空に響くは
活動報告に書影を上げました。
下の、作者マイページから飛んで見ることができるはずです。
「まず一歩」コミックス4巻発売中です。
ネリーと再会する巻なのでぜひどうぞ。
「おう!」
すかさず響いた返事は、ハイドレンジアのハンターたちのものだろう。
同時にネリーの声が響き渡る。
「ハイドレンジアのハンターよ! 我々は飛んでいったバッタを追うぞ! ガーディニアの皆は、残ったやつらを片付けてくれ!」
ネリーが呼びかけた。
「おい! そっちに走ったら、弾かれるぞ!」
残った地元のハンターたちが、バッタをバンバン弾いているサラのバリアを見て警告するが、ハイドレンジアのハンターたちは止まらなかった。
「おい! 嘘だろ……。なんでハンターが弾かれない?」
敵は弾くが、味方は弾かない。
サラのバリアが結界箱とは違う特別仕様だということを、ハイドレンジアのハンターは知っているのだ。
「飛び去ったバッタの数、およそ五〇〇」
クリスのつぶやきにサラは驚愕した。
ずっと静かにしているとは思ったが、バッタの数を数えていたとは知らなかった。
「私も、バッタを追う」
クリスは、薬師のローブを風になびかせて、ハイドレンジアのハンターの後を追った。
クリスが行ってくれると思うと、なぜか心強い。
サラは、イメージを膨らませるために上げていた両腕をゆっくりと下げ、肩の力を抜いて、バリアを維持するよう気持ちを整える。
「サラ、椅子に座りますか?」
「助かる」
ノエルが椅子を持ってきてくれたので、サラはそっと腰かけた。
これから長丁場になる。サラが疲れてバリアが維持できなくなれば、バッタが飛び立ってしまう。
「サラ、すごい……」
アンの感嘆の声に応える余裕はない。代わりにノエルが相手をしてくれる。
「しっ。何もしていないように見えるかもしれませんが、サラは今、広い範囲にバリアを張ることに集中しています。気を散らさないように、静かにしていましょう」
幸運だったのは、移動が始まったために、散らばっていたバッタがほとんどすべてバリアの前に集まってきたことだ。
「ううう。バッタがこんなに間近でたくさんいると、正直気持ち悪いよう……」
サラの目の前に、大量のバッタとそれを容赦なく狩るハンターがいる。
「でも仕方がない。作物のため、民が飢えないため……。集中、集中」
「サラ、お昼です。食べられますか」
ノエルに声を掛けられた時にはっとしたのは、半分意識がなくなっていたからだと思う。
「バリアは!」
「大丈夫です。切れていませんよ。朝から五時間以上、すごい集中力ですよね」
「半分眠ってた気がする」
魔の山にいた時からの習慣で、サラは寝ている時もバリアを切らない。基本のバリアは薄い皮膚のように、いつも自然にサラに張り付いている。
大きなバリアだとしても、何時間もやっていたから、張るのに慣れてしまったのだろう。
「眠っていても大丈夫なら、食べても大丈夫そう」
それでもバッタのいる前線から目を外さないようにしながら、ノエルが渡してくれた何かを挟んだサンドをもぐもぐと口にする。食いしん坊なサラが具を確かめる気力がないということは、相当疲れているということだ。
「だいぶバッタも少なくなったねえ」
「バッタを探さなくても、自ら跳んで集まってきてくれましたからね」
「あ、アンは?」
「サラがバリアを張って通路の安全が確保されたので、宿舎に戻りましたよ」
サラはほっと胸を撫でおろした。
もしバッタに体当たりでもされようものなら、大けがでは済まないかもしれなかったからだ。
「それにしても、サラのバリアは本当に応用が利きますね。私も今日のレポートははかどりそうです」
ノエルは満足そうに微笑むと、レポートに書くという中身を教えてくれたが、聞かなければよかったと後悔した。
「ここで招かれ人サラは叫んだ。『もう一匹も行かせない!』」
「ギャー! やめて!」
思わずバリアが揺らぐほどの衝撃的な内容である。もっとも、最初はあられのようにバリアにぶつかっていたバッタの数もだいぶ少なくなり、ときおりぶつかっている気配がする程度にまで落ち着いている。
