崩落
それを追いかけるように、大きな岩が、一つ、二つと壁から剥がれ落ちてくる。
少し離れたところに立っているサラには、落ちてきた岩の形がはっきり見えた。
「ガーゴイル!」
サラは魔の山でガーゴイル狩りに連れて行ってもらったことがあり、崖からガーゴイルが転がり落ちてくる姿は何度か目にしたことはある。だがここは崖ではない。ただのダンジョンの岩壁のはずだ。
だが確かに、転がり落ちてくる岩にはぼんやりとした顔や手足があり、ただの岩とは違い意思をもって転がり落ちる方向を変えているようにも見える。
ネリーならガーゴイルを倒すことができるのは知っている。だが、目の前の壁一面がガーゴイルだったとしたら? それだけの量の魔物を倒せるだろうか。
「無理」
そう思う間もなく、サラの手が隣のクンツにぎゅっとつかまれた。
「サラ! 下がるぞ!」
「でも!」
落ちてくるガーゴイルが見えても、そこからネリーもクリスもまだ飛び出てはこないではないか。
「まず自分だぞ!」
迷う間もなく、サラはクンツに引きずられるように壁から遠ざかるように走り出す。
低い地響きのような轟音と共に、土煙の交じった風が後ろからサラのバリアを打つ。
だが、その風は一瞬で吹き抜けた。
もしかしたら崩落の規模が小さいのかもしれない。
サラはほんの少しの希望を抱きながら、クンツと同時に足を止め、振り返った。
「ああ!」
「なんてこった!」
「ガー」
「グー」
壁は崩落し、一見すると岩と見分けがつかないガーゴイルが一面に積み重なっていた。
小規模と言えば小規模なのだろう。だが、直下にいた人を呑み込むには十分な規模だった
。
だが、その光景に心を飛ばしている場合ではない。
「ネリー! クリス!」
「アレン!」
壁の真下にいた人たちはいったいどうなったのか。
サラが走り寄ろうとしたとき、ドガンという音と共にガーゴイルが数体吹き飛んだ。
「ネリー! あ」
ガーゴイルを跳ね飛ばして立ち上がったのは、同じ赤毛でも背の高い男性だった。
だが、がっかりしている場合ではない。この赤毛の人がガーゴイルの下から出てきたということは、ネリーたちも積みあがったガーゴイルの下にいるということだからだ。
「くそっ! 俺の魔法はガーゴイルには分が悪い!」
隣でクンツが悔しそうにこぶしを握る。
立ち上がったとたん、こぶしでガーゴイルを次々吹き飛ばしている男を見ながら、サラも一瞬立ちすくんだ。
「私のバリアで、いったい何ができる?」
早く早くと焦るほど体が動かない。
「せめてネリーたちの位置がわかれば……。そうだ!」
悔しがりながらもつぶてを飛ばし、這い寄ろうとするガーゴイルを牽制するクンツの横で、サラは胸の前に手を伸ばした。
「バリア。ガーゴイルの隙間に潜り込め」
サラのバリアは、その中に入れるもの入れないものを自由に決めることができる。
パーンと広がったバリアは柔軟に形を変え、ガーゴイルの隙間に水のように流れ込んでいく。
「岩とは違う形のもの。地面に寝転がっているはず」
サラは目をすがめて、バリアから伝わる感触に集中する。
「いた! 右側二時の方向! ガーゴイル三つ分。クリスの下にネリー!」
体の形から二人が折り重なるように倒れているのがわかる。だが、呼吸の有無まではわからない。
「クリスとネリーに空間を作ります!」
とりあえず、ガーゴイルの重さを取り除かなくてはならない。
バリアごと引っ張ってくることも考えるが、上に重なっているガーゴイルが今にも崩れてきそうで危険だ。空間さえ確保すれば、後は何とかなる。二人を包むようにバリアを膨らませると、ネリーが身じろぎしたのがわかり、サラは大きく息を吐いた。よかった。
「君はいったい何を……。いや、それは後だな」
赤毛の男はサラが指し示した方向のガーゴイルをガンガンと跳ね飛ばしていく。
