懐かしいローザ
サラとアレン、それにハルトは、クリスたちの乗った馬車に一緒に乗せてもらい、王都の北に出た。よほどの非常事態でない限り、人の多い町中を身体強化で走り抜けるわけにはいかないからだ。
「すぐに追いつきますからね!」
「ネフに事情を伝えておいてくれ」
手を振るノエルとネリーのことしか考えていないクリスに見送られながら、三人は軽快に走り出した。ローザからの旅では西のカメリアに移動したので、王都からローザに向かうこの街道は初めて通る。タイリクリクガメを警戒したのか、街道を通る人も馬車もほとんどいない。
ハルトはアレンとは、ローザでパーティを組んでいたことがあるから、むしろサラよりも気安い関係である。楽しく話をしたりサラのおいしい料理を食べたりしながら順調に走り続け、次の日にはタイリクリクガメを目視できるところまでたどり着いた。
タイリクリクガメは街道から見て東側を進んでいる。街道にはタイリクリクガメと並走するように、騎士の姿が数人と、馬車が一台見えるのみだ。
「よく見ると、騎士の中にネリーが混じってる」
騎士より背は低いが、結い上げたきれいな赤い髪が尻尾のようにゆらゆらと揺れているからすぐにわかる。
ブラッドリーが見当たらないが、馬車の中だろうか。
「ブラッドリーはたぶん、先行してローザに向かっていると思うよ」
ハルトがサラの疑問に答えてくれた。
「騎士隊からも伝令は出ていると思うけど、あいつらが正確に伝えるかどうかはわからないし、ブラッドリーが詳しく伝えたほうが早い。それにさ」
ハルトはサラを親指で指さしてから自分にも向けた。
「俺たちがやった、素早く壁を作る方法も早く伝えたいんだと思う。ローザは自主的にやっているはずだけど、あそこはそもそも町の住民の数が多くないからさ、人手が足りないんだ」
「ブラッドリーはすぐに魔の山に行ったから、ローザにそんなに思い入れがあるようには思わないんだけど」
失礼かと思いつつも、サラはハルトに思わず聞いていた。
「そうでもない。結局魔の山に居続けるためには、ローザがちゃんと機能してないと駄目だろ」
「そうだね」
「それに、ローザのハンターギルドの居心地の良さは半端ないぞ」
「わかる」
最初こそ冷たいような気がしたが、サラもアレンもハンターギルドには本当に世話になったものだ。
そんな話をしているといつの間にかすぐ前に騎士たちがいたので、サラはネリーに大きな声で呼びかけた。
「ネリー!」
ネリーの結った髪が驚きでぴょこりと跳ねた。一緒に走っていた騎士たちが一瞬剣の柄に手をかけたのが見える。
「サラ?」
立ち止まらずに振り返ると、ネリーは三人を一瞬で見て取ったようだ。
「アレン! もう大丈夫なのか!」
アレンがまるでなにごともなかったかのように走っているのを見てほっとした顔をしている。そのネリーの顔を見て騎士は剣にかけた手を離した。ネリーとはそれなりに信頼関係を築いているようでサラも安心する。
「ぜんぜん平気だ。ネリー。助けてくれて本当にありがとう」
走りながら何をやっているのかという感じだが、お互いにこの丸一日の報告をしあう。もちろん、騎士隊がやらかしたことなど、細かいことは後回しだ。
「さて、ブラッドリーは先に行ったが、皆はどうする? 私はローザに着くまでは休憩しながらだが、こいつと並走するつもりだが」
「俺とサラは先に行く。俺達なら効率的に壁を作れるからな」
サラが何も言わないうちにハルトが宣言してしまう。もちろん、サラもそのつもりだったが、なんだかちょっと悔しい。
「俺もこいつを見張るほうが役に立てると思う。それから、あとからクリスとノエルが馬車で来てるからな」
さっさと分担を決めてしまったハルトとアレンを、騎士たちが困惑しながら様子をうかがっているが、説明は残るアレンに任せればいい。
ネリーと離れがたくはあったが、やるべきことが先だ。サラはネリーに手を振るとハルトと一緒に先を急いだ。
