ダンジョンへ
ゴールデントラウトの他にもライのお屋敷の料理人が工夫してくれたおいしい昼食を食べ終わると、空の食器を片付けて食休みだ。
「午後からも私たち、もう少し薬草採取していくけど、アレンとクンツはどうする?」
サラがそう尋ねると、座りながら湖にポイポイと石を投げていたクンツが振り返った。
「俺たちはダンジョンに戻るよ」
「また?」
熱心なことだ。
「そうはいっても、ネリーもクリスもダンジョンに入ってるだろ」
「うん。なんだかダンジョンの様子が気になるとかで、最近あんまり休みを取らないんだよね」
「副ギルド長だしな」
「クンツ、詳しいこと知ってる?」
こういう時は情報通のクンツにきいてみるに限る。ネリーに直接聞けばいいのだが、口下手で要領を得ないことがあるのだ。
「ああ、二年前さ、ニジイロアゲハの大量発生があったろ」
「うん」
あの時はサラもダンジョンに入って協力したのだった。
「あれから、ダンジョンの魔物の生息域が少しずつずれて、低層階の魔物が上層にまで来たりして、前の常識があてにならないって古参のハンターが嘆いてるくらいでさ」
「ふうん」
ネリーとアレンが基準のサラには、今一つわからないのだが、ヘルハウンドなどはなかなかに強い魔物らしい。それが一階にまでちらほらいるんだそうだ。
「サラもダンジョンに行ったからわかるだろ。階層の間には安全地帯があって、そこには魔物が入れないから安全地帯なんだ」
「うん?」
「わかってないな」
クンツはぼやくとしっかりとサラの方に体を向けた。
「魔物はどうやって上に来てる? 自然発生でなければ、階と階との間の安全地帯をすり抜けてることになる。そんなことがあるか?」
安全地帯で休んでいる時に、急に下の階からヘルハウンドが顔を出したら? サラはようやっと問題を理解した。
「安全地帯が弱くなっているってこと?」
「それがわからないんだよ。安全地帯で魔物と行き違ったハンターなんていないのが現状だし」
普段起きない状況がそこにあるということはわかっても、その原因はわかっていないのだという。
「危険な状況でもあるから、今はある程度の強さの」
クンツはそこで言葉を切ってフッと口の端を上げた。
「ある程度の強さのハンターは、なるべくダンジョンに入って魔物を減らし、状況を観察してくれって言われてるんだよ」
初めて会った時に、初心者を脱したばかりだったはずのクンツだが、様々な経験を経てずいぶん自信をつけたようだ。
「そうなんだ。すごいね」
「まあね」
とりあえずすごいねと言っておけば間違いはない。実際にアレンと二人、若手では一番の強さのはずである。
話が区切れたところで、アレンがすっと立ち上がった。
「そういうわけで、しばらくはサラの帰る時間に戻ってこられないかもしれないんだ」
アレンの申し訳なさそうな顔に、サラは慌てて首をブンブンと横に振った。
「ハイドレンジアの町の中で何かがあるわけないんだから。迎えは無理しなくてもいいんだよ」
ネリーもアレンも、ダンジョンから帰る時間がサラの帰りに間に合うようなら必ず迎えに来てくれるのだ。嬉しいが、ちょっと気恥しくもある。
アレンがちょっと笑って、それから首を横に振った。
「言い方が悪かったな。無理なんかじゃなくて、俺がサラに会いたいから迎えに行ってるんだ。毎日話したいことがいっぱいあるし」
「その割に俺にしゃべらせてるよな」
クンツも立ちあがりながらぼやいているが、アレンは気にも留めず続ける。
「ちょっと寂しいけど、ハンターギルドの一員として、やるべきことはやりたいんだ」
「うん。わかってる。頑張ってね」
「ああ」
二人は手を振ると爽やかに去っていった。
「アレンにはかないませんね。悔しいな」
片付けたバスケットに片手を置きながら、ノエルがぼそっとつぶやいた。
「わかるわ」
「わかる」
なぜモナとヘザーがそれに激しく頷いているのか。
「仮にもアレンと僕は、サラを挟んでライバル同士です」
「いや、違うよね」
サラは思い切り突っ込んだ。だが、誰もサラの言うことを聞いていない。
「それなのにアレンにとって、僕は弟扱いです。スタート地点にも立てていない」
なんのスタートなんだと問うのが怖いサラである。
「俺がサラに会いたいんだとか、さらっと言っちゃうんだもん」
「言われてみたい言葉ナンバーワンだよね」
「それは、アレンは家族みたいなものだから」
サラは夢見るように頬を押さえるモナとヘザーにもぐもぐと言い訳をした。いつも通りの会話がどうしてそんなふうにロマンチックに解釈されてしまうのか不思議でしょうがない。
「兄上がかなわないわけです」
「そういう理由じゃないと思うよ」
もはや惰性で突っ込むサラである。
