覚悟はいいか
「サラ! おはよう」
「ネリー!」
少し寝ぼけた顔のネリーが食堂に入ってきた。よほどのことがない限りメイドの手伝いは断っているので、結った髪が少しぼさぼさだ。起きたらサラがいなかったので慌てて支度してきたに違いない。
ネリーは立ち上がったサラをもっと小さかった頃のようにギュッと抱きしめると、満面の笑みを浮かべた。
「ワイバーンを倒したと聞いたぞ。さすが私のサラだ」
「倒したって言っても、いつものようにバリアにぶつかってきただけなんだよ」
また同じ言い訳をするサラに、ネリーは首を左右に振った。
「それがどうした。サラのバリアはサラの盾でもあり剣でもあるというだけのことだろう。私にとってのこれのようなものだ」
そう言うとこぶしをぐっと握って見せるようすに、サラは目をきらめかせた。
「ネリー、やっぱりかっこいいよ!」
「そ、そうか」
そして照れてほんのり赤くなるネリーはかわいい。
「さ、朝ご飯にしてもらおうよ」
「そうだな」
クリスとサラがお茶を飲む間控えてくれていた給仕の人がいそいそと動き出してくれた。
「クリスからだいたいのことは聞いたけど」
「そうか。そう言えばクリスはどうした」
朝もうっとうしいくらいネリーにまとわりつくクリスがいないことにやっと気が付いたらしい。
「先に薬師ギルドに行くって。タイリクリクガメに忌避薬が効くかもっていう話になって」
「カメにか。竜とはだいぶ違うようだが」
「それがね」
サラはさっきもした説明を繰り返した。
「さすがに招かれ人の知識は一味違うな」
「こっちのカメと竜が同じかどうかはわからないけどね」
そんな話をしていたら、ライがやってきた。
「おはよう、ネフェル、サラ」
「おはようございます」
「父様、おはようございます」
ライは疲れを隠せない様子でドカッと椅子に座り込んだ。
「さすがにこの年では夜更かしはこたえるな。タイリクリクガメも、何も私の代で現れなくてもよかろうに」
「ほんとにそうですよね。あ、もちろんタイリクリクガメの話ですけど」
サラもうんうんと頷いた。
「ありがとうよ、サラ。さて、もう二人から聞いたと思うが」
褒めることを優先してくれたネリーからはまだ何も聞いていないが、サラはおとなしくライの言葉を待った。
「ハイドレンジアとしては、タイリクリクガメがダンジョンの外に出て北に向かったら、王都の近くまで護送することとなるだろう」
「護送、ですか?」
護送とは、守りながら送り届けるということになる。
「そうだ。渡り竜と同じく、できるだけ傷つけることなく、無事に北へと進路を取らせる」
「そういうものなんですね」
サラとて、家ほどもある大きなカメが近くにいたら、退治するより遠くに行ってほしいと思うだろう。
「今までの記録を見ても、攻撃も魔法も効かないとある。だが、どの時代のタイリクリクガメも、魔の山に入っていつの間にかいなくなっていることは共通しているからな。私としては、南部の安全が保たれればそれでいい」
領主としてはそれが正しいと思うサラに、不満はない。
「ハンターギルドには基本的に、壁が揺らいでいるダンジョンの管理を強化してもらい、数人の優秀なハンターと南方騎士隊が護送を務める」
サラはふむふむと頷いた。クリスの説明を聞いてもいないのに、ライの説明はちょうどクリスの足りないところを補ってくれているようだった。そこまで説明すると、ライはサラの方を申し訳なさそうに見た。
「サラにはネフェルと共に、王都までの護送に参加してもらいたいのだが、大丈夫だろうか」
「大丈夫です」
本当はちっとも大丈夫ではないのだが、サラは反射的にそう答えていた。
サラは招かれ人として何らかの仕事に参加するのだろうなと思ってはいたのだが、それがカメの護送だとは思いもよらず、戸惑いが先に立ったのは確かだ。だが、ネリーと一緒と言われて自然に了承の言葉が口から滑り出てしまっていた。
