ところで
昨日は予約投稿を間違え、いっぺんに二つ更新してしまいました。
今日は一話、次は火曜日に投稿予定です。
「まず一歩」書籍7巻は11月25日、
コミックス4巻は同じく11月14日に発売予定です。
「話し相手が嫌なわけじゃないんだけどな。むしろ話し相手だから微妙なのかな」
サラはアンの朝の準備ができるまで、広い応接室のような部屋でまったりとお茶をいただいている。
隣では、ドレスへの着替えを拒否したネリーがいらいらした顔で外を見ていた。
それを面白そうにキーライが見つめている。キーライが何を考えているのかわからないのももどかしい。
そもそも、仲のいい友だちとだって、お休みの日に数時間話したらそれで十分満足ではないか。数日間も一緒にいて何を話すべきか。サラは頭を悩ませた。
だが、悩む必要はなかったようだ。
「おはようございます」
相変わらずかわいらしいドレスを着つけられてやってきたアンは、昨日とは別人のようにしっかりした顔つきになっていた。
「私のために残ってくれたと聞きました。ありがとうございます」
サラに頭を下げたアンは、ニコニコと付き添っているラティを振り返った。
「サラと二人でお話ししたいの。お外を歩いてきてもいい?」
「まあ」
ラティは寂しそうな顔をしたが、それは単純にアンと一緒にいたいのと、サラに厳しいことを言われたとき守らなくてはという気持ちがあるからかなとサラは思う。
「姉様。ちょうどよかった。私と散策しながら思い出話でもしましょうか。キーライも。サラたちは残るといい」
不機嫌な顔をしていたはずのネリーが、残りたそうなラティを連れて外に出て行ってくれたので、これで嫌でも二人きりだ。
「ラティはいい人なんですけどね」
いい人だが、少々うっとうしいということだろう。サラは気軽に声を掛けた。
「今のところ五歳年上だけど、敬語とか使わなくていいからね」
「今のところじゃなくても、ずっと五歳年上ですよ?」
アンはいたずらな顔をしてニコッと笑った。
「わあ、なんだか今日はとても元気だね。昨日とは比べ物にならないくらい」
「うん、そうなの。昨日、サラからいろいろ話を聞いて、もっと自分の頭を使わなくちゃって考えたの」
普通に友だちのように話せていて楽しい。モナやヘザーと話すのと同じ感覚だ。
「まず考えたことは、自分の体と向き合おうっていうこと。普通の体をもらったっていうことを、私、信じてなかったみたい。きっと虚弱なんだろうって最初から諦めてたんだと思う」
サラもいきなり一〇歳の体になっていた時は、なじむのに時間がかかったのは確かだ。
「お昼寝して起きてから、深呼吸をして、足を上げてみたりジャンプしたり。それからストレッチをしてみたりして、自分の体を動かしてみたら、普通に動くの。そりゃあ何度もジャンプしたら息切れしたけど、それは虚弱なんじゃなくて単なる運動不足。そうでしょ?」
「たぶんね」
サラに言われたとはいえ、たった一人でそこまでたどり着いたのはすごいと思う。
「もともと運動部で、自分の体とはちゃんと向き合って来たし、ちょっとずつ鍛えていくのは自分で考えられるとして」
アンはスカートのポケットからメモを取り出して、テーブルの上に広げた
「今までは、体を整えることを優先してちょうだいって言われて、本当に何もしてこなかったの。転生したといっても、ほとんど日本と同じなんだなと思っていたんだけど、違うんだよね?」
サラはちょうど数日前見た大きなトンボと、ビィーンという羽音を思い出し、頷いた。
「けっこう違うよ」
だが、もしサラがここで暮らしていたらどうだろう。
窓から見える庭にあるのは、日本と変わらないように見える植物だし、食事もそんなに変わらない。食材には違いがあるのだけれど、料理として出てくる分にはそれはよくわからない。例えばシチューに入っている肉が魔物の肉かそうでないかは区別がつかない。
つまり、現代日本でないことだけは確かだが、一世紀か二世紀前の西欧世界に転生したと言われても、全然違和感がないのだ。その中で招かれ人は貴族みたいなもので、すべきことは、体調を整えて、いずれ女性として嫁いで幸せになることだけですよと言われたら、そんなものかなと思ってしまっても仕方がない。
「うん。違うよ。女神さまに、剣と魔法の世界って言われなかった?」
「言われたと思う。でも、剣を持っている人なんて屋敷にはいないし、ハンターなんていることすら知らなかった」
「ええと、大きい虫とか、魔物とかは?」
「角の生えているウサギがいるというのは絵本に書いてあったから知ってるけど、虫?」
サラは窓の方を指し示した。
「飛んでこない?」
「飛んでこない」
「せめて、スライムとかはいない?」
「スライム?」
サラは両手でスライムの丸い形を作って見せた。
「見たことない、です」
「ひえー。トリルガイアって、やろうと思えば日本みたいな暮らし方ができるんだね。むしろ驚いたよ」
サラはソファの背にぽすりと沈み込んだ。
「サラは魔法っていうけど、魔法なんて見たことないよ」
「そんなわけ……ある? せめて魔石は? ほら、台所用品とかに使うでしょ。電池みたいに」
「魔石? 見たことない」
「ああー、取り換えるのは子どもの仕事じゃないか……」
どこから説明していいのか、お手上げである。
「今話したことだけで、サラに来てもらって本当によかったと思える」
アンは、大きい虫、スライム、魔石とメモの端っこに書き足している。
「つまり私はこれから、トリルガイアと日本の違いをまず知らなければいけない。そしてそれを実際に見て、ここの人ができることは、できるようになっていかないといけないと思うの」
