明かりが三つ
活動報告に書影を上げました。
下の、作者マイページから飛んで見ることができるはずです。
「まず一歩」コミックス4巻は
今日発売です。
ネリーと再会する巻なのでぜひどうぞ。
おなかがいっぱいになって少し疲れた様子のアンは先に部屋に戻り、サラはついに気になっていたことをネリーに聞くことができた。
「依頼がどこで終わるか? それは、クサイロトビバッタの数が十分に減った時か、相が戻った時のどちらかだな」
「相が戻るって、緑色に戻るってこと?」
「そうらしい」
そうらしいとしか言えないのは、今までの依頼で相が変わったことがそもそもなく、変わって黒くなった時は、もう間に合わなかったからだそうだ。
「数が減ってきていたから少し気を抜いてたけど、実はけっこう危機的状況なんだってこと忘れちゃだめなんだね」
自戒を込めた言葉には、ライが頷いてくれた。
「長い戦いになることを覚悟しなければならないな。エドが補給をしっかりしてくれるから助かっている。よき領主であり、よき夫であり、よき父であるな。ラティは幸せ者だ」
同じ領主として、父親として、思うところがあるのだろう。
「さ、明日も頑張るか」
少しずつ疲労も積み重なっている。早く休んで、明日も頑張るしかない。
そんな日々を数日過ごし、調薬と討伐を行ったり来たりしているサラだが、慣れてきたアンもちょこちょこと動き回ってお手伝いをしてくれるようになった。元が高校生だからか、しっかり物事を見ていて、サラが魔の山にいた頃のように十分に役に立つようになっていた。
それと同時に、興味の向く方向もはっきりしてきたようだ。
「うーん、残念」
サラはノエルやクリスと並んで調薬しながら、休んでいるハンターにお水を持っていっているアンを眺めている。
「なにがですか?」
ノエルが不思議そうだ。確かに残念に思うような出来事は見当たらない。
「アンがね、あんまり薬師に興味がなさそうだってこと」
「ああ。確かにそんな感じですね」
サラにとっては、薬草を採取することも、それを使ってポーションを作ることもすべて楽しい。
だが、すべての人がそうではない。サラがハンターという職業に魅力を感じないのと同じに、アンも薬師には魅力を感じないのだ。
「同じ招かれ人で、同じ女性だから、きっと同じ仕事を選ぶって、無意識に考えてたのかな。だから残念って思ったんだと思う」
「薬師はエリート職ですから、学ぶ機会があるのに興味がないなど何ごとか、と言いたい気持ちはあります。なりたくてなれるものでもないですし。ですが、そもそも、なりたくないのであればどうしようもありません。アンに精緻な魔力操作ができるかどうかもわかりませんし、ね」
ノエルはアンが薬師になろうがどうでもいいという口調だ。
「夜の食事の時も、狩りの話が出ると目を輝かせているし、年の近いアレンとかクンツを紹介したほうがいいかな」
「うーん。サラは面倒見がいいですね。僕ならこのやたら忙しい時に、誰かを紹介されたくはないですね。そんな時間があったら休みたいです」
「自分を婚約者にどうですかって言ってたのに」
サラはノエルの冷たい言葉に口を尖らせた。
「それはそれ、これはこれです。隣で話を聞かせるくらいならしますけど、薬草のすりつぶしの基礎から教えるとなったら、それは面倒だからいやです」
「確かにね」
今は依頼を受けている最中で、しかもまだ終わりが見えていない状況だ。招かれ人の面倒を見ることまで考えている余裕は本来ない、ということを自覚しないといけない。
「でも、小さい子にはなにかしてあげたくなっちゃうよね」
「なりませんね、僕は」
「ハハハ」
厳しいノエルに苦笑いしつつ、調薬を続けていたら、いつの間にかアレンが戻ってきていた。
「サラ、ただいま」
「アレン、おかえり。休憩?」
「そう」
