いたたまれないのはどっちだ
泊まり込みの準備は、テントを含めいつでもできている。お屋敷の厨房の人にローストガーゴイルをたくさん持たされたりしたが、魔物を狩ってくるわけでもないサラは余裕でポーチに入れることができる。
「行ってきます」
「気をつけるんだぞ」
温かいライの見送りに手を振って、ネリーとクリスと一緒にやってきたギルドは、案外いつも通りだった。
先行している探索組が書いた地図に沿って、ざっくりと薬草の群生がないか調べていくのがサラの仕事だ。
ここ数日で深層に通うのは三回目のサラも、だんだんと慣れて、最初よりもだいぶ疲れを感じなくなったなと実感するころ、深層に到着した。
「ネフェルタリじゃねえか! ガーゴイルを狩りつくすまで来ない気かと思ったぜ!」
待機組らしいベテランのハンターがネリーの肩を叩いて歓迎する。
「旦那も一緒かよ。っと、サラだったか」
なぜサラを見て気まずそうな顔をするのかというと、向こうにアレンがいるからに違いない。
いつもなら駆け寄ってくるはずのアレンは、サラのほうを見たはずなのに、視線を合わせようともしない。クンツがどうしようかというようにサラとアレンを交互に見ているのも腹立たしい。
そのことにサラは思ったよりも衝撃を受けたが、それを顔に出すことだけはしたくない。
アレンのために来たのだと誤解されるのも癪にさわる。実際違うのだし。
「薬草分布の調査に来ました。よろしくお願いします」
サラは目の前に広がる、魔の山に似た景色を観察してみる。
遠くではあるが、まだ目の届く距離に探索隊が見える。
「正面と、左右。三つに分かれて探索しているんですね」
「正確には四部隊。一部隊は待機だな。あとは雑用係だ。そして今日から薬師組か」
雑用係はアレンとクンツらしい。
「うん。右手にします。高低差が少ないから、初日の肩慣らしにはよさそうだから」
サラが右手を選ぶと、ネリーは腕を組んで左右を眺める。
「では、私は正面を行こう。魔の山では、ここより高いほうにコカトリスが多かったからな。それを目指す」
「では私もそれでいい」
クリスの依頼にネリーが護衛で付くのではなかったかと思わず突っ込みそうになったが、サラと同様に、クリスもどこから調査を始めてもいいのだろう。休憩もそこそこに、サラとネリーは別々の方向に歩き出した。
「おい! 嬢ちゃんが一人かい!」
待機組のハンターが叫んでいるが、サラの耳にはもう雑音は入らなかった。
「バリア。大きめで」
「ガウ!」
「ガ、ガウー」
早速やってきた高山オオカミが、サラを見てこそこそと進路をネリーのほうへ変える。
「そっちに行ったらひどい目に合うのに」
「キャウン」
そしてさっそくネリーに殴り飛ばされている気配がする。初見で相手の実力がわからないなんて、ここの高山オオカミもまだまだだなとサラに残念な評価をされているとは思ってもいないだろう。
迷いスライムもいて、久しぶりに追尾魔法を発動したりした。
「あ、上薬草」
魔の山は薬草の宝庫だ。ぱっと見ただけではわからないが、少ししゃがみこめば、そこには上薬草の茂みがあり、向こうには魔力草が生えている。
「噓でしょ」
思わず声を上げたのは、大きな木の陰になるところに、紫色の特薬草が生えていたからだ。
「もしかして、魔の山にも特薬草が生えていたのかな。あの時は知らなかったから」
魔の山の奥にはギンリュウセンソウも生えていたとクリスが言っていた。
「今の私が魔の山で暮らしたら、きっといろいろな発見があるんだろうな。あ、ヤブイチゴ」
これは地図に書くべきではないのかなと思いつつ、ヤブイチゴの場所もいそいそと書き込むサラであった。たくさん生えていたから、ついでに採れるだけ採っておく。
結局その日は、探索組が戻ってくるまで夢中で薬草を探し続けたのだった。
つい採取もしてしまったが、肝心なのは分布の地図を作ることだ。依頼を忘れてはいけないと気を引き締めつつ、戻ってきたハンターたちと一緒に安全地帯へ戻る。
ネリーの姿も見えるということは、サラたちが最後だったようで、安全地帯は結構な数のハンターでにぎわっているように見える。
それと共に夕食の準備が始まっているが、担当はアレンとクンツらしい。
「そういえば雑用に雇われたって言ってたっけ」
だが、夕食とはギルド支給の弁当のようだ。サラが工夫したことがきっかけで、ハイドレンジアのギルドに納入される弁当も温かいまま運ばれる。ベテランといえど、油断すれば怪我をする緊張から解放された後の温かい食事はありがたいだろう。
自分のお弁当もお屋敷の料理人が作ってくれたお弁当も好きだが、ギルドの弁当だって町のお店で作られているからちゃんとおいしい。
ワクワクした気持ちで安全地帯まで戻ると、サラの想像していた和やかな雰囲気と違って、困惑した空気が流れていた。