「一切脚色なしの真実ですから」
「だからこそ恥ずかしい!」
これが黒歴史というものかと、サラは思わず天を仰いだ。
「おーい! おーい!」
背後からネリーの声が聞こえる。
「終わった?」
気にはなるが、さすがに振り返れはしない。
「飛び去った分は、倒しきったぞ!」
とりあえずの報告に、残っていたハンターからわあっと歓声が上がる。
なぜ倒しきったとわかるのかと言えばもちろん、クリスが数えていたからに違いない。
あの状況で、誰もが気にも留めなかった、しかし大事なことを一人でやっていたかと考えると、クリスがいかに優秀であるかがわかろうというものである。
一〇人で、五〇〇匹。さすがハイドレンジアのハンターだ。
「さあ、残ったバッタを始末するぞ!」
帰って来たばかりなのに、ハイドレンジアのハンターは休みもせず狩りに合流した。
さすがのサラも、バリアを張るのに疲れて体がゆらゆらしてきたところで、近くにいた地元のハンターから声がかかった。
「招かれ人のおねえちゃん、もう結界を解いて大丈夫じゃないか? もうほとんど跳ねてくるバッタがいなくなった」
「ほんとですか」
サラはざっと状況を見て、本当に飛び跳ねているバッタがいないのを確認し、ふっとバリアを解いた。
「あああ、疲れた……」
そして、へなへなと地面に崩れ落ちる。
「魔力には限界はないけど、体力と集中力には限界があるんだよねえ」
「十分以上です。立派です。お疲れさまでした」
ノエルの惜しみない労りがありがたい。
ハンターに申し訳ない気もするが、少しは休憩してもいいだろう。いつの間にか戻ってきていたクリスと並んで静かに調薬を続けるノエルの足元で、サラが膝を抱えてうとうとしていると、狩場のほうから、ハンターのざわざわする気配がした。
目を閉じたまま、耳が拾った声がこれである。
「嘘だろ。勘弁してくれよ……」
サラは重い瞼をやっと開いた。
「バッタだ! バッタが奥の方からまた跳んできやがった!」
サラがふらふらしながら頑張って建とうとすると、リアムが叫ぶ声がした。
「騎士隊! 奥へ走れ! 風向きよし! 地面に落とすために、麻痺薬を空中に広く散布する!」
サラは大丈夫かと不安になったが、クリスが安心しろというように頷いた。
「サラもずっと見てきただろう。おそらく、今回の騎士隊は大丈夫だ」
サラはほっとして、また座り込んだ。サラはクンツと一緒に、ずっと騎士隊と行動していたが、確かに今回は間抜けなところも傲慢なところもなかったと思う。
「麻痺薬の追加を届けてくるか」
クリスができたてほやほやの麻痺薬をポーチにしまった途端、狩場からまた叫び声が聞こえた。
「麻痺薬を乗り越えてきやがった!」
サラは何とか立ち上がろうとした。
「今は少しでも休んでください。ほら、もう日が陰ってきました。ハンターの皆があと少し、あと少し頑張ってくれれば夜が来ます」
空を見見上げれば、太陽は狩り場に迫る山の端にかかろうとしている。日が暮れるにはもう少し時間があるが、それでもあたりには夕方の気配がし始めていた。その夕方の空に、すいーっと通り過ぎていくものがある。
「あ、トンボだ。やっぱり大きいなあ」
「涼しくなって、餌が出てきたんでしょうか」
「よく見ると、いっぱいいるね」
忙しくて、空などゆっくり眺めている暇もなかったのだ。
いや、今も空など眺めている暇はない。
「麻痺薬も足りない! とにかく狩れ!」
狩り場では奥から飛んできたバッタをどうにかしようと、騎士隊やハンターが疲れた体を動かしているのだから。
「いや、待って」
サラは頭の中に何か引っかかるものを感じた。
「夕方。トンボ。餌。ムラサキヤンマ」
「サラ? どうしました?」
ぶつぶつとつぶやき始めたサラをノエルが心配そうにのぞき込む。
「ねえ、ノエル。トンボはバッタを食べると思う?」
「大きさ的にはいけるかもしれませんが……」
クサイロトビバッタは大きいが、サラが見たムラサキヤンマはもっとずっと大きかった。