このやり取りをしていると、まるでハイドレンジアにいるみたい、とサラは楽しい気持ちになる。アレンは、アン用に用意してある椅子に、遠慮なくどかりと座り込んだ。
「こっちで休憩、珍しいね」
「さすがに疲れたんだよなあ」
アレンはお茶や軽食の用意してあるハンターの休憩所の方にちらりと目をやると、座ったままサラの方に体を寄せた。
「あのさ、サラ。内緒でヤブイチゴのジュースをくれよ」
「ヤブイチゴは使っちゃって、まだ新しく作ってないけど、他の果物でもいい?」
「いい。あと、サラのコカトリスサンドがほしい」
「いいよー」
よほど疲れたのだろう。休憩所のお茶はお砂糖も自由に使えるから、うんと甘くして飲めばいいのだが、たまには別のものも飲みたいよねとサラは一人頷いた。それから収納ポーチからさりげなくジューンベリーのピューレを出して、水で薄めてカップに注ぐと、冷たくして出してあげた。
「休憩所では、休めませんか」
ノエルがカップを傾けながら、たいしたことでもないようにアレンに尋ねた。
「ちょっとな。ハンターでは俺が一番年下だから、小さい子の相手はお前がしろって雰囲気になるのが面倒くさい」
一生懸命お茶の用意をしているアンに対して、相手をするも何もないと思うのだが、からかわれているのだろうか。
「その雰囲気につられるのか、年が近くて聞きやすいのか、あの子もハンターのあれこれについて聞いてくるからさ。そういうのは、落ち着いてからギルドで聞いたらいいと思うんだ。俺たちとは立場が違うんだからさ」
「初めて屋敷の外に出たみたいだから、あれこれに興味があるんだろうね。ハルトと同じ、ハンターになる可能性もあるんだなあ」
「なろうと思えばなれるんじゃないか。家もあって、金持ちの養い親がいる。俺たちみたいに雑用をして金を稼ぐ必要もないし、ハンターになりたければグライフ家がなんでもやってくれるだろ」
「アレン……」
サラの感じたトゲは、錯覚ではないようだ。
アレンはどこか投げやりにそう言うと、それ以上何も言いたくないというかのように、サラが用意したコカトリスのサンドをもぐもぐと頬張った。
「じゃ、行ってくる」
「気を付けてね」
「ああ」
言い過ぎたと思ったのか少し気まずそうに狩り場に走り出ていったアレンを、サラは戸惑いながら見送った。
サラと同じように、誰もが招かれ人のアンの成長に興味を持ち、協力してくれると勝手に思っていたのだ。
「私、同じ境遇の招かれ人が来たから嬉しくて、そっちにばかり目が行って、浮かれてたんだね」
サラのつぶやきに、ノエルは肩をすくめただけだった。いいとも悪いとも言わない。
「うう、反省しないと」
「いつものサラでないからと言って、何も悪いことはありません」
ノエルはきっぱりと言ってくれた。
「アンのことについては、サラが誘ったわけではありませんし、連れてきたのはグライフ家です。安全を確保すべきなのも反省すべきなのもグライフ家の方々ですから、サラが反省する必要はありませんよ。それに」
ノエルは狩場の方に目をやった。
「かまってくれないからといって甘えたり拗ねたりするハンターを、まともに相手をする必要もありません」
「はい……」
アレンのことをそれだけと切り捨てるあたり、とても年下とは思えないノエルである。
「もう一つおまけに言いますが、婚約したからと浮かれている大人も同じです。同じ招かれ人だからと言って、サラだけがアンのことを気にかけなくてはいけないということはないんです」
「はい……」
東部に来るにあたって、依頼だけではなく身内からの招きやいろいろなことが混ざり合って、サラにとって一番重要なのは何かということが定まらずふらふらしていたのだと思う。
それを教えてくれるだけでなく、重荷も取り払ってくれたノエルには感謝しかない。
その日の夕食後、ノエルに何か言われたのだろう。
「ちょっと話したいことがあって」