ちょっと不安だけれど、大丈夫。だが、サラは先ほどのライの言葉に、ちょっと気にかかる部分があった。
「あの、ライ。私の役割って、いざという時バリアを使うことだと思うんですが。さっき、タイリクリクガメには魔法が効かないって言ってましたけど、私のバリアも効かないんじゃないでしょうか」
「ふむ。確かにあてにしていた部分はある」
ライは髭をひねってなるほどという顔をした。
「まあ、バリアのない時代もなんとかなったのだ。とりあえずハイドレンジアが戦力を出し惜しんだと言われないために、サラは賑やかしとして参加してくれればよい」
「招かれ人としてですね。そういうことなら大丈夫です」
サラはもう招かれ人であることを隠していない。ライや身近な人が助かるなら、招かれ人であるということをどんと前に出していけばよいと思っている。
「それでも私、タイリクリクガメに、本当にバリアが効かないかどうかは試してみたいなあ」
そうサラがつぶやくと、それまで黙って話を聞いていたネリーがニコッと笑った。
「いいぞ」
「え?」
「いいぞと言った」
ネリーは二度いいぞと繰り返すと、理由を説明してくれた。
「タイリクリクガメがダンジョンの外に出るまで、推定七日ある。その間、タイリクリクガメには申し訳ないが、物理攻撃、魔法攻撃が本当に効かないのかどうか試してみる予定なんだ」
「でも、暴れたら危なくない?」
「だからダンジョンにいるうちにやるんだ」
こんなことを言うとなんなのだが、サラはネリーが頭を使っていろいろ作戦を考えていることに感動した。ネリーなら、身体強化で押せばタイリクリクガメでもなんとかなると言いそうだと思っていたからだ。黙りこんだサラを見て、ネリーが渋い顔をする。
「サラ。いくら私でもそこまでではないぞ」
「何も言ってないよ、私」
「言ってないが、伝わってきた」
「ハハハ、気のせいだと思う」
じっとりとにらまれるという貴重な体験をしたサラだが、ネリーはすぐに真面目な顔に戻った。
「まあ、一度見てみたらわかる。あれは力技や小手先の対策でどうにかなるものではない。まさに天災そのものだからな」
その言葉は、その日ネリーと一緒にダンジョンに入ってみてはじめて理解できた。
アレンやクンツ、それに他のベテランハンターたちと並んで深層まで駆け抜けたサラは、深く潜るにつれ、ドシン、ドシンというかすかな揺れを感じて驚いた。
「もしかして……」
サラの疑問にはネリーが即答する。
「そうだ。タイリクリクガメの足音だ」
「階層を越えて響いてくるって相当だな」
クンツがヒューと口笛を吹く。
「それにしても」
サラは走りながらあたりを見渡した。
低層階ではたまにしか見かけなかったヘルハウンドが遠くで群れているのや、オオツノジカを追いかけているのが見える。当然、空にはワイバーンが飛んでいる。
「ちょっと魔の山みたい。懐かしい」
「同じように見えても、魔の山よりは魔物は弱いぞ」
サラとネリーの会話にクンツがあきれたように頭を左右に振った。
「その会話、おかしいって。サラもネリーも本当に特殊な環境にいたんだな」
サラもローザに来るまでは特殊な環境だとは知らなかったので、そう言われてもちょっと困る。
やがて揺れだけでなく、音まで聞こえるようになった階で、ネリーは足を止めた。
「12階。昨日の夜13階で止まった奴は、今日この時間ならおそらくこの階にいる。ほら」
ドシン、ドシンと響くたびに、森から羽の生えた魔物が飛び立つのが見える。同時に、昨日からカメを見張っていたハンターたちとも合流した。
サラにとっては初めて見る魔物だ。時折バリバリと聞こえるのは、木が倒されている音だろうか。
「覚悟はいいか」
ネリーの言葉にサラたち三人と、ハンターたちは頷いた。
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