その日の夜、ネリーもクリスもそろった領主館の食卓で、サラは今日のノエルの様子を事細かに皆に話していた。
「ずいぶん気にかけてやっているではないか。婚約者候補には冷たい対応のサラにしては珍しいな」
ライはナプキンで口の端を押さえると、面白いという顔をした。
「だって私より小さいのに、一人で家を離れて頑張ってるんだもの」
「それはそうだが」
サラの話を聞いているのかどうかわからないほど静かに食事をとっていたクリスが、ふとナイフを止めた。
「小さいというが、13はサラがローザに来た時よりは大きいぞ。あの時サラもアレンも、既に自活していたではないか」
「そういえばそうかも」
サラは一生懸命走り回っていた12歳の頃のアレンを思い出した。あの頃は鏡を見ることもなかったから、自分のことはうまく思い出せないが、アレンのことならわかる。
「思い出せたか」
「はい」
サラは懐かしい気持ちで頷いた。
「それなら今度は、今のアレンを思い浮かべてみろ」
「ええと」
サラよりずいぶん背が伸びただけでなく、だいぶ少年っぽさが抜けてきて、ドキドキすることもあるくらいだ。
「ノエルもあと二年もしないうちにああなる。今かわいいからと油断しているとからめとられるぞ」
「クリスにしては的を射た指摘だな。そっち方面にはとんと関心がないかと思っていたぞ」
「ライ、冗談で言っているのではありませんよ」
どっち方面なのかと突っ込みたいサラだったが、確かにクリスが人間関係についてアドバイスめいたことを言うのは珍しい。
「私が言うのもなんだが、13で薬師になるには才能だけでなく相当の努力が必要だ。そんな力がある少年が、親の言うことを素直に聞いて婚約者候補の元に来ると思うか?」
「ええと、よくわからないけど、気を付けます?」
クリスはあきれたようにため息をついた。
「ネフ、サラになんとか言ってくれ。ネフ?」
「あ、ああ、何の話だったか」
サラは上の空のネリーに驚いた。そういえば今日はサラばかり話して、ネリーもクリスも静かに話を聞いているばかりだった。いつもはサラの話題なら何でもニコニコと興味深そうに聞いているネリーには珍しいことかもしれない。
「ネフェル、そんなにダンジョンの様子が気にかかるか?」
ライも食事の手を止め、ネリーの様子を心配そうにうかがっている。
「いえ」
ネリーは一度は首を横に振ったが、隠しても仕方がないと思ったのか、思い直したように頷いた。
「ええ、そうなんです」
「例の、下層の魔物が上層にいる問題か」
「はい。安全地帯に交代でハンターを待機させているのですが、そこを通って来た魔物はいないんです。それなのに、昨日いなかったはずの魔物が今日はいる。魔物がどう発生しているのかもそもそも定かではないから、その階層で自然発生している可能性もあるのですが、腑に落ちなくて」
ネリーだけでなく、ハンターギルドの様々な人が頭を寄せ合っていてもわからないらしい。
「わかっていることは、このような状況の時はダンジョンから魔物があふれる可能性があるということだけです。しかし」
ダンジョンから魔物があふれる話はサラも聞いたことがある。王都の城壁はそのために作られたというし、そもそも魔の山にネリーがいたのも、魔の山の魔物が増えすぎないように管理するというお仕事のためだったはずだ。
「魔物の数そのものが増えているわけではないんです。いったいどうやって魔物は発生しているのか。あるいは移動しているのか」
悩んだ様子のネリーに、サラは聞いてみた。
「安全地帯のある通路以外に、道みたいなのはないの?」
「ないはずだ。だが、すべての壁を調べたかといえば、それはできていない」
魔物が通れるほどの穴があればわかりやすい気はするのだが。サラは、ニジイロアゲハを退治した時のダンジョンの様子を思い浮かべてみた。
「私のバリアなら、手っ取り早くダンジョンの抜け道を見つけられるかも」
サラのバリアは、広げればダンジョンの壁に当たり反発するが、そこに抜け道があれば抵抗なく入っていくだろう。
そう説明すると、ネリーとクリスの顔が輝いた。
「ではサラ、私と一緒にダンジョンに行ってくれるか。抜け道などないとは思うが、ないとわかればひと安心だからな」
「いいよ」
こうしてサラは思いがけず自分の提案でダンジョンに入ることになってしまった。薬草を採取するために入るのはいいが、魔物絡みで入るのは本当は少し嫌だった。
「ま、まあ、ネリーが悩んでいる姿は見たくないもの。それに、ダンジョンには虫はたいしていなかったし」
自分に言い聞かせるが、結局のところダンジョンに入るかどうかの基準は、大きな虫がいるかいないかなのは変わらないサラである。
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