と、アレンが呼び出しにきた。
昼のことなら、話し方にとげがあるなとは思っても、サラが攻撃されたわけではないので、ぜんぜん怒ってはいないのだが、何の話だろうと疑問に思う。
宿舎の外に出て、並んで歩く。暗いので、サラはほわんと明かりをつけ、バリアで囲った。それを風船のように頭の上に浮かべると、自動で付いてくる明かりのできあがりである。
ゆっくりと歩きながら、ノエルとサラが机を置いているあたりまでやってきた。毎日使うので、最近は片付けもせず、出しっぱなしだ。
明かりの届くぎりぎりの端では、じっと動かないバッタが黒光りしているので、なるべくそちらは見ないようにする。
「昼は当たり散らしてごめん」
アレンが頭を下げる。
「ぜんぜん気にしてないよ。疲れているんだなあとは思ったけど」
「終わりの見えない討伐って、つらいよな」
「うん」
サラはなんとなく手持ち無沙汰で、明かりをもう一つ作り、頭の上に浮かべてみた。
「俺さ、冷たいことを言うようだけどさ」
アレンの考える冷たいことってなんだろうとサラは不思議に思う。
「アンとは、特に親しくなろうとは思えない」
急にアンの話になって驚いたし、それはサラには思いもよらないことだった。
「人とどう付き合うかは自由だから、別に構わないけど。わざと冷たくしたり、意地悪したりするってことじゃないよね?」
「そんなことはしないよ」
アレンは苦笑して、机に座ると、二つ浮かんだ明かりを見上げた。机に座るなんて行儀が悪いけど、サラも並んで座る。
去年のタイリクリクガメを倒した時より、アレンはまた少し背が伸びて大人っぽくなった。一方でサラは完全に背は止まってしまった。背が伸びるという転生特典を付けてくれてもいいのにと思うが、日本にいた頃と同じ大きさの体は、使い勝手がいいことは確かだ。
「俺、招かれ人のサラと仲がいいから、アンとも仲良くするんだろって目で見られるんだよ。俺だけじゃなくて、クンツもだ」
「友だちの友だちは、友だちになりやすいもんね」
アレンも一つ、手の上に小さな明かりを作った。
「クンツはアンが招かれ人かどうかはあんまり気にしてなくて、普通に近所の妹の友だちみたいに、自然に向き合ってるけど、俺はいやなんだ」
アレンの気持ちがいまひとつわかりにくいが、嫌なものは嫌なのだろうとサラは頷いておく。
「アンが悪いわけじゃない。けど、アンを見るたびに、同じ頃、ローザで俺たちがどんなに苦労してギルドに入る金を稼いだかを思い出して、比べてしまうんだ」
「アレン」
アレンは手のひらの上の明かりをぎゅっと握りつぶした。
「楽しかったこともいっぱいあったさ。けど、お金をためるために腹が減ってどうしようもない時があったこと、町に入れず一人で寝るしかなかったこと、町の奴らからゴミ扱いされたこと、それらすべてを、なんでかあの子を見ると思い出すんだよ。思い出して、嫌な気持ちがこみあげる」
今やアレンは、タイリクリクガメに剣を刺すことができた唯一のハンターとして、憧れられる立場だ。実力も申し分なく、たった一五歳なのに十分稼いでいてお金に困ることもない。
「あの子だって、ほんとの親からは引き離されて、もといたところでは病気でつらかったんだろ。ただのお嬢様じゃないってことはわかってる。だけど、サラはあんなにちやほやされてなかった。何もかもおぜん立てされて、馬車で連れてきてもらい、疲れたら毛布にくるまって、ニコニコしていればいいなんてことなかった」
「アレン。私は別に、ぜんぜんつらくはなかったよ。ちやほやされたいタイプでもないし、つらかったのはネリーと会えなかったことだけだもの。あと薬師関係」
「知ってる。でもなんでかな。俺がつらいんだ。俺が腹が立つんだよ」
アレンは左のこぶしで自分の胸をとんと叩いた。まるで、そこが苦しいのだというように。
