黒いもの、黒いもの
投稿遅れましたが、今朝分です。
それならばすぐに試してみようということになり、サラは次の日はお仕事を休むことになった。
そうしてハンターギルド長のザッカリー、副ギルド長のネリー、クリス他数人の集団と共にダンジョンの前にいる。
「正確には薬師ギルドをお休みするのであって、お仕事をすることには変わりはないんだけどね」
自分から言い出したことだから文句はないが、特別手当が出ると聞いてほっとしたのも事実だ。
「ぶつぶつ言ってないで、早くダンジョンに行こうぜ」
「ワクワクしても、なにもないからね? 壁にバリアをぶつけてみるだけだからね」
どう見ても浮かれている嬉しそうなアレンにため息をつきながら、そのアレンとクンツに守られている小さい影にちらっと眼をやった。
「大丈夫だ。今日の俺たちの仕事はノエルの護衛だからな。サラとの狩じゃないってことはわかってる」
二人に前後を挟まれたノエルは、少し不安そうだが真剣な目をしている。ハンターでもないうえ、貴族の子息をダンジョンに連れてきていいのかというサラの声に出さない疑問には、クリスが答えてくれた。
「こちらに一緒に来た時に、ヒルズ家から、王都ではできない経験をできるだけたくさん積ませてほしいと頼まれている」
宰相家は意外とスパルタだなあと思うと同時に、経験ってこういうことでいいんだろうかと疑問に思うサラだが、一方でもう自分はアレンから守られる立場ではないのだなということにちょっと寂しい気もする。
「さ、それでは出発だ」
ザッカリーの声と共に出発した一行だが、その真ん中でサラは、ニジイロアゲハを退治したときのことを懐かしく思い出していた。覚えていた通り、通路を出てすぐに、地下とは思えない草原と森が出現する。あの時あふれんばかりにいたニジイロアゲハは、森のそばにひらりと何匹か舞っているだけだ。
「入り口から左回りに確かめていきたいんだが、サラ、行けるか」
ザッカリーの問いかけにサラはしっかりと頷いた。
「はい。とにかくまず、実際にできるかどうかやってみますね」
サラはそう言うと、自分の身にまとっていたバリアを、まず一行を守るように大きく広げた。
「わからないかもしれませんが、今全員をバリアの範囲に入れました」
「ぜんぜんわからない」
ノエルの小さな声が聞こえたが、サラが答える前にアレンが森のほうを指さした。
「ほら、見てみろ。ニジイロアゲハが近づいてくる。サラがいるからだな」
サラはその言葉にちょっと肩を落とした。なぜだかわからないが、ニジイロアゲハは気が付くとサラの周りに集まってこようとする。高山オオカミもだろうという心の声は聞こえなかったことにする。
「ど、どんどん近づいてきていますが、大丈夫でしょうか」
「まあ、見てろよ」
ダンジョンの魔物など見たことのないノエルだが、アレンの言葉に頷き静かにするだけ立派であるとサラは思う。ニジイロアゲハは思わず手を伸ばしたくなる美しさなのだから。
ニジイロアゲハはひらひらと舞うように近づいてきたが、少し離れたところでふっと弾かれた。
「あそこに見えない壁があるみたいです。まるでガラスのようだ」
「その通りだ。サラのバリアは見えない壁みたいなものなんだよ」
サラを仕事に集中させるため、アレンが代わりに説明をしてくれている間にも、明かりに当たっては弾かれる夜の虫のように、ニジイロアゲハも跳ね返ってはぶつかってくる。
「さ、サラ。そろそろいいか」
ザッカリーの声に頷いたサラは、壁の方に向き直ると、バリアをゆっくりと広げていった。
「今、バリアが壁に当たりました」
サラの報告と同時に、ノエルの興奮した声が聞こえた。
「すごい。ニジイロアゲハが遠くに押されてる」
サラのバリアは一方向だけに伸ばすことも可能だが、全方向に丸く伸ばしたほうが楽なのだ。ノエルの反応を楽しく思いながらも、サラは壁に触れたバリアに感覚を集中した。
サラのバリアはなんでも弾くが、弾く感覚は意識すれば感じることも遮断することもできるようになっていた。
「壁の感覚はわかるか、サラ」
「うん、ネリー。でこぼこしているのがなんとなくわかる。このまま左手の方に歩いて移動しますね」
