くびきを外す
走り通しで王都にやってきたサラたち一行に、さすがにそのまま作戦に参加とはいえなかったようで、城の中に休む部屋が提供された。
もっとも、クンツはすぐに書状を持って父親のところに行ってしまったし、アレンとノエルは慌ただしく食事と風呂、着替えだけをすませ、討伐部隊として出かけてしまった。
「やれやれ、アレンとノエルを見ていると私も歳をとったと思うよ。あれほど元気に次の現場に移れる気がしない」
ネリーが洗ったばかりの濡れた赤毛をタオルで拭きながら風呂から出てきた。先に済ませて着替えていたサラは、ネリーからタオルを取り上げると、ソファにどっかりと腰かけたネリーの後ろに回って、せっせと髪を拭いてあげ、魔法で温風を出すとつややかになるまで乾かした。
時間のある時にしかしないお世話だが、こうしてお互いに髪を乾かしあうのがなんとも気持ちの緩む楽しい時間なのだ。
「いや、私たちも十分に大変な日程だと思うよ。作戦の参加は明日の朝でいいから、今日は休めって言われて本当によかったね」
「ああ。ウルヴァリエのタウンハウスのほうが落ち着くのだが、サラには城の客室に泊まるのもいい体験だろう」
「うん。本当に豪華だよね」
サラはソファのネリーの隣に座って、天井を眺めた。
何かの神話だろうか、古めかしい服を着た美しい人たちのキラキラしい絵が描かれているし、部屋の調度品はつややかに磨かれた由緒ありそうなものだった。
「広い天蓋付きお姫さまベッド、窓の外は装飾付きのバルコニー。こんな経験ないだろうから、しっかり堪能しなくちゃ」
ウルヴァリエのお屋敷もとても立派なのだが、豪華とか華やかとかではなく、落ち着いて重厚な感じだったので、こんな華やかな部屋を見たのは初めてかもしれない。
「サラ。早くに王都に連れてきていれば、本来はこういうところで過ごせたんだが。私が拾ったばかりに、あんな山小屋で魔物に囲まれて過ごすことになってしまったな。すまないと思っている」
サラは驚いて隣のネリーのほうを振りむいた。
「何言ってるの? そもそもネリーがいなかったら、私は今ごろ高山オオカミのお腹の中だよ。魔の山に落としたのは女神様だし、ネリーは私を守ってくれただけ。そしてずっと守ってくれてる」
サラはもっと小さかった頃のように、ネリーのお腹にぎゅっと抱き着いた。
「疲れない体になって、毎日いろいろなことをして本当に楽しく暮らしてきたんだよ。ネリーに私を拾ったことを後悔してほしくない」
「後悔などするものか。成長するにつれいろいろなことを諦めた私が、今こうして毎日を楽しく暮らしているのは、すべてサラのおかげだというのに」
サラはなにもしていないのだが、ネリーが後悔していなくて本当によかったと思う。
「それにしても、指名依頼を受けるかどうか、それからタイリクリクガメを討伐すべきかって、あんなに悩んだのに、ぜんぜん意味がなかったよ」
サラは昼の話し合いを思い出してあーあとソファに沈み込んだ。
「やっぱり、同じ招かれ人でも、大人がちゃんと考えると全然違うね。実年齢は同じくらいのはずなんだけれども」
ブラッドリーはそろそろ三〇歳くらいのはずだから、サラとそう変わらない。
「この世界で過ごしてきた時間の違いは大きいだろう。ブラッドリーは二〇年近くこの世界で過ごしているのに、サラはまだたったの五年だ。しかもブラッドリーは、貴族の元で権力を当たり前として育ってきている。つまり、人の上に立って、人を動かすことにためらいがない」
確かに、王様と親しいというだけでなく、自分の提案したことが当然のように受け入れられるものだという態度だった。
「それはハルトにも言えることだ。だが、サラは人のためになることを進んでするが、人の上に立つことは苦手だろう」
「うん。苦手。苦手だし面倒だから、できればそんなことはしたくないもの」
ネリーはサラの肩を抱き寄せた。
「そういう、サラの穏やかなところが多くの人の心をなごませる。サラのいるところは明るくて居心地がいい」
「でへへ」
そんなふうに褒められると正直嬉しさが隠せない。
