将来
活動報告に書影を上げました。
下の、作者マイページから飛んで見ることができるはずです。
「まず一歩」コミックス4巻発売中です。
そして書籍7巻は25日に発売です。
危機は去ったと言っても、黒色に変色したバッタはまだ残っているし、なにより土の中の卵から、毎日新しいバッタが生まれてくる。卵を探して掘り返すのは難しいし、いつまで狩り続けなくてはならないのかと不満が出始めた頃、ついに領主のエドが、依頼の完遂を宣言した。
「もはやほとんど成体はいなくなったし、卵からかえったバッタを始末していくだけなら、東部のハンターだけで十分だろう」
卵からかえったばかりのバッタなら、ハンターでなくても始末することができる。これから夏の農作業が待っている農民も農地に帰すことにして、今後はバッタが動かなくなる寒い季節になるまで短期で働ける人を募るそうだ。
「私はもう少し残ってやりたいことがある。見送りには行けないが、また東部に来るようなことがあったら、ぜひ声をかけてくれ」
キーライはまだ実験したいことがあるようで、ガーディニアから呼び寄せた薬師と共に、意気揚々と狩り場に戻っていった。
騎士隊はといえば、ハンターだけで狩れる数までクサイロトビバッタが減ったと判断するとすぐに、王都に戻って行った。
「今回は魔物ではなかったが、魔物に対する麻痺薬の運用の仕方については、非常に良い成果が得られたと思う」
生き生きとした顔のリアムが残したのは、清々しいまでに自分勝手な理由で討伐に来ていたことがまるわかりの言葉だった。
「ノエルは残るそうだから、よろしく頼む」
サラに興味を失ったリアムは、気持ち悪い部分がなくなって、逆に爽やかなほどである。そしてやっぱり自分勝手だと思う。
だが、バッタの数が多くて一番苦しかった時に、効率的に数を減らしてくれたのは騎士隊である。動機がどうあろうとも、十分に感謝に値する。
エドにねぎらわれつつ、屋敷に戻らずにそのまま北回りで王都に戻っていったのだから、立派なものである。
ノエルと言えば、さすがにキーライに付いて残ることはせず、一緒にエドの屋敷に戻るという。
「これから領主館にある資料を読み込まなければなりませんからね。申し訳ありませんが、もう少しお世話になります」
動機はどうあれ、薬師としてのノエルがいなければ、討伐中に麻痺薬やポーションが足りなくなっていたかもしれない。こちらも十分な貢献である。
アンはといえば、結局最後までエドと一緒に狩り場に残っていた。
途中で何度も、ラティから、
「そろそろ戻ってきてはどうかしら」
という連絡が来ていたし、一度などは本人が直接迎えに来ようとしたらしい。だが、エドがなんとか言い聞かせていた。
「ラティまで来てしまったら、誰が領主館を切り回すのか」
それを押し切ってまで来ることはできなかったと聞いて、サラがちょっとほっとしたのは内緒である。どうしても最初の印象が悪く、苦手意識が抜けないのだ。
そのアンとは、帰りの馬車の中でやっとゆっくり話すことができた。アンがサラと一緒に過ごしたのは最初の頃だけで、その後はバッタの脅威も少なくなったことから、アンも割と自由にあちこち動いていたからだ。
「だいぶ体の調子もよさそうだね」
「うん。ご飯もたくさん食べられるようになったし、動き回って体力も付いたと思う」
むんと二の腕を曲げて見せるアンは、まだ細いままだったけれど、確かに最初に会った頃より顔色もいいし動きにキレがある。
馬車には、領主のエド、アン、ネリーにサラ、そしてノエルが乗っている。ライとクリスは用事があるとかで、ハンターと一緒の馬車だ。
アンは今、サラと隣り合って座り、バリアを張る練習をしている。
「炎で犬の形を作ることができるんだから、イメージが大事っていうのはわかってるんだよね」
「わかってるんだけど、目に見えないことをするっていうのはやっぱり難しいよ」
想像力というのはそれぞれで、目に見えないシャボン玉という、サラのイメージはアンには難しいらしい。
「うーん、魔力の扱い方を覚えるには、バリアが一番いいんだよ。だって火や水を使えないところでも訓練できるでしょ」
「それならば身体強化も同じだぞ」
ニコニコと見守っていたネリーが、そうアドバイスをしてくれる。