サラは勢いよく起き上がったが、やはりふらついて倒れそうになり、ノエルに寄りかかってしまった。
しかし、言うべきことは言わねばならない。
「クリス! クリス!」
「なんだ! サラ!」
騎士隊の手伝いに参加しているクリスが返事をくれるが、サラも理路整然と話をする余裕はない。
「空! トンボ! ギンリュウセンソウ!」
「ギン……。忌避薬か!」
クリスはサラのまとまりのない言葉の真意をすぐにつかんでくれた。
「ほんの少しでいいはずです! 広範囲に撒き散らせば!」
「よし! 騎士諸君! それにクンツ!」
サラもふらつく体を前に進めた。大きな翼は無理だけれど、バッタの上にかぶせるくらいの範囲のバリアならきっと作れるはずだ。サラのバリアがあれば、竜の忌避薬を効率的に散布できる。
「サラ。ほら、おぶされ」
「アレン」
ずっと狩りをしていたアレンが、いつの間にかサラの元に来ていて、有無を言わせずサラを背負うと、クリスの元へと走ってくれた。
「竜の忌避薬を、できるだけ多くのバッタにかかるように拡散する。サラはバリアでその効果を増強してくれ。できなかったら無理はしなくていい」
クリスの言葉にサラはアレンの背中から頷いた。
「できるだけやってみます」
「いろいろ聞きたいことはあるが、今は我慢する。やってくれ」
時間がないのはリアムも承知だ。あれこれ聞くことなく、協力を約束してくれたことがありがたい。
麻痺薬とは違い、少しでも匂いが付けばいい。できるだけ高く、遠くへと放り投げられた竜の忌避薬の瓶が割れると、クンツをはじめとして、騎士だけでなく風を扱える魔法師が集まってできるだけ広く拡散させる。
「バリア」
サラは、飛びはねているバッタを、拡散した忌避薬ごと上から大きなバリアで押さえた。
「うう、バリアが不安定で消えそうだ」
「サラ、頑張れ!」
「うん」
バリアの中で、十分忌避薬が行き渡ったと判断したサラは、すうっとバリアを外した。
途端に、ギンリュウセンソウの花のいい香りがふわっと漂う。
「ああ、バッタがまた動く……」
忌避薬は、匂いを付けるだけだ。体を押さえていたバリアが外れると、バッタはまたチキチキと動き始めていた。
ビィーン。
ビィーン。
大きな弓を弾くような音があたりに響く。
「なんだ?」
「いったい何の音だ?」
左右を見渡すハンターは気づかない。
音は上から響いているのだから。
じっと上を見るクリスにつられて、一人、また一人、空を見上げては固まっている。
「トンボ? なぜ?」
なぜかはわからない。だが、山脈で実験のためにまいたのとは比べ物にならないくらいの量の忌避薬は、その影で夕暮れが来たと思わせるほどの大量のトンボを呼び寄せていた。
「ゆっくりと下がれ。ノエルのいるあたりまで」
クリスの声は、静まり返った狩り場によく通った。
じりじりと下がるハンターたちが、バッタから少し距離を取った時、一匹のバッタがついに跳ねた。
ビィーン。
ビィーン。
トンボが一斉にバッタに跳びかかる。
「下がれ!」
「うわあ!」
今度は走ってノエルの元に集まるハンターたちに、サラは匂いも封じるバリアをふわっと張る。ハンターにも騎士隊にも、ギンリュウセンソウの匂いが付いている。トンボに襲われないとも限らない。
「このくらいの範囲なら、なんとか」
「もう少しだ。もう少しで夜が来る。頑張れ、サラ」
「うん」
百人以上のハンターたちが集まって、夕暮れ時のトンボの饗宴を黙って見つめた。
大きなクサイロトビバッタも、地面から半分生まれ出ようとしている幼生のバッタも、もっと大きいトンボのがっしりした足と顎に掴まれて、空に運ばれていく。
「すげえ」
見る間にバッタは数を減らし、気がつけば空にトンボは一匹もいなくなっていた。
「終わった、のか」
誰がつぶやいたかわからない。だが、傾いた太陽の最後の光が消える頃、狩り場にはハンターたちの大きな歓声が響いたらしい。
響いたらしいというのは、サラはもう途中から気を失うように、アレンの背中で眠りに落ちていたからだ。