その空気の真ん中にいるのはネリーだ。
そしてネリーの目の前には、丸くて白くて大きい卵がぽよんと置かれている。
「コカトリスの卵、あったんだね」
「サラ!」
ネリーはサラの声に勢いよく振り向くと、サラにぎゅっと抱き着いた。
「アレンもクンツも、コカトリスの卵を調理できないっていうんだ」
「まあ、それはそうだと思うよ」
それはアレンとクンツの言い分のほうが正しいと思うサラは、ちらっと二人のほうに目をやった。二人ともとても困った顔をしている。
「せっかく獲ってきたのに……」
ぐずぐず言うネリーの背中を、サラはポンポンと叩いた。
「今からじゃ夕ご飯に間に合わないから、明日の夜料理してあげる」
「ほんとか?」
機嫌の直りかけたネリーに、サラはポーチをぽんと叩いてみせる。
「それに、お屋敷の人が、今日はガーゴイルのローストを持たせてくれたでしょ」
「そうだった!」
これで完全にネリーの機嫌が治ったが、今度は期待に満ちたハンターたちの視線を一斉に受けることになる。
「もちろん、皆さんの分もありますから」
「おおー!」
歓声に応えるために、サラは急いで手を洗うと、長机の上に預かってきたガーゴイルのローストのお皿を並べていく。
クンツから自分の分のお弁当を受け取って、サラもローストを何枚かお弁当の上に乗せると、ニコニコしているネリーの隣に座って少し早い夕食を食べ始めた。
一頭のガーゴイルから取れる肉はそれほど多くない。ハンターたちが何回お替りしてもなくならないだけの量と、お屋敷に残っているだろう肉の量を考えると、いったいどのくらいのガーゴイルを狩ったのだろうとサラは気が遠くなりそうだった。
「ガーゴイルがだいぶ減っているなと思ったら、減らしたのはやっぱりネフェルタリだったか」
「魔の山でもめったに狩れなかったからな。肉はうまいが量が少なくて効率が悪いんだ、ガーゴイルは」
嚙み合っているような噛み合っていないような、ハンターとネリーの会話である。
そうこうしているうちに、周りはまるでキャンプ場のようにテントが張られたり、毛布が敷かれたりしてくつろぎタイムになっている。
「私もテントを張らないと」
サラがネリーの横にテントを張ろうとすると、目の前に手が差し出された。
「俺がやるよ。雑用係だから。テントを出してくれ」
その声は硬くて、友だちのものとは思えず、サラは一瞬戸惑ったけれど、素直にポーチの中からテント一式を出してアレンに預ける。
「お願いします」
本当はどんな時でも一人で何でもできるけれど、これがギルドの依頼の中の雑用係の仕事なら、それを拒むのはどうかと思ったからだ。
それからテントに背を向けるようにして長机の前に座り込み、地図を預かって今日調べた薬草分布の地図を書き写す。
「テントは終わった」
その一言と共に、アレンが机の隣に、だが少し距離を開けて座った。
「ありがとう」
何だろうと思えば、サラと同じように地図を広げている。
と、サラとアレンの間にクンツが椅子を持ってきて座り込んだ。どうやら今日の地図を昨日の地図にまとめる仕事をしているらしい。
「昼は俺たちすることがほとんどないからな。朝と夜の皆の手伝い、それから地図を清書して写しを作るのが仕事なんだ」
「そうなんだ」
サラは短く返事をして、視線を地図の上に戻した。
アレンの態度は硬いけれど、サラのことを無視しているわけではない。
しつこくしてごめんなさいとサラが謝るべきだろうか。
いくら昼にすることがないからと言って、こんな夜まで仕事をしていて、治ったばかりの体は大丈夫だろうか。
日常生活はいいとは言うけれど、どこまでを言うのだろうか。
頭の中にそんなことがぐるぐるとするけれども、大丈夫の一言も、ごめんなさいの一言も、サラの口から出て来やしない。
「謎の緊張感」
「探索の後のほうが胃が痛えってなんだよ」
後ろでぶつぶつとハンターたちが話している声がするが、気にせず明日のためにも地図を仕上げておいたほうがいい。サラはぐるぐるする頭を無理やり鎮め、カリカリと薬草分布を丁寧に書き込むことに集中するのだった。
野営では、夜に体を拭いたら寝る前に次の日の服に着替え、朝はそのまま出発になる。サラは顔を洗い髪をとかすと、水の入った桶を抱えてテントの外に出た。
「あっ」
まだ休んでいる人が大半なのだろう。テントの外に出ているハンターの数は少なかったが、向こう側を見ると、ネリーにそっくりの赤毛の人が組み手をしているのが目に入る。
ハンターが何人か、面白そうにそれを見ている。
「エルムと、アレンだ!」
サラは走り出しそうになったものの、桶を持っていることに気が付き、一歩踏み出しただけで済んだ。
「無理しないって言ったのに。訓練するなんて」
自分を落ち着かせるために、安全地帯ギリギリのところまで移動し、桶の水をゆっくりと捨てる。
