来てよかった
だが感心している場合ではなかった。
ネリーと同時に渡り竜に炎をぶつけた魔法師のほうが苦戦している。どうやら魔法師が落とし、身体強化型のハンターが地上で倒すという組み合わせのようだが、ネリーが走っていったように、大半が苦戦している騎士隊の手伝いに行ってしまったのだ。
「チッ。とどめがさせない!」
三人の魔法師が炎の魔法で落ちた竜を翻弄しているが、仕留めきれないので竜は丘の上で大暴れである。サラたちから離れているのだけが救いだった。
しかし、急に竜の動きが止まり、アレンが息をのんだ。
「あの時と同じだ」
竜の頭はサラたちのほうを向いてはいない。だが、確実に三人の魔法師のほうに頭を向けているように見える。
今まではこぶしをぴくぴくさせながらも静かに戦況を見守っていたアレンだったが、いきなり両手を前に出すと、手から炎の魔法を打ち出した。それは竜の後頭部にぽんと当たったにすぎなかったが、口を開けようとした竜の気を一瞬そらすには十分だった。
サラはその隙を逃さず、アレンもバリアに入れたうえでバリアをハンターのほうまで広げた。
「音も遮断。いけ!」
決してアレンと打ち合わせをしていたわけではない。だが、アレンが隙を作り、サラが守る。まるで呼吸をするように自然に体が動く。
バリアの質を変えた途端、なんの音も聞こえなくなる。サラは大きく開いた竜の口元をじっと見つめ続け、アレンが風のように竜に走っていくのを目の端だけで見ていた。
竜が口を閉じた瞬間、サラはハンターとアレンからバリアを外し、自分たちのほうに戻す。それからそうっとバリアの質を変えると、世界はいきなり音を取り戻した。ハンターにもバリアを張ったままでもいいのだが、知り合いでない人にバリアがどう反応するかは未知数だった。彼らが魔法を放った時、彼ら自身に跳ね返らない保証などないではないか。
草原で竜の咆哮を防いだ時は、それはそのまま竜に跳ね返ったが、今回はバリアがいびつだったようで、竜には影響はなかったようだ。
竜の咆哮が来なかったことに戸惑う魔法師たちを尻目に、アレンは後ろから回り込むと、竜の頭を横から殴りつけた。ネリーと違って一発で倒すことはできなかったが、衝撃で竜がふらついたため、時間稼ぎにはなる。
アレンはそのまま魔法師の邪魔にならないように数歩下がる。魔法師がどうやって竜を仕留めるのかと不安に思っていたサラは、彼らが剣を抜いたので驚いてしまった。
「そうか、魔法も使えるけど、身体強化もできるタイプなんだ。さすが」
身体強化特化のハンターほど強くないかもしれないが、剣も魔法も両方できるハンターもいるし、それは間違いなく強い人たちということだ。空を飛ぶ魔物には魔法を使い、落ちたら剣を使う。ネリーでさえそうすることもある。ただし、大物や暴れる魔物には苦戦するということなのだろう。
それから竜がこと切れるまでは時間もかかったうえ残酷だったので、サラはモナとヘザーと身を寄せ合いながら、やっぱりハンターにならなくてよかったと思った。それは丘の下のほうで竜と戦っている騎士隊を見ても思う。
「やっぱり薬師でよかった」
ぼそっとつぶやくとすかさず同意がきた。
「私もそう思うわ」
「私も」
渡り竜の討伐は思ったよりずっと怖くて、思ったよりずっと生々しく、サラだけでなくモナとヘザーの顔色も悪い。それでも倒れたり座り込んだりせずに、三人共しっかり状況を観察できていたのはすごいと思うのだ。
そんな中、モナがふん、ふんと体を左右にひねり始めた。まるで準備運動のようだ。
「さあ、サラ。そろそろ私たちの出番だと思うわ」
「モナ? どういうこと?」
サラが首を傾げるとモナは騎士隊のほうを指さした。
「竜に使う麻痺薬は、普通に使うものより強力なの。だから新人は作らせてもらえないというのもあるんだけど、ほら」
確かに、竜は全部倒したものの、ふらふらと座り込む騎士やハンターもいる。
「少量触れただけでもすぐ麻痺が来るわ。でも、解麻痺薬はもっと強い麻痺用だから、本当はあの程度の麻痺に使うのはもったいないのよ。私たちなら見極めて、適正な量の解麻痺薬を飲ませられるわ」
モナはにっこりと笑った。
「せっかく薬師がここにいるんだもの。責任を果たしましょう」
「私の結界から外したから、自分たちでも気をつけてくださいね」
サラの言葉に二人が頷いたので、三人そろって騎士隊のほうに向かった。
「私たちは薬師です。治療を手伝えます」
代表してモナが隊長のリアムに声をかけると、リアムは