タイリクリクガメの意味
「アレン。こないだの渡り竜の討伐の時、渡り竜のコースがいつもと違ったせいで、西の草原にツノウサギが増えたのを覚えてる?」
「ああ、そういえばそうだったな」
普段ならいないところにもツノウサギがいて危なかったのだ。
「渡り竜を減らしたら、王都は直接的な被害を受けない。それはわかる?」
サラは今度は、ノエルに尋ねた。
「はい。よいことです」
ノエルは素直に頷いた。
「でも、渡り竜が減りすぎたら、渡り竜が食べていたツノウサギが増えるでしょ」
「はい。でも、ツノウサギが増えたならハンターに倒してもらえばいいですよね」
「ハンターがツノウサギに手を取られたら、普段ハンターが倒していた魔物はどうなるの?」
「ええと。増える?」
サラは合格だというように頷いた。
「渡り竜の数が戻る何年か何十年の間かわからないけど、ツノウサギは増え続け、ハンターの手は足りなくなる。なんとかなる間はいいけれど、どうしようもなくなったら」
「ダンジョンが溢れちゃうな」
アレンが楽しそうに答えた。ダンジョンが溢れても、自分の活躍の場が増えるくらいにしか思っていない生粋のハンターの言葉である。
「渡り竜を追い払えば済んだものを、数を減らしたせいで先々に面倒が起きるかもしれない。そのくらい、生き物の数のバランスって大事なんだよ」
「ですが、タイリクリクガメは何も食べません」
「うん、どういえばわかってくれるかな」
サラはちょっと説明するのが面倒になってきた。
「確かなのは、タイリクリクガメを討伐しても、先々の影響がまったくないと証明されるまで、私は討伐には反対だってことだよ」
サラにも、自分が適当なことを言ってごまかさず、なぜこんなに丁寧に説明しているのかわからなかったが、さすがに疲れてくる。そこにネリーが戻ってきた。
「ずっと問題なく護送できていたし、ここから王都への道筋で、大きな障害となるところもない。私たち三人が先行しても大丈夫だろうとのことだ」
「僕も行きます」
「俺も!」
ノエルとクンツが手を上げた。
「では使者殿は馬で。私とサラとアレンは身体強化で。ノエルとクンツは馬車で。ただし、追いつけなかった場合は置いていく。自分たちで対応できるな?」
ネリーは一度決まるとてきぱきと手配した。クンツはともかく、ノエルについては断るだろうと思って黙っていたので、サラは少し驚いた。自分たちで対応できるかと尋ねているが、ネリーの視線はクンツに向かっているので、クンツにノエルの面倒を見られるかという意味なのだと思われる。
「その二人は、私が面倒を見よう」
突然、疲れのにじむ声が聞こえた。
「クリス!」
そこにはいつの間にか、ハイドレンジアで竜の忌避薬を作っていたはずのクリスが立っていた。
馬車や馬の気配はなかったので身体強化でやってきたのだろう。いつもの涼しげな様子ではなく、大きく肩で息をしているし、髪はほつれせっかくの美貌も土埃でくすんでしまっている。
「今作れるだけの忌避薬を持ってきた。どうせこのまま王都に届けねばならぬ。途中から話は聞いていたが、私はノエルとクンツと同じ馬車で王都に向かおう。少しでも早くネフに会えてよかった」
そんなところだろうと思っていたサラである。
「すまないが、すぐに馬車で休みたい。移動をするなら早くしてくれないか」
後から来て、その場の主のように振る舞う、それがクリスである。馬車の移動も楽ではないので、ノエルとクンツの顔も若干引きつっているが、サラもこれ以上使者に皮肉を言われるのは嫌だったので、早く出発することには大賛成だった。
サラはハンターではないので、ネリーやアレンほど速くは走れない。だが、魔の山や、その後のローザの町でつけた体力はその後もまったく衰えていない。馬に乗った使者が付いてこられないほどに速く走ることができた。
「久しぶりに三人で過ごせたから、つい楽しくてスピードを上げすぎてしまったな。馬や馬車が付いてこられないのでは意味がないというのに」
ネリーの言う通り、何も語らず、三人で走っていただけなのに、とても安らいだ気持ちでいることができた。
「ここらで待とうぜ。使者はともかく、馬車組は大変だろ。走ったほうが楽なのにな」
「それはネリーとアレンだけだよ」
サラは思わず突っ込みを入れてしまったが、サラもだろという目で見られてしまった。走ってきた方を眺め、使者や馬車が見えてくるのを待ちながら、アレンがサラに尋ねた。
「なあ、サラ。そんなに指名依頼が嫌か」
「うーん、指名依頼はそうでもないの」
サラはアレンになら、どう思われるか気にせずに話すことができた。
「じゃあ、さっき言ってた討伐が嫌なのか」
「うん。タイリクリクガメがかわいそうとかそんなことじゃないからね?」
かわいそうだとは思うが、魔物と共に暮らすこの国のあり方に文句を言うつもりはない。