そうして数日、いつの間にかローザが目前に迫っていた。
ローザの高い壁は遠くからも目立つのだが、今は新しい壁がその前に斜めに立ち並んでいて、まるで何かの名所みたいにも見える。
「王都と一緒だ」
しかも、基礎だけだった王都と比べると、ほぼ完成品である。ほぼというのは、まだ工事中らしく、壁の周りに人がたくさんうろうろしているのが見えるからだ。
「王都の壁は、ブラッドリーがここを元にして考えたんだ。一緒で当たり前だよ」
サラは後ろを振り返った。サラが見た時は、タイリクリクガメは街道の東側を進んでいたが、順調に魔の山まで直進するとすると、やはりローザをかすることになるのだろう。
またローザのほうを向くと、屋台村は変わっておらず、壁の工事の人相手に営業しているようだ。
「壁の外にテントを張っていた人たちはどうなったかな」
気になりながらも歩いて進むと、サラやハルトを見つけて声をかけてくれる人もいて、不思議な気持ちになる。
「おーい! ハルト! サラも来てくれたか! アレンはどうなった!」
ローザの方からブラッドリーの声が響いた。あまり大きな声を出す印象のない人なので、ハルトを待ちわびていたのだろう。一人でタイリクリクガメ用の壁を管理するのは大変だとサラも思う。
「アレンは回復して、ネリーと一緒にタイリクリクガメと並走してるよ!」
ハルトは返事をしながらたたっと走り出した。サラは懐かしい気持ちで屋台が立ち並んでいるのを眺めながら、ゆっくりと歩く。アレンとよくパンやスープを買ったものだ。
「よう、サラ。久しぶりだな」
そんなサラに懐かしい声がかかった。
「ヴィンス!」
振り向くと、ブラッドリーとハルトの横に、相変わらずどこか砕けた感じのヴィンスが立っている。
「おい、ずいぶんきれいになっちまって。ローザにいた時はこーんなにちびっこだったのに」
ヴィンスが手のひらで示したのはどう見ても五歳くらいの高さだった。
「そんなちびっこにギルドの店番をやらせたんですかね、ヴィンスは」
「参ったなこりゃ」
親戚の姪っ子が育って喜ぶおじさんのように顔を崩しているヴィンスの存在が、涙が出そうになるほどありがたいサラだったが、今はそんな場合ではない。
「ネリーとアレンも後から来ますが、騎士隊は引継ぎのための数人だけです。なんとかなりそうですか」
「招かれ人が三人いたら、王都でもなんとかなったんだろう?」
「それはそうでした。できるだけのことはします」
ローザが心配だからやってきたが、サラたちがいればよほどのことがない限りなんとかなる。
「とはいえ、サラたち招かれ人のおかげで、王都でタイリクリクガメの進路は修正されたらしいじゃねえか。最悪の事態は免れたと言えるな。それに、ほら」
ヴィンスが得意そうに屋台村に顎をしゃくった。
「案外、屋台に土魔法の職人がいてさ。使い捨てのカップとか、その場で作ってたらしいぞ」
「王都から持ってきたんじゃなかったんですね」
「ああ。その人らががんがんブロックを作って積み上げてってくれたんだよ。なんやかんやで、俺たちには二週間以上時間があったからな。出来上がった壁をブラッドリーが強化してくれて、だいたい準備は整った」
サラは安心して肩の力が抜けた気がした。
ブラッドリーが隣でやるべきことを補足してくれる。
「念のため、タイリクリクガメが目視できるところまで来たら、進路のずれを調整して、もういくつか壁を作ろうと思うが、どうだろうか」
「あらかじめ物見台を作っておけばだいぶ楽だと思う」
ハルトが具体的な提案をして頷いているが、サラはひとつ気になることがあった。
「あの、クンツはどうなりました?」
ネリーとは一緒ではなかったし、てっきりブラッドリーと一緒にいると思っていた。
「ああ、あいつな」
答えてくれたのはヴィンスで、なぜか半笑いである。
「クリスから忌避薬を預かってきたと言って、生真面目に渡してくれてな。こんなに早いペースで走ったことはなかったってヘロヘロしていたところを、ジェイにさらわれていった」
