始まりはいつも手紙
更新再開です。
今回は11月25日の書籍7巻と14日コミック4巻発売に向けて、一気にいきます(予定)
カチャカチャとお鍋にスプーンの当たる音が響く。
「ふう。完成」
サラは最近の陽気で汗のにじむ額を袖でそっとぬぐいながら、ポーションの澱が沈んで透明な液体に変わるのを嬉しそうに眺めた。
「この瞬間は何度味わってもいいものですよね」
「そうねえ」
サラが最初にこのハイドレンジアの薬師ギルドにやってきた時、サラを試すようなことをした薬師たちも、もうとっくにサラの実力を認め、仲のいい同僚となっている。
「サラのおかげで薬草を採取する楽しみも知ったけれど、やっぱりなによりこうしてポーション類を作るのが面白いから、薬師を続けられるのよね」
あちこちのテーブルでポーションづくりに勤しんでいた薬師たちが、わかるよという顔で頷いた。
「サラもこの冬で、シロツキヨタケの扱いから竜の忌避薬の作り方まで覚えて、どこに出しても恥ずかしくない薬師として成長したし。言うこともいっぱしの薬師よね」
「いやいや、それほどでもありますけどね」
日本にいた時なら謙遜したかもしれないが、ここトリルガイアではそんな遠慮は必要ない。それでも、鼻を高くするサラを、めっ、と先輩が軽くにらんだ。
「調子に乗らないの」
そんなやり取りに笑い声が起こる。
これがローザの薬師ギルドだったら、こんなに和やかなやり取りはしないだろうなとサラは思う。あるいはカメリアや王都の薬師ギルドもそうだろう。
だが、王都の薬師ギルドにピリピリした雰囲気を感じるのはサラだけではないようだ。
「王都にモナとヘザーがいてくれて本当によかったと思うよ。もちろん、ノエルもだけどな。そういえば」
今年の冬王都に研修に行っていた薬師はサラのほうを意味ありげに見た。
「サラの婚約者って噂のリアムがさ」
「違いますからね」
去年はノエルが新しい婚約者候補だと主張してハイドレンジアに乗り込んできたくらいなのに、王都ではまだそんな古い噂が流れているとは心外だ。このギルドでは婚約者ではないということは知られているので、ちょっとからかわれただけなのはわかっているが、反射的に否定の言葉が出てきてしまうサラである。
「騎士隊の副隊長になってたのは驚いたけどな」
「それは驚きましたよね」
だがサラの驚きと、先輩薬師の言っている驚きはたぶん種類が違う。先輩薬師は、あんなに若いのに副隊長になったということに驚いているのだと思われる。だが、サラは、渡り竜討伐もタイリクリクガメ討伐の時も、たいした仕事をしていないのに失脚もせず副隊長になったということに驚いている。
「宰相家の力はやっぱり強いってことですかね」
「それもあると思うが、他に実力のある人がいないせい、ゴホンゴホン」
サラに答えようとした先輩薬師は、なぜだかいきなり咳きこむと左右をうかがった。
安心してほしい。
ここには薬師しかいない。
どうやら騎士隊は、人材不足により、リアムが副隊長に繰り上がったということのようだ。
「サラ! ただいま!」
「よーう、サラ」
ノックもせず、扉をバンと開けて現われたのはアレンとクンツである。そんな無礼が許されているのは、ハンターらしからぬ気遣いによる。すかさず収納ポーチから、誰も取ってきたがらないシロツキヨタケを出して、薬師の皆さんの心証をよくすることを忘れない。二人はハイドレンジアどころか、トリルガイアでも新進気鋭の若手ハンターの二人組だ。
「アレン! クンツも、おかえりなさい」
そしてサラの親友でもあり、時間が許す限りは薬師ギルドまで迎えに来て、お世話になっているライの屋敷まで送り届けてくれる。迎えに来ない時はといえば、遅くまで、あるいは泊まりがけでダンジョンに潜っているのがわかっているので、心の中でお疲れさまと思いつつ、のんびり一人で帰宅する。
サラは招かれ人で、結界という自分を守る魔法を身に着けているから、防御という点では、おそらくこの国の誰よりも強い。だから本当は護衛のような人は必要ないのだが、仲のいい友だちと一緒におしゃべりをしながら歩くという時間はかけがえのないものになっている。
「ハンターギルドでクリスを見かけたけど、王都からやっと帰ってきたんだね」
いつものようにクンツが話の口火を切ってくれる。
「そうなの。一緒に行った薬師の先輩も帰って来たばかりだけど、クリスも帰ってきてすぐにネリーに張り付いていたから、一緒にダンジョン通いだと思う」
「思うってなんだよ」
アレンが笑うが、ライの家の客人とはいえ、クリスがどうしているかなどサラが知るはずもない。
「だってクリスだよ? 相変わらずネリーにしか興味がないから、ネリーの予定を知っていれば、そこにクリスもいるだろうと予想するしかないでしょ」
「確かにハンターギルドでも俺たちに気づいた様子はなかったな」
おそらくトリルガイアで一番優秀な薬師であるクリスは、ことネリーのことになると大変ポンコツなのである。
「薬師ギルド長になったのも、ネリーのそばにいるのにそれが都合がいいからって聞いたよ」
「だけど優秀だからあっちこっちから引っ張りだこで、結局、ネリーのそばにはいられないことも多いよな。そう思えば」
