元気な体
「ねえ、聞いてもいい?」
サラは、かかわりたくないと思いながらも、つい声を掛けてしまった。
そしてやっぱり、ラティーファからきつい視線を投げかけられてしまい、げんなりする。
だが、一度は帰ろうとしたのに、自分の意思で踵を返して戻ってきてしまったのだ。納得するまでは引き下がるまい。
「女神さまは、元気な体をくれなかったの?」
すぐさま文句を言おうとしたラティーファだが、サラをかばうように前に出たネリーに圧倒されたのか口を閉ざしたままだ。女神のことを大っぴらに口にしていいのかとも思うが、ここには関係者しかいない。関係者とは違うかもと、ちらりとヒルズ兄弟の方を見ると、リアムは少し面白そうな顔をして、そしてノエルは真面目な顔をして成り行きを見守っているようだった。
「あの、元気な体をくれたと思うんです。息苦しくもないし、疲れにくいような気はします。でも、自分が思うほど体が動かないの。外を走り回れるくらい、ずっと起きていられるくらい丈夫になりたいのに」
「なるほど」
動きたいのに、ショックなことがあると涙が出たり貧血を起こしてしまったりするほど弱いと、そう言いたいのだろう。
いろいろ言いたいことはあるけど、サラは自分でちゃんと仕切り直すことにした。
「とりあえず、自己紹介からやり直すね。私は一ノ蔵更紗」
こちらの言葉だと呪文のように聞こえる名前を、なぜだかノエルが口の中で復唱している。
「サラって呼ばれてるし、そう呼んでほしい。あなたは?」
「私は、吉川杏子。こちらではアンと呼ばれています。日本でもそう呼ぶ人もいたから、アンでかまいません」
顔色は相変わらずよくないが、そのはっきりした話し方は好感が持てる。サラは改めて両手を差し出した。
「少し顔色を見せてくれる? 私も薬師のはしくれだから、体調を見ることはできると思うの」
「はい。お願いします」
サラはアンの手をそっと握ると、そのまま肌の張りや筋肉の付き方を確かめ、それから肩に手をやり、小さい顔を左右に傾けて顔色を見た。
いつもはそうやって誰かの様子を確かめるのは、毒や麻痺にやられていないか、見えない部分に怪我がないかを確かめるためだから、なんだか変な感じがする。だが、見たところそういった症状はないし、細身なこと以外、体には問題がないような気がした。
今度は動きを確かめてみよう。
「ちょっと私と一緒にそこらへんを歩いてみない?」
「はい」
サラは顔色を見ていた手を離すと、はいと手を差し出した。
「手をつないでゆっくり行こう」
「うん」
アンは今度は少し気の抜けた返事をして、サラの差し出した手を握った。
「アン……」
「姉様、サラは薬師です。任せてください」
ラティーファはネリーが止めてくれる。
一歩二歩とゆっくり歩くアンを見ていても、特に問題はなさそうに見える。
ただ、サラには弟妹はいなかったので、まるで妹と手をつないで歩いているみたいでちょっと楽しくて、思わずほんのりと笑みが浮かび、つないだ手を少し大きく振ってしまった。
どうしたのかという顔でアンがサラを見上げ、つられて笑顔になる。
「もうちょっと歩いてみる? 好きなように歩いてみていいよ」
「はい」
アンは少し大股になり、広いホールの中をゆったりと歩いた。
「大丈夫そう。階段はつらい?」
「息が切れちゃうけど、上れます」
アンの顔が、行ってみる? とキラキラしているので、サラは階段の方に案内してもらうことにした。行っていいとも許可を取っていないが、さっきからネリーがうまいことラティーファを止めてくれているので、そのまま階段を上り始める。
「はあ、はあ、ふう。私ったら、お年寄りみたいですよね」
「ちょっとそうかも」
「あはは、はあ」
階段は、踊り場から二階に向かって左右に分かれていて、まるでホテルのようだ。踊り場で一休み、そして二階まで上っただけなのに、アンはとても楽しそうだった。そして既に息切れしている。
「これだけで、部活で走った時みたいに息切れがするなんて」
二階から見下ろすと、心配そうな顔をしたこの屋敷の面々と、表情を変えずに見守っているハイドレンジア一行とヒルズ兄弟がこちらを見上げて様子をうかがっている。
「運動部だったんだ?」
「うん。ハンドボール。でも、高校に入ってから、急に体が弱り始めて、最後の半年はずっと入院してた。原因不明だから、結局ただベッドで寝るだけの生活だったの」
「そうだったんだ」
生まれてからずっと不調だったが、入院するほどでなかったサラと、元気だったのに、急に体が動かなくなったアンと、どちらがより不幸だろうかとサラはぼんやりと考えた。
「家族とは離れたくなかったけど、あのままだったら死んでたって女神様には言われました。生き直せるなら、こっちでいいと思ってたんだけど、思うように体が動かなくて」
アンは悔しそうに体の横でこぶしをきゅっと握った。
「女神様の言うことだって、本当かどうかわからない。だから、せめて小説のように、森の中に放り出されて、オオカミや盗賊に襲われるよりずっといいと思おうとしてた。だって、住む家も食べるものもあって、大事にされてるんだもの」
「ハハハ。うん、大事にされているみたいだね」
その通り、オオカミに襲われそうになったサラは、思わず乾いた笑いが出てしまった。
「でも、走れないの。中学生だったあの時みたいに、思いっきり飛んだり跳ねたりしたいのに、全然体が動かないの」
「それでうつうつしちゃったの?」
「そう。サラ、一五歳なんでしょ?」
突然、年齢の話になり、サラは戸惑った。
「うん。去年の秋に一五歳になったよ」
「そのくらいに見える。一番元気だった頃の私と同じ。諦めてたの。この世界じゃ、そんなに元気にはなれないんだって。穏やかに、ラティのように貴族の女性らしく暮らせたらそれでいいんだって。それなのに、私と同じ招かれ人が、私のなりたかった姿で現れたから、驚いてしまって」
「なりたかった姿」
サラは思わず自分の格好を確かめてみた。動きやすい服に薬師のローブ。旅の間日に焼けて少し濃くなった肌。可もなく不可もなく、普通の一五歳の女の子だと思う。貴族ではなく、庶民寄りの。
「普通だけどな。それで貧血になるくらい驚いちゃったの?」
「サラは普通と思ってるかもしれないけど、ラティに求められている普通じゃないの。生き生きとして、元気に日焼けして、いつでも走り出せそうな普通は、レディとしては失格なんだって。歴代の招かれ人は、皆貴族として幸せな結婚をしましたよって。私、本当はこんなか弱いキャラじゃなかったのに」
運動部に所属していたのなら、動かない体はさぞもどかしかっただろう。
サラは、アンの前にしゃがみこんだ。
「ねえ、正直に言っていい?」
「うん。でも何を?」
アンはサラが急に何を言い出したのか不安そうだ。
「あのね、今体と動きを見させてもらったんだけどね」
「私、まだ魔力が足りないのかな」
アンの目がまたうるうるとし出し、そんな自分に苛立ったように目を袖でごしごしとこすった。魔力が足りないから体が弱るのだという、女神の話はちゃんと聞いていたようだ。
階下でラティーファがやきもきしているのが見えるが、アンは気がついていない。
「泣きたくないのに、すぐに涙が出てくるこの体、もう嫌だ」
「大丈夫だよ、年齢と体調に引きずられているだけだから」
サラは慰めるようにぽんぽんと腕を叩いた。