昨日の今日
「さすがに一人でとは言わない。私も採取がてら付いていこう」
いかにも自分は優しいと言わんばかりのクリスだが、サラはふんふんと鼻息を荒くする。
「当たり前ですよ。そもそも私、特薬草がどんな草なのかさえ知らないんですから」
図鑑にもないのだから、採取するというならちゃんと教えてくれないと困る。そのくらいクリスにはっきりと言える強さは身に着けたつもりだ。
だが、サラは気づいていなかった。ベテランでもないと厳しいダンジョンの深層に行くことに、自分がまったくためらっていないことを、そしてそれは普通の薬師ではありえないということを。バリアがあり、力もあるサラの卒業試験が厳しいのは、ある意味当然のことだとサラも自覚しているのである。
そんな話があった次の日、薬師ギルドに出勤したサラの目の前は混沌としていた。
本当はサラは、自分だって調薬だけしていたいと、同僚の薬師に愚痴を聞いてもらうつもりだった。採取は好きだが、ダンジョンの最下層は虫型の魔物がいっぱいいるのだから、できればごめんこうむりたい。
だが、話を聞いてもらえる雰囲気ではない。胸に手を当ててうっとりと宙を見る薬師もいれば、興奮しているのか、口から唾を飛ばす勢いで同僚と大きな声で話している薬師もいる。
薬師たちはサラに気が付くと、一斉に詰め寄ってきたので、思わず一歩も二歩も下がってしまった。
「サラ、ありがとう!」
「特薬草を全員分、採りに行ってくれると聞いたぞ」
「え、ええ……」
その勢いに戸惑うサラに、薬師たちが口々に説明してくれた。
朝食の席にクリスがいないと思ったら、先に薬師ギルドに顔を出して、サラが特薬草を全員分提供すると言いおいていったという。
もともと、余分の特薬草が採取出来たら、ベテランから順番に特級ポーションを作っていいという話になっていたらしい。サラのように情報に疎い者以外、若い薬師も皆それを知っていて、いつ順番が回ってくるかともどかしく思っていたところだったそうだ。
「いやあ、特薬草なんて私も見たことがないので、採取できるかどうかは不安なんですけどね」
いまさら、本当はあまり行きたくないとは言えない雰囲気である。
「これよ」
突然ギルド長室のドアが開くと、カレンがつかつかと歩み寄ってきた。ドアの後ろで話を聞いていたのだろうと思うとちょっとおかしかったが、手には、小ぶりの籠を持っており、それをテーブルの上にとんと載せてふたを開ける。
「おお……」
サラだけでなく、薬師がぎゅっと頭を寄せ合ってその籠を覗き込む。
「薬の色は赤なのに、葉は濃い紫だ」
葉は肉厚で、ハート形である。
「割とわかりやすいかも」
「このように、上三節分でいいの。特級ポーション一つにつき三本使うから、失敗分を含めたらそれなりの量を採ってきてもらうことになるけれど……」
カレンにしては珍しく、少し口ごもった。
「サラの守りが固いことは知っているし、クリス様が卒業試験だと言うから大丈夫なのかもしれないけれど、やっぱり深層での採取まで薬師にやらせるのは心配だわ」
いや、カレンだって以前、初心者のサラに、安全地帯でとはいえ、ダンジョンの中で出張薬師ギルドを開かせてましたよねと一瞬突っ込みそうになったが、そんなカレンが心配するくらい、ダンジョンの深層は危険という認識なのだ。それでも、純粋に心配してくれる気持ちがありがたくて、サラは胸が温かくなる。
そしてその言葉で、薬師ギルドに沈黙が落ちた。
「お、俺は待てる。サラ、無理することはない」
「私も大丈夫」
さっきまではしゃいでいた薬師たちが、次々と遠慮し始めた。だが、調薬をしたいのに無理をしているのは丸わかりである。サラも薬師なのでその気持ちには共感できる。
「大丈夫ですよ。クリスはいつもいきなりだから、私の心の準備ができていなかっただけです」
サラは苦笑した。素直に自分の心を覗き込めば、採取も好きだし、ダンジョンの深層階だってタイリクリクガメの出現時に行ったことがあるわけだし、問題はないのだ。