「本来、サラが受けるべきだったのは、あんなお姫様みたいな扱いのはずだったんだろ。なんでだよ……」
サラとアレンは、苦しかった時期にあまりにも強く結びついていたため、サラの不幸せをまるで自分のことのように感じてしまっているのだろう。
同時期に招かれ人が来るというのは珍しいことだ。だから比較もしてしまうし、もやもやした気持ちにもなる。だが、サラはすぐにその気持ちとは折り合いがついていた。なぜなら、サラは全然不幸せではなかったからだ。
「でも私は、お姫様みたいだからって、アンと人生を取り替えたいとは思わないよ」
サラはギュッと握ったアレンのこぶしに手を添えて開かせ、その上に明かりをぽうっと浮かばせた。冷えて固くなった心にも、明かりがともりますようにと願いを込める。
「取り替えたら、ネリーとも会えなかったし、アレンとも会えなかった。私が魔の山に落とされたからこそ、今の自分でいられるんだもの。アレンが苦しむことなんてないよ」
「うん。わかってはいる」
生き抜くしかなかった時は、つらいかどうかなんて考えていえる暇もなかった。こうして豊かに過ごせるようになってはじめて、苦しかった自分たちをゆっくり思い返す余裕ができる。もう戻れない過去の自分に寄り添い慰めるのは、自分しかいないのだ。
「私たち、不安だったけど、頑張ってたよね」
「うん」
「私たち、どうしようもない状況の中で、偉かったよね」
「うん」
アレンの手のひらの上に作った明かりを、風船のように上に浮かばせる。
「明かりが三つ。楽しいね」
アレンは頭上の明かりに手を伸ばした。
「何人招かれ人が来ようと、俺の招かれ人は、サラだけ。サラ一人だけだ」
それはまるで何かの誓いのようで、どう答えていいかわからないサラは、一緒に明かりに手を伸ばしてみる。
腕と腕がこつんとぶつかったことが、どうしようもなくおかしくて、思わず二人で笑い出してしまう。
そうしたら自然に言うことべきがわかった。
「ありがとう」
「うん」
今はその答えで十分だ。
どちらからともなく、机から滑り降りる。
「戻ろうか」
「戻ろう」
三つの明かりを引き連れて、笑いながら宿舎に戻ったら、宿舎の入口では腕を組んでネリーが待っていた。
「気が済んだか」
その目はアレンに向いている。
「ああ」
「ならいい」
心配して待っていてくれたのだろう。嬉しくてネリーに笑いかけると、その後ろにバツが悪そうな顔でクンツが控えていた。
「どうしたの?」
「いや、気になるだろ」
サラが首を傾げていると、クンツの後ろからクリスも顔を出した。
「大丈夫だ」
何が大丈夫なのかサラがいっそう首を傾げると、クリスはサラを安心させるように大きく頷いた。
「明かりが三つあったおかげで、二人の行動はすべて見えていたからな」
「はあ? そんな馬鹿な!」
アレンはクリスの後ろをのぞき込むと、珍しく真っ赤になった。特に赤くなるようなこともないと思うサラだが
、
「うわあ!」
と叫んで、アレンはどこかに走って行ってしまった。
「クリス、真実は時には痛いです。黙っていることも必要ですよ」
クンツがクリスに言い聞かせている。
サラもクリスの後ろをうかがうと、あえて視線を合わせないようにしているハンターたちが不自然にうろうろしていた。
明かりをつけたのはまずかっただろうか。
「だって、暗いと足元が危ないと思ったから……」
「サラはそれでいい」
ネリーはサラの肩をポン、と叩くとハンターたちの方を向いて一言だけ発した。
「解散!」
「うえーい」
ハンターたちは意味不明の返事をしてだらだらと去っていった。
「依頼がなかなか終わらなくて、皆、娯楽に飢えてるんだよな」
「娯楽って」
クンツの言葉にサラは苦笑した。
だが、今日一日で、ふわふわしていた気持ちが一気に引き締まったような気がする。
「明日からも頑張ろう」
一匹でも多くのバッタを倒すしかないと、決意する夜であった。