サラはそう宣言すると、壁の感覚に集中しながら移動し始めた。ダンジョンの中をぞろぞろと集団が移動するのはちょっと笑えるが、それぞれがダンジョン内の様子をしっかりと観察していて真剣である。ただ、時折漏れるノエルの感嘆の声が、その緊張を和らげていた。ダンジョンの景色も、たまに現れる魔物もすべてが珍しいのだろう。
しばらく進むと、森に入る。目の端に大きな黒い生き物がいたような気がするが、サラのバリアで押されて木の陰に消えてしまったので、初めからいないのと同じである。大きなムカデのような気がしたが、サラは見なかったことにし、壁に集中した。
「なぜ木々は弾かれないのでしょう」
「サラにとって危険ではないからだよ」
弾いたり弾かなかったりという不思議現象を考えすぎると、バリアがすべての物を弾いてしまうので、サラは細かくは条件付けしないようにしている。
だが、木々の間をゆっくりと進むサラのバリアは、確かに魔物と壁以外は弾いていないようだ。
そんなサラの目の端に、また黒い物がちらついたが、先ほどとは違ってネリーとザッカリーの体に緊張が走った。
「ヘルハウンド数頭。注意を怠るな」
「はい」
ザッカリーへ静かに返事を返したのはクンツだ。このメンバーの中で、自分だけが一人ではヘルハウンドを倒すことができないことを自覚しているからだ。
ダンジョンの第一層には、ハンターになりたての初心者もやってくる。もしヘルハウンドに出会いでもしたら、怪我では済まされない。ネリーがすっとバリアから出ていく。先ほどのヘルハウンドを倒しに行くのだろう。
普段なら気にしない、人がバリアを出ていく気配を感じるサラだったが、同時に壁沿いにふっと力が抜ける感じがし、思わず立ち止まった。思いがけない気配に心臓が大きくドクンと波打ったような気がする。
「なにか、変な感じがします」
サラは違和感のある壁の方に少し強くバリアを押し込んでみた。するとどうだろう。
「するするとバリアが入っていく。穴みたいなものがあるみたいです」
「まさか」
ザッカリーが思わずといったように否定の声を上げる。サラの提案で抜け穴を探すと言っても、本当にあると思っていたわけではなく、なんの手立てもない状況の中、念のために可能性をつぶす程度の気持ちだったのだろう。
「こっちです。近づいてみましょう」
サラはその手ごたえのない壁の方に動き始めた。
木々の隙間を縫って進むと、壁沿いの草地に行き当たった。
どうやらあっという間にヘルハウンドを倒したらしいネリーが、バリアから出て行った時と同じようにすっと合流する。
「ここです」
サラが指さしたところには、壁があるだけだった。だが、サラの感触では、確かにバリアはこの壁にめり込んでいる。
「なにもないように見えるが」
ザッカリーのつぶやきに、それまで静かにしていたクリスが地面を指した。
「見てみろ。草が踏みつぶされている。けもの道のようにな」
けもの道という言葉に全員が地面に注目した。
確かに、草地は何かに踏み荒らされているように見えた。
だが、感心したように下を観察する一行の中で、サラだけはそれどころではなかった。
「う、き、え」
思わず一歩下がったサラを、ネリーが支えてくれる。
「どうした、サラ」
「バリアの先に、何かがぶつかってる。まるで、まるで」
普段は感じないようにしているその感触が気持ち悪い。
「何かが体当たりしているような、うう。弾き飛ばしてもいい?」
ネリーはサラの言葉に一瞬悩むそぶりを見せたが、すぐに決断した。
「すまんが、駄目だ」
「ええ……」
優しいネリーにしては珍しいことに、お願いを断られたサラは戸惑った。
「ゆっくりと、バリアを手前に戻してくれないか」
「う、うん」
ぶつかってくるなにかに押し戻されるように、少しずつバリアを小さくしていく。
「そろそろ何かが出てくるよ。皆注意してね」
そこから先は、あまり思い出したくない。サラのバリアが壁からゆっくりと離れると同時に、今まで体当たりしたであろう何かが顔を出し、その顔だけがバリアと壁の隙間から抜け出ようともがく姿を間近で眺めることになったからだ。
「ひいっ。お、オオカミはいらないよう」
「ヘルハウンド。こんなところから湧き出ていたのか……」
ザッカリーには感心していないでこれをどうするのか決めてほしいサラである。
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