サラの疑問
サラの王都生活は、初めの五日間ほどは怒涛の展開だったものの、それからは大きな波風も立たず順調に続いていった。
南西の丘に採取に行くことを希望する薬師は日を追うごとに増え、しまいには人数制限しなければならなくなったほどだ。
採取したものは薬師といえどきちんと買い取ってもらえるので臨時収入ともなる。薬師ギルドにとっても薬草の不足に悩まされることがだいぶ少なくなったため、渡り竜の季節が終わった後も、安全な草原ならば薬草を採取する仕組みも検討の余地が出てきたらしい。
そのことを嫌そうな顔でヨゼフに告げられた時、サラは内心「勝った」と思ったのは内緒である。
そもそも薬草採取のコツを惜しみなく教えているのもサラなので、薬師ギルドでのサラの評判も上々だ。ただし、それは採取に行くことを楽しめる薬師の間でだけだ。
サラはモナとヘザーと共に今日も受付の薬師たちにはそっぽを向かれている。
「完全に嫌われちゃったね」
「まあ、仕方がないですよね。誰からも好かれるなんてことあるわけないし、伝統的なやり方を変えられるのは抵抗あると思いますし」
採取が好まれないのは、それは薬師の仕事ではないという気持ちが強いせいだ。納められた薬草を使って調薬するのが薬師であって、腰をかがめ、草の間でうろうろして薬草を納めるのはお金の必要な庶民の仕事というわけである。
「でも、そんなごたごたももう終わりよ。あともう少しで渡り竜の季節も終わりだもの」
「寂しくなるね、サラ」
サラが王都に来る一月ほど前から始まった竜の渡りは、サラが来てから一カ月でほぼ終わりそうだ。このところ飛来する竜の数も少ないので、焦って解麻痺薬を作る必要もなくなり、地方から来た薬師も少しずつ帰り始めている。
「私はネリーとクリスの仕事が終わるまではまだいるつもりですよ。でも、うん。寂しくなりますね」
最初こそ大きな薬師ギルドは面倒なことも多かったけれど、仕事がうまく回るようになってからは特に、同世代の若者と一緒に楽しく仕事ができてサラはとても楽しかった。体が弱くて帰宅部だったサラには、仕事ではあっても、部活動を体験できたようなものだったと思うのだ。
「気軽に遊びに来てねと言うにはハイドレンジアは遠すぎますよね。でも、私も王都に来たら必ず顔を出しますから」
「そうね、同じ薬師なんだもの。またきっと会えるわね」
「そう。たぶん来年には、きっと」
来年も実験を続けるようなら、確かにまたカメリアから派遣されることもあるかもしれない。サラは期待するような目で見るモナとヘザーに曖昧に微笑んだ。
サラ自身は、そうならないといいと思っているからだ。楽しかったことだけを見れば確かに来てよかったとは思う。だが、いろいろなところでもやもやすることも多かった。
サラはカレンに言われてやってきたけれど、実際に王都で薬師が必要だったかと言えばそうでもなく、強い麻痺薬も解麻痺薬も、結局は主に王都の優秀な薬師が作っているようだった。
そんな中でわざわざ地方からやってきた薬師に仕事をさせないわけにもいかず、結果として王都の新人薬師のすることがなく手持ち無沙汰になれば、今回のような小さい揉め事も起きる。
どのくらいの薬剤が必要になるかわからなかったという理由もあるだろう。でも、今年の実験でだいたいの様子がわかったはずだから、来年は必要な薬師だけを招けばいいと思うのだ。
肝心の渡り竜に対する実験はといえば、クリスの実験もリアムの実験もきちんと成果が積み上がっているように見える。だが、協力して当たろうという空気はほとんどなく、各自がそれぞれで実験の成果を積み上げているという形で、これもなんだかサラの中ではおさまりが悪い。
ネリーにしてもそうである。
指名依頼で来たハンターはネリーの他にも何人かいるが、ネリーも含め全員が消化不良の状態だ。
