受けたくない
身体強化で追走すると言っても、全力疾走ではない。王都まで二週間ということは、比較的のんびりした馬車の旅と同じということである。だが、朝日を浴びて動き出し、日が落ちると動きを止めるタイリクリクガメに合わせて旅を進めるのは、予想していたよりずっと、体にはつらいものだった。
サラたち馬車組は、止まる時間を作り出すために、まだ日の上る前に出発し、リクガメに先行する。リクガメが追い付いたら、また馬車で追い越すということを繰り返した。追走するハンターや騎士隊の人たちが休むために馬車に乗り込むこともあり、体力のあるサラでさえ、宿では疲れ果てて倒れ込むように寝てしまう。
ハンターでもないノエルは、サラ以上に疲れていたが、それでも何度タイリクリクガメを目にしてもわくわくした様子を隠さなかったし、ツノウサギが跳ねる草原や、遠くに見えるワタヒツジの群れなど、馬車の旅そのものを楽しんでいたように見えた。
馬車の中で何もやることがなければ、ノエルに請われて身体強化のやり方を教えもした。
ノエルが身体強化を教えてもらっていると自慢すれば、実践派のアレンに外に連れ出され、身体強化で走らされたりもして、やはりアレンもネリーと同じだなと苦笑する。
それでも、仕事はただ移動をするだけのタイリクリクガメを見守るだけで、むしろ親しい仲間と一緒に過ごす時間は楽しく、あっという間に過ぎ去っていく。だが、道程の半分ほどのところに来た時、ほとんど機能していない街道の王都方面から、早馬がやってくるのが見えた。
「定期連絡の馬車とは違うみたいだけど、なにかあったのでしょうか」
サラたちはその時、タイリクリクガメに先行して休憩中だったので、早馬がやってくるところをちょうど目撃することができた。護送の仕事は慣れてくると単調なので、いつもと違うことがありそうだとノエルがソワソワしている。
「王都からの早馬かあ。私は王都にはあまりいい思い出がないからな」
休める時にはしっかり休もうと、その後ものんびりしていると、早馬の使者が、南方騎士隊の責任者を連れてサラの方にやってくるのが見えた。
「あああ、嫌な予感がする。ノエルを迎えに来たとかだといいのに」
「嫌ですよ。せっかく楽しく過ごしているのに家に戻るなんて」
お互いに嫌なことの責任のなすりつけ合いをするくらいには仲よくなっている二人である。
しかし、サラの期待もむなしく、近づいてくる使者の視線はサラに固定されている。
サラは仕方なく立ちあがって使者を待った。
「招かれ人の、イチノーク・ラサーラサ殿とお見受けします」
「ん! いえ、はい、私ですが、サラで大丈夫です」
ネリーが間違えて伝えた、いや間違ってはいないのだが、自分サラのトリルガイア風フルネームを久しぶりに聞いたサラは一瞬返事に詰まってしまった。
「ネフェルタリ殿、アレン殿はタイリクリクガメと並走しているということで、サラ殿に先にお渡ししておきます」
王都からの手紙はロクなことがない。しかも、ネリーとアレンもというのが胡散臭い。だが、渡された手紙はハンターギルドからだったので、少しだけ安心して封をあけてみた。
「うわー」
さっと目を通したサラの口から正直な声が漏れてしまった。
なんと、サラに指名依頼である。
「保護者のネリーと相談して決めます。お使いご苦労様です」
サラは丁寧に礼をして、さっとその場から去り馬車に乗った。ノエルが使者になにか言ってから、慌てて付いてくるのが見えた。
馬車に乗って座席に座ると、自分の手が震えているのが見える。サラにとって指名依頼とは、やりたくないことを無理にやらせられる嫌なものだという印象しかない。突然の指名依頼はサラを動揺させるのに十分だった。
「指名依頼が嫌だったのですか……。そうですよね、か弱い女性が指名依頼などと。いえ、サラがワイバーンを倒すのを僕は見ましたし、ずっと一緒にいて、か弱くないのは知っていますが」
思わず感情が高ぶってしまい、ぽろりと涙を落としたのを見られてしまったのが、年上として恥ずかしい。それをごまかすわけではないが、サラは改めて指名依頼の簡潔な手紙を読み上げてみた。
「イチノーク・ラサーラサ殿。王都騎士隊のタイリクリクガメ討伐への参加を要請する」
ハイドレンジア組部隊の自分たちは、真っすぐに北上するリクガメを王都に護送した時点でお役目終了と思っていた。だが、それより先も自分の力が必要とされれば、その力を貸すことはやぶさかではない。だが、サラの力は本当に必要だろうか。
「自分が手助けできることをするのは、別に嫌じゃないの。でも、魔法が効かない以上バリアは役に立たないし、私が行ってなんの意味があるんだろう」
「ええと、安心感、だと思いますが。招かれ人がいれば何かと心強い気持ちはあります。王都に招かれ人が二人いた時、お二人の噂を聞くのはとても楽しかったですし。特に、私とそう変わらない年のハルト殿が活躍する話はそうでした」
「ハルト。ブラッドリーもだね。懐かしい」
久しぶりに自分以外の招かれ人の名前を聞いたサラの顔は自然と明るさを取り戻す。それでも指名依頼の話はサラを落ち込ませた。
「でも、誰かの安心感のために、自分の時間を使われるのは嫌だな。私、薬師なのに」
そうですねという言葉を期待していたサラは、何も言わないノエルのほうをいぶかしげに見た。
ノエルは何を言おうか言葉を選んでいるように見えた。
「その、サラ。僕はうまいことあなたを慰めることができなくて申し訳ありません。サラの言うこともわかると言えばいいとわかってはいるのですが、指名依頼の内容以前に、指名されるだけの力があるのに、依頼を断るという考え方自体、僕には信じられなくて。正直、戸惑っています」
その言葉に、ノエルに愚痴を言って慰めてもらおうとしていた自分の甘さに気づき、サラはますます恥ずかしくなってしまった。うつむいたまま、手元の手紙に目をやる。
タイリクリクガメの討伐。討伐?
