実験と検証
活動報告に書影を上げました。
下の、作者マイページから飛んで見ることができるはずです。
「まず一歩」コミックス4巻発売中です。
そして書籍7巻は25日に発売です。
「さすが招かれ人だな、サラ。皆、よほど感動したのだろうな。サラのことを話す人が入れ代わり立ち代わり現れて、なんでもう少し早くたどり着かなかったのかと悔しくてね。あとたった三時間早く、ここに到着していたら見られたのに」
「いやいやいや」
そこにたたずんでいたキーライにまで褒められて、サラはもうどうしていいかわからないくらい真っ赤になる。
「ところでキーライ。なぜこれを?」
こんな時は話をそらすに限る。
「うむ。まず。私たち薬師ができることは、ポーション類を作ること以外ない。基本的には回復だな」
サラは真顔で頷いた。医師のいない世界で、市井の民を癒したり、ハンターの怪我を回復させたりすることができるのは薬師の作るポーションだけだ。
「クリスが麻痺薬や解麻痺薬を研究し、より強いものを作っていると聞いた時は、なぜそんな無駄なことをと思っていたが、竜の忌避薬を作ったと聞いた時は呆然としたよ。私には、今までの薬を改善していくことにすら抵抗があったからね」
「基本を大事にするという教えを、決して侮っているわけではありません。あれは大切な人を守るために、必要なことでした」
サラに聞かせるための話だったのだが、クリスは苦言を呈されたと感じてしまったようだ。
クリスの言い訳のような言葉に、サラはちょっと驚いてしまう。クリスなら誰に何を言われたとしても、まったく気にも留めないと思っていたからだ。
そんなクリスにキーライは優しい笑みを浮かべた。
「君が基本を侮っているとは思っていないよ。私の頭の固さを自虐していただけだ」
「キーライ、あなたが頭が固いなどということはありえません。周りに馴染もうとしなかった若い頃の私を薬師に育て上げてくれたのはあなたです」
キーライはゆっくりと首を横に振った。
「君はもっと早く薬師になれたはずだ。もっと早く薬師ギルド長にもなれる実力もあった。私の力はその程度だったよ」
クリスの割り込みにより、サラの質問からどんどん外れていくが、クリスの若い頃の話を聞けると思えば、それはそれで楽しいものがある。サラは興味津々で思わず前のめりになって二人の話に耳を傾けた。
「いいえ。私はポーションを作ることさえできれば、薬師にも、薬師ギルド長にもなれなくてもよかったんです」
「ネフェルタリと会うまでは、だな」
サラはいっそう前のめりになった。その話、詳しく聞かせてほしい。
「そうですね。ですが、今はそんな話をしている場合ではなかったな。サラ、申し訳ない」
サラは愕然とした。クリスに今、正気に戻られては、ネリーとクリスの楽しい話が聞けないではないか。
「そうだったな。すまない。つまりだな」
完全にサラの質問に戻ってしまったので、ちょっとがっかりした気持ちなのは否めない。
「私は頭が固く保守的だが、実は自由奔放なクリスのやり方は嫌いではない。というよりむしろ、竜の忌避薬の成果を聞いて、隠居している場合ではないのではないかとそわそわしていたところだったのだ」
今までの話の流れからサラが思ったのは、キーライ本人は保守的だと思っているかもしれないが、年若い後輩の才能に嫉妬せず、むしろその才能の開花に手を貸すくらいの懐の深さを持っている薬師だということである。
それは、キーライを恩師として尊敬しているクリスを見てもわかることだ。ネリー以外の人に気を使っているところなど見たことがないクリスが、敬意をもって接している。
「今回、私がこの東部の危機に薬師としてできることは、現場に麻痺薬などのポーション類をできるだけたくさん供給すること。だが、その他に何かできないかと考えて思いついたのがこれだ」
キーライは、山盛りの草をシャクシャクと食べているクサイロトビバッタを指し示した。
「餌が少ないせいで相が変わるのなら、十分な餌を与えてみたらどうかと。もちろん、この実験に即効性はない」
キーライの身振りが少し大きくなった。とうとうと話し続けるこの感じ、ちょっとクリスに似ているなあと思ったら、サラは思わず噴き出しそうになったが我慢する。
「もし成功したとしても、そもそも数匹のバッタの相が戻ったとして、何の意味があるか。加えて、もし大量の餌を与えることで相が戻るとわかったとしても、そもそもその大量の餌をどう確保して与えるか。現実的ではない。現実的ではないが」
キーライは振り回していた手をぱたりと落とし、言葉を途切れさせた。
「でも、何事も試してみないとわからないですからね」
代わりにサラが続けてあげた。
「実験と検証は、何より大切だと思います」
「その通りだ。クリス、優秀な弟子を持ったな」
「はい」
サラは全世界に大声で叫びたい気持ちになった。
あのクリスが頷いている。
サラのことなど、便利なお手伝いくらいにしか思っていなかったはずのクリスが。
サラのことを優秀な弟子だと認めたのだ。
踊り出したいほどだったが、サラは理性のある少女である。コホンと咳払いをして、心を落ち着かせるためにクサイロトビバッタを観察することにした。
