魔物使い(じゃない)
サラはいつの間にか降りてきていたハルトやブラッドリー、そしてネリーやアレンと共に、タイリクリクガメを追いかけて東の草原を駆けた。
「わあ、遠くにワタヒツジの群れがいる!」
「俺たちが巻き込まれた時よりだいぶ小さい群れだな」
ネリーを追いかけて歩き通した時、アレンを助けようと夜を駆けた時、東の草原はサラにとっては敵だった。だが今は違う。
ツノウサギは変わらず攻撃を仕掛けてくるが、もうサラが怯えることはない。
魔の山からは果てしなく遠いと思ったローザまでの道のりも、今となってはあっという間に駆け通すことができる。
いつの間にか、タイリクリクガメの前には、魔の山が高くそびえていた。
「ガウッ」
「ガウッ」
「高山オオカミ?」
サラがはっと地面に視線を落とすと、そこには高山オオカミと戦うハンターたちがいた。
タイリクリクガメを見て驚いているが、それでもゆったりと鑑賞している暇などまるでない。
「クンツ!」
アレンが大きな声で呼びかけると、疲れて情けない顔をしたクンツが振り返った。
「アレン!」
「クンツ! よそ見をするな!」
「はいい!」
ほっとしたようにアレンを呼ぶクンツを、ギルド長が叱りつけている。
そのギルド長の顔が珍しく厳しい。
それもそのはず、魔の山でもめったに見なかったほどたくさんの高山オオカミが群れになってハンターたちに襲い掛かっているのだ。疲れ果てたハンターの中には、街道の結界の中で座り込んでいる者さえいる。強者揃いのローザのハンターにしては珍しいことだ。
久しぶりに見る高山オオカミは、管理小屋の周りで見た穏やかな姿など嘘のように荒々しい。それでも、サラにとってはペットのようなものだ。
「どうせタイリクリクガメのところではバリアは消えてしまうけど、それ以外ではちゃんと有効なはず。魔の山仕込みのバリア、ここで生かさなくてどうする、だね」
サラは決意すると立ち止まった。
「皆さん、引いてください! 私がオオカミを囲い込みます!」
ハンターたちからは、あれは誰だという気配がするが、ギルド長はさっと片手を上げた。
「街道まで、全員撤退!」
ハンターたちとは逆にサラは前に歩き始める。
自分にかけたバリアはそのままに、追い込み漁のようにバリアをぱあっと広げた。
その広げたバリアをハンターたちが通り抜けていく。
「でも、オオカミはだめ。こっちの側には、オオカミはいらない」
「ガウッ!」
「キャウン」
ハンターたちを追いかけていたオオカミたちが、次々とサラのバリアにぶつかっては弾かれていく。
サラはタイリクリクガメの後を追うように歩き、オオカミたちはバリアに追い立てられるようにタイリクリクガメと並走する。
その姿はまるでタイリクリクガメを守る騎士のようにも見える。そしてそれを追うサラこそが、タイリクリクガメと高山オオカミを魔の山に追い込んでいるように見えた。
「あれが、伝説の……」
「ああ。魔物使い……」
「違うから」
余計な感想を言っているハンターたちにサラの反論は聞こえただろうか。
ずっと止まることなく歩き続けていたタイリクリクガメは、やがて魔の山の入口で静かに止まると、パカリと口を開いた。
「ピュイ! ピュイ!」
「かわいすぎ! そんな声なの?」
タイリクリクガメは、大きく二回鳴き声を上げると、静かに魔の山に一歩を踏み入れた。
ズシン。
二歩、三歩。
ズシン、ズシン、と。
まるで魔の山の入口には結界などないかのように歩き去っていく。
腕を組んでその様子を見守っていたギルド長が口を開いた。
「ヴィンス。後始末は頼んだぞ」
「ジェイ。どうするんだ」
「見届ける。しばらく帰らないかもしれない」
「わかった。後は任せろ」
どうやらギルド長が後を追うようだ。
