新しい婚約者候補
更新再開です。
サラは今、春の日差しのもとで薬草採取をしている。そよそよと吹く風は冬の名残で肌寒く感じるが、しゃがみこんで一生懸命薬草採取しているサラの背中はぽかぽかと暖かい。
「魔物の心配がないって素敵。でもバリアは張っているけどね」
ここはハイドレンジア。領主でありネリーの父でもあるライオットのお屋敷の裏にある湖のほとりにサラはいる。薬師ギルドはお休みだというのに、こうしてせっせと薬草を採取している自分が働き者すぎてちょっと笑えるが、疲れない体って本当にいいなと思う。それに、そうして働いているのはサラ一人ではないのも心強い。
「サラ! そろそろ休憩にしない?」
「いいね! そうしよう」
にこにこと声をかけてきたのは薬師仲間のモナである。
その向こうでヘザーも立ちあがった。
しかし、ニコニコと楽しそうな声を上げたのはその二人だけではなかった。
「いいですね。バスケットの中身が気になっていたんですよ」
声変わり前の少年の声が響く。
サラは声の聞こえたほうに体を向けるとまぶしくて思わず目を細めてしまった。
金髪と青い目の少年の笑みが、新緑と春の光のなかきらきらと輝いている。それからこっそりと小さくため息をついた。その整った賢そうな顔を見ると、小さい頃のリアムってこんなふうだったんだろうかと思ってしまう。
「じゃあノエル、そこに敷物を広げてくれる?」
そんなサラの内心を知ってか知らずか、ヘザーが気軽に声をかけている。年下といえど伯爵家の子息であり、さらに宰相を父に持つノエルは、平民のモナやヘザーにとっては少々煙たい存在のはずだが、あっという間に打ち解けてしまっていた。
「わかりました」
貴族のぼんぼんとも思えぬてきぱきとした手つきで敷物を敷き、バスケットの中身を並べる少年はサラよりもほんの少し背が低く、まるで弟のようだ。それもそのはず、去年の秋一五歳になったサラより二つ年下の一三歳なのだから。
まるでピクニックのように、四人で昼食を囲んでいると、ハイドレンジアにいるはずなのに、まるで王都に派遣されているみたいと思うサラである。
思い起こすと、サラが王都に薬師として派遣されたのは、一四歳になったばかり、ついでに薬師になったばかりの秋のことだった。今から一年半ほど前になる。
モナとヘザーとはその時に薬師ギルドで知り合い、苦難を共にして仲良くなった。しかしその後は、サラはもう進んで王都に行く気はなかったので、せっかく仲良くなったけれども、おそらく二度とは会えないだろうなと思っていた。
思っていた通り、次の年の渡り竜討伐にはサラは呼ばれずにすみ、ハイドレンジアの薬師ギルドからは別の薬師が派遣された。
そして、冬も終わりという頃、なぜかその薬師の代わりにという理由で、王都から派遣されてきたのがモナとヘザーとノエルだったというわけなのだ。
モナとヘザーによると、サラの行った年の反省を踏まえ、薬師ギルドでもゆるゆると改革が行われ始めたらしい。とりあえず、むやみに王都に薬師を集めるだけではなく、人材交流と研修という名目で、王都の薬師を地方へと派遣することになったのだそうだ。
「候補地にハイドレンジアってあって、さっそく名乗りを上げちゃったってわけなのよ。なにしろ無料で行けるわけだし、カレン様がいらっしゃるし、ついでにサラにも会えるしね」
「私はついでなんだね」
正直な申告に苦笑してしまうくらいには打ち解けた仲なので、サラにとっては思いがけずとても嬉しい出来事だった。だが、一緒に派遣されてきた新人薬師であるノエルには顔が引きつったものだ。なぜかというと、自己紹介されるまでもなく、サラがずっと悩まされ続けてきた宰相家のリアムに顔がそっくりだったからである。
そっくりもそのはず、ノエルはリアムの年の離れた弟で、一年前にサラに婚約を申し込んできた相手でもある。もちろん速攻でお断りしている。
そのノエルだが、去年サラが王都にいた時には薬師ギルドにいなかったはずなのだ。つまり、見習いですらなかった。だがその胸元には、サラがやっとの思いで取得した薬師のあかしであるブローチがきらめいている。
おしゃべりをしながらも、サラがそのブローチにさりげなく目をやっていると、ノエルはにこっと微笑んだ。この兄弟は、顔と笑顔だけはいい。もっとも、兄弟共にうさんくさいのは変わらないなとも思う。
「二週間たって、やっと僕のことを聞いてくれる気になりましたか?」
「ううん。というか、うん」
「どっちなんでしょう」