「なに、私たちの手を借りるようなことが起きないのが一番だ」
と、ネリーは言うが、実際は騎士隊では間に合わない渡り竜の討伐なので、かなり暇そうだ。
「数年前まで、騎士隊はろくに働かずハンターをこき使っていたことを思えば、進歩だと言えると思うぞ。それに、サラの時みたいに万が一ということもあるし」
その程度の必要性なら、わざわざハイドレンジアからネリーを呼ばないでほしいと思うサラである。
モナとヘザーとそんな話をした日、タウンハウスではクリスがいつもよりくつろいだ様子だったので、サラはピンときた。
「もしかして、そろそろ実験も終わりですか?」
「ああ。そろそろ竜もほとんど来なくなったしな。一か月で集められるだけのデータは集まったから、そろそろいいかと思う」
サラの勘の通りだった。
「それなら私もそろそろ帰らせてもらうかな。渡りの最後に群れで来る竜はまずいない。もう王都の奴らだけで大丈夫だろう。そういえば、サラを残してきた年もむりやり帰ってきたことを思い出したぞ」
ネリーがちょっと不穏な空気を醸し出した。
「あの時よりはよほど騎士隊もしっかりしたようだしな。今度は聞く耳を持つだろう」
実際はいろいろ後始末があるのだろうが、明日にも帰ろうかという勢いのクリスとネリーに、サラは聞きたいことがあった。
「それでクリス、実験の結果って結局どこに提出するの?」
「いちおう騎士隊の実験に参加ということになっているから、騎士隊に出す。もちろん、写しは薬師ギルドにも出すぞ」
「それで、来年はネリーは指名依頼を受けなくてすむの?」
「それは……」
クリスは答えられずに詰まってしまった。
「もともと、ネリーが無理やり連れていかれなくてすむように始めた実験だと思ってた。それって実現しそうなの?」
「それは……来年になってみないとわからない」
珍しく言葉に詰まるクリスを見て、ネリーが慌ててサラに言い訳した。
「クリスはそう言ったかもしれないが、私はもう、指名依頼については受けてもかまわないんだ。前のようにサラを置いていかなければならないのならともかく、こうして一緒に付いてきてくれるのだからな」
魔の山でも、サラを王都の誰かに預ける相談をしてみると言っていた。現実にはその相談をする前にむりやり連れ去られてしまったのだが。
普段ならサラは、多少無理をしようと、ネリーが納得しているのなら文句は言わない。だが今回、ネリーの指名依頼を実際に自分の目で見て、考えてしまったのだ。
本当にネリーでなければだめなのかと。
「念のためでしょ、ネリーが呼ばれるのは」
サラの口からポロリと言葉がこぼれた。
「ネリーは真面目に仕事をしていたし、竜を倒すときは本当にかっこよかったよ。でも、魔の山やハイドレンジアのダンジョンに狩りに行くときみたいに楽しそうじゃなかった」
義務を果たす。それのみで体を運んでいたような気がするのだ。
「念のために毎年呼ばれるの? クンツみたいに、行ってみたいからじゃなくて?」
「サラ」
ネリーが何か言おうとしたが、サラはネリーを見ていない。ネリーが話しかけていたのはクリスなのだから。
「竜の忌避薬を作るのも、その実験をするのもすごいことだよ、クリス。だけど、その実験の結果だけ提出して、後は騎士隊任せでは、ネリーは来年もその先もずっといいように使われるだけだと思う。ネリーはいいというけど、私は嫌だ」
サラはきっぱりとそう言った。それからやっとネリーのほうを見た。
「でも、ネリーがクンツみたいに募集の貼り紙を見て、やっぱり行きたいって言ったら私は全力で応援するよ」
「私は……」
ネリーは口ごもると視線を落とした。
「募集の貼り紙を見たとしても、行きたいとは思わないだろうな。王都の民のため、貴族の義務だと思って指名依頼を受けてはいるが、渡り竜の討伐は、ちっとも面白くないんだ」