「ガウ」
目の前には、誰か一人くらい弱い奴が出てこないかな、そんな気持ちが漏れ出ている高山オオカミがいる。
「おはようじゃないよ。私は今、心が大変なの」
「ガウッ」
知ったことじゃないオオカミはくわっとあくびをして去っていった。
「おかげで落ち着いた」
桶の水切りを丁寧にやりながら、サラはエルムとアレンに背を向けたまま、自分に言い聞かせる。
「身体強化と魔法を使わないって約束したもの。今見た限りでは、たぶん普通の組手だったと思う」
ネリーとアレンが身体強化を使って組手をしたり剣の訓練をしたりしている時は、音が違う。
「それに、エルムだってアレンが無茶してはいけないことを知ってる。クリスも止めてない。大丈夫、大丈夫」
サラは深呼吸をし、アレンのほうを見ないように振り返った。
そもそもサラがここに来なければ、アレンが何をやっているかは知らなかった。後から来たのはサラだ。
「お節介はしない」
そんなふうに始まったその日は、コカトリスの卵を焼くために、採取はせず、きちんと薬草分布をメモして早めに帰った。
ネリーはまだ帰っていないからこそ、今のうちに卵焼きを焼いていく。大きいフライパンで卵を二つ折りにしては卵液を流し込み、どんどん蓋らせていく。
できた順に一人のハンターがが受け取って、切り分けて他のハンターに配ってくれる。
「ほら、お前らも食べろ。それともケンカしてる相手の飯は食えないか?」
突然落とされた爆弾に、思わずフライパンを取り落としそうになる。
「やめてやれよー。本人たちの問題だろー」
やる気のない仲裁の声が飛ぶなか、サラは緊張して答えを待つ。
「もちろん食べるよ」
「……食べる」
そしてクンツにかぶせるように答えたアレンの声にひそかに胸を撫でおろした。
「男が謝れば済むことなのになあ。面倒くせえ」
見ていたハンターから声が飛ぶが、サラは誰かに言われたから謝るとか謝られるとかは絶対に嫌だと思う。それが本心とは思えないからだ。
関係平常化には今日も程遠い、サラとアレンである。
「サラの卵焼きを! 誰か先に食べただろう!」
ネリーが戻ってくるまでに、山盛りの卵焼きを用意したのに、なぜばれてしまったのか謎である。
「あ、お先に。すげえおいしかった。ごちそうさま!」
「なんだと!」
「ネリー、たくさん焼いたから大丈夫だよ。ネリーのために心を込めて焼きました」
「そ、そうか」
ネリーの機嫌はこれで大丈夫。
「フライパンと桶は俺が洗う」
突然アレンに話しかけられて、サラはとっさに断ってしまった。
「魔法を使って洗うから大丈夫」
「知ってるけど。仕事だから」
うっかり魔法を使いそうなことはすべて避けたほうがいいのに。
そう言いそうになったサラは、ぐっとこらえて鍋と桶を手渡しした。
アレンはそれをクンツに出してもらった水で洗って帰してくれた。
目は合わなかったけれども。
「いつまで耐えればいいんだ。この雰囲気に、俺たちは」
嘆いているハンターもいるが仕方がない。
自分たちはもっといたたまれないのだから。
サラはそっとため息をつくのだった。
三日目、だんだん調査地点が遠くなってきたので、早くに出発する。そういう計画を自分で立てるのは楽しい。
「そうか、私とアレン、ケンカしてるのか」
周りがやきもきしているのはわかっているが、その周りのためにサラやアレンが折れるのは違うと思うのだ。だが、昨日の世話焼きなハンターのおかげで、サラは自分がもやもやして苦しいことが、ただのケンカだということを理解した。
「ケンカかあ。ケンカ。ケンカって、私一回もしたことがない」
昨日調査を終えたところまでは身体強化で急ごうと走り出したサラは、そのことに気がついて思わず足を止めた。
「ガウッ!」
「キャウン!」
「やだ、こっそり後ろからついてきてた」
突然止まったサラのバリアにぶつかった高山オオカミが、こそこそと逃げていくのが見えた。
「ええと、どうしよう」
高山オオカミのことではない。
「この世界に来てからは生きるのに必死で、理不尽さに怒ったことはあったけど、誰かとケンカしたことなんてなかったし。あったかな」
とりあえず仕事のためにゆっくりと足を進めながら、サラは指を折ってケンカをした数を数えようとする。
「前の世界まで振り返っても、人並みに生活するのに必死で、人ともめたことすらないよ、私」
数えようにもそもそも一つもないのだから、始末に負えない。
「どうやったら元のように、自然な友だちに戻れるのかなあ」
「ギエー」
ドガン。
ぼんやりと平原を歩くサラをよい獲物と思ったのか、バリアにワイバーンがぶつかって、そのまま滑り落ちた。
サラはそれを流れるような動作で背中の収納リュックに詰めると、とぼとぼと歩き出し、歩いている場合じゃないと走り出すのだった。