「私も行く。魔の山には詳しいからな」
「ネフェルタリ。正直助かる」
「僕も行きます」
とつぜん響いた少年の声に全員が振り向いた。
ノエルだ。
だが、ネリーは首を横に振った。
「騎士隊ですらたどりつけない魔境だ。お前の役割はここまで。よくついてきた」
ノエルは高山オオカミの群れを見てうなだれた。さっきハンターに襲いかかっていたのを思い出して、自分にはとても無理だと思ったのだろう。素直に頷いた。
「はい……」
「私も見届けよう。魔の山の現管理人は私だからな」
ブラッドリーも手を上げる。
こうしてジェイ、ネリー、ブラッドリーの三人は、タイリクリクガメを追って魔の山に消えていった。
「キューン」
「キューン」
感傷に浸る間もなく、高山オオカミたちの情けない声がする。
魔の山に帰りたいのに、まるでサラのバリアのように、入口の結界に弾かれているのだ。
「なんだと。もう魔の山の入口の結界が復活したってのか。いや、そりゃありがたいけどよ」
ヴィンスが頭をガシガシとかいている。
「じゃあ、魔物使いのお嬢ちゃんが抑えてくれてる間に、俺たちがやっつけますかね」
休んでいたハンターたちが次々と立ち上がった。
「待って。待ってください。あと魔物使いじゃありませんから」
サラとて、魔物は倒すべきものだとわかってはいる。だが、魔の山の入口の結界があいまいになったせいで、ふらりと迷い出てきてしまった高山オオカミを倒すのは忍びないと思ってしまったのだ。決してペットだからとかかわいがっていたからとかではない。
「私が、オオカミたちを魔の山に連れて行きます」
ダンジョンの入口の結界は魔物を弾く。だが、魔物がサラのバリアに守られていたらどうだろうか。
「さあ、行くよ」
「ガウッ」
「ガウッ」
オオカミたちは、サラのやりたいことがわかったのか、おとなしくついてくる。もっとも、サラのバリアに追い立てられているだけかもしれなかった。
サラは魔の山の入口で立ち止まった。本当にサラのバリアが効くかどうかは、やってみなければわからない。
サラが一歩進むと、サラのバリアも動く。
後ろも振り返らずに、のしのしといつか来た道を上っていく。振り返ると、サラの後ろには、数十頭の高山オオカミが付き従っているかのように見えた。
「ガウッ」
「違うよね、本当は食べたいと思っているんだよね」
サラはオオカミの開いた口とよだれを見ながらひとり呟く。そしてそっとオオカミを閉じ込めていたバリアをほどいた。
「さ、魔の山へおかえり」
「ガウ?」
「ガウ?」
一頭がサラを大回りして追い越すと、もう自由だと気が付いたのか、オオカミたちは次々と魔の山に駆け上っていった。最後の一頭がサラの横を通り過ぎていくと、サラは大きく息を吐いた。
「今と逆のことをすれば、ダンジョンから生きた魔物を連れ出せるわけね。ほんと万能だわ、私のバリア」
オオカミたちを山に返したことにほっとしたサラは、とてとてと山を下り、皆の元へと戻った。
「無事送り届けてきました」
報告するサラに、ヴィンスが山を見ろと指さした。
「え?」
振り返るとそこには、先ほど山の上に駆け上っていったはずのオオカミたちが勢ぞろいしていた。ただし、入口の結界のところにとどまっている。
「ガウー」
「ガウー」
「ウー」
「ガウッ」
まるでサラに挨拶するかのように、高山オオカミの遠吠えが響き渡る。
「ガウ」
「ガウ」
そうしてオオカミは一頭また一頭と山へ帰っていくのだった。
「やっぱり魔物使い」
「違うから」
こうして、ハイドレンジアから始まったタイリクリクガメの騒動は幕を閉じたのだった。
『まず一歩』6巻4月25日発売です。
書影を活動報告に上げてありますので、ぜひどうぞ!