出発!
「まず一歩」書籍7巻は11月25日、
コミックス4巻は同じく11月14日に発売予定です。
翌朝、びくびくしながら薬師ギルド長室のドアを叩いたサラは、あっけなくお休みの許可が出てほっと胸をなでおろした。
「もう、サラったら、私のことをなんだと思っているのかしら。職員にお休みを取らせないほど極悪人じゃないわよ。今の時期は緊急の納品もないしね」
「はい、それはわかっています」
ハイドレンジアの薬師ギルド長のカレンは、この世界では珍しいことに女性であり、新しいことにも挑戦するし、職員の福利厚生もきちんと考えてくれる人だ。
ただし、その分薬師としての仕事には厳しい。おかげで、サラも薬師として順調に成長させてもらっていると実感している
。
「ただ、カレンなら、せっかく東部に行くんだからって、なにかついでに薬師としての仕事を押し付け、いえ依頼してくるかもしれないと思ったので」
危うく本音を漏らすところだった。
「あら、よくわかってるじゃない」
「あ、墓穴を掘ってしまった」
カレンがニヤリとしたのでサラはしまったと思ったが、カレンはそのまま肩をすくめるだけだった。
「とはいえ、薬師としては東部に期待することはあまりないのよね。あえて言うなら、余りまくってるはずなんだから薬草類の出荷を増やしてほしいんだけれど、そこは全然改善されないの。クリス様の師匠に当たる方が東部でギルド長になったと聞いた時は、それはもう期待したものだけれど」
そもそも東部へ行く主な理由はクサイロトビバッタの討伐に行くネリーに付いていくことだ。現地に魔物という問題は存在しているはずなのだが、東部という地方の印象が曖昧過ぎて、何を恐れ何を期待していいかさっぱりわからない状況である。そしてカレンの曖昧な物言いも、それを後押ししかしていない。
しかし、最後に聞こえた言葉はちょっと気になる。
「はあ。あれ? クリスのお師匠って、王都の現ギルド長なのでは?」
「どちらかというと、チェスターはクリス様のライバルね」
いくらクリスが優秀でも、教えてくれる人がいなかったわけがない。しかもネリーと同じ年なのだから、師匠と言っても、よく考えたらまだ現役で働いていて当然である。
「クリスのお師匠様ということは、私にとってもお師匠様。ちょっと緊張しますね」
「人格者だもの。大丈夫よ」
師匠が人格者でも、弟子が人格者になるとは限らない。そんなことを考えていたせいだろうか。
トントンガチャリと、ノックに答える間もなくギルド長室のドアが開き、サラは思わず飛び上がりそうになった。
「まあ、クリスさま、いえ、クリス」
失礼な侵入者のはずだが、カレンの声のトーンが好意で二段階ほど上がる。
「ああ、カレン、すまない。サラに用事があるんだが」
「どうぞどうぞ
サラの意思は関係なく、いきなり生贄に差し出された気分だ。とはいえ、クリスがわざわざここまで探しに来るのは珍しい。
「どうしました?」
「ああ」
クリスは誰も許可していないのに、客用の椅子がまるで自分専用の椅子であるかのように勝手に座ると、さっさと話し始めた。
「今回のクサイロトビバッタの依頼はハンターギルドに来たもので、薬師ギルドには何も来ていないのは知っているな」
「ええと、はい。今知りました」
サラは知らなかったので、カレンに確認してから返事をした。
「したがって今回私は、単なるネフの付き添いとしてガーディニアに向かう予定だ。だが、それはそれ。問題のある場所に行くというのに、薬師として何の準備もしないのは肌に合わぬ。特にこの数年の事象を考えるとな」
そう言われると、サラの知っているだけでも、ツノウサギの異常発生や、チャイロヌマドクガエルやニジイロアゲハの大発生、渡り竜の進路がずれたこと、タイリクリクガメの出現など、枚挙にいとまがないくらいだ。
だが、サラは気がついてしまった。
「でも、それって半分は騎士隊の失敗が原因でもあるんじゃないですか」
「その通りだ」
「否定できないわね」
どうやら共通認識だったようだ。
「だが、騎士隊は騒ぎの規模を大きくしただけで、魔物の発生にかかわっているわけではなかろう」
「それはそうでした」
騎士隊にうんざりしているとはいえ、原因まで押し付けるべきではない。
「だが、今回も騎士隊が入ってきたらどうなる?」
サラは、今までの騎士隊の行動を思い出して、彼らならどうするか考えてみた。
「渡り竜対策として、忌避薬と麻痺薬をうまく使うことに慣れてきているから、それをクサイロトビバッタに応用してみようとする?」
