考えよう
ネリーとクリスは、念のためと言ってそれからもう一日休んだ。副ギルド長のネリーが復帰してから、ようやっと最深層の調査が始まるので、焦る必要はないのだという。
サラはといえば、まだ十分回復していないせいか、うとうとと寝ては起きてを繰り返すアレンに一日付き添いながら、自分は何をすべきなのか真剣に考えていた。
サラに与えられた休みは結局三日だけで、一ヶ月まるまるアレンに付き添うことはできない。それはアレン本人も望まないだろう。明日からは、薬師ギルドに行くことになる。
昼食を食べ、ポーションを嫌な顔をして飲み、そのまますうっと寝入ってしまったアレンに安心したので、サラは気分転換にお屋敷の外へと向かい、湖のほうにゆっくりと歩き始めた。
ギルドに行けば同僚の皆は、サラが特薬草を採ってきてくれたことに直接感謝し、口々に特級ポーションを成功させたことを報告してくれるだろう。そしていつもと変わらぬ調薬の日々が始まる。
時には深層に手伝いに呼ばれたり、クリスに植生の調査に誘われたりもするかもしれない。
お屋敷に帰ってくればネリーとクリスの他にエルムもいて、トリルガイアのまだ見ぬ場所の話を聞かせてくれるかもしれない。
アレンの調子が悪いこと以外は、いつもと変わらぬ楽しい日々になることだろう。
だが、それでよいのだろうかと、サラは悩んでいた。
目立たないが、訓練の声が聞こえる南方騎士隊の建物を通り過ぎ、裏に回って小道を歩いた先に、湖がある。
春の日差しの中、まだ冷たい風が湖から吹いてくるが、それが気持ちいい。
しゃがみこんで石を拾おうとすると、見覚えのある草が生えているのが見えた。
「あれは水辺に生える薬草で、薬効は弱いけれど料理にも使えるって、前にクリスが教えてくれたっけ」
去年ガーディニアに行った時のことも思い出す。
「行きも帰りも、クリスと一緒にいろいろ採取して、知らない薬草をずいぶん教えてもらったんだった」
先ほどの草から少し離れたところには、薬草一覧に載っている普通の薬草も生えている。
「どんなところでも薬草が気になる。ちょっと休むと調薬がしたくなる。騎士隊の横を通れば、怪我をしている人がいないかなと思っちゃう」
自分を分析すると、サラはしっかりと薬師になったのだなあと思う。
「たぶんだけど、ハイドレンジアの薬師ギルドの中では、誰よりもいろいろな経験をしていて、薬師として十分以上の力はあると思う。でも、ほかの町の薬師、例えばテッドと比べて、私はどうなんだろう」
薬草の根元にあった小さい石を拾って投げると、ぽちゃんと小さい音がし、静かな湖面に波紋が広がる。
サラが王都で渡り竜の咆哮にやられて倒れた時、診てくれたのはテッドだった。あの時は戸惑いばかりが強かったけれど、瀕死のアレンに対応した今の自分ならわかる。
テッドには重い怪我人を診た経験がちゃんとある。
ローザでは店番をしたり、お使いをしたりという印象だったが、思い出してみると、怪我をした騎士隊には当たり前のように対応していたし、おそらくローザという土地柄で、怪我人の治療は何度もしたことがあるのだろう。だから自信をもってサラのことも診ることができたのではないか。
クリスは薬師の頂点である、王都の薬師ギルドの長だけでなく、ローザの長にもなっている。王都周辺にはいくつものダンジョンがあるし、渡り竜も来れば、騎士隊もある。
どれだけの経験をしてきたのだろうと思う。
「このままいつもの生活を続けて、クリスに無茶ぶりされたからとか、誰かに巻き込まれたとか、大変なことは全部他人のせいにしながら薬師を続けていくの? 私」
アレンが瀕死の怪我をした。
特級ポーションをその場で作って飲ませて、命を救った。
バリアを使ってダンジョンの深層部から怪我人を全部連れ帰った。
サラのなしたことは、全部褒めそやされるべき内容だし、実際に褒めてもらえるだろう。
「だけど、その間ずっと、私は後悔の中にいたんだ」
いつだってその場にならなければ、バリアの使い方を工夫できない自分に。
薬師の仕事が調薬だけじゃないと気がついていながら、なんの勉強もしてこなかった自分に。
人に言われてからじゃないと、動こうとしない自分に。
「体がつらくなくて、自由に動けて、それだけで十分で。だからこそ普通の暮らしがしたかった。目立ちたいわけでも、ヒーローになりたいわけでもなくて、ちょっと魔法の使える、普通の薬師でいたかった」
穏やかで、争いごとを好まない、ちょっと突っ込み体質で愉快な人。それが更紗という女性の本質で、それはサラになってからも変わらない。
「けど、ここはトリルガイアで、魔物のいる世界。その中で主にハンターを癒す薬師という仕事をしていたら、普通なんてありえないでしょ」
まして、近くにいる人たちがみんな規格外の優れた人ばかりである。
「今のままの自分じゃまだ足りないんだ。皆と肩を並べて歩きたければ、もっと力をつけなくちゃいけない」
湖の波紋はとっくに消えていて、サラの腹時計によるといつの間にかおやつの時間になろうとしている。
「卒業試験なんでとんでもない。私は今、薬師の入り口に立ったばかりだ」
サラは立ち上がり、美しく日の光を跳ね返す湖を見つめた。
「考えよう。どんな薬師になりたいか、そのために何をしなければならないか」
そしてくるりと湖に背を向け、屋敷に向かって歩き始めた。
とりあえず、おやつを食べてから考えようと思いながら。