「さらわれた?」
何やら不穏な言葉だが、ヴィンスの声には笑いが混じっていたから大丈夫だろう。
「ハンターとしての素質は普通なのに頑張ってるのが面白いって言われてたな。せっかくローザに来たんだから、ついでに俺が鍛えてやるってさ」
半笑いからついに噴き出してしまったヴィンスである。
「ギルド長は今、ハンターギルドですか?」
「いいや」
ヴィンスは笑いをこらえながら首を横に振った。
「ジェイは今、ベテランのハンターを連れて魔の山の入口を見張りに行ってる。その、クンツって若い奴も一緒だ」
サラはハイドレンジアの町中にヘルハウンドが出たことを思い出した。
「魔の山の出入り口が緩んでいる感じですか」
「さすがサラ、話が早いな。ハガネアルマジロとか高山オオカミとかがちょこちょこ出てきやがるんだよ。ローザまでは距離があるから、今のところ被害は出ていないが、どうせハンターがいてもタイリクリクガメには対抗できないんでな。そっちの警戒に当たってもらってる」
「クンツ、ヘルハウンドもまだ一人では倒せないって言ってたけど、大丈夫かなあ」
サラは思わず東の平原のほうに背伸びした。ツノウサギもまだたくさんいるのだろうか。
「魔法師はヘルハウンドを一人では倒せないのが普通だよ。お前らは要求するものが高すぎんだよ、まったく」
あきれたように言われても、サラはネリーに育てられたので、普通がよくわからないのだ。だがヴィンスはサラの不安を汲み取ってくれていた。
「東の草原にツノウサギはまだ多いが、テッドのおかげでやっと魔の山までの街道が整備されたからな。街道の結界がなくてお使いがつらいなんてことはないぞ」
その言葉でアレンが巻き込まれた騎士隊へのお使い事件を思い出したサラだが、その事件を起こした犯人こそがテッドである。サラは、そのテッドが街道の結界を整備したと聞いて驚きで目を見開いてしまった。
「テッドがですか?」
ヴィンスは肩をすくめる。
「びっくりするよな。お前たちと一緒に旅に出てから、なんか思うことがあったんだろうな。態度が悪いのは変わらないが、去年戻ってきてから、町長の補佐としてずいぶんまともなことをやってるぞ」
「町長の補佐。薬師じゃなくて?」
確かにテッドは町長の息子だが、なにより薬師の仕事をしたいのだと思っていたから、サラには意外に思える話である。
「薬師もしているが、町長の補佐もしてるってとこ。今の薬師ギルド長は、お前がいた時に副ギルド長だった奴だよ」
確かに、最後に王都でテッドに会った時はずいぶんまともになっていたような気がする。態度は相変わらず悪かったけれども。
「町長も息子には甘いからな。俺たちがいくら言ってものらりくらりとやらなかったことを、テッドが言えばホイホイと許可を出す。そんで息子の手柄として吹聴してさあ。思うところがないわけじゃないが、結果がすべてだからな」
実利を取るのがヴィンスである。誰の影響でも街道が整備されれば問題ないのだろう。
「私も、経緯はともかく、街道が安全になったのならそれでいいです。ところで」
サラは先ほどから気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの、私たちが泊まっていたテントのあたりとか、ここらあたりの屋台村とか、危険じゃないですか?」
「ああ、それな」
ヴィンスはたいしたことはないというように手を振った。
「移転の要請はしてる。というか、町の外の北西側に避難するように告知はしてある。が、壁の工事中は稼ぎ時だからって、ギリギリまで粘るんだそうだ」
商売人はたくましい。
「さて、サラ」
ヴィンスはなぜかニヤニヤしている。
「その町長宅から、招かれ人が来たらぜひ我が家に滞在をと言われてるけど、どうする?」
「ひえっ」
サラは思わずのけぞってしまった。
『まず一歩』6巻4月25日発売です。
書影を活動報告に上げてありますので、ぜひどうぞ!