オオカミはいらないから
そのタイリクリクガメを追っていった三人が戻ってきたのはそれから一週間後だった。
その間アレンとクンツはといえば、ハルトと一緒に喜々としてダンジョンに潜っていたし、サラはといえば、
「ポーション三つですね」
と、なぜかギルドの売り子をやらされているのである。
「おかしいよね、私薬師なんだけど。ノエルだって薬師ギルドにいるのに、なんで私はハンターギルドの売店で売り子をしているんだろ。まあ、ジャガイモは剥かずにすんでいるけれども」
ぶつぶつ言いながらも、手早く品物をさばいていく。タイリクリクガメの騒動と魔の山の魔物が東の草原に出てきた一件により、ハンターたちはローザのダンジョンに十分に潜れていなかったので、ハンターギルドは今とても賑わっている。
「仕方ねえだろ、万年人手不足なんだからさあ」
ヴィンスが無精ひげをざらりと撫でながらぼやいているが、ぼやきたいのはサラの方である。
「それに、正直あそこの薬師ギルドには行きたくねえだろ」
「それは、まあ」
今はテッドとは和解したから、テッド自身についてはなんとも思わなくなったが、ローザの薬師ギルドには、当時テッドが理不尽なことをしても、誰も助けてくれなかったという記憶が残っていてなんとなく行きたくない。ヴィンスはそれをわかってくれていたようだ。
「クリスにとっては古巣だし、ノエルとやらもなんのわだかまりもなさそうだけど、お前はいろいろあったからな。そうそう、あいつリアムの弟なんだって? そっくりで笑うよな」
そんなふうに楽しく過ごしていたら、ギルドの入口からざわざわした気配がした。
「おう、ジェイ。お疲れさん」
魔の山に行って一週間も帰ってこないギルド長を迎えるには軽い調子でヴィンスが片手を上げる。ということは当然ネリーもいるはずだ。サラは期待を込めて入口に振り向こうとした。
「サラ!」
「ぎえ」
だが振り向く前にぎゅっとネリーに抱きこまれてしまった。
「もう、ネリーったら。私もう一五歳なんだよ。子どもじゃないんだから」
「サラ、顔がだらしねえぞ。ニヤニヤしやがって」
ヴィンスが余計なことを言っているが、お互いタイリクリクガメ絡みで仕事があって、一週間どころではなく離れ離れで過ごしていたのだ。顔がにやけてしまうのは仕方がないと思うサラである。
「サラ、聞いてくれ」
珍しくネリーが渋い顔をしている。
「どうしたの?」
「あいつらが、サラの弁当を食べつくしてしまったんだ」
「へ?」
サラは予想もしなかったことを言われてぽかんと口を開けた。
「しょうがねえだろ? 余分に一週間も仕事をするとは思わねえだろうが。なにか? 俺に魔の山の魔物の肉だけを食ってろって言うのかよ」
サラは気まずそうなギルド長の言葉にもぽかんと口を開けた。
「いえ、あの。普通収納ポーチには、少なくとも一ヶ月分の食料は入ってますよね。ネリーだってそうだし」
ギルド長が腕を組んでわかっていないなという顔をしたので、サラはちょっとイラっとした。
「ハンターなら、収納袋にそんな隙間があったら魔物を入れて帰るものだ」
「どこかで聞いたことあるな」
ネリーが最初の頃そうだった気がする。だがネリーは心外だという顔だ。
「私だって普段は大切なサラの弁当をちゃんと持ってる。だが、ハイドレンジアからこっち、サラとはすれ違いばかりで」
「そういえば全然補給できてなかったよね!」
サラは気が付かなかった自分を反省した。
「それなのに、ジェイもブラッドリーも遠慮なく食べるし、うまいからってお代わりまでするし」
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
ブラッドリーも気まずそうに横を向く。
「よしよし」
サラはネリーの頭を撫でてあげた。
「私がまだ三か月分持ってるから。後でちゃんと戻してあげる」
「ほんとか!」
途端にニコニコしたネリーだが、気が付くとギルドの中は静まり返っていた。
「赤の女神って、あんな奴だったんだ……」
「意外だ……」
「おれ、ちょっとかわいいって思った……」
あちこちでネリーをちらちら見ながらぼそぼそとささやく声がする。
