もう一つの物見の台
その日の夕方にもう一つ、そして次の日の朝にはもう一つ。
二日目には三つの壁は完成していた。
「あとはタイリクリクガメが近づいてきたら、クンツをはじめとした魔法師が、壁全体に忌避薬を撒き散らす。あらかじめ散布しておくと匂いが飛んでしまうのでな」
仕上がった壁のどこにどう忌避薬をぶつけるのかを考えるのがクリスの役割だ。明日、タイリクリクガメがやってくるまでもうやることのないサラたちと違って、忙しそうに三つの壁の間を行き来している。
やることがないと気になるのはやはりアレンのことである。ぼんやりと物見からハイドレンジアのほうを眺めているサラを見かねたのか、ハルトがこう提案してくれた。
「なあ、サラ。そんなに気になるならさ。俺たちのあり余る魔力をもうちょっと活用してみないか?」
なにかの勧誘のようなセリフで怪しいが、サラは今、何かできることがあるのがありがたかったので、素直に誘いに乗ることにする。
「いいけど。どう活用するの?」
「ああ。三つ目の壁の向こう側にさ。もう一つ大きな滑り台、ゴホッ、物見の台を作らないか?」
「今滑り台っていわなかった?」
「言ってない」
不毛な会話である。サラはあきらめて素直に話を続けることにした。
「物見の台を作りたいの? これ以外に?」
「そう。もっと高くしたら、もっと遠くまで見えるんじゃないか?」
サラは半目になってハルトのほうを見た。実はもう一つ、楽しい滑り台を作って遊びたいだけなのではないかという疑惑の目だ。
「いや、違うって」
ハルトは慌てて顔の前でフルフルと手を横に振った。
「違うけどさ。もしこれがタイリクリクガメに倒されなかったら、きっと王都の家族連れの遊び場になると思うんだよね、俺」
サラの目に、ピクニックを楽しむ家族連れが浮かんだ。三つの壁を指さして、招かれ人の作ったものだよと語り継ぎ、お昼を食べて滑り台で遊んで帰る。
「……いいね」
「だろ? で、この壁がウォール・サラ、真ん中がウォール・ハルト、そんで向こうがウォール・ブラッドリーって呼ばれたりしてな」
ニシシと笑うハルトにサラは冷たく言った。
「それはやだ」
そんな語り継がれ方はしたくない。壁はどうせ壊れてしまうのだから、そんな心配はしても仕方がないのだけれども。
「でも、大きな物見の台は作ってもいいな。作戦が終わって邪魔なら壊してもいいんだしね」
「よし、じゃあ、作戦の邪魔にならないよう、壁から少し西側にずらそうぜ」
サラとハルトは物見の台を滑り降りると、急いで目的地に向かった。
「ここなら邪魔にもならないと思うし。高さはどうする?」
「あんまり高くても危ないしな。あの壁より少し高い位でどうだ?」
「いいね」
サラは、既に作った物見の台よりも一階分大きい物見の台をイメージした。
ほわん、とバリアを張り、すりガラスの色を付ける。
「もう少し大きめに。滑り台部分の傾斜はもうすこし緩やかにしよう」
「やっぱり滑り台なんじゃない」
「違うって。あ、まずい。サラ、急げ」
ハルトに急かされ、サラは一回り大きめに、緩やかにバリアを整えた。
「いいよー」
「よし! 壁!」
ずどんと、大きな振動が響く。もう手慣れたものである。サラがそっとバリアを外すと、見事な階段と手すり付きの大きな物見の台ができていた。
「ハルト! 勝手なことをするな!」
招かれ人なのにハアハアと息を切らして飛んできたのはブラッドリーである。
「へへっ。もう作っちゃったもんね」
「お前、本当に……」
はあっと大きなため息をついたブラッドリーは、常にこういうハルトのわがままに悩まされているに違いない。
「ハルト一人ならわがままで済むが、サラがいると途端に問題が大きくなる。なにを私ですか、みたいな顔をしているんだ、サラ」
とばっちりが飛んできたのでサラは思わずひゅっと首をすくめてしまった。
「ああ! ネフェルタリ! 勝手に上るんじゃない!」
振り返ると手すりにもつかまらずスタスタとネリーが物見の台の階段を上っているところだった。
「どうして誰も言うことを聞かないんだ!」
ブラッドリーが頭をかきむしっている間に、ネリーは物見台まで登ってしまった。そして滑り台一号に初めて上った時のサラと同じようにハイドレンジアの方を眺めている。
「あれ?」
サラはそのネリーをニコニコと眺めていたのだが、ネリーの体に緊張が走ったのが見え、どうしたのかと不安になる。ネリーは振り向くと大きな声で叫んだ。