「サラ! アレンは」
「まだ。これから」
さすがのサラも、離れた二か所を同時に捜索するのは難しい。
だが、ネリーたちの空間を確保したら、次はアレンだが、クンツに言われるまでもなく、アレンの場所は特定できていた。すぐさまバリアで空間を確保する。
「アレン!」
上にガーゴイルが折り重なってうごめいているけれど、アレンのいる場所はほんの数メートル先である。声は届くはずだ。
サラは必死で呼びかけたが、アレンはピクリともしない。次第に不安がこみあげてくる。
「見えた! 魔法師の君! 手伝ってくれ!」
「はい!」
声のほうを見ると、クリスとネリーがガーゴイルの間から引っ張り出されているのが見え、サラはほっとする。
崩れても巻き込まれる人がいなくなったのなら、アレンを思い切って動かすことができる。
「できるだけ遠くへ移動してください」
サラ自身も後ずさりながら声をかけると、アレンを包むバリアを膨らませ、少し大きな空間を作っていく。
「ニジイロアゲハをまとめて落とすことができたんだから、結界で物を運ぶこともできるはず」
サラは包み込んだバリアごとアレンをそっと浮かせた。
「重さも感じない。行けるはず。よしっ」
アレンの上のガーゴイルを取り除いていてはいつまで時間がかかるかわからない。サラは、アレンをバリアごとガーゴイルの山からぐいっと引っ張り出し、薬師の目でアレンを確認すると、目立った外傷が見られないことにひとまず安心した。
「いったいどうやった」
唖然とした赤毛の男の声が聞こえるが、サラは急いでアレンを浮かせてネリーとクリスの横に慎重に運び、そっと横たえる。
二人にさっと目を走らせるが、胸は上下にゆっくり動いていて、外傷は見られず、こちらもほっとする。
「意識がないのはガーゴイルに当たった衝撃によるものだろう。じきに目を覚ますはずだ。念のために」
「はい。上級ポーションを」
サラは素早く上級ポーションを二人にかけた。
「問題はこちらの少年だな」
赤毛の男はアレンの横に膝を付き、アレンの顔の前に手をかざす。
本来は薬師であるべきサラの仕事だが、正直に言って、サラは重症の患者を実際に見たことはなく、意識のないアレンをどうしていいか自信がなかったので、ありがたい気持ちでいっぱいになる。
だが、問題はそれだけではない。
「ガー」
「グー」
折り重なったガーゴイルが、こちらに移動を始めているのだ。
「ひえっ。ガーゴイルって落ちてくるだけじゃないの?」
少なくとも魔の山では、崖から落ちてきてうごめいているだけだった。
それなのに、目立たずよくわからなかった足や手がしっかりと生えており、一番動きの速いガーゴイルはサラたちのところにたどり着こうとしている。
「落ちてくるだけだったら、どうやって崖の上に戻ると思っているんだ」
赤毛の男があきれたように口にしたが、今はガーゴイルの生態を詳しく聞いている暇はない。
サラは倒れたネリーたちを囲むように結界箱を配置し、その上で全員を覆うようにバリアを広げた。
「よし」
男は周りを見て一つ頷くと、慎重にではあるがアレンを抱え起こした。
「アレ、ン」
運んでいる間は気が付かなかったが、ガーゴイルにぶつかったのかアレンの後頭部が真っ赤で、サラは慌ててポーチから上級ポーションを出し、頭にかける。
しゅわしゅわと頭の怪我が治っていくが、怪我の治りがいつもより遅いような気がしてサラは眉を寄せた。
それなのに赤毛の男は、アレンを抱え込んで手のひらを背中に当てると、
「ふんっ」
と力を込めて打ち込んだ。
「ゴフッ」
何かを吐き出すようにせきこんで、それから大きく息を吸ったアレンをそのまま寝かせると、規則正しく上下し始めた胸に耳を当て、赤毛の男は初めてサラをまっすぐに見た。