「その可能性は高いだろうな。もっとも、クサイロトビバッタの討伐に騎士隊が出ることはまずないから、取り越し苦労かもしれないのだが」
渋い顔をしたクリスは、取り越し苦労ではない可能性を強く考えているように見えた。
「サラとカレンと一緒に、騎士隊が来た時の起こりうる可能性を考えておきたいのだ。それを元に、出発までに少しでも対策ができればと思ってな」
「光栄です」
カレンが目をきらきらさせているが、サラも同じ気持ちだ。
優秀な薬師であり、師匠でもあるクリスが、サラを頼ってくれたということが、胸が震えるほどに嬉しかった。
「東部にはキーライが、あー、私の恩師がいる」
サラが知らないということを思い出したのだろう、簡潔にだが説明してくれた。
「だが、臨機応変かというとそうでもない。ハイドレンジアでできることはすべてやっておきたいと思ってな」
多少頭の固い人のようだが、クリスが恩師というくらいだから大丈夫だろう。
それでも、行く前にポンコツな騎士隊のやりそうなことを考えたほうがいい。
おそらくだが、さっきサラが自分で口にした通り、竜の忌避薬も、麻痺薬も使ってみようとするだろう。
「元いた世界の基準で考えると、バッタは昆虫という扱いで、身近なところだとニジイロアゲハと同じ仲間になります」
「蝶とバッタが同じくくりか。竜とリクガメが同じくくりなのと同じように、不思議なものだな」
サラとクリスの話を聞いていて、カレンが一つ提案を出してくれた。
「では、ハイドレンジアのダンジョンで主に草食の虫型の魔物に、麻痺薬と忌避薬が効くかどうか実験してみてはどうです?」
「採用する。特に麻痺薬が確実に効くとなれば有用だ」
さっそく一つ決定した。
「他に何かあるだろうか」
サラはハイと右手を上げた。
「あの、麻痺薬がどうとかいうより、虫を退治する薬のことなんですけど。虫を殺す毒は使いすぎると、すぐに耐性を持った個体が現れるんです。あー、つまり、毒薬が効きにくくなる個体です」
今まで何百年も魔物に使い続けてきて、いまさら耐性を持つ個体が現れることなどほぼないと思うけれど、サラの知識から引っ張り出せるのはこのくらいのものである。
「とすると、普通の麻痺薬だけではなく、強い麻痺薬が必要だな」
クリスは顔をしかめた。ネリーに麻痺薬を使われてから、サラも麻痺薬には抵抗があるし、それを目の前で見たクリスはましてそうだろう。
だがクリスのすごい点は、万が一同じことがあったらと仮定して、解麻痺薬の改良版を作り出したところだ。
「麻痺薬の強化版は、今の時期は渡り竜に備えて王都に集まっている。ハイドレンジアにも在庫はほとんどない。ましてや東部になど、あるわけがないか」
クリスが独り言のように考えを口に出す。
「本来なら麻痺薬も安易には使いたくはないのだが、騎士隊ならどうするかということだから、愚かしくても仕方がない。よし」
騎士隊を愚かしいとまで断言してしまう勇気はサラにはない。
「魔物に対する実験と並行して、強い麻痺薬と解麻痺薬の作成が必要だな」
意外とやるべきことは多い。
「薬の方は薬師ギルドに任せてください。次の渡り竜討伐のために、先に作っておいたと思えば別に問題ないでしょう。使わなかったら返してもらえればいいのです」
カレンの言葉に、サラは腕をまくり上げんばかりに張り切った。麻痺薬は最近作っていないから、勉強と称して作成に参加させてもらうつもりだ。
「では、その間に我らはダンジョンで実験だ」
立ち上がったクリスが、サラの肩をポンと叩いた。
「え、私も薬師として麻痺薬班に入りたいです」
「時間がない。今から出るぞ」
「カレン?」
クリスに背中を押されるサラは、救いを求めるようにカレンのほうを見たが、カレンは諦めなさいと言うように首を横に振るだけだった。
「ダンジョンはできれば行きたくないんですけど、あー!」
強引で人の話は聞かない、これぞクリスそのものではあるのだが、サラは未練がましく薬師ギルドを振り返った。
せっかく昨日、クリスのことを見直したのに。
だが、東部ガーディニアには、馬車で三週間かかる。しかも出発までは一週間しか時間がないので、実験は早い方がいい。サラはため息をついて、先を歩くクリスを走って追いかけた。
そして一週間なんてあっという間だ。
「そろそろ馬車に乗り込めよー」
見送りのザッカリーに促され、サラは素直に返事をした。
「はーい」
サラはライの馬車へ、アレンたちはハンター用の馬車へ。
東部まで三週間、楽しい旅の始まりである。
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