その方向で大丈夫なのか
悩んでいようがいまいが、薬草はどこにでも生えている。
魔の山と同じで、ときおり岩場が顔をのぞかせる高山地帯なので、魔力草も多い。
「希少薬草は特薬草しか見つけられなかったけど、クリスがあちこちで見つけているから、それはまあいいか」
三日目の調査もいい感じである。
朝はケンカもしたことのないに自分に気が付いて衝撃を受けたけれど、自然の中薬草を眺めていると、そんなこともどうでもよくなる。
「いや、どうでもよくはないけれど」
ケンカをしたのなら仲直りをすればいい。
だが、ケンカをしたことがないのだから仲直りの方法さえわからない。
自分が謝れば済むのだろうか。
確かにサラはおせっかいだったと思う。だけど、どう考えても、しつこくしてごめんなさいという気にはなれないのだ。
「だんだん面倒になってきた」
確かにアレンは心配だが、今のところ無理をしているようでもない。
サラじゃなくても、クンツがそばにいる。
「もういいや。仕事を頑張りさえすればいい」
さいわいなことに、やるべきことはたくさんある。
悩むことに疲れたサラは、あきらめのほうに梶を切ろうとしていた。
泊まり込みで探索とは言え、一ヶ月泊まりっぱなしのハンターはほとんどいない。
特に家族持ちの人たちは、五日から六日探索しては、二日ほど戻るというサイクルを繰り返している。
サラの薬草分布調査は大雑把でよいので、ハンターたちと同じかそれより早いくらいで探索が進む。
仕事に集中しようと決めたサラは、六日働いて上に戻って一泊休むというサイクルでしっかり働き、一ヶ月より前に薬草分布の調査が終わりそうな感じになってきた。
仕事は面白いし、アレンともクンツを介してだいぶ自然に話せるようになってきたのは、三回目のお休みの前である。
深層を歩き回ったらまたいつもの日常が戻ってくるかと思うとやはりほっとする。まるで魔の山にいるようだと感じても、安全地帯でテントを張っているとなんとなく閉塞感があるし、疲れもたまる。
地上に戻ってくると、サラはさっそく薬師ギルドに向かう。
「薬草のお届けです」
「サラ! お疲れさま」
「サラが来てるの?」
ギルド長室からカレンが珍しくパタパタと急いでやってきた。
「無理してない?」
「大丈夫です。今回も魔力草がどっさりですよ」
サラはどん、と薬草籠を出す。
大喜びの同僚たちにサラも満足である。
「ところでサラ、ちょっと話があるの。ここでもいいんだけど、ちょっと部屋まで来てちょうだい」
「はい」
深刻そうでもないし、深層の何かの薬草を採ってきてほしいという話なんだろうなとサラは素直にギルド長室に向かった。
「はいこれ」
部屋に入るとすぐに、カレンはテーブルの上に置いてあった手紙をサラに渡す。
「ノエルからよ。もう一通あるけど、まずそれを読んだらいいと思う」
屋敷でなく、薬師ギルドに来ているのが不思議な感じがしたが、婚約の申し出とは違い、実用的な封筒を開けると、さすがノエル、美しい字で手紙が書かれている。
「ええと、なになに」
内容はサラが出した手紙への返事だった。
「要するに、特薬草と特級ポーションは王都でも貴重なのでとても興味がある。特級ポーション使用者への聞き取りについても協力したいが、ぜひサラにも来てもらって、共同研究としたい。ですって。つまり」
「王都に来てほしいってことね」
ノエルが興味を持ってやってくれて、結果だけ共有できたらというのは、よく考えたら虫のいい願いだったかもしれない。
「それから、こっち」
今度渡されたのは重厚な封筒である。
「王都の薬師ギルドから。なんだろ」
こちらも手紙を開けてみると、ノエルのよりだいぶ短いそれは、依頼書だった。
カレンが手紙を指でとんとんと叩く。
「正式なものよ。クリスが渡り竜討伐の時に依頼されているのと同じ形式ね。ハンターギルドの指名依頼のようなものよ」
「はあ、指名依頼」
なんだか面倒くさそうだが、中身を見てみることにする。
「特薬草の納付依頼。最低百本、上限はなし。できれば安定供給に響かない程度に大量に採取してきてほしい。通常の報酬の他に、王都往復の交通費と、特級ポーションを使用した人への聞き取りの、全面的な協力を確約する。ええ……」
サラは思わず途方に暮れた顔をしてカレンを見てしまった。
「クリスが特薬草を発見して、うちの薬師が特級ポーションを作ったという話は報告済みなのよ。薬師ギルドとしては、特薬草も特級ポーションもいざというときのために常備しておきたいものだし、薬草関係についてはどこで採集できるか共有しておいたほうがいいからね」
「それはそうですよね」
「でも、私もこんなに動きが早いとは思わなかったわ。それに、サラに依頼が来たのは、明らかにノエルに出した手紙のせいね」
「うう、確かに」
ノエルだっていくら興味があっても、薬師ギルドを通さず自分だけで調査することなどできないだろう。サラだってここハイドレンジアで薬師ギルドもハンターギルドも頼ったのだ。