そうだ、ネリーはかわいくてかわいい人なのだ。
サラはふんと胸を張った。
「いや問題は弁当じゃなくてさ」
ヴィンスが話を本題に引き戻してくれた。
「タイリクリクガメがどうなったかなんだよ」
こんなところではなんだからと、薬師ギルドにも使いを出して、クリスとノエルも呼び出すことにした。集まったのは懐かしのギルド長室だ。なぜかテッドもいる。
「タイリクリクガメだがな」
ギルド長が椅子にそっくりかえって偉そうに話し始めた。
「谷間の淵に消えた」
「消えただあ?」
あまりにも簡潔な説明に、ヴィンスの突っ込みが鋭い。
「サラなら場所は知っているはずだ。ゴールデントラウトをよく獲りに行った、あの」
「あそこね!」
上流からの水がたまった、いかにも主がいそうな大きな淵だ。
「でも、正直タイリクリクガメが入れるほど大きくも深くもない気がしたんだけど」
「それがすっぽり入っていなくなってしまったんだ」
ネリーはそう言うと、収納ポーチからゴールデントラウトをぽいぽいっとテーブルに出した。
「カメに追いやられたのか、ゴールデントラウトが飛び出てきて獲り放題だったが。サラが喜ぶと思って持ってきた」
「ありがとう! 嬉しい」
「そこ、俺のテーブルね。魚臭くなっちゃうじゃん」
「おいネフェルタリ、何匹なら売る気がある?」
ギルド長がぶつぶつ言っているが、ヴィンスはかまわずネリーと買取の交渉をしている。
「おっとそんな場合じゃなかった。じゃあ、消滅場所までわかって、万々歳ってとこか?」
詳しい話はあとで聞きとって報告書にするということで、ノエルがその場に同席させてくださいと目を輝かせていたのが微笑ましかった。
「じゃあ、とりあえず解散だな。お、ネフェルタリ。まだ何か出すものがあるのか?」
ヴィンスの言葉に私もネリーの手元を思わず見てしまった。
食べ物ならまずサラに渡すはずだから、そうではない何かである。
「クリス。これ」
「ギンリュウセンソウ! やはり魔の山にはあったか!」
「ああ。魔の山にいた時、見かけたような気はしていたんだが自信がなくてな」
クリスは大事そうにギンリュウセンソウの束を受け取ると、そのままテッドに手渡す。
「これがギンリュウセンソウですか。竜の忌避薬の」
「そうだ。魔の山にあるということは、魔物の分布が似ているローザのダンジョンにもある可能性が高い」
「わかりました。ハンターに依頼を出して、ローザでもギンリュウセンソウを集められるようにしておきます」
師匠のクリスにただ甘えていただけのテッドが、成長したものだとサラは温かい目で見守った。
「いずれローザからも、竜の忌避薬を学ぶ薬師をハイドレンジアに派遣してくれ」
「え、それって俺でも……」
「力のある薬師なら誰でもかまわない」
無表情で言い切るクリスだが、サラと同じように、テッドの成長に考えるものがあったのだろう。
その様子をサラと同じように見守っていたネリーが、うーんと伸びをした。
「では、報告書をまとめたら、私たちはハイドレンジアに帰るか」
「うん!」
元気よく返事をするサラを見て、ヴィンスがあーあと椅子に寄りかかった。
「帰る、か。ハイドレンジアがお前の家になっちまったんだな」
「ああ。私も今はお前と同じ副ギルド長だからな」
「そうだった。俺もこうしちゃいられねえか?」
「俺を狙うなよ? ギルド長は譲らないからな」
笑い声のあふれるギルド長室で、サラはゴールデントラウトを眺めながら、魔の山の日々を思う。
「本当は、管理小屋まで行ってみたかったけれど」
きっと今でも、高山オオカミたちが日なたでのんびり寝そべり、隙あらば管理小屋の住人を食べようとしているのだろう。
「でも、ちょっとだけ会えたからいいや」
高山オオカミは、思い出の中だけでいい。
サラはそっとつぶやいた。
「オオカミは、いらないもの」
これにて「タイリクリクガメ編」終了です。
また書きためるまで更新お休みになります。
そして本日4月25日、書籍6巻発売です!
これからのカヤの予定ですが、5月半ばくらいから新作投稿予定です。今度は私には珍しい異世界恋愛ものなので、お楽しみに!
「転生幼女」は現在執筆中です。程よきところで更新再開しますね!