依頼、受けます
ハンターギルドを出ても、サラの行くところはと言えば薬師ギルドしかない。暗い顔のサラを気遣って、同僚は何も聞かないでいてくれたが、その気遣いさえなんだかいたたまれなくて、サラは残業もせず早々に屋敷に戻ることにした。とぼとぼと足元を見ながら歩いていると、たったっという足音が聞こえたかと思ったら、肩をポンと叩かれた。
「サラ、偶然だな。たまたま帰りが一緒になるとはな」
春とはいえ、夕方はまだ風が冷たい。体力自慢のはずのネリーが、額に汗を浮かべ、少し肩で息をしながら立っている。
「ネリー」
たまたま一緒になったのではない。おそらくギルドで今日の話を聞いて、超特急で走ってきたのだろう。
「ネリーも今日から泊まりがけの探索組に入るんだと思ってた」
朝はネリーと顔を合わせる前に出てきたから、今日の予定を聞いていなかった。だから今日の夕食はきっとライと二人きりだろうと思っていたのだ。
「魔の山と同じと聞いて、懐かしさはあったが、それなら無理に行かなくてもいいかと思ってな。魔の山には飽きるくらいいたからな」
ハハッと笑うネリーに、確かにサラよりも長くいたネリーはそうかもしれないと思う。
「それに、昨日狩ってきたガーゴイルのローストが、今日の夕食に出るはずなんだ」
そわそわと屋敷のほうを見るネリーがとてもかわいらしい。そして、早く帰ってきたのがサラを心配してだけじゃないと知って、なんだかほっとしたのだった。
「だから、母鳥のようになるなと言っただろう」
「はい?」
後ろから聞こえた声にサラが振り返ると、そこにははあはあと息を切らしたクリスがいた。
「本気のネフに追いつくのは大変だ」
どうやらクリスも、今日は探索組には入らなかったらしい。クリスでさえ追いつくのに時間がかかったということは、やっぱりネリーは急いで走ってきてくれたんだなと思えた。
ネリーがやれやれというように肩をすくめる。
「クリス。お前はコミュニケーションというものをもっと勉強する必要があるな」
「は? コミュニケーション? ネフが私に、コミュニケーションについて説教だと?」
サラからしたら、コミュニケーションにおいてはどっちもどっちだと思う。だが、ネリー熱愛のクリスでも、ネリーからはコミュニケーションのことだけは言われたくないという気持ちがにじみ出ていて、サラは思わずプッと噴き出した。
今だけは、だから言っただろうとは言われたくない。筋違いだとわかっていても沸き上がった怒りは、そのおかしさに紛れて小さく消えてしまった。
すると、やはり後悔だけが残る。
どうすればよかったんだろうと、視線は足元に落ちてしまう。
「ああ、その。サラ。余計なことを言ってすまなかった」
サラは驚いて顔を上げた。クリスがサラに謝るなんて、初めてではないだろうか。
「そうだ。ほら、ネフ、あれだ」
クリスも恥ずかしいのか、焦ったようにネリーに話を振った。
ネリーもつられたのか、なんとなく焦った様子でサラに話しかけてくる。
「あ? ああ、そうだな。サラ、今日、受付嬢の話を聞かずに帰っただろう」
「うん」
受付の人に慰められて、そのまま体が自動的に薬師ギルドに向かったのだが、そういえばアレンに気づく前に、受付の人がなにか言いかけていた気がする。
「サラに、依頼のことを言い忘れたと伝言をもらってな。薬師として、最深層の薬草分布を調べてほしいんだとさ」
「薬草分布」
それはとても興味深いのだが、しかし、それにはサラよりも適任者がいるはずだ。
「そういう仕事はクリスがやるんだと思ってました」
「ああ、もちろん引き受けてはいるが、私はどちらかというと、希少薬草を中心にして調査しようと思っているんだ」
サラもクリスから教わっているので、ほかの薬師よりは薬草には詳しいが、クリスほどではないので納得だ。
「じゃあ私がすべきなのは何ですか」
「薬草図鑑に載っている薬草類の調査だな」
それならできるが、何も今やらなくてもという気もする。
そもそも、薬草図鑑に載っている薬草類は、ダンジョンの外でも採取できるのだから。ちょっと卑屈な気持ちになっているサラは、依頼に作為的なものを疑ってしまう。