ほっとした雰囲気が流れる中、表のドアがノックと同時に開けられた。
「よう、サラ」
「迎えにきた」
いつもならダンジョン帰りに迎えに来るはずのクンツとアレンである。
「えっ、なにが、なにの?」
さすがのサラも困惑である。
「ダンジョンの深層に行くんだって? 水くさいぜ。言ってくれよ」
クンツがニコニコと楽しそうだ。水くさいも何も、サラも昨日聞いたばかりである。
「サラがダンジョンに行くなら、俺だって行く」
アレンがにかっと親指を立てた。
アレンは、サラがダンジョンに行くのはいつでも大歓迎という構えだ。
「いや、今日じゃないよね? 私も昨日言われたばかりで、いろいろ準備したり、計画を立てたりとかしたかったよ」
二人が付いてきてくれるのは嬉しいが、いきなり迎えに来たはおかしくはないか。
「でも、ネリーとクリスが待ってたぞ」
「知らないよ? 待ち合わせなんてしてないもん」
サラは昨日の夜を頭の中でしっかりと再生する。
確かにクリスは自分も付いていくとは言っていたが、日付については触れていなかったから、行くのはサラの心の準備ができた時だと思っていた。
「じゃあ、いつなら準備ができるんだ?」
ことダンジョンが絡むと、アレンもこれである。
「じゃあ、確認していくぞ。必要なものは?」
ぐいぐい来られても困るのだが、聞かれたらつい答えてしまう。
「ええと、ポーチの中にある」
採取道具どころが、非常食までばっちりだ。
「薬師ギルドの仕事は?」
サラは希望を込めてカレンのほうを見た。
カレンは肩をすくめる。
「クリス様が待っているというなら、それが一番優先ね」
クリス推しに聞いても無駄に決まっていた。それに、薬師ギルドは、薬師の都合によっては長期の休みもくれるホワイト企業である。つまり、言い換えれば、サラが今すぐダンジョンに潜っても何の問題もないということでもある。
アレンの、さあどうだという顔が憎たらしい。
「心! 心の準備ができてないでしょ!」
サラの心からの叫びである。
「ハハハ!」
そこは笑い飛ばすところではないと思う。
「じゃあ、行くか」
「仕方がない」
サラは、はあっとため息をついた。
残念なことに、無茶ぶりには慣れている。
「カレン、皆さん。私、ちょっとダンジョンに行ってきますね」
「ダンジョンはちょっと行ってくるところじゃないわよ。でも本当に気を付けて」
クリスの保証があるとはいえ、若い薬師をダンジョンの深層に行かせることに、なにかしら思うところはあるのだろう。それでも笑顔で見送ってくれた。
「サラとダンジョンは久しぶりだなあ」
珍しく浮かれているアレンとは対照的に、クンツは真面目な顔で前を向いて歩いている。
「ところで、クンツはどうしたの?」
迎えに来た時とは違って難しい顔で前を向いているクンツが、サラは気になっていた。
「クンツはいつもこうだぞ」
アレンは気にも留めていないようだが、クンツは少し困ったようにニヤリと笑う。
「俺もやっと深層に慣れてきたけど、アレンと比べると魔力量も火力も低いだろ。鼻歌を歌いながら行けるってほどの余裕はないんだよな」
クンツはアレンとパーティを組んでいるから、サラが巻き込まれる事件にはたいてい一緒にいる。結果として、若手にしてはかなりの実力者になったらしい。
それでも魔力量に依存する魔法師なので、身体強化が得意なハンターよりは弱い。
「俺はハンターだからさ、深層に行けるのは嬉しいけど、強くないからこそ、毎回気を引き締めるようにしてるんだ」
「クンツのそういうとこ尊敬する。大事だよね」
サラはうんうんと頷いた。
話しながらダンジョンの前に着くと、そこにはネリーとクリスが待っていた。
「昨日結婚式だったのに」
思わず口からもれてしまっても仕方がないだろう。
しかし、クリスもネリーもまったく気にもしていない。
「では行くか」
そんなクリスに対する答えは、弟子として一択である。
「はい」
行くなら採集と景色を楽しもう。サラは元気にダンジョンに向かった。