王都は行き帰りだけでも時間がかかるし、今現在ハンターギルドからの依頼の真っ最中だしと、悩みは尽きない。それに、アレンもまだ、特級ポーションを使ってから一ヶ月はたっていない。
うつむくと、カレンがサラの心を読んだかのような質問をしてきた。
「アレンは無理してるの?」
「してないと思います。見ている限りでは」
「そう」
それ以上聞いてこないのはありがたいが、よく考えたら、聞いてこないのはサラたちがケンカしていると知っているからだ。そうでもなければ、いつもならガンガン追及してくる人が、そう、の一言で済ませるわけがない。
サラとアレンのことは二人の問題のはずなのに、深層にいるハンターだけでなく、薬師ギルドの人も知っているというのが息苦しい。
「ハンターギルドからの依頼は、どのくらいで終わりそう?」
「ええと、次戻ってくる時には終わっていると思います。クリスたちはもう少しかかるって言ってました」
「なるほど。サラにとっては忙しいことだけれど、私としては、指名依頼は受けてほしいかなって思ってるの」
魔の山にいた時のネリーのように、指名依頼は断ることもできる。
「サラの提案は素晴らしいことよ。私が若かったころ、特級ポーションの使い方の手引きみたいなものがあったらよかったのにって、本当に思うから」
「はい」
そんなにおおごとになるとは思っていなかったが、ノエルとの共同研究のついでだと思えば、そんなに大変ではないのかもしれない。
「今の依頼が終わってゆっくり休んでからでもいいから、考えてみて」
「いえ」
優しいカレンの言葉をありがたく思いつつ、サラは顔を上げた。
「最深層では特薬草はあちこちに群生していて、一〇〇本集めるのは大変な仕事ではないんです。次戻ってくるまでに集めて、そのまま王都に行こうかと思います」
「サラ、あなた」
もともと誰かに押し付けられた依頼ではない。サラが自分から積極的に動いたからこそ、ノエルも王都の薬師ギルドも動いてくれたことだ。
聞き取り調査をし、まとめるところまできちんと仕事をしよう。
サラは決意すると、屋敷に戻ってすぐにライに相談した。
「なるほどなあ」
ライは顎に手を当ててひげをしごきつつ、残念そうな顔をして話し始めた。
「サラと一緒に、腕を組んで王都観光。そろそろ宝石の一つや二つ、身に着けてもいい年ごろだしなあ。合間に菓子などをめぐるのもまたよい」
「いやいやいや、仕事ですよ仕事」
なぜ王都観光に話がずれているのかと、サラはちょっとあきれてしまう。
「仕事の合間にだよ、合間に。だが、今のハイドレンジアの状況だと、私がここを離れるわけにはいかないから、サラ一人を行かせることになってしまうが、許しておくれ」
「大丈夫です」
仕事をしに行くということに関しても、今の仕事が終わってすぐに行くということについても、何も反対しないでいてくれるのがありがたい。
「馬車はウルヴァリエのものを使うといい。屋敷から何人かつけようか。ドレスは新しく作り直す暇はあるか?」
「いやいやいや」
本日二度目の突っ込みを入れるサラである。
「今回は急なことですし、普通に定期便の馬車に乗ろうかと思うんです。いつも急ぎの仕事が多くて、普通の一人旅ってしたことがないから」
「しかしな。女性の一人旅はなあ。ネフェルが戻ってくるまで待つわけにはいかぬか? あるいはアレンでもいいのだが」
街道は整備されているので、盗賊が出るとかそういうことはあまりない。
魔物も、草原に出なければ心配はない。
それでも若い女性の一人旅は珍しいので、心配なのだろう。
「王都ではもちろん、ウルヴァリエのタウンハウスにお世話になりますから。ちょっと気分を変えたくて」
「まあ、それも経験か。何しろワイバーンをも防ぐ少女だからなあ」
この間ワイバーンを防いだのを直接見たのがよほど嬉しかったらしく、ことあるごとに口にするのがサラはちょっと照れくさい。
ネリーにしろエルムにしろ、ウルヴァリエの血筋は自由だ。それは本人の気質にもよるだろうが、ライが自由を許しているからでもある。
結局はサラの言う通りにしてくれた。
次ダンジョンから戻ったら、一日だけ休んで、すぐに王都に行こうと決める。
ノエルへ手紙を書き、ポーチの荷物を入れ直し、六日ぶりのベッドに沈み込む。
仕事への期待で膨らんでいるはずの胸が痛いのは、自分が逃げようとしているのだということがわかっているからだ。
「もう悩むのも、気を遣うのも嫌なんだもの」
なぜだろうか。時間が過ぎて、何もかもなかったような顔でアレンと向き合うのは、しつこいと拒否された時よりも心を蝕んでいく。
「今はなあなあになって、一緒に暮らしているけれど、ネリーもクリスもいずれは二人の家庭を作っていくんだから。私も、この世界でちゃんと一人で立てるようにならないと。今まで、甘えすぎていたんだ」
ネリーにも、アレンにも。ローザから一緒だった二人に。
「誰も私とアレンのことを知らないところに行きたい」
誰もがなんとか仲直りさせようと遠回しに気を使ってこないところに行きたい。
間違った方向に走り出そうとしているサラを、止める人は誰もいなかった。