いや待てよとサラは顔を上げた。ハイドレンジアがやっていることは、タイリクリクガメの護送である。タイリクリクガメが魔の山に北上するのを、王都のあたりまで見守る仕事だ。討伐ではない。
「え、討伐ってなに? まさか、王都の部隊は、タイリクリクガメを討伐する気なの? 違うよね」
サラの頭の中はもう、恥ずかしいとかそういう気持ちではなく、討伐という不穏な言葉でいっぱいになっていた。
「ネリーたち、早く戻ってこないかな」
サラは馬車から外に出て、タイリクリクガメと共にやってくるネリーたちを待ちわびた。
その後、実際にタイリクリクガメが通り過ぎるのを呆然と見送った使者は、戻ってきたネリーとアレンに、指名依頼の手紙を手渡した。
ネリーは何かを悟ったような顔をして静かに手紙を開けてみているが、アレンはサラと同じように戸惑っている。だが、手紙を開けて読むと、目を大きく見開いて驚いている。
「俺に、指名依頼? ネリーだけじゃなく?」
思わずサラを探したのか、アレンがきょろきょろとしたので、サラは手紙を持った手を大きく振った。
それを見たアレンの顔が明るくなった。ネリーと自分にだけでなく、サラにも依頼が来たのがわかってほっとしたのだろう。
指名依頼は本来ならギルドを通してくるものなので、使者が来たということは今回の依頼がそれほど急だったということだ。ネリーはと言えば、
「お役目ご苦労」
と一言返していただけだった。
使者に、指名依頼を受けるかどうか返事をする必要はない。参加するなら、このまま王都の騎士隊の作戦に合流すればいいだけだ。もっとも、参加しない場合どうするかは書いていない。
「サラ! サラのところにも来たんだな、指名依頼」
アレンが弾んだ声でやってきた。それはそうだろう。ハンターにとっては、指名依頼は実力が認められた証拠だからだ。
「うん。やっぱりアレンも?」
「ああ。ほら」
お互い手に持っている手紙を開いて見せると、まったく同じ内容だった。
「いいなあ。俺もいつか指名依頼をもらえるように頑張りたいけど、今はちょっとそんな自信がなくなってきたよ」
アレンと一緒に来ていたクンツが、寂しそうな笑みを浮かべている。パーティを組んでいる仲間だけに指名依頼が来たら、それはつらいだろうとサラはクンツのほうに向いて、その顔色の悪さにちょっと驚いた。
「クンツ。大丈夫?」
「けっこうしんどい。はあ、疲れた」
クンツはその場に座り込んで、肩で大きく息をしている。アレンも隣に座り込んで、気づかわしそうにしている。
「クンツ、自動的に俺と組まされているから。一番体力を使うところだもんな」
「ああ。体力馬鹿たちと一緒に行動するの、本当に大変だよ。それにタイリクリクガメの魔力の圧が大きくてな。けっこう負担になってる」
サラはふと気が付いて、ポーチからとっておきのヤブイチゴのジュースを冷やして出してあげた。
「うわっ、これうまいな!」
クンツの顔色がよくなったので、サラはほっとする。
「サラ。勘違いしないでくれよ。俺、アレンのそばにいるから、自分よりちょっと実力が上の仕事がもらえてるし、すごくありがたいと思ってる。そのおかげで、力も伸びてるんだし。でもな、それでも元々の魔力はそう多くないし、それは努力してもすごく増えるわけじゃない」
お話の中のように魔力がどんどん増えるということはないらしい。
「だから、正直仕事がつらい時もある。けど、しんどくても嬉しい。そして、まだ指名依頼を受けるほどの力がないこともわかってるから、落ち込んだりしてない。単にうらやましいだけだ」
アレンはローザにいた時から一人だった。それは、アレンの魔力が人よりだいぶ大きいからで、一緒にいられるのは魔力の大きい大人かサラくらいのものだった。
魔力の圧を押さえられるようになった今でも、アレンの実力は飛びぬけていて、同世代でアレンと対等なハンターはいないだろう。クンツも実力はだいぶ落ちる。
それでも、プライドより実を取ることができて、向上心のあるクンツはアレンにとってはとても大切な仲間になっている。
「指名依頼については、俺のことは気にするな。それと、思ったより体力がなくてごめんな」
