壁を作ろう
次の日は、同じく城に滞在しているクリスと一緒に、指定された場所に急ぐ。場所は王都の南。振り返れば町並みが見えるほど間近なところだ。タイリクリクガメがこのまま直進すれば、その町並みは全滅するだろう。少し西にずれたところにはダンジョンの入口を表す建物も見える。
「こんなに近くなんだ」
「そうだな。ここが破られれば、復興には時間がかかるだろうな」
ブラッドリーの声には、気負いというものがない。絶対自分が成功させようという意気込みも感じられない気がして、サラは思わずブラッドリーの顔を見上げてしまった。
「考えていることはわかるよ、サラ」
ブラッドリーの声には、ほんの少し笑いの気配が感じられた。
「だけどサラ。私たちはこの世界に来るときに女神になんと言われた?」
「ええと?」
短いながらもいろいろ言われたうちのどれだろう。
「いるだけでいいと、そう言われなかったか?」
「俺は言われたな。好きなように生きていいとも」
ハルトが、たくさんの職人が動き回り、ちゃくちゃくと壁の基礎ができ上がっている現場を眺めながらサラの代わりに答えた。ブラッドリーはフッと微笑んだ。
「好きなように生きていいと言われても、世話になった恩は返したいものだ。そのせいでがんじがらめになっているのが嫌になって、私は魔の山に逃げた」
「俺もだ。おだてられて利用される馬鹿な自分でいるのが、嫌になった」
二人の話は、一度ローザで聞いていたからよくわかる。
この世界で好きなように生きていいというのは、わがままに生きていいということとは違う。サラも、自分なりに一生懸命生きて、この世界に恩返しもしている。
「だから、今回は強制ではなく、自分の意思でこうして自分の力を尽くそうとしている。成功したらいいと思うし、そのための努力もする。だが、もともとおまけの作戦だ。うまくいけばいいや程度の意気込みでいいんだ」
「役に立とうと思い込みすぎると、俺みたいにただ都合よく利用されちゃうからな」
特にハルトは、魔の山にいる間に、この世界と自分たちのあり方について一生懸命考えたのだろう。
「私たちの特性を生かして、力を尽くせばそれでいい」
気負わずにやれと、そう言われているようだった。
だが、そういう、気合の問題だけではないとサラははたと気が付いた。
「そうですよ、それよりまず、作戦と、それから私が具体的に何をやるかを教えてください」
「そうだな。まずあれを見てごらん」
ブラッドリーが指さしたのは、土魔法の職人たちが働いている現場だ。
「壁は三つ。カメの甲羅の高さに合わせ、三階建てほどの台形を、斜めにずらして作る」
サラが休んでいた昨日から今日にかけて、既に作戦は進んでいたらしく、膝の高さまでの基礎が、まるで団地のようにきれいに並んでいる。
「知っていたかい。王都の建物は、レンガのように同じ大きさの塊を魔法で作り、それを魔法で積み重ねた後、さらに魔法で補強する。ものすごく丈夫なんだよ」
「ええと、その作り方で、すごく気になっていることがあるんですが」
「なんだい?」
「タイリクリクガメには魔法はきかないんです。というか、タイリクリクガメの表面で、魔法が崩れてしまうというか、吸収されてしまう感じなんです。せっかく作った壁も、カメに触れたら崩れてしまわないでしょうか」
「なるほど。だが、大丈夫だと思う」
ブラッドリーによると、根拠はローザにあるという。
「この作戦はそもそもローザのために立てたものだが、ローザの第一と第二、そして第三の壁にも、今でもタイリクリクガメに崩された跡が残っているんだ」
「わあ、第一の方には一度も行ったことがないんです。そんなところがあったんですねえ」
サラは今更だが、ローザでは生活するのに精一杯で、観光できなかったことを悔やんだ。
「その壊れた跡を解析しても、ぶつかって壊れた形跡しかない。土魔法は作る時魔法は使うが、構造物自体には魔法は残っていないようだね」
サラはなるほどと納得した。だが、そうなると実験の結果も怪しくなってはこないか。
「魔法攻撃の実験では、炎も風も石つぶても効かなかったような気がします。魔法でできたものに痕跡が残らないなら、石つぶては効果があるはずですよね?」
ブラッドリーはふむと頷いた。
「石つぶてを作るのは土魔法、それを放るのは風魔法、そうではないか」
「確かに」
「そして、タイリクリクガメの表皮が硬すぎて、少し強い石つぶて程度では傷つきもしなかったというのが真実だと思う」
「なるほど」
ブラッドリーと一緒にいるとなんでもすぐに答えが返ってくるので、もし最初からそばにいたら、サラもこんなに迷ったり悩んだりせずに魔法を習得できたのかとも思う。自分がとんちんかんな魔法を使って失敗した過去を思い出し、サラはちょっと遠い目をしてしまった。
だが、そうであればバリアのような変わった魔法は思いつかなかっただろう。
「だったら、大きくて鋭い石つぶてを作って、風魔法で……」
サラは言いかけた自分の言葉を途中で止め、思わず周りを見渡した。いるのはハルトとブラッドリー、そしてクリスとネリーだけだ。親しい人たちなのだが、なぜかネリーとクリスには今の言葉を聞かれたくないような気がした。
「だよな、サラ」
ハルトが笑みの浮かんでいない目で、サラを見ている。
