トカゲもカメも
大遅刻ですが、更新です!
踵を返して町に向かうと、さっきはいなかった南方騎士隊の姿があった。ダンジョンの方角を注視しながらも、町のあちこちに立って警備している騎士隊に見守られながら家路に急ぐ町の人がいる光景は、サラをほっとさせた。
ハンターの仕事は魔物を狩ることであって、人を守ることではない。だから魔物を狩り尽くした後、サラを含めハンターはすぐに町からいなくなった。どう行動すべきか戸惑った町の人を守り導いたのが騎士隊ということなのだろう。
それを眺めながら屋敷に急ぐサラの目に、ライの姿が写った。騎士隊になにやら指示を出している。さすがご領主である。
「ライ」
「おお、サラ」
「セディが、後で報告に行くからって言ってました」
まず一番大事なことを伝えなくてはとサラは意気込んだ。
「セディが来たか」
ライはあからさまにほっとした顔をした。少し肩の力も抜けたようだ。
「ダンジョンから魔物が出たと連絡が来てすぐに、セディのいそうなところに使者を出したからな。間に合ってよかった」
「ネリーとザッカリーが深層階にいたらしくて、セディが来てくれてハンターの皆さんもずいぶん落ち着いたみたいでした。あ」
サラはそこで大事なことに気が付いた。ダンジョンから魔物があふれた報告は受けていても、ネリーとザッカリーからの報告は受けていないのではないか。
「あの、そのネリーとザッカリーからの報告で、深層階にタイリクリクガメが出現したらしいです」
「は」
ライは何のことだか理解できないという表情を浮かべ、こめかみに手を当てた。もしかして知らないのだろうかと思い、サラは説明を足した。
「あの、家一軒分くらいあるみたいで」
「いや、それは知っている。ただ、頭が理解したくないと言っていただけだ」
頭が理解したくないという説明は、異世界にやってきたサラにはとてもよくわかる。
「そうか、タイリクリクガメか。なぜハイドレンジアから?」
領主としてはやはり気になるのはそこなのだろう。誰にともなく問いかけた。もちろん、答えはない。
「セディも同じことを言ってました」
「だろうな」
「ハイドレンジアの真北に王都がある、とも」
ライは虚をつかれた顔をして、大きく目を見開いた。
「サラ、すまない。一緒に屋敷に帰ろうと思っていたが、私はハンターギルドに向かう。先に食事を済ませて休んでいてくれ」
「はい」
セディにもライにも、自分がいらないと言われた気がしてちょっと寂しかったが、サラは素直に頷いた。
ライは再び騎士隊に指示を出した後、ハンターギルド方面に向かったが、すぐにまた戻ってきた。
「サラ」
「はい?」
どうしたのだろうとサラが首を傾げると、ライはいきなりサラのことをぎゅっと抱きしめた。
「ら、ライ。どうしたの?」
ライは抱きしめていた手をゆるめると、肩に手を当ててサラの顔をのぞき込み、ニコッと笑みを浮かべた。
「サラ、ワイバーンを倒したと聞いたぞ」
「あ、それはバリアにぶつかっただけで、倒したわけじゃないの」
それを聞いても、ライはニコニコとしたまま首を横に振った。
「ワイバーンをも防ぐ絶対防御。言った通りだったな。迷いもせず飛び出して町の人を救ったとも聞いた。サラ、私はお前のことを誇らしく思う」
「はい」
サラはその言葉に思わず涙がにじんだ。
なにげなく、いつものように帰ろうとしていたけれど、今日のサラはいつものサラではない。町の人を助けるために無我夢中で飛び出し、ハンターでもないのに魔物と戦ったサラなのだ。
元は大人とはいえ、15歳の少女には少々荷が重かった一日をライがねぎらってくれたことで、ようやっと気が緩み、報われたような気持ちになる。
気持ちを切り替えて屋敷に戻り、ライとネリー、それにクリスの帰りを待つサラだったが、その日のうちに三人が帰ってくることはなかった。
次の日、サラは目が覚めると、急いで隣のネリーのベッドを見た。布団が盛り上がって赤い髪がはみ出しているのを見てほっとする。日付は変わっても夜のうちに戻ってはこれたらしい。
魔の山では別の部屋に寝ていたが、ハイドレンジアに来てからは、最初に泊まった東の塔の部屋でいつも一緒に休んでいる。そろそろ自分の部屋を、とも思うが、ネリーが何も言わないのをいいことに甘えている自覚はある。
サラは音を立てないように布団から出ると、静かに着替えて部屋から出た。
朝食のテーブルには、クリスが一人座ってお茶のカップを傾けていた。寝不足だろうに、きちんとうしろでまとめられた銀髪は朝日にきらめき、相変わらず端正な顔立ちである。
「クリス、おはようございます」
「ああ、サラ。おはよう」
そうして立ち上がると、手ずからお茶を入れてくれた。そしてふっと微笑んだ。
「昨日、ワイバーンを倒したそうだな」
「倒したというか、勝手にバリアにぶつかって」
この説明はこれで何度目だろうと少しうんざりする。
「どういうやり方だろうと町の人を守ったのだから、素直に褒められておけ」
つまり、珍しくサラのことを褒めているんだろうなと思うが、ちっとも褒められた気がしないのがクリスである。
「さて、あとでまた聞かされるかもしれないが、一応私から先に昨日のことを話しておく」
クリスはサラの向かいの席に戻ると、足をゆったりと組んだ。
「タイリクリクガメは、ダンジョンの揺らぎの壁を通って、一日で二つ上の階層に進んだ」
「一日で二階分……ということは」
「ハイドレンジアのダンジョンは15階ある。八日目には外に出るということだ」
