に弟子入りする時に、サラを守ると誓ったな」
「誓った。その気持ちは今だって変わってない」
クンツはアレンの弟子入り事情にサラがかかわっていたことを初めて知った。
「あの時から私はずっと思っている。サラより弱い奴が、どうやってサラを守るのかと」
その言葉をそのまま受け取ると、ネリーは、アレンは当時も今も、サラのことを守れていないと判断しているということになる。
「アレン、お前はいったいサラを何から守りたいんだ。五年前ですらワイバーンを弾いていた少女を」
「俺は!」
アレンは両手をネリーの前に差し出すと、ぐっと握りしめた。
「サラは強いけど、中身はそうでもない。サラは普通の女の子なんだ。それなのに、サラのことを招かれ人としてしか見ずに、利用しようとする奴らがいる。サラの優しさに付け込んでどこまでもむさぼろうとする奴らがいる。俺は」
アレンはその手を開いて、力なく体の横に落とす。
「俺は、そんな奴らが、サラを傷つけないように、そばにいて守りたかった。どんな力があっても、サラが普通の女の子でいられるようにしてあげたかった」
「今のお前に、それができているか」
「くっ」
「答えられないだろうな。今、誰よりもサラを傷つけているのは、お前なんだから」
真実を突き付けていくネリーに、アレンはついに何も言えなくなった。
「ちゃんとやり直し、終わらせろということか、ネフ」
「その通りだ」
やり直すことが今の話とどう関係があるのか、クンツは唐突な話題の変換に首をひねってしまう。
「アレン」
「うっ。はい」
アレンは悔しさのあまり、今にも泣きだしそうに見える。本人は認めないだろうが。
「私はサラが大事だが、アレンのことも大事だ」
自分だったら、今の一言で確実に泣いてしまうなと、クンツのほうが胸を打たれてしまっている。
「もしやり直せるなら、どこからやり直したい」
「サラに、ひどいこと言ったところから」
「じゃあ、やるべきことはなんだ」
「サラに謝って、サラと一緒に最初から一ヶ月、ちゃんと経過観察する」
ここに来て初めて、クンツも胸に残る焦燥感のわけを悟った。
鍛錬して強くなったことは、サラの心を何も動かさない。
あのままでアレンが謝りに行っても、きっとサラの心がほどけることはなかったに違いない。
だがことは簡単には進まない。
すぐにも身体強化を使い、できれば皆と一緒に深層の探索をしたかったに違いないアレンだが、残り三日を耐え、勇んで地上に戻ったとき、ハンターギルドの受付で聞かされたのはこれだった。
「サラ? 指名依頼で王都に行っちゃったわよ?」
「なんでだ……」
床に崩れ落ちる人間を初めて見たと、遠い目になるクンツである。