嬉しかっただけ
「まあ、泣かないで」
その時、少女を守るかのように、ラティーファが少女を抱き込んでサラを見上げた。サラが思わず一歩、二歩と下がってしまったくらい、その視線には非難がこもっている。
サラは降参するように両手を上げて、さらに一歩下がって距離を取った。誰かに近距離で敵意を向けられるのは正直つらい。まして大事な人の家族ならなおさらだ。
「あー、すみません。意地悪なことを言ったつもりはなかったんですが」
「あなたはもうこちらに来てから五年もたったんでしょう。この子はまだ半年なのよ。もう少し思いやりというものを持ってもいいんじゃないかしら」
よほど腕の中の招かれ人のことをかわいがっているのだろう。まさにわが子を守る母親のような勢いだった。
サラはもう少しうまくやれなかったかと思いもしたが、同時にひどく胸が痛んだ。なぜここまでやってきた自分がたったこれだけのことで責められなければならないのだろう。
そんなサラの肩に、そっと誰かの手が置かれた。
「ネリー」
ネリーは優しく微笑むと、サラの肩に手を回したまま、ラティーファの方に強い視線を向けた。まるで睨んでいるかのように見えたほどだ。
「姉様。サラに謝罪してください」
「ネフェル……。どういうことかしら」
ラティーファは何を言って言うのかわからないというように首を傾げた。
「わからないのですか。姉様は年をとってずいぶん愚かになったのですね。がっかりしました」
「まあ!」
ラティーファも驚いただろうが、サラも驚いた。ネリーが誰かにこんな厳しい言い方をしたのを初めて聞いたからだ。
「サラは薬師で、毎日ハイドレンジアの薬師ギルドで真面目に働いています。その仕事を休んでまで、ここガーディニアに来たんですよ。その行動のどこに思いやりがないなどと言えるのですか。ここにきて五年と姉様は言いますが、サラはまだたったの一五歳です。それに」
ネリーがそんなに長く話しているのも珍しい。
「魔の山に来て半年、その頃のサラは、毎日私のいた管理小屋で家事をし、家を整え、薬草を採り魔法の訓練に励んでいましたよ」
「まほう」
小さな声でつぶやいたのは小さい招かれ人だ。どうやら涙は止まったらしいとサラはほっとする。
「それは、その子の場合はそうかもしれないけれど」
一方でラティーファは、腕の中の招かれ人をいっそう大切そうに抱き込んだ。まるで自分の招かれ人は特別だとでもいうかのように。
「姉様、もう一度言います。わざわざここまで来てくれた招かれ人のサラに、来てすぐに友好を深めようとしてくれたサラに、謝罪を」
自分のかわいい子を泣かせた人に謝りたくなどない、ラティーファのきゅっとすぼめられた口はそう物語っていた。
「そうですか。では私たちはこれで帰ります。姉様、久しぶりに元気なお顔を見られてよかったです」
ネリーは低い声でそう言うと、サラの向きをくるりと変えさせ、そのまま玄関の方に背中を押す。
「ネリー……」
「さあ、帰ろう。嫌な思いをさせて悪かったな」
「でも」
「では、私も帰るかな。流れの薬師は風の吹くままに」
すぐにクリスが肩を並べてくれる。そこは風じゃなくて、ネリーが吹くままにでしょと思わず突っ込みそうになり、あまりにもいつも通りの二人の態度にふわりと胸が軽くなる思いがした。
それで初めて、思った以上に自分が傷ついていたのだと自覚する。
来てすぐに帰るなんて失礼なことだけれど、自分の心を守るためにはそれも仕方がない。サラは顔を上げて前を見た。
「離して! 離してください!」
その時背後で聞こえたのは、招かれ人の少女の声だった。
「アン、落ち着いて」
あやすようなラティーファの声がする。
「私は大丈夫です。そして待って! お願い、サラサさん!」
更紗と久しぶりに呼びかけられたサラは、思わず足を止めた。
