後ろは後ろに
次の日からは、急いで壁を作っては壊す訓練をしたり、ハルトと一緒に東の草原で、相変わらず増えすぎたツノウサギ狩りをしたりした。狩りの苦手なサラは、ハルトの見学に行っただけなのだが、草原にちんまりと座っているサラは狩りやすい獲物に見えたようで、何もせずともサラの周りにはツノウサギが山盛りになったというわけである。
ハイドレンジアから王都への怒涛の日々に比べると、まるでタイリクリクガメのことなどないような気がするほど平穏だったが、そんな訳はなく、その知らせはやってきた。
「タイリクリクガメ! 明日の昼前にはローザに到達しそうです!」
伝令の言葉に、ローザには一気に緊張が走った。
「よし、朝日と共に屋台村とテント泊の奴らは移動だ」
ローザでハンターをしているものは、どんなに新人でも基本的には収納ポーチは持っているので、荷物が軽く移動は速い。それは町の人も同じことで、収納袋や収納ポーチにあらかじめ家財を詰め込んで、第二層、三層の東側の住民は第一層に、第三層の町の外側の住民は、壁の西側の結界の中に移動だ。
粛々と移動が進み、準備が終わったところで、関係者は第三層の門の上に集まっている。
もっとも、それを眺めているサラは、新しく作った物見台の上に、ハルトとブラッドリーと、それからなぜかヴィンスと一緒にタイリクリクガメを待っているところだ。
「作戦を立てた俺がここにいなくてどうするよ」
ふんぞり返っているが、そもそもが優秀な魔術師なので、ここにいても大丈夫だろう。
「見えた! タイリクリクガメだ」
一番目のいいハルトが王都方面に目を凝らす。
「やっぱり若いもんは目がいいねえ。俺なんてさっぱりだよ。おい、待て」
ヴィンスが両手で手すりをがっちりとつかんだ。
サラにも見えるようになってきたその姿と共に、ドスンドスンという振動も強くなっていく。
「嘘だろ。あんなでっかいもの、こんな壁くらいじゃ、無理だろ」
手すりから乗り出して食い入るようにタイリクリクガメを眺めているヴィンスの弱気な言葉に、ブラッドリーがかすかに頷いた。
「私も最初そう思った。だがそう思ったのは私だけで、ハルトもサラも、一瞬も迷わずに新しい壁を作りに走り出した」
確かにあの時ブラッドリーは多少混乱していたような気はする。だが、あの時のサラは何も考えておらず、勝手に体が動いたに過ぎない。
「そんな経験をしている私だからわかる。この壁だけでもなんとかなるはずだ。だが、本当になんとかなるのか、タイリクリクガメの進路を計算して、どうするか指示を出すのかはヴィンス、あなたの役割だ」
ヴィンスは白くなるほどきつく手すりを握り締めていた手を開くと、体の横にだらんとたらし、コキコキと肩を鳴らした。
「おっと、ローザのハンターギルドの副ギルド長の俺としたことが、まいったな」
そうして力の抜けたヴィンスは、いつものちょっとゆるくて不敵な笑みを浮かべた。
「方角は、予想通り。このまま進めば、三枚目の壁に直撃し、二番目、三番目で、確実にローザから進路がそれるはず」
王都の様子から言って、確かにそうなりそうだ。
「だから、ハルト、サラ。あんたらは、中央門の上に立って、どうしようもなかった時の、最後の壁になってくれないか」
王都の時は、三つの壁にたどり着く前に何とか方向を変えなければならなかった。
だが、今度は三つの壁が役に立たなかった時の最後の砦だ。
「よっしゃ、さっそく訓練が生きそうだぜ」
「うん。行こう!」
ハルトとサラは、物見台から滑り降りると、そのまま中央門に走っていった。
「めんどくせえな。サラ、行くぞ」
「え? ぎゃあ!」
ハルトはサラの腰を抱えると、一気に中央門の上に跳ねた。ネリーにやられたのと合わせて今回で二回目になる。
「階段でも間に合うでしょうが!」
「ごめん、でもあれを見ろ」
サラにしては大きな声で怒ったと思うが、ハルトはもう別のほうを見ていた。