「サラの言いたかったこと、俺、よくわかるし、たぶんできるとも思う。そして前の俺なら、たぶん口に出してた。そして、あの騎士隊長にほいほいと利用されてただろうな」
その声音は、普段のハルトとは違って暗いものだ。
「正直言って、サラが考えているよりずっとエグい魔法の使い方も俺は思いついてる。トリルガイアのネリーとクリスの前で言うのもなんだけど、俺たち招かれ人なら、タイリクリクガメは倒せる」
そして、そう言い切った。
「こんな大がかりなことをしなくても、王都の被害も、ローザの被害も未然に防げるんだ」
ローザという言葉で、サラはヴィンスやジェイを思い出した。
「でも、ヴィンスもジェイも、騎士隊と違って、わかっててもハルトにそれをやれとは言わない気がする」
「うん」
ハルトはこくりと頷いた。
「招かれ人がいなくても、俺たちでギリギリできる作戦を立ててくれってヴィンスには言われた。いっつも協力的な招かれ人がいるわけじゃないからって。ジェイはさ」
ハルトはここで少し笑みを浮かべた。
「別に招かれ人に助けてもらってもいいんじゃないかってヴィンスに反論して、馬鹿かお前って軽く殴られてて。きっとヴィンスに叱られるってわかってて言ったんじゃないかって、俺、思ってる」
「その様子が目に浮かぶよ」
サラの口元にも笑みが浮かぶ。そこにブラッドリーが口を挟む。
「最初に話を戻すが、魔法で作った壁は有効だと思う。ただし、サラには今から、土壁づくりの練習をしてもらう」
「はい!」
サラのやるべきことが決まった。
「ついでにクンツに声をかけてきてくれないか。こちらの手伝いに回るようにと」
クリスにはお使いを頼まれてしまった。クリスの指し示すほうを見ると、職人に交じってクンツもブロックを作る作業をしているようだ。
「じゃあ、サラは俺と一緒にこっち。ブラッドリーはクリスと一緒に忌避薬を使った作戦を立てるだろうから」
サラはクリスと共に残るらしいネリーに手を振ると、ハルトに導かれて、基礎作りから少し外れた一角にやってきた。
「すみません、サラに、あの、この子に、建築用のブロックを作るやり方を一通り教えてもらえませんか」
「招かれ人様か。この忙しい時になんで、って、なんか理由があるんだろうな」
お願いされた土魔法の職人は、ブロックを作る仕事のようだ。浮かんだらしい疑問に自分で答えながら、せっせせっせと、同じ形のブロックを作っている。作られたブロックは、収納袋に入れられて、基礎作りのところへ運ばれていく。クンツはその持ち運びの仕事をしているようだった。
「いいか、作り方は二種類ある。ひとつは、この型に魔力を注いで、直接ブロックを作る」
型の中はみるみる土で埋まり、それから押しつぶされたように硬くなっていく。型を裏返して職人がダンと底を叩くと、ごろんとブロックが出てきた。
「次にこれ」
今度は底のない型枠を取り上げ、地面に直接置いた。
「これは、接している土を、型枠に移動して固めるやり方だ。早いし、魔力が少なく大量に作れる。ほら」
みるみる型枠には土が盛り上がり、硬くなっていく。型を地面の上で軽く揺らし、上にあげると、そこには先ほどの物とほとんど同じブロックができていた。
「どうだ?」
「やってみます」
型枠を意識して形作ってみる。型を揺らして、持ち上げると、そこには職人が作った物とほとんど変わらないブロックができていた。
「一回でできたのか!」
「この子も招かれ人だからな」
「ああ! 前に聞いたことがあるぞ。宰相の息子の婚約者の」
「違いますから」
サラはすかさず否定した。まだその噂が残っていたことに苛立ちが隠せないが、そのおかげで招かれ人と認知されたのだから仕方がないのかもしれない。
そのまま、底付きの型枠を使ってもう一つブロックを作ってみる。大丈夫、今のと同じやつを作ればいいと自分に言い聞かせる。
「できた」
型をひっくり返すと、きれいなブロックが完成していた。
「よし!」
サラはぐっとこぶしを握ると、うきうきとハルトに問いかけた。
「で、私は有り余る魔力でブロックをたくさん作ればいいのかな」
「違うよ」
ハルトはなぜか気の毒なものを見るような目でサラを見た。
「今土魔法の職人さんには、このくらいの底辺の壁の、基礎を作ってもらってるんだ。だから有り余る魔法で俺たちがやるのは」
「やるのは?」
「それを一気に三階の高さまで作り上げること」
サラはうっと詰まってしまった。
「それって難しくない?」
「難しいよな。でもそうしないと間に合わないだろ」
そのハルトの言葉に、職人がうなずいた。
「今日一日では、俺たち全員が取り掛かっても、壁ひとつの半分できるかどうかだからな」
「ということは……」
「俺たちがそれぞれ一つずつ担当な」
「それは厳しい」
タイリクリクガメに攻撃しなくてよかったという話ではなかった。サラは背筋を冷や汗が伝うのを感じた。サラが間に合わなかったら、ブラッドリーとハルトだけでその仕事をすることになる。
「めちゃくちゃ責任重いじゃない」
「そうだな」
ハルトは何ということもないというように肩をすくめた。もうとっくに覚悟は決まっているのだ。
『まず一歩』6巻4月25日発売です。
書影を活動報告に上げてありますので、ぜひどうぞ!