たーんと音を立ててメモをテーブルに置くアンの顔は、きらきらと輝いている。
「昨日のパーティで、サラのこといっぱい見てたの。いろいろな人のところに行って、堂々と、対等にお話ししていたよね。私よりたった五歳年上なだけなのに」
「自覚はなかったけど、確かに気後れはしていなかったかもしれないね」
「それなのに私は、飲み物と食事のお皿を持たされて、お体の具合はいかがですかとか言われてただけなの。そんなキャラじゃないのに」
プルプルと首を振るアンは一〇歳相応のかわいらしさだ。
それでも隣に並んだサラを見上げた目には、同世代のような落ち着きが宿っている。
「だから、サラがいてくれる間、聞きたいことをぜんぶ聞いておこうと思うの。さっそくいい?」
「もちろん」
「やっぱり、まず知りたいのは魔法なの!」
「だよね!」
サラは魔法について語ろうと、大事に持っている魔法の教本を、腰の収納ポーチから取り出した。
「嘘! 魔法のカバンだ! そんなの初めて見た!」
「そこから? そうか、そこからか」
驚いたのはサラの方だ。だが、魔物を狩るのが当たり前の場所にいたサラのほうが、特殊な環境だったのは間違いない。
「ええっとね。まずこの魔法の本薬草の本とを見てみて」
「うん!」
本を半分ずつ膝に乗せて、頭を寄せ合うサラとアンは、その日の午前中をとても楽しく過ごしたのだった。
昼ご飯を食べると、少し眠そうで、でも眠りたくないアンを、
「横になるだけ。眠らなくても体が休まるって聞いたことあるよ」
と部屋に送り届けたサラは、応接室に戻ってくると、ラティに両手を取られた。
「あんなにたくさんご飯を食べたアンを初めて見たわ。それに、たくさんおしゃべりもして」
最初の印象があまりよくなかったので、ちょっと引きそうになったサラだが、ラティは笑顔だったのでほっとする。
「もともと運動部だったと言っていました。運動部と言うのは、つまり体を動かすのがすごく好きな人の集まりです。アンは、もともとだいぶ活発な方なんじゃないかと思います」
「少女でやって来た招かれ人は、静かで控えめな人が多かったと聞くわ。けれど、そうでもないのねえ。昨日のパーティでは、あなたは大人の男性のような堂々たる振る舞いだったものね。さすがネフェルの養い子だわ。もちろん、悪い意味ではなくてよ」
大人の男性という言葉にちょっと苦笑が漏れる。
サラは目立つのは好きではない。
ローザでは特に、家のない子どもとして、慎重に暮らしてきた。
だが、さまざまな問題に招かれ人としての力で立ち向かううちに、黙って引っ込んでいては物事は解決しないと学んだのだ。
「困難にあっても自分のできることをする。控えめだが、言うべきことは陛下の御前でもためらわずに主張する。はじめはアンのように、はかなく消えてしまいそうな少女だった私のサラは、五年間でそんなふうに成長した」
「ネリー」
ネリーには、本当にサラがあんなはかなげな美少女に映っていたらしい。
「私たちの住んでいた魔の山は本当に過酷な場所です。サラも最初は一歩たりとも小屋から出られなかった。ローザに行けるようになるまで二年、本当に一歩ずつ歩く距離を伸ばして努力してきたのですよ、姉上」
「まあ。初めから丈夫というわけではなかったのね」
初めから丈夫だったのだが、二年間でものすごくたくましくなった、というのが正しいのだろうなと、サラはいまさらながら思った。一二歳でローザの町に行った時には、はかなげな美少女という枠にサラはもう当てはまらなくなっていたのだろう。
「でもね、私はやっぱり、女性は嫁いでこそ幸せという考えは変わらないの」
ラティがサラの手を離してくれたのでほっとする。
「私も見た目からか弱く見られがちだけれど、領主の妻という仕事は、華やかな見た目よりもずっと大変なのよ。それでも、誰かの妻であるということが、社会から私を守ってくれる。それはとても大事なことだと思うの」
「姉様、わかっています。これほどの大きい屋敷をうまく回していくのは大変なことだし、たくさんやってくる客をもてなすのにも、才能が必要でしょう」
ネリーは優しい目でラティを見ている。わかってはいるのだ、ラティの言うことが間違ってはいないと。
「ですが、私はハンターとして成功をおさめ、もはや社会から何を言われる立場でもありません。サラもそうです」
「まあ、でもね」
「姉様」
ネリーの静かな声は、それでも強い意思が込められていて、ラティを自然と黙らせた。
「今回姉様に会いに来たのは、ちゃんと成長して、もう面倒を見てもらわなくても大丈夫な私を見てもらうためです。そして、もう私の結婚の世話をしなくていいと断るつもりでした」
そのはっきりした拒絶に、ラティはどう返事をしていいか戸惑っているように見える。
ネリーは椅子から立ち上がると、両手を大きく広げた。
「姉様。私はもう寂しくなどありません。家族同然のサラやクリス、そして父様や兄様、それにかわいい弟子たちにも囲まれて、幸せです。さあ」
ラティは引き寄せられるように、ネリーを抱きしめ、そのラティをネリーはしっかりと抱きしめた。
「こんなに大きくなったのね」
「姉様がいつまでも認めようとしないだけですよ。もう、なんの心配もしなくていいんです」
サラはその様子を目に涙を浮かべて眺めていた。
ラティが結婚した時、まだあどけなさの残る妹を残してどんなに心配だったことだろう。
遠く離れて募った不安が、こうして解消されてよかったと思うしかない。
しかし、落ち着いたラティの発した質問に、サラの涙は乾いてしまった。
「ところで、クリスとはどうなのかしら?」