サラたち三人は顔を見合わせて頷いた。
「ネリーに引っ付いていても仕方ないよな」
「ネリーしか見えていなくてもな」
散々な評価にサラは思わず噴き出した。それでも、同じ薬師として、そして一緒に旅をしてきた仲間として、クリスの優秀さは身にしみてわかっている。
「それにしても、あの二人、いつくっつくんだろうな」
クンツの一言は余計なお世話だが、ハイドレンジアの誰もが思っていることでもある。
「ネリーは現状で十分幸せそうだから、なにかがない限りこのままだろうと思うよ」
「もどかしいけどな。俺なら、好きな人を、誰かにかっさわれそうな立場に置いておくのは嫌だな」
サラは思わずクンツを見上げてしまった。
「それって、誰かがネリーのこと、その……、好き、とか?」
「俺も気になる。気がつかなかった」
サラと同様にアレンも驚いているようだ。
「なんでお前らはそう鈍感なんだよ。もちろん、表立ってそんな気持ちを外に出している奴は見たことないさ。けど、ネリーはハイドレンジアのギルドでは人気者なんだぜ。独身のハンターなんていくらでもいる。何かのきっかけで、好意が恋愛に切り替わることなんでいくらでもあるだろ」
「そ、そうなんだ……」
「お、おう……」
クンツが大人に見えた瞬間である。
確かにネリーは、とても40歳を過ぎているとは思えないほど若々しいし、そもそもが美しい人だ。ローザでは強さばかり目立っていたが、ここハイドレンジアでは、ハンターとしての強さの他にも、素朴で意外と世話好きな人柄や容姿も当然のように好ましいと評価されている。
「それで、うわっ!」
クンツにもう少しその話を聞こうと思ったサラは、後ろから肩を叩かれて思わず体が跳ねてしまった。もちろん、バリアがあるからバリア越しに叩かれたことが伝わっただけだが。
「ハハハ。ずっと後ろから付いてきていたのに、気がつかないとはな。気鋭の若手ハンター三人組としてどうなんだ?」
サラの背後で、いたずらが成功して喜んでいるネリーをかわいいとは思うが、これだけは言っておかなければならない。
「私をハンターに入れないでね?」
「ハハハ」
笑ってごまかすネリーもかわいくて、思わず仕方がないなという笑顔を向けてしまう。
「アレンとクンツも、私たちに声を掛ければよかったのに。ハンターギルドで見かけたぞ」
こっちは影のようにネリーに引っ付いているクリスである。
「気がついてたんですが? 俺たちのことなんて目に入ってもいないようだったから」
「もちろん、気がついていた。ネフに危険なことがないよう、つねに視野は広くしているからな」
表情も変えずに残念なことを言うクリスに、クンツは苦笑いを向ける。
「クリスのほうから声を掛けてくれてもいいんですよ。いえ、俺が間違ってました」
クンツは真顔で言い直した。
「ネリーのそばから離れたくなかったんですよね、うん」
自分に言い聞かせるように頷いているクンツは、自分の常識でクリスに提案しても意味がないことを思い出したのだろう。
「今度から遠慮せずに声を掛けることにします」
クリスはクンツの言葉に満足そうに頷いた。
「それでいい」
一年前のタイリクリクガメの騒動で行動を共にしていたクンツは、案外クリスと仲がいい。今でもつい反発してしまうサラより、よほど上手にクリスをあしらっている気がする。
楽しい気持ちで帰宅すると、ライが渋い顔で待っていた。
その手には手紙があり、隣にはネリーの兄のセディアスが立っている。
ライはハイドレンジアの領主で、セディアスはこのあたりのギルドをまとめている総ギルド長であり、いずれ領主を継ぐことになる人だ。
そして、ライに来た手紙にいいことがあったためしがない。サラは嫌な予感がした。
「ただいま帰りました。ところでお父様。これ見よがしに手紙を持っているのは、つまりそれがなにか聞いてほしいからですよね?」
ローザにいる頃のネリーはこんなにしゃべらなかったのにと思うと、サラはちょっと感慨深い。
サラにでさえ、どこか遠慮があって、距離を感じていた。だからさっきみたいにサラをからかうようになったり、父親に対してこうして軽口を叩けるようになったりしたのは、すごい進歩だと思うのだ。
「うむ。最初に言うが、いい知らせではある。面倒でもあるが」
隣でセディが頷いているから、いい知らせに間違いはないのだろうと、サラはほっと力を抜いた。面倒なことの方は、言われてから考えればいい。
「ラティから、いやラティーファから、連絡があってな」
「姉様からですか。それは珍しい」
その会話を聞いてサラは愕然とする。
姉様。
ネリーに姉がいたとは知らなかった。
しかし呆然としながらも、サラは急いで自分の記憶をたどってみた。いくらネリーが無口でも、自分の家族のことはいくら何でも話してくれていたはずだからだ。
そして思い出した。
「兄二人と、姉一人」
たしかそう言っていたはずだ。つまり、姉どころか、セディの他にもう一人兄がいて、サラはそのどちらも知らなかったことになる。
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