それから夢見るような表情を浮かべた。
「どうせ同じ時間を過ごすのなら、王都のダンジョンに行きたかった。ハンターになりたての頃はここが拠点だったが、魔の山に行って、自分がどのくらい強くなったか試してみたい」
魔の山にいても、ネリーは狩りに行くのが本当に楽しそうだった。でも、王都では楽しみにしていたのはたぶんサラと食べるお昼ご飯と、皆と過ごす夕食の時間くらいだった気がする。
そのネリーのつぶやきを聞いて、サラには何の反応も返さなかったクリスが蒼ざめた。
「私はネフに、私の実験のための採取に一年近く付き合わせて好きな狩りをさせなかったあげく、王都で退屈な時を過ごさせてしまっていたというわけなのか」
「いや、そんなことはない。そもそも私が行かなくてすむようにという、クリスの思いやりからだということはわかっていたからな」
そのネリーの答えは、やりたくなくても義務だから指名依頼を受けるのと同じ気配がした。
「もちろん、クリスの仕事に付き合うのは楽しかったぞ」
慌てて付け加えたのは、ネリーもそのことを自覚していたからだろう。
サラはこの際、もやもやしていることを全部吐き出してしまうことにした。
「クリスのことだけじゃないの。騎士隊もそう。それに薬師ギルドも」
自分の物思いに沈んでいたクリスははっと顔を上げた。
「リアムは自分の実験の成果のことしか考えていない。そして薬師ギルドは、求められた麻痺薬と解麻痺薬のことしか頭にないの」
言葉にしてみて、はっきりわかる。
「今年の実験は、クリスにとっても、リアムにとっても、薬師ギルドにとっても成功だったと思う。違う?」
「違わない。確実に成果は出た」
そう聞くと、とてもいいことのように聞こえる。でも、サラは成功しただけではだめだと思うのだ。
「でも、それで来年どんないいことがあるの?」
「どんな、とは」
クリスは、自分がトップにいるからわからないのだ。
「今のままで終わったら、来年も騎士隊は麻痺薬の実験をするでしょ。それからクリスだって、来年こそは竜の渡りの最初から参加したいでしょ」
クリスは頷いた。
「そうしたら、薬師ギルドはまた麻痺薬と解麻痺薬の生産を増やさなければならないでしょ」
何が問題なのかと言う顔をする皆に、サラは丁寧に説明した。
「この一か月、あちこち見てきて、念のためにという人材が多すぎるって思ったの。薬師ギルドでは地方から薬師を呼びすぎて、仕事のない薬師が暇を持て余す状況だったし」
「ハンターの数ははっきり言って多すぎると思う。騎士隊からもっと人を出して、指名依頼はなくすか減らすかすべき。それから」
サラはクリスを見た。
「クリスはリアムの下についたらいいと思う。クリスは忌避薬を作った人として評価され名は残るでしょう。そしてその成果は騎士隊に差し出して、実務は全部騎士隊にやってもらえばいいじゃないですか。下につくというと抵抗があるかもしれないけど、要は面倒なことは丸投げです」
サラはなぜ騎士隊がカリカリしてクリスに対抗意識を燃やすのかとずっと考えていたのだ。渡り竜対策は騎士隊の仕事なのだから、竜の忌避薬も含めて騎士隊に仕切らせれば納得するのではないかと。
「このまま結果だけ出して帰ったら、来年も同じことを最初から繰り返すような気がしてならないんです。一度、今回のことにかかわった人が全部集まって、来年はどうするか話し合ったらいいのに」
サラはぼやいた。つまり、今回のことはどこに責任があるのかわからなくてもやもやしていたのだと思う。
「サラがそう思うなら、よい方法があるぞ」
腕を組んで黙って話を聞いていたライが、突然話に入ってきた。なんだか嬉しそうだ。
「サラの出番だ」
「ええ?」
書籍5巻、明日発売日ですが、もう出ているところも多いようです!