「だが、それが逆に、人をつけこませる原因にもなる。指名依頼を持ってきた使者のように、サラを侮るものが出てきたりもする」
ブラッドリーやハルトは侮られることはないということだ。
「優しいが故に力が十分に発揮できない状況のなかで、それでもサラがトリルガイアの国全体のことを考えて悩んでいたことを、私は無駄だとは思わない」
くっついたネリーの体から直に響いてくる言葉は、サラのもやもやをどこかに押しやるかのようだった。
「それにな」
ネリーの声が一層優しくなる。
「私が指名依頼を受けないと決心できたのも、サラのおかげだ」
「私の?」
サラが思わず顔を上げると、ネリーの優しい緑の目と出会った。
「知っての通り、私は今はハンターだが、元は騎士だ。つまり、ハンターであっても、自分の利害からではなく、忠誠心から国のために尽くす。それが当たり前なんだ」
父親のライが、もと騎士隊長だというのも大きいのだろう。
「だから、基本どんな無茶な依頼も、やりたくない依頼も、国から求められればやる。逆に言うと、やるのが当たり前で、それがいいことなのか、悪いことなのかを自分で考え判断することはない。考えることを放棄していたんだと、そう気づいたんだ」
ネリーの考え方は基本シンプルなので、確かに複雑なことを考えるほうではないということをサラは知っている。だが、それは必ずしも悪いことではないはずだ。
「ハイドレンジアからずっとタイリクリクガメを見てきた。攻撃もしたし、実験にも参加した。私としては、これは倒すべきものではないような気がしていた。だからハイドレンジアが護送だけするという意見には賛成だったんだ」
「倒すべきではない、ネリーもそう思ったんだね」
「ああ。ダンジョンで最も倒しにくいものはワイバーンだが」
「う、うん」
サラがワイバーンを倒したと、皆が大騒ぎする理由をこの瞬間やっと理解できた。
「そのワイバーンも、身体強化や魔法を使えば倒せる。努力して倒せるものは女神からの恵みだ。ハンターはそれをありがたくいただいて生活の糧とするし、素材は人々の生活に役立つ。だが、タイリクリクガメはどうだ」
そう言われて考えてみる。
「私のいたところではカメは食べたりもしたけど」
「ハハッ。すぐに食べることを考えるところがサラらしいな」
あの大きいカメからはどのくらいのお肉がとれるのかと思わず考えてしまったことは否定しない。
「まず、どう努力しても倒せる気がしない。そのうえ、倒せたとしても解体もできないだろうな」
解体できないまま、腐って残った甲羅が墓標となる。サラはそんな姿を想像してしまった。
「無駄なことだとわかっても、指名依頼だから受けなければならないと思っていたんだ。だが、サラは当然のように断るという」
「えへ」
思わず首をすくめてしまったサラだが、ネリーやアレン、そしてノエルや使者からは、断ろうとするサラがよほど衝撃だったのだなということに、やはり今ごろ気が付いたのだった。
「サラだけではない。ブラッドリーも、ハルトも。招かれ人はことごとく断ると言った。それなのに別の作戦を立て、自分の信念のもとに力を尽くすという」
ハイドレンジアとローザ、五人の指名依頼のうち、四人がそれを拒否したのだ。よく考えたらすごいことだと思う。
「それなら私も、私の直感を信じて、それに従って動きたい。そのためには、指名依頼は断るしかなかった」
こんなに語るネリーはとても珍しい。
「断った時、心臓がどきどきしてどうにかなるのではないかと思ったよ」
「アハハ。ネリーでもそんなことがあるんだね」
「ああ」
魔の山に隠れるように住み、ローザの町の人にも心を開かず、たんたんと義務を果たしていたネリー。それが自分で物事を考え、自分の思う通りに行動するようになった。
指名依頼を自分の意思で断ることで、自分にはめた最後のくびきを外したということなのかもしれない。
明日からまた大変な仕事が始まるというのに、ネリーの顔は晴れ晴れとしていた。
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