それは早いというのか遅いというのかはサラにはわからず、なんと返事をしていいか迷う。
しかし、クリスはサラの反応を気にも留めずたんたんと説明を続けた。
「どうやら夜は動かない。日が沈んだ時間にはピタリと動きを止めた。朝は確認していないが、おそらく日が出たら動き始め、夜になったら止まる。伝承にもそのようにあったように思う。今確認中だが」
サラはふんふんと頷きながら話を聞いた。
「八日後に、いや今日からだと七日後か、ダンジョンを出てからは、真っすぐに北の魔の山を目指す。途中に何があっても曲がることはないので、このままだと王都の東をかすることになる。したがって昨日のうちに王都にも伝令を出した」
かするという言い方をしているけれど、実際にどのくらいの被害が出るのか予想もつかない。
「この速さだと、王都まで二週間、そこからローザまで二週間、そして魔の山まで二日ほどでたどり着く」
体が大きいせいか、思ったより動きが速い。
「だが、よく考えてみると、意外と問題は小さい」
「小さい?」
サラは意外に思って聞き返した。
「ああ、少なくともハイドレンジアのことだけを考えればな」
「つまり、えーと」
「ハイドレンジアのダンジョンからタイリクリクガメが出たら、あとは見送るだけだ。そしてダンジョンの壁の揺らぎが収まるまで、いつもより丁寧に監視し対応するだけでいい」
「なるほど」
昨日ワイバーンやヘルハウンドが出てきた時こそ大騒ぎになったが、問題になるのはそこだけだ。
「ダンジョンの異変がタイリクリクガメのせいなら、いなくなればおさまるということですか」
「その通り」
その結論が出たから、ネリーたちも一旦は帰ってこられたのだろう。
「でも」
サラはローザの町のことを思う。ハンターギルドの人たちはもちろん、食堂のおばさん、それに町の外住みの人やたくさんの屋台など。城壁の中にも外にも、たくさんの思い出がある。
「ローザが気になるか」
「はい」
サラは大きく頷いた。
「私もそうだ。ネフの後を追ってきたことがきっかけとはいえ、長い間ローザの薬師ギルドにいたのだからな」
クリスに出会った時は最初は不信感しかなかったが、ギルド長として薬師ギルドを取りまとめてきたのだ。やはり思い入れがあるのだろう。
「だがローザの第三層は、こういう時のためにある」
「でも、第三にしか住めない人が家や店を壊されたら、やり直しは大変ですよね……」
「そうだな」
冷たいようだが、それがローザという町の成り立ちなのだ。
「私はなにか手伝うことはありますか。カレンからは、ハンターギルドの手伝いを優先していいと言われているんです」
「カレンがか。そうか」
クリスは意外そうに軽く目を見開いた。
「サラはそれでいいのか?」
「はい。薬師の修業をする時間はこれから先もありますから。急いでも仕方がないし」
ローザでハンターギルドの身分証をもらった時にサラは、やっとこの世界で生きる権利が認められたと思った。そこから先の大事なことは、自立してネリーと一緒にいるということだけで、それを見失わなければいいのである。
「私個人としては、サラに特に望むものはない。タイリクリクガメが出現した時代に立ち会うことができたのは興味深いが、薬師としてやるべきことはいざという時のためのポーションの増産くらいだから、薬師としてのサラの成長にも、特に役立つとは思えないしな」
ハンターギルドから何かを求められるかもしれないから、それは好きにするといいという、大変突き放した答えが返ってきたので、サラは苦笑するしかない。とてもクリスらしかったからだ。
それだからか、なんとなく他人事なクリスを、ちょっとからかってやりたくなった。
「本当に薬師としてやるべきことがそれしかないと思うんですか?」
「どういうことだ?」
クリスはいぶかしげだ。
「私の国では、カメとトカゲは同じ爬虫類で、つまり仲間なんです」
「同じ仲間? あんなに形が違うのにか」
「はい。そして私の国にはワイバーンも渡り竜もいなかったけれど、トカゲは竜の仲間だと思うんです」
竜は伝説上の生き物だから仲間と言うのはおかしいが、要は空を飛ぶトカゲだと思えば同じ仲間だろうとサラは思うのだ。
「トカゲはカメと同じ分類。そしてトカゲは竜と同じ。ということは」
「カメは竜と同じ特質を持つのかも、ということです」
「つまり」
クリスは一瞬そこになにかがあるかのように宙を見つめたのち、ぽつりと言葉を落とした。
「ワイバーンや渡り竜と同じ、竜の忌避薬が効く可能性がある」
「かもしれませんね」
サラのその考えは想像にしか過ぎないが、クリスが思いつかなかったことを指摘できてちょっと気分がいい。
「渡り竜の季節は終わった。在庫はすべて王都に送ってしまった」
確かに、竜の忌避薬は普通のダンジョンでは使わないから、在庫を置く必要はない。狩るはずのワイバーンが逃げてしまっては意味がないからだ。
そりゃそうだとサラが頷いていると、クリスはすっと立ち上がる。
「ネフには、私が薬師ギルドに向かったと伝えてくれるか」
「ええ? は、はい」
「では失礼する」
「はい?」
他人のような挨拶なのは、もうすでにサラのことは目に入っていないからなのだろう。サラと話をして、忌避薬の可能性を試してみたくなったに違いない。
「でも、このくらい自分勝手なほうがクリスって感じがする」
サラはクスクスと笑いながら、少し冷めた紅茶を飲んだ。
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