担架を作る
「その若い薬師が、つまりネフェルの招かれ人か。結界箱だけにしてはガーゴイルがずいぶん遠い」
ネフェルの招かれ人。
ネフェルとは、ネリーの家族が使う愛称だ。
クリスは赤毛の男を見て、ああという顔をした。
「そうか、直接の紹介はまだだったな」
ネリーとアレンが倒れたまま起きないなかで、紹介も何もないような気もするが、サラはピンと背筋を伸ばした。
「サラ、こちらがネフの二番目の兄、エルムだ」
「はじめまして。ネリーにはいつもお世話になってます。招かれ人のサラです。アレンを助けてくれてありがとうございます」
二番目のお兄さんがどんな人なのかは、さすらいのハンターであること以外、ネリーから話を聞いたことはほとんどない。だが、ネリーの一族らしく自由人なのだろうと思って深く考えたことはなかった。
だが、ふるまいを見れば尊敬しかない。この混乱の中で、ネリーを助け、クリスを助け、そしてアレンを助ける手伝いをしてくれた。言ってみれば多方面にサラの恩人である。だからきちんと挨拶をする。
「その少年を助けたのは薬師の君だ。私じゃない。とっさの調薬、見事だった」
その言葉にまた唇が震える。
「いいえ。あなたがいなければ、アレンの状態さえわからず、上級ポーションを飲ませただけで終わらせてしまっていたと思います。私はただ、薬を作っただけだった」
自己紹介だからしっかりしようと思ったのに、サラの目からは涙がこぼれ落ちた。
「アレンが死んじゃうとこだった」
中身は大人なんだから、外見だって一七歳なんだからとサラは必死に自分に言い聞かせる。
でも駄目だった。
「びええ」
そんな場合ではないとわかっているのに、地面に突っ伏して泣き出してしまった。
情けない卒業試験の結末である。
だが、状況はよくなったとは言えない。
アレンの命は助かったし、ネリーの命にも別状はないが、二人ともまだ意識は戻らない。
このままダンジョンの中にいていいわけがない。
幸いなことに、誰もサラのことを見てはいなかった。というより、見ないでいてくれたのだろう。
クリスだけはネリーとアレンの様子を見ているが、エルムとクンツは、崩れ落ちた壁のほうを向いて立ち尽くしてる。
「いまさらながらすごいな。これが招かれ人の結界か」
「ええ。サラの結界は信じられないくらい強くて広範囲なんです。しかも自由自在で」
「ガー」
「グー」
冷静に話しているが、二人の目の前には透明なバリアがあり、バリアにもたれかかるようにガーゴイルが積み重なりうごめいている。
まさかガーゴイルの顔を間近で見ることになるとは思わなかったサラはため息をつきそうになるが、そもそもサラのバリアに積み重なったのはガーゴイルが初めてではない。
チャイロドクヌマガエルにニジイロアゲハ、去年はクサイロトビバッタ。
そういう意味では、いまさら魔物に驚いたりはしない。
「って、嘘でしょ」
「だよなあ。俺も信じられない」
サラとクンツが驚いたのはガーゴイルが動くことでも、積み重なったことにでもない。
「ここ、ダンジョンの一番下のはずなのにな」
「穴が開いてる……」
ガーゴイルが崩れ落ちてきた壁に、ぽっかりと穴が開いていることである。
「見た目は次の階層に下る通路だが、さて」
エルムが腕を組んで、ニヤリと口の端を上げた。
こんな状況なのに、心底嬉しそうなのはなぜなのか。
ちょっとだけあきれたサラだったが、後ろを振り返って、かすかに笑みを浮かべた。
「アレンなら」
今は意識のないアレンだが、もしここに並んで立っていたら、どうだっただろう。
「きっとワクワクして、自分から飛び込んでいきたがっただろうな」
「そうだな。起きたら悔しがるぞ」
「ガー」
「ゴー」
元気になったらきっと悔しがって、自分も探索に行くと言い出すだろう。元気になったアレンが目に浮かんで、サラはやっと落ち着くことができた。
「さて、穴の先に何があるかは気になるが、残念ながらそんな場合ではないな」
エルムが今の問題に立ち返ってくれた。
「ガー」
「グー」
サラの作ったバリアの周りは、いつの間にかまんべんなくガーゴイルに囲まれている。