「ブラッドリー! 来い!」
ネリーの切羽詰まった声に、ブラッドリーは一瞬で気持ちを立て直し、階段を駆け上っていった。おろおろするサラにハルトは親指を突き出し、上に向けた。
「俺たちも行くぞ」
「うん」
そうして駆け上がった物見の台の上では、二人がじっとハイドレンジアのほうを見ている。サラも釣られてそっちを見ると、何やら土煙のようなものが上がっているような気がする。
「やべえ」
狭い台の上なのに、ハルトが一歩後ろに下がった。
「あれが、タイリクリクガメか」
「王都にたどり着くのは明日のはずだっただろう! なにが起きた!」
ブラッドリーが手すりを両手で叩く。
「私は急いで王都に使者を出してくる。それからクリスに作戦を早めるように伝えなければ」
ブラッドリーは今度は体面など気にせず、滑り台を滑り降りていった。
「案外、緊急時にも役に立つな」
「うん」
しかしのんきにそんなことを話している場合ではない。台の下では、慌ただしくタイリクリクガメを迎える準備が始まっていた。
王都方面に馬で走っていく使者を見送ると、三つの壁の、物見からは見えないところで、人がたくさん動いている気配がする。
「うわ、なんだこれ。おばさんの集団に入ったみたいな匂いがする」
微妙に失礼なハルトの言い分だが、サラにとっては懐かしい南方騎士隊の香りである。すなわち、
「これがクリスの、竜の忌避薬の匂いなんだよ。花の香りで、原料はギンリュウセンソウ」
クリスがすかさず竜の忌避薬を使ったということだ。クリスが参加してからの渡り竜討伐にはハルトは参加していないので、これが初めての体験である。なので、興味深そうにふんふんと匂いを嗅いでいる。そんなハルトに、目をすがめてタイリクリクガメを見ているネリーから声がかかった。
「ハルト、ちょっと聞きたいことがある」
「なんだ?」
ハルトは壁からタイリクリクガメのほうに目を向け直した。
「お前は目がいいか」
「ああ。魔の山暮らしのせいか、前より良くなった。少なくともブラッドリーよりはいい」
サラもこちらの世界に来てから目がよくなったが、ネリーほどではないし、アレンがいたらアレンが一番目がいい。
「では、タイリクリクガメの頭部を見てみてくれ」
「もう頭まで見えるのか。やばくないか」
ハルトも慌てて、手を庇のようにすると土煙が立っている方角を一生懸命眺めた。
「頭部って、あれ、タイリクリクガメって角かコブかなんかが生えてたっけ」
「生えていない。ヘビのようにつるりとしている」
「ということは、頭に何が付いているんだ?」
サラも背伸びをしてみたが、頭になにかが付いているかどうかも見えなかった。ただし、リクガメが頭を左右に振ったのは見えた。まるで何かを振り払うかのようだ。
サラはハイドレンジアのダンジョンで、竜の忌避薬を使った時のことを思い出す。
「あの時も、忌避薬を振り払おうとして頭を左右に振ったり地面に擦り付けていたりしたよね」
「ああ、だが、忌避薬はクリスしか持っていないはずだ。まさか」
ネリーは、いっそう目を細くすがめて、何が起きているのかを見極めようとしている。その時、ハルトがよろけるように後ろに下がった。
「人、だ」
「何? 人?」
「人が頭にしがみついているように見える」
しがみついていたら、頭と一体化して角やこぶのように見えないのではないかとサラはぼんやりと思う。
「ネフ! 状況は!」
クリスとクンツが息を切らせて階段を駆け上ってくる。ブラッドリーに至っては、階段を上るのも惜しくなったのか、滑り台の方から身体強化で一息に跳ねてきた。
「右目に、剣。そしてその剣に、人がしがみついている。若い。というか細い。砂色の髪の毛」
ネリーは一つ一つ区切るように見えたものについて話している。
サラは血の気が引いた。心当たりは一人しかいない。
騎士隊にもハンターにも若い人はいるけれど、それでもたいてい20歳は越えていて、がっしりとしているだろう。
ネリーは口を開くと何も言わず閉じ、手すりをぎゅっと握った。わかっているけれども、口にしたくない迷いが見えた。
だがクンツがネリーを押しのけて前に出ると、人影を見て叫んだ。
「アレン!」
やっぱりと思わずしゃがみこみそうになる。
「何が、何があった!」
しばらく更新続きます。
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