だが、ネリー自身は教え方が下手なので、自分からアンにうまく教えることはできない。
できないはずだった。
「ちょっとやってみるか。まず筋肉を意識してみろ」
「はい」
サラは筋肉には興味がないので、筋肉を意識してみろと言われてもできない。だが、アンはネリーに素直に返事をすると、右腕をまっすぐ前に出した。
「物をつかむ、握るという、前腕の筋肉が私はわかりやすいです」
「よし。そこに魔力を行き渡らせ、筋肉を補助すると考えるんだ」
「はい」
ネリーがきょろきょろしているので、握る物を探しているのだろうと察したサラは、収納ポーチから、少し堅い黒パンを取り出した。サラが両手で握ってもつぶれたりせず、包丁で薄くスライスして食べるパンだ。
「はい、これ」
「ありがとう、サラ。アン、ほら、これを握ってみろ」
「はい。わっ、すごく力が入る!」
サラからネリーへそしてネリーからアンの小さい手に渡された黒パンは、まるで柔らかなロールパンのように握りつぶされた。
「すごい! 一回目で成功するなんて」
サラはアンに魔法は教えたが、身体強化は危ないような気がして教えていなかったのだ。魔法を覚えるのも早かったが、身体強化もあっという間に覚えられたようだ。
「ああ、もったいない」
そんなサラの感動をよそに、アンは握りつぶしたパンをじっと見つめると、いきなりもぐもぐと食べ始めた。
「堅いけど、噛めば噛むほど味が出ておいしいです」
「おいしいけれども! ふつう食べる?」
「だってもったいないし。つぶしたの自分の手だし」
思わず食べ物を渡してしまったサラもサラだが、それを食べてしまうアンもアンである。だが、確かにお互い日本人だなあと感じた瞬間でもあった。
「ごちそうさまでした。そして筋肉は目に見えるからわかりやすいです」
「そ、そうか」
ネリーもどう反応していいかわからず、少し引き気味である。
「私、今回狩り場に連れてきてもらって本当によかったと思うんです」
アンは何も言われなくても、次に左手を前に伸ばしながらそう話し始めた。
「むん。うん、たぶんできた。サラのパンのおかげだ」
そうして一人で頷いている。左腕もちゃんと強化できたのだろう。それにしてもサラのパンではなくてネリーのおかげだと思うが、どうにも突っ込みどころが多い。だがいちいち気にしていると話が進まない。サラは気を取り直した。
「よかった、というのは?」
お屋敷で大事にされて、身動きが取れないよりはましだろうということはわかる。だが、それ以上の理由があるなら、サラも聞いてみたい。
「サラやノエル、クリス、キーライ。これは薬師。ネリーやクンツ、アレン。これはハンター。そしてリアムは騎士」
アンは伸ばしていた手を下に下ろすと、今度は指を折って数え始めた。
「食堂で働いていた人。お掃除やお洗濯をしていた人。バッタを片付けていた人。それから指示を出していたライやエド」
そういえば宿舎を維持する人もたくさん働きに来ていたのだった。
「今までお屋敷で限られた人しか見てこなかったから、この世界でどう生きていいのかわからなかったの。でも、一度にたくさん、いろいろな仕事をする人が見られたでしょ? しかも、魔法や身体強化を使う人もいたし、サラたちみたいに技術で貢献する人もいた。お料理やお片付けも日本とそう変わらないっていうこともわかったし」
身体強化の感触を確かめているのか手を握ったり開いたりしながらそんな話を続けるアンは、とても楽しそうに見える。
「正直なところ、みんな最初は迷惑そうにしててね。私が招かれ人だと知っているせいか、失礼な態度にならないように気を使ってくれていたみたいなんだけど」
アンはちょっと寂しそうに微笑んだ。
「でも、こんな機会二度とあるかどうかわからないでしょ。あっちこっちをうろうろして、満足するまで見学してきたの。本当はサラのそばにいるのが一番安全だったんだと思うけど」
「それはどうだろう。サラは意外と危険の真ん中に飛び込むからな」
ネリーにそれを言われるのは心外である。
「とてもわかる。バッタが飛び始めた時、真ん中に立って盾になったサラには、本当に感動したもの」
「いやあ、それほどでも」
そういえばバッタが飛び始めた時、アンがそばにいたのだったと思い出すサラである。