ハハハと声をあげて笑うノエルに影はない。モナたちがやってきてから二週間、サラは今までノエルのことを避けていたけれども、あきらめて話を聞くことにした。
「昨年、ライオット伯のところに書状が行ったと思いますが」
しかし、のっけから薬師関係ではない話が来て、サラは思わず引いてしまった。ノエルはそれを見て苦笑しながらも話を続けた。
「僕は、サラの婚約者候補です。そのことなしには、僕については語れませんから」
「その件については、お断りしましたので」
サラは右手をパシッと前に出して言い切った。この人たちに曖昧なことを言っても通じない。はっきり言うのが一番だ。
「ですから、今はまだ候補なのです」
自信ありげに微笑んでいるが、今どころからこれからも可能性はない。
「ですが、子どもの僕が、婚約者候補と騒いでいるだけではどうしようもありません。ちょうど進路に悩んでいたこともあり、薬師を目指すことに決めたのです」
「そんな理由だったんだね、ノエルが薬師ギルドに来たのは。確かに、サラがハイドレンジアに帰ったすぐ後だったよ」
ヘザーが感心したようにふんふんと頷いている。
「でも待って。私、サラは騎士隊のリアムと婚約してるんだとばかり思ってた」
こちらはモナである。騎士隊にほのかな憧れを持つモナは、薬草採取の関係でリアムにも会ったことがあるから興味津々なのだ。サラは慌てて否定した。王都でそんな噂が出回っているなら由々しきことである。
「とんでもない。婚約する前にお断りしてるから」
「宰相家にとっては残念ながら、そして僕にとっては幸運なことに、そうなりました」
さすがリアムの弟だけあって、グイグイくるノエルに、サラは引きっぱなしである。
「宰相職は世襲でありませんが、一番上の兄は優秀で次期宰相と目されていますし、二番目の兄はいずれは騎士隊長になるでしょう。三番目の僕は父にとっては思いがけずできた子で、いわば予備の予備。兄たちと違って将来の選択には比較的自由がききます。それならば薬師を目指すのも一興と、そう思いました」
予備の予備などと、さらりと怖いことを言っているが、自分の立場をきちんとつかんでいることにサラは感心もしたし、怖いとも感じた。それよりも気になったことがある。
「ってことは、薬師を目指したのは、えっと」
「ええ、昨年の春ですね」
「そしてそのバッジは?」
「ええ、昨年の秋にいただきました」
サラはぽかんと口を開けた。あの優秀なクリスですらなかなか薬師にならせてもらえなかったのではなかったか。
「すごかったんだよ。あっという間に知識を身につけただけでなく、調薬にもほとんど失敗しないし。一度見たことはすぐ覚える、まるでクリス様の再来だって」
「クリスと比べるなんてとんでもありませんよ。ですが、薬師になってすぐにクリスに教えを受けることができたのは幸いでした」
現役の若い薬師にとっては、クリスは憧れの対象らしく、呼び捨てが普通のこの世界でも敬意をこめてクリス様と呼ばれている。よく言えばクリスに厳しく教えを受けている、悪く言えばクリスのわがままに振り回されているサラは、そのことに少しうんざりしていた。しかしノエルはクリス様ではなくクリスと呼ぶ。このことでノエルの好感度はちょっとだけ上がった。
ちなみにサラだけでなくネリーも、今年の冬は指名依頼がなく、王都に行かずに済んだのだが、クリスはそうもいかず王都に出向くことになってしまった。
クリス自身は、渡り竜を苦手な香りで追い返すという作戦については、今年は騎士隊に任せるつもりだったはずだが、それに薬師ギルドが待ったをかけた。薬師であるクリスの成果をやすやすと騎士隊に渡すのは薬師ギルドとして納得できなかったらしい。
それで結局はクリスは今年も、作戦への指示出しと監督に王都に行かざるを得なかったというわけである。
「ネフと離れたくない」
と散々ごねた後、しぶしぶと王都に旅立っていったのが昨年の冬の初めで、モナとヘザー、ノエルを引率して帰ってきたのが今年の冬の終わり、つまり二週間前ということになる。
しかし、要するに、ノエルは半年ちょっとで薬師になったことになる。そして、王都で数ヶ月修業してすぐにハイドレンジアにやってきたのだ。
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「なろう」とも書籍とも違う展開があり読みごたえがありますので、よかったらどうぞ!
活動報告に書影もあげてます。