アレンの代わりに
ブラッドリーには申し訳なかったが、サラの体力はもう限界だった。
だがネリーとクンツは、クリスにアレンを預けると、何事もなかったかのようにタイリクリクガメの後を追っていった。
「ネリーには申し訳ないけど、ブラッドリーだけじゃ心配だったから、すごくほっとしたぜ」
ハルトはありがたそうにネリーの後ろ姿を拝むように手を合わせている。ハルトと一緒にいると、普段忘れている日本のあれやこれやを思い出して懐かしいサラである。
だが、今はネリーよりもアレンだ。
よほどしっかり剣を握っていただろう手は、ずる剥けで真っ赤だ。クリスはそっとポーションをかけていく。
「うっ」
意識がなくても治療の痛みに逃げるアレンの腕を、クリスががっちりと押さえる。サラは薬師だけれども、ひどい怪我の治療に当たったことはほとんどないので、実践の知識はあまりないから、勉強になる。
「いくらポーションがあっても、やっぱり痛いんだね」
「当たり前だ。体が元に戻るのにも苦痛を伴う」
サラは、ポーションがあればなんとかなると思っているネリーにそれ見たことかと言いたい気持ちになった。ことポーションに関しては、ネリーの言うことは二度と信用しないと決める。
「肋骨も何本かひびが入っていたようだが、それだけだ。ネリーが上級ポーションを惜しげもなく使ったから、何日か寝込んでだるさは残るだろうが、すぐに元通りになるだろう」
「よかった」
今度こそサラは心の底から安堵した。クリスはアレンを抱き上げて馬車に乗せると、あきれたように顔を左右に振った。
「タイリクリクガメの頭の上に何時間しがみついていたのかわからないが、あんな不安定な場所で振り落とされもせず少しの怪我のみで耐えたとはな。こんな丈夫な奴は見たことがない。ネフなみだな」
ネリーと同じということは、クリスにとっては最高の評価だということだ。
「さあ、ひとまず先に城に戻り、休ませてもらおう」
さすがに疲れたサラたちは、ありがたく用意された馬車に乗り、城を目指した。
クリスはサラたちを手近な客室に送り届けると、
「報告は私がする。とにかくお前たちは何も考えずゆっくり休め」
と去っていった。昨日サラとネリーが泊まった部屋ではないが、サラはかまわなかった。今はただ体を伸ばして横になりたい。サラはベッドに寝かされているアレンが心配で手を伸ばしたが、ハルトにしっしっと追いやられた。
「心配だから私もここで寝るよ」
ローザで隣で寝ていたから、慣れている。
「それは駄目だろ。俺がちゃんと見てるから、サラは隣に行け」
ハルトはそう言うとサラを隣の部屋へと連れていった。
「風呂には入れよ」
「歯磨きもね」
そんなたわいもない会話にほっとして、サラは重い体を引きずりながら埃と汗まみれの体を洗い、やっと休むことができた。
まるで布団に吸い込まれるように寝てしまったサラは、夢も見ずに寝たが、何やら騒がしい気配で目が覚めた時には、既に朝の光が差していた。
「なんだろ。隣かな」
サラは目をこすりながら起き上がった。髪を乾かさないまま寝たから、頭がぼさぼさなのが自分でもわかる。疲れは取れたと思うが、ひどくだるい。
だが、サラはローザからの依頼を受けている。そうでなくても、大切な人たちがいるローザを放っておくわけにはいかない。タイリクリクガメは既に一日先行しているから、今日中に出発し、身体強化を頑張って一日中走るしかない。
両手を胸の前でぐっと握って気合を入れると、ベッドから足を一歩踏み出したところで、ハルトの怒鳴り声がした。
「やめろ! こいつは昨日、タイリクリクガメにしがみついていたところをやっと助け出されたばかりなんだぞ! 骨だって折れて怪我もしていたのを治療したばかりなんだ。どうせ動けやしない」
どうやら隣の部屋で騒がしくしていたのに、舞台が廊下に変わったことではっきり聞こえるようになったらしい。
だがその内容が不穏だ。明らかにハルトはアレンのために怒っているではないか。サラは寝間着のままだったが、急いで部屋のドアをバンと開けた。日本ならワンピースだと言い張れる格好だと自分に言い聞かせながら。
だが、そこで見たものは、騎士に両側から手を取られて、連れていかれようとしているアレンだった。周りにも何人も騎士がいた。
「アレン!」
サラは思わずアレンに呼び掛けた。アレンは昨日の格好のままだ。よれよれで埃まみれで、着ているものもあちこち擦り切れたうえポーションが渇いてごわごわになっている。顔だけはハルトが拭いてくれたようでピカピカだが、そんなよれよれのアレンが騎士隊に連れられている様子は、まるで罪人が引き立てられているようだった。
「サラ。よかった、俺、帰ってこられたんだな」
ぼんやりしていたアレンの顔つきが、サラの姿を認めてしゃっきりとする。
「けど駄目だ、そんな格好で。早く部屋に戻って着替えるんだ。おい、お前ら、サラの方を見るなよ!」
今までおとなしかったのに、急に騎士の手を振り払ったアレンに、騎士たちの目が厳しくなる。
「抵抗するな!」
「なんだよ。そもそもこの状況はなんだ?」
どうやら今まで、アレンはほぼ意識のないまま動いていたようだった。きょろきょろと周りを見るアレンの腕を、また騎士がつかむ。