「アレってタイリクリクガメでしょって、ええ、あれなに?」
サラは驚きと恐怖で一瞬体がこわばったが、すぐに肩を落とす。
「あいつら、手を振ってるけど」
「ソウダネ。ええい!」
サラも思い切り手を振り返した。気が付いてもらえたのが嬉しかったのか、タイリクリクガメの上に立っているネリーとアレンの手の振りも大きくなった。
「確かに、二人とも何度かタイリクリクガメの甲羅には乗ったことがあるのは知っている。というか、私もハイドレンジアで一回乗ったことがあるけどさ」
「乗ったことがあるのか! すげえな」
「前足を経由して二段階で跳ねるんだよ」
ハルトの尊敬の目が今は嬉しくない。
「並んで走っているうちに、タイリクリクガメに乗れば楽じゃないかって、気がついちゃったんだろうな、きっと」
「そうだな」
壁が崩れ去るかもしれないという脅威に厳重な警戒態勢に入っていたローザだったが、その警戒の最前線である中央門の上には、何とも言えない微妙な空気が漂っていた。
「だからってあのまま壁にぶつかるのは……って、飛び降りやがった!」
「そうだよ、ネリーたちに気を取られてたけど、壁を作る準備を始めないと」
サラは、最後の壁のすぐ手前にもう一枚壁を作るイメージを練る。
ドウン。
「一枚目!」
バラバラと壁の上半分が崩れ飛ぶ。
ドウン。
「二枚目だ!」
一枚目の壁で少し勢いの落ちたタイリクリクガメだが、それでも二枚目も半壊した。
「そして三枚目」
ドン。
今までより鈍い音が響き、壁が大きく揺れたが、形はそのまま残っている。
「コースは!」
「それた! それてるよ!」
タイリクリクガメは、ローザの方には一瞥もくれず、第三層の壁すれすれを通って東の草原の方に抜けていった。
「終わったの?」
今回は何もせずに済んだサラは、ほっと胸を撫でおろした。
「いいや。もう少しだ。魔の山に入るまでは、見守らないとな」
「ネリー!」
先ほどまでタイリクリクガメの上にいたネリーとアレンが、当たり前のようにサラの隣にいた。タイリクリクガメに気を取られている隙に上がって来たに違いない。
「サラ!」
呼び声に下を向くと、馬車からノエルが転がるように降りてきていた。その後にゆっくりとクリスが続く。
「クリス様!」
こちらから叫んでいるのはテッドである。
「再会は後にしてくれ! コースはそれたが、ギリギリだ! 後を追うぞ!」
物見台から降りてきたヴィンスが大きく叫び、タイリクリクガメの後を追う。
「それじゃあ、もう少し頑張るか」
まったく疲れた様子がないネリーは、大きく伸びをしたと思ったらサラの腰に手を回した。
「まさか」
「そーれっ」
どうして誰も彼もサラを運びたがるのか。別に階段を駆け上がったり駆け下りたりしてもたいして時間は変わらないと思うのだ。
そんなサラの後ろから悲鳴が上がった。
「うわーっ! 何をする!」
「早くクリスに会いたいんだろ?」
笑みを含んだ声はアレンのものだ。
地面に着いてから急いで振り返ると、サラはぽかんと口を開けてしまった。息も絶え絶えなテッドの腰をアレンが支えている。どうやらテッドを抱えて門の上から飛び降りたらしい。
「ハハハ。お前の慌てた声、気分がすっきりするな」
「ちくしょう。アレンお前、俺より大きいじゃねえか!」
運ばれたことより、そっちの方がテッドは悔しいらしい。
「テッド」
「は、はい。クリス様!」
テッドに呼び掛けたクリスは、今のことがまるでなかったかのような顔だ。だがテッドの返事にかすかに眉をひそめた。
「もう私はギルド長ではない。クリスと呼べと、また言わなければならないのか」
「すみません。クリスさ、クリス」
「それでいい。さあ、タイリクリクガメを追いながら近況を聞く。馬車に乗れ」
「近況? お、俺のですか?」
今度はクリスははっきりと眉をひそめた。
「ローザのだ。次期町長なのだろう」
「は、はい!」
後ろは後ろで任せればいい。
今日、23日、25日に更新です!