「ごめんなさい! 泣いてしまって本当にごめんなさい! 私、つらくて泣いたんじゃないの! 意地悪なんて何もされてない」
つらくて泣いたんじゃない? それではなぜ涙ぐんだのだろう。
サラは思わず振り返ろうとしたが、肩に回ったままだったネリーの手に、そうはさせないというように止められた。
「アン、あなた」
「ごめんなさい! 行かないで……」
ネリーに止められても、その一生懸命な声には答えるべきだとサラが踵を返そうとした瞬間、ふうっというラティーファのため息が聞こえた。
「イチノーク・ラサーラサ。せっかく足を運んでいただいたのに、失礼な態度をとって申し訳ありませんでしたわ。心からお詫びいたします」
サラがネリーを見上げると、ネリーがやっと頷いた。
サラはその場でくるっと振り返ると、
「謝罪を受け入れます」
と答えた。
招かれ人の少女は、青い顔でサラの方に歩きだそうとして、ラティーファに止められていたようだ。その体勢のまま、少女は必死に言葉をつむいだ。
「私、ただ、嬉しかったんです」
「嬉しかった?」
何が嬉しかったのだろうとサラは首を傾げた。
「ヨッシーって、友だちみたいに呼んでもらって。くだらないことで笑い転げる、そんな会話ができたから」
少女の目にまた涙がぷくりと盛り上がった。
「この世界でそんなノリで話せる人がいたことが、嬉しかったの」
「そっか、うん」
意地悪に感じたんじゃなくて本当によかったと、サラはほっとする。それでも、ラティーファの腕の中にいる限り少女にはちょっと近づきたくない。
「まったく、大事だからと囲い込むのは姉様の悪い癖ですよ」
「ネフェル……。でも」
「でもじゃありません。サラもそちらのアンズーとやらも、どちらも招かれ人なんですよ。大事にするのは二人ともであることを忘れないでください」
「あの」
少女はそんな会話をする二人に思い切ったように話しかけた。
「私が誤解させるような態度をとったからいけないんです。めそめそしてごめんなさい。更紗さんを呼んでくれてありがとうございます」
「アン。なんていい子なの」
「うちのサラももちろんいい子です」
むっとしたようなネリーを見上げ、ラティーファは目元を緩めた。
「まさかネフェルと子どものことで張り合うことになるとは思わなかったわ」
「張り合ってなどいません。サラがかわいくていい子なのは単なる事実です」
「まあ。ホホホ」
ラティは今度こそ声を出して笑うと、サラの方にきちんと体を向け、丁寧に頭を下げた。正面から向き合ってみると、ネリーよりはだいぶ背が低いが、サラよりは高いので、少しばかり見下ろされる感じになると気づく。
「失礼な態度を取って本当にごめんなさい。ネフェルの言う通り、あなたもまだ一五歳だということをちゃんとわかっていなかったみたい。来てくれて本当に感謝します」
今度の謝罪は心からのものだったので、サラもほっとする。
だが、ラティーファに笑顔を返すほど心を許すことはできないと感じた。
今の謝罪も、サラを尊重したように見えて、そうではない。怒っているネリーに配慮しただけだ。
彼女の招かれ人が何かのきっかけで、泣き出したり倒れたりすることがあれば、またサラのことを責めるような目で見る気がする。そんなのは一度だけで十分だ。
「さあ、アン。誤解が解けたのなら、一度部屋に戻って休んだらどうかしら。大きな声を出して疲れたでしょう」
「いいえ。私はここにいます」
「でもね……」
「ここにいたいんです」
サラは二人の会話に、聞いていた話と違うと思わざるをえなかった。
サラに来た手紙には、部屋からもめったに出ることもなく、窓の外を見てため息ばかりと書いてあったはずだ。部屋に戻ろうと言われて拒否しているこの子が、そんな子だろうか。