「でも、その時に思ったことがあるの。サラは、最初にネリーしかいない場所で暮らして、独自の結界の魔法を編み上げたんでしょ。それはとても素晴らしいことだけれど、私が同じ状況になっても、私はサラみたいな魔法は作れないだろうなって」
「招かれ人はそれぞれ違う工夫をしてるよね。ハルトなんか特にそう」
もっとも、寄り集まればそれぞれに得意なことは教え合うから、ハルトはサラのバリアを張れるし、サラもハルトの広範囲火魔法を撃つこともできる。
「もし私が魔の山に落とされたら、私はネリーと同じ身体強化型の招かれ人になっていたと思う」
「確かに……」
さっきまでやっていた訓練を見る限り、アンは身体強化や攻撃型の魔法のほうが得意な気がする。
「そしてね、最初に戻るけど、いろいろな仕事を見て思ったの。一番興味があるのは」
そこでいったん言葉を切ったので、サラはドキドキした。きっと薬師は選ばれないだろう。では、何に興味を持ったのだろう。
「騎士隊の仕事なの」
「な、なんだってー!」
サラは思わずのけぞってしまうほど驚いたが、ネリーはそうでもなかったようだ。
「そんなに驚くことはあるまい。私だって若かりし頃は騎士隊にいたんだぞ」
「そ、それはそうだけど。でもあのリアムのいる騎士隊だよ? あ、ノエル、ごめんね」
失礼なことを言ってしまった自覚はあるので、サラはすぐさま謝罪した。
「リアム、素敵な人だったよ。話すと楽しいけど、仕事の時は指揮官って感じで、制服をきちんと揃えた騎士たちが、指揮官のもとしっかりと任務をこなすっていう感じがとてもかっこよかったの。警察官みたいで」
「ううむ」
確かに、サラも今までの因縁がなく、今回のリアムだけ見たらそんな風に見えたかもしれない。救いはノエルが笑いをこらえているところだ。サラの気持ちを理解してくれているのだろう。
「あと、騎士って公務員、つまり国の組織なわけですよね? 話を聞いたら女性の騎士もそれなりにいるって言ってましたし」
「ああ、主に警護の仕事になるが、女性の騎士もいるぞ。招かれ人はどちらかというと警護される側だったから、騎士隊側が最初は戸惑いもあるかもしれんな」
実際騎士隊にいたことがあるネリーの言葉には説得力がある。
「ただし、貴族優先で身分差が激しい。また、民のための組織ではなく、王と貴族のための組織だ。それゆえサラにはまったくなじまなかった。それを理解したうえで挑戦してみるといい」
「そうなんですね。それでサラの反応が微妙なんだね」
「ごめん。でも、その通りなの」
ネリーもハンターになってから、騎士隊に苦しめられたこともある。なるべく良いことも悪いことも公平に伝えたいという態度が伝わってきてすごいと思うサラである。
「あと、騎士の仕事には治安を守るということがあると思うんだけど、ハンターは狩る一択でしょ?」
「その通りだな。力がそのまま成果と収入に反映されるから、それもまた面白いのだが」
治安を守るという意味では、確かに騎士隊を選ぶという選択はありだ。
「薬師はとても素敵だと思うけれど、薬草を採るのも、ポーションを作るのも、自分には向いていないと思ったし」
「アレンがいたら頷いてるね」
アレンもクンツも相変わらずハンター仲間と一緒の馬車だ。
「とりあえず目標を決めたら、体づくりも、読み書きも、魔法も身体強化も頑張れるでしょ? そうしたら、途中で気が変わって別のことをやりたくなっても、きっとなんとかなると思うの」
「すごくいいと思う」
サラは大きく頷いた。
「私、サラが来てくれて本当によかった」
「でへへ。でも、私はほとんどなんにもしてないんだけどね」
「サラが来てくれて、閉じこもっていた部屋から出られた。ラティと向き合うことができた。外の世界に目を向けることができて、魔法の訓練まで始めさせてくれた」
アンがひとつひとつ数え上げていく。
「まだ体力も付いていないのに、討伐場所に来るのをいいと言ってくれた。危ないのにうろうろするのを認めてくれた。サラがいいと言ったから、どれも許されたの」
見守っていたのはサラだけではないので、面映ゆい気持ちである。
「どの一歩も、サラが踏み出すのを手伝ってくれたの。本当にありがとう」
素直な感謝には、素直に答えよう。
「どういたしまして」
サラは胸を張って答えた。とてもいい気分だ。