「君には、タイリクリクガメを暴走させた容疑がかかっている」
「はあ?」
アレンは腕を振り払った後、顎が外れるかというくらい驚いた顔をしている。
「俺はリアムの指示に従って、タイリクリクガメの目に攻撃しただけだぞ。それがなんでそんなことになる」
「だが、無理だと思ったらすぐに剣を抜いて離れるべきだった。君がしがみついていたことで、タイリクリクガメに痛みを与え、暴走を誘発したと考えられるとのことだ」
アレンは何か言おうとして口を開け、何も言わずに口を閉じて、きっと顔を上げた。
深く突き刺さった剣を、自在に抜いて安全にタイリクリクガメから離れるなんてことが簡単にできるわけがない。
「ふざけんな!」
叫んだのはハルトだ。
「指示に従って戦ったハンターに、どんな仕打ちだよ! タイリクリクガメに唯一傷をつけることができた名誉あるハンターだぞ! むしろ礼を尽くすべきだろ! なんで犯人扱いなんだよ!」
だが、ハルトの叫びはそっけなくさえぎられた。
「私たちも仕事ですので」
そう冷たく言った騎士は、ピカピカに磨かれた剣を持ち、髪や服装はきれいに整えられている。
一方でアレンは、薄汚れていかにもなにか悪いことをしたように見える。
だが、事実はと言えば、この危機下に城でぬくぬくと過ごしていた騎士と、最前線で死を覚悟して戦っていたハンターの違いということになる。
「てめえら!」
「ハルト。いい」
アレンは背筋を伸ばし、静かにハルトを止めた。
「真実はいずれわかる。一時のことだ。俺のことは気にしなくていい」
そう言うと、抵抗しないという意思を込めて、両手をだらんと下げた。
サラは知っている。今まで何度もそんなアレンの目を見てきた。
薬草の値段をごまかされた時。
テッドに騙された時。
ローザで若いハンターに妬まれて仕事ができなかった時。
アレンは仕方がないという顔をして、終わったことは終わったことだと切り捨てて振り返らない。そこらへんの大人よりずっと大人の対応をする。
だけど、悔しくないわけがない。親がいない、身分が高くない、それだけでどれだけの不利益を被ってきたことか。怒っても、正論を叫んでも、状況がよくなるわけじゃない。それならば、やり過ごして未来を見る。
それがアレンだ。
そしてサラは、今までそんなアレンを尊敬し、アレンの意思を尊重してきた。
だがこれは違う。理不尽すぎるだろう。
サラが体の横で握り締めた手は怒りでプルプルと震えていた。
「うっ、なんだ?」
アレンの腕を取ろうとした騎士が、一歩下がった。
サラは一歩進む。
騎士たちはまた一歩下がる。
ハルトは驚いて騎士とサラを交互に見ているが、アレンは顔をしかめて、サラの方に向き直った。
「サラ、落ち着いて。魔力がだだもれだぞ」
「落ち着いてる。心配しないで」
サラの声は低い。
「それに、そんな格好じゃ駄目だ。せめて着替えてからにしようぜ」
「そんな場合じゃないの」
本当にそんな場合じゃない。アレンこそ無実の罪で引き立てられようとしているのに、サラが着る物の心配をしている場合ではないのだ。
「ううっ。苦しい。なんだこれは」
サラが近寄るにつれ、騎士たちはまるで眩しい光を避けるかのように、顔の前に手を伸ばして何かをさえぎるようなしぐさを繰り返す。
「このくらい、タイリクリクガメに向かっていくのと比べたら何にも苦しくないよね。お偉い騎士様だもの。魔力の圧くらい平気でしょ」
サラの声が廊下に低く響く。
「命令通りタイリクリクガメの目に攻撃して、骨にひびが入っても、意識がなくなるまでしがみつき続くことより、ずっと楽だよね」
「ううっ!」
サラがアレンの横にたどり着いた時には、騎士たちは魔力の圧に負けて、廊下に両手と膝をついてしまっていた。
「戦いもしないで、ぶざまよね」
「サラ、そのくらいにしてやれよ。俺ですらきついぞ」
「ごめん」
サラは騎士と違って、そっとアレンの腕を取った。同時に、アレンをバリアの中に入れ、魔力の圧をすっと消す。
途端に、額に汗をかいた騎士たちが立ち上がる。
「招かれ人殿。冗談が過ぎます。いたずらで済ませるには、うわっ」
手を伸ばしてきた騎士は、サラのバリアに弾かれた。
「なんだ? いったい何をしたんだ」
「アレンは、渡さない」
「サラ、俺は」
「アレンは黙ってて!」
「……はい」
サラはバリアを大きく張ったまま、アレンを連れて後ろへ一歩ずつ下がっていく。サラのバリアにさえぎられて、後ろに回り込むこともできない騎士たちは悔しそうだが、ざまあみろである。
「ハルト」
サラは様子をうかがっていたハルトに並んだ。ハルトはバリアに出入り自由である。
「ああ」
「私とアレンは、これより、この客室で籠城します」
「お、おう」
ハルトはだんだん面白くなってきたようだ。ニヤリと笑って親指を上げた。
「話がわかる人が来るまで、絶対出ないから」
「了解した。俺、クリスのとこ行ってくるわ!」
サラとアレンが客室の中に入り、ぱたんとドアが閉まるまでハルトは見守ってくれた。
『まず一歩』6巻4月25日発売です。
書影を活動報告に上げてありますので、ぜひどうぞ!