シャクシャクとただ草を食べ進めているクサイロトビバッタは、黒いことと大きいことを除いたらなんの脅威もなさそうだ。
「こんなに普通に見えるのに、この状態はつまり、病気のようなものなんですよね」
「病気、とはちょっと違うか。極限まで飢えて、命を次世代につなげない危機感から、無理矢理生命力を絞り出して戦闘モードに入っているいるということだな。ある意味、病気よりひどい」
人が生息域を奪ったわけではない。例年とは少し違う雨の降り方が、クサイロトビバッタを飢えさせた結果、変わらざるをえなかった。
だが、それを放置していては人が飢える。
クサイロトビバッタが飢えて数を減らしても、人が飢えて数を減らしても、時間がそれを解決していく。元に戻った土地にどのような生物がいようと、世界には何の関係もないのである。
私は悲しいのよ、と女神の声が聞こえたような気がしたが、空耳だろう。
だが、女神の采配が頭に浮かんだことで、サラは去年のタイリクリクガメの事件を思い出した。なぜタイリクリクガメが南から北に移動するのかは結局わからなかったが、招かれ人が連れてこられる理由と同じように、大地にあふれる魔力を調整するためではないのかと推測がなされたはずだ。
あの事件でサラにとって一番衝撃が大きかったのは、アレンがタイリクリクガメに張り付いて気絶したのを見た時である。だが、それとは別に一番印象に残ったのは、クリスの指示により、クンツがタイリクリクガメの目の傷にポーションを使ったことだ。
魔物にポーションを使うなんてサラには思いもよらなかったし、さまざまな視点を持ち応用できる薬師がいるということ自体も衝撃だった。ましてそれが自分の師匠ときては、自分の未熟さを悟らずにはいられなかった。
「これが怪我や麻痺なら、ポーション類でなんとかなるのに。ほら、去年、タイリクリクガメの目を直した時みたいに」
サラの何気ないつぶやきに、クリスとキーライは二人ともはっと顔を上げてクサイロトビバッタを見つめると、同時に腰のポーチからポーションを取り出した。
サラはその反応の速さに大慌てである。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
すぐにやってみようとした二人を、思わず全力で引き留めていた。
「なぜだ」
「実験と検証だろう」
双子みたいに同時にこちらに顔を向けるのは止めてもらいたい。
それでもサラはなんとか説明しようとして手を上下にパタパタと動かした。
「すみません。でも、実験が無駄になっちゃいます。そのバッタたち、もうだいぶ草を食べていますよね」
シャクシャクという勢いは衰え、中には食べるのを休んでいる個体さえいる。だからといって体の色は変わってはいない。
「も、もし実験するなら、草を食べなかったバッタと、十分食べたバッタ、それぞれにポーションを与える、与えないって、きちんと分けてやらないと」
慌てたせいで、つたなくなってしまったサラの説明で通じただろうか。
「そうでないと、キーライの実験そのものが無駄になってしまうし、それは絶対にもったいないと思うんです」
サラのポーションの話は、キーライの話がきっかけで連想しただけのものであって、ただの思い付きである。それに対しキーライの実験は、クサイロトビバッタの生態に即したもので、しかも既に実験は始まっている。
「それもそうだな」
「焦りすぎたか」
まるでクリスが二人いるみたいで、サラは頭がふらふらしそうだ。
「では、これが場合分けのリストです。どこでどのように実験しましょうか」
いきなり声がかかって、サラはびくっとしたが、横を見ると、ノエルがノートのようなものを出しながら、ペンを構えている。
先ほどから何も発言せずにいると思ったら、話を聞きとって実験の体裁を考えてくれていたようだ。それはそれで恐ろしく有能である。
サラが具体的な提案をしなくても、薬師三人で話し合いが始まった。
こうなると、サラは実践の時に手伝うだけでよい。気が抜けて、クサイロトビバッタがきれいに草をかじり取る様子をぼんやりと眺めていたら、アンもポケットからメモを取り出して何か書きつけている。
「こちらの字を覚える、と」
それはアンのやるべきことリストだった。
「よく見ると日本語だね。懐かしい」
「うん。私、半年もここにいたのに、字の読み書きもきちんと勉強してなかったの。今も、せめてノートをとるお手伝いをしようと思ったのに、ノエルの書いたノートの字がちゃんと読めなくて、かなりショックだった」
「確かにねえ。耳から聞く言葉は理解できるけど、読み書きは別だもんね」
ただしサラは、読むものがないとつまらないと思う性質だ。女神の付けてくれた翻訳機能が文字の読み書きには発揮されないと気づいてすぐに、ネリーから字を教わったので、割とすぐに読み書きはできていた。
「薬草の本はともかく、魔法の教本は字が読めないと意味がないから、覚えたほうがいいね」
「うん。体がちゃんと動くんだから、やりたいことは自分から進んでやらないと。それに字が読めれば、自分で勉強することもできるもの」
ふんふんと気合を入れるアンを見て、サラは自分がガーディニアに来たかいがあったような気がして嬉しくなった。