「あのね、わざわざダンジョンの壁を破ってまでして外に出て、国の南の端から北の端に移動するのって、何か意味があるような気がするの」
「意味、とは?」
これはネリーだ。
「わからない。だけど、タイリクリクガメ自体、他の魔物と違うでしょ? 体が大きいだけでなく、魔力の量がけた違いに多いし、攻撃はともかく、魔法が効かないとか」
「確かに、魔法が効きにくい魔物はいるが、効かない魔物はいないな」
「うん。私のバリアが効かない魔物も初めてだし」
サラの漠然とした不安をどう説明したものだろうか。
「でも、何百年かに一度だけど、定期的に出てくるってことは、それが必要なことだからじゃないかと思うの」
「誰にとって必要なんだ? 例えば渡り竜は、冬は暖かくて餌の多いところに移動するために渡る。つまり、竜の移動は竜にとって必要だが、私たち人には必要はないだろう」
サラは、ネリーが思ったより深く考えていることに少し驚いた。だが、その質問はもっともで、とても納得のいくものである。
「ええとね、魔物とか人にとって、というより、世界にとって必要なんじゃないかな。例えば、雨や雪のように」
サラは、漠然と考えていたことを初めてネリーに説明した。
「何百年かに一度の雨か。それは気が長いな」
ほんのちょっと茶化すようなネリーの言い方は、それでもサラの言うことをきちんと理解していることが伝わるものだった。
「雨のように、必要なものか」
アレンもきちんと話を聞いてくれていた。
「案外、魔力だったりしてな」
「魔力……」
サラは自分の中のあやふやなものが、カチッとはまったような気がした。
「女神は、確か……」
サラは久しぶりに自分が転生した時のことを思い出した。
「この世界は、魔力があふれて困っているくらいだって言ってた。魔力を大量に吸ってくれる人が必要だって。つまり」
サラは自分の憶測を口にするのをちょっとためらった。自信があるわけではないし。
「つまりさ、サラの言いたいのはさ」
アレンが代わりに口に出してくれた。
「タイリクリクガメは、地上の魔力を吸ってダンジョンに戻っていくってことか」
「その、可能性はあるなって」
女神は魔力があふれているとどうなるかまでは言っていなかった。
「つまり、タイリクリクガメを討伐したら、世界に魔力が余ってしまうということか。余ったらどうなる?」
そしてネリーのその疑問に答える知識はサラにはなかった。
「わからない。そもそも推測に過ぎないし」
「ふむ。私たち三人で考えても限界があるな。クリスには聞いてみるとして、もう少し知恵を貸してくれる人がほしいな」
ネリーは顎に手を当てて真剣に考えてくれていて、サラはほんのり心が温かくなった。
「だからね、タイリクリクガメが討伐しなくちゃいけないなら仕方ないけど、そうじゃなかったらと思うと、安易に指名依頼を受けられないと思うんだ」
最終的にサラのアレンへの答えはこれである。
「たとえ王家に頼まれてもか?」
「うん」
サラの顔に王様が浮かんだが、サラが招かれ人だからか、断るということは特に気にならない。
「そうか。そういう理由で断るって考え方もあるんだな。俺、断るなんて考えたこともなかった」
サラはアレンの返事を聞いて、うかがうようにネリーのほうに目をやった。ネリーはサラを保護するために、指名依頼を断ってくれていたはずだ。
「私も今回はなんの疑問も持たず受けるつもりでいた。力があるというのは責任を伴うということだからな」
「でも、私の時は、断ってくれてたよ?」
「サラより大事なものなどないではないか」
「ネリー」
ネリーの言葉が嬉しくてニコニコしてしまうサラである。
「もっとも、今回は指名依頼は受けるが、タイリクリクガメの討伐などできないだろうとも思っているよ」
「そうだな。俺も無理だと思う」
二人の意見は一致した。
「私の攻撃でさえ通らないのに、他の誰ができるというんだ」
「だなー」
やがて馬に乗った使者が、それから馬車組が追い付いてきた。
「ハハハ。なんで皆そんなに疲れているんだよ」
笑い飛ばすアレンには疲れた様子はかけらも見えない。
「おかしいのはお前のほうだアレン。だけど、そうだなあ。俺も馬車よりも走ったほうがいいかも」
「私もだ」
クンツとクリスが腰を叩いていておかしい。
「僕はまだ身体強化で長時間走るのは無理ですが、このいろいろが終わったら、絶対に身体強化をしっかりと身につけると誓います」
ノエルはなぜかサラの方を見て悔しそうに宣言しているが、それでも若いせいか平気な顔をしている。
馬に乗る使者を労り、さすがは貴族のクリスとネリーが交代で馬にも乗り、疲れ果てながらも一行が王都にたどり着いた頃には、タイリクリクガメより三日は先行することができていた。
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詳しくはもう少し後でお知らせしますね。