だがそんなサラの気持ちをクリスはわかっていたようだ。
「言っておくが、私たちがサラのために作った仕事でもないし、アレンのことがあったから配慮したとかでもない。そもそも頼まれそうになったのは、アレンのことがあった前だろう。あ」
クリスはうかがうようにネリーのほうを見た。
「今のは、コミュニケーション的にどうだと思う?」
「ぎりぎり合格といったところか」
ネリーが偉そうに評価しているが、そこはネリーに頼らずに、サラの表情を見て判断すべきではないかと思う。
「ゴホン。どうやら、昨日の依頼の様子を見て、ダンジョンには行きたくないというサラの気持ちが弱くなったようだと、ハンターギルドは判断したようだな。サラさえやる気なら、本当は新しく見つかった層を含め一六階全部の分布を調べてほしいそうだが、とりあえずは一六階をとのことだ。どうだろう」
サラは、自分のやるべきことを自分で考えようと意気込んでいたが、この二日空回りばかりのような気がして落ち込んでいた。だが、サラのバリアの力と薬師としての力、両方を見込んでのちゃんとした依頼があるのなら、それを受けるのも自分から動いたことになるのではないだろうか。
サラが悩んでいると、ネリーがコホンと咳払いをした。
「私はクリスの護衛として付き添おうと思っている。クリスは確かに強いが、採取では隙もできる。それに、魔の山と同じならきっとコカトリスもいるに違いないしな。卵だって見つかるかもしれない」
さっきから食欲が爆発しているネリーである。
「クリスの護衛なの?」
「そうだ。依頼はサラ一人のものだし、サラは一人で探索することになると思う」
ネリーはサラに付いてきてくれるような気がしていたが、クリスに付いていくという。
それが不安なわけではないが、意外ではある。
「魔の山を思い出してみるといい。私が狩りに出かけている間、サラは一人でちゃんと行動できていただろう。何の問題もない。しかも、五年以上前でそれだ」
二人きりで魔の山にいた時、まだ弱かった時でさえ一人で過ごしていたことを思い出した。
「いまさら深層で鍛え直そうとする奴など、サラの足元にも及びはしない。サラは強いんだと見せつけてやれ。私は弟子より、サラの味方だ」
ネリーはこぶしをぐっと胸の前に出した。
「もちろん、弟子だって大切でないわけではないぞ。無理をしないかと心配はしている。が、サラもアレンももう自分のことは自分でやれるしな」
ネリーとは違い、サラはアレンのことをもサラ自身のこともそこまで信頼しきれていなかったということかもしれないと、ふと思う。
「何日も泊まりながらの探索となる。厳しいぞ。それに、ええと」
サラの力を見せつけてやれと言いながら、ちょっと弱気に目を左右にさまよわせている。
そんなネリーの代わりのようにクリスがズバリと言い切った。
「アレンもいて気まずい。それは確かだな」
「クリス、それはちょっと……」
「ここははっきり言うのが思いやりではないのか?」
サラを置き去りにして、思いやりとは何かを語り合う大人二人と並んで帰るサラの目は、足元ではなく、ちゃんと前を向いていた。
「確かに私も領主として忙しい。だが、だからこそサラと取る夕食だけが楽しみだったのに」
よよよという声が聞こえてきそうな領主のライだが、サラを和ませようという冗談だということはわかっている。
「だが、優秀な薬師を私だけが独占しているというわけにはいくまい。サラがもし、深層の仕事を受けるというのなら、それもまた領主としてありがたい。無理をせずにな」
エルムは探索組として今日から既にダンジョンに泊まり込んでいる。家族だからか、流浪のハンターという割にウルヴァリエの団らんにしっくりと溶け込んでいたエルムがいないと少し物足りなさもあったが、これがいつもの家族だという気もしてほっとする。
それに、クリスもネリーもアレンのことについてはあれ以上何も口にしなかったし、ライは知る由もない。
「私、依頼を受けることにします」
落ち込む気持ちはネリーとクリスが引き上げてくれた。
どうしたらいいかわからないけれど、少なくとも行動したほうがずっといい。