もっとも、出てこない獲物にあきらめをつけたからか、バリアに集中していたガーゴイルが少しずつ移動を始めているようで、先ほどよりは数が減ってきたような気もする。
「深層に来る奴らなら、ガーゴイルがいて驚きはするだろうが、異常に気がついてギルドに連絡はしてくれるはずだ」
「ということは、助けが来るまで一晩、このままのほうがいいんでしょうか」
今までは応急処置だったが、もう少しここにいるなら、敷物や寝具など、もう少し居心地よく整えねばならない。
「これだけの量の魔物に囲まれていると、結界箱だけでは危ういが、君の結界は一晩もつのか?」
「はい。ただ、寝ていても発動する自信があるのは自分の周りだけなので、今日は夜通し起きていようとは思いますが」
万が一にもバリアが外れることのないようにしたいサラである。
「せめて安全地帯まで移動できればいいんだけどな」
クンツが新しく開いた穴のほうに背伸びをした。
もし、新しく開いた穴が次の階層につながっているなら、その前は安全地帯になる。
みたところ、確かにガーゴイルがいない空白地帯はあるが、確実かどうかは不明で、結局のところサラのバリアを重ね掛けすることになるだろう。
「ネフは今日中に目を覚ますだろうが、特級ポーションを使ったアレンの意識が回復するのには下手をすると数日かかる。目を覚ますまでここにいるわけにはいかないだろう」
クリスの説明に、今まで自分が特級ポーションのことを知らなかったのも仕方がないとサラは思う。いくら命が助かるからといっても、こんなに使いどころが限定される薬では、あてにするには厳しいものがある。
「背負っても抱えても、振動を抑えることはできないし、明日担架を運んできてもらうのを待つのが一番いい」
それでは一晩過ごす準備をしようという空気になったとき、クンツが手を挙げた。
「なら、俺、これから先に戻って状況を説明してきます。俺たちが深層にいたと知っても、ギルドの皆は、怪我をしているなんて想像もしていないと思うから」
「私も行こう」
エルムが手を挙げてくれて、クンツ一人では心配だったサラは、ほっとしたと同時に心細くもなった。
「ハイドレンジアのギルドにはあまりなじみがない。君がいてくれると助かる」
おそらくエルム一人のほうが早いのだろうが、言い出したクンツを尊重してくれるようでありがたい。
「それに、早くしたほうがよさそうだ」
エルムの視線の先を見ると、クリスの顔色も悪い。
「そうしてくれると助かる。本当は、早ければ早いほどいいんだ」
クリスが弱音を吐くのは本当に珍しい。
それを受けて、クンツとエルムが行程の相談をし始める横で、サラは自分のできることを考えていた。
ネリーもアレンも、クリスが見てくれているが、そのクリスもよく見ると無理をしているのか今にも倒れそうである。
ネリーをかばって、ガーゴイルの重さを受け止めていたのだ。身体強化がしっかりしできているからと言って、意識を失うほどの衝撃を受けた体が、平気なわけがない。
そんななか、サラのできることは、本当に拠点を整えることだけだろうか。
一刻も早く、揺らさずに怪我人を外に運び出す。
サラははっと顔を上げた。
できるではないか。
さっき、どうやってアレンをガーゴイルの下から引っ張り出した?
バリアで覆って、寝かせたまま運んだではないか。
重力や重さ、そんなことが頭をよぎったが、サラは首を横に振った。そんなことが問題ならば、ニジイロアゲハをまとめて叩きつけたりできなかったし、壁の重さを支えることだってできなかった。
サラは、寝ているアレンの顔の横に膝を付いた。
「一緒に夜の星を見たのは、去年のことだったよね」
クサイロトビバッタの終わりの見えない討伐の中、二人で星を見上げたっけ。
「あの時、連れて歩いた明かりは三つ」
明かりの魔法をバリアで閉じ込めて、サラの後を付いてくるようにしたのだった。
「重さは関係ない。三つなら操れる」
サラは心を決めて立ち上がると、今にも出発しようとしていたエルムとクンツのほうに体を向けた。
「全員で戻りましょう」