自分の力や気持ちを正確に把握し、ハハッと情けない笑いを上げることができるクンツこそ、この魔力底なしのメンバーに本当に必要なのかもしれないとサラは思うのだった。
「サラ、私にもヤブイチゴのジュースをくれ」
黙って話を聞いていたネリーが口を開いたかと思うとこれだった。
「いいよ。はい」
「久しぶりだな。サラのジュースは」
ネリーもほっと息をついたということは、平然としているが疲れているということなのだろう。
「ところで、サラにも指名依頼が来たようだが、何か悩んでいるのか?」
ネリーは、アレンと違ってサラが喜んでいないということに気が付いたようだ。
サラは素直に頷いた。
「うん。まず受けたくない」
その言葉に、サラを中心として沈黙が広がった。
「な、なんでだ? サラは嬉しくないのか?」
クンツが理解できないという顔をした。驚いた様子が見えないのは、さっきその話をしたノエルと、ネリーとアレンだけだ。
「そもそも私、ハンターじゃないから」
「それだけが理由か?」
尋ねたのはネリーだ。ハンターではなくても、この間のハイドレンジアの町でのできごとのように、誰かが困っていたら力を貸すのを拒まない、サラがそういう人だと知っているからこそ出る問いである。
「内容に納得できないの」
サラは素直にそういった。
「何をいまさら。サラ殿は既に、討伐に参加しているではありませんか」
使者が不思議そうだ。
「私は討伐には参加していません」
サラの返事はきっぱりしたものだった。何を言っているのかという目で見られるのは二回目だ。
「私が参加しているのは、護送です。つまり、タイリクリクガメの進路を見守ることであって、討伐ではありません」
詭弁のように聞こえるかもしれないと思いつつ、サラは先ほどの疑問を使者にぶつけた。
「むしろこちらが聞きたいです。手紙には討伐と書いてありましたが、王都の騎士隊はまさかタイリクリクガメに攻撃するつもりですか?」
「そ、そこまでは聞いておりません。それに護送も討伐もたいして変わらないでしょうに」
サラも、使者がそこまで知っているとは期待していなかったので、がっかりはしない。
「全然違います。私は求められているのが討伐なら断ります。今と同じ仕事ならたぶん受けます。仕事の内容がはっきりするまでは、受けるとも受けないとも言いたくない」
もやもやした気持ちではあったけれども、サラは今の決意をはっきりと口にした。
「サラ、それは」
ネリーが戸惑ったようにサラの名前を呼ぶが、そのまま口を閉じる。ネリーには、保護者として、サラの行動に口出しする権利はある。だが、迷いながらもサラの意思を尊重してくれたのだろう。
使者はぐっと口元を引き締めた。
「では、指名依頼を受けるにしても受けないにしても、お三方には、私と共に王都に先行してもらいます。それも、できるだけ早くです」
サラはたいした仕事をしているわけではないので、言われた通りにしてもかまわなかったが、ネリーとアレンが抜けると、ハイドレンジアにはかなりの戦力ダウンである。ネリーが急いで責任者に確認を取りに行った。
使者と共に残されたサラはとても気まずかったが、お互いに沈黙を守って冷戦状態である。そんな沈黙に我関せずなのがアレンとクンツだ。
その中でノエルがおずおずと口を開いた。
「サラ。ハイドレンジアのハンターギルドも、タイリクリクガメに攻撃を試していたと聞きました。なぜ王都の騎士隊が攻撃することに反対なのですか」
サラはどこから説明したものかと悩む。
「攻撃を試してたのは、王都のためだよ」
我関せずという顔をしていたアレンが代わりに答えてくれた。
「王都のため、というと?」
「今回のタイリクリクガメの進路は、王都にかするかもしれない。だから、どうしたらリクガメに影響を与えて進路をずらせるかの実験のために攻撃したんだ。討伐するためじゃないよ」
サラが招かれ人の立場で何を話しても、使者やノエルには響きそうにないなと思っていたので、アレンがサラの立場で説明してくれるのは本当に助かる。
「でも、討伐したら、王都だけでなくローザも助かるのでは?」
「どうなんだ? サラ」
それについては答えを持っていなかったようで、アレンはあっさりサラに投げてきた。
「それはね」
サラは気持ちを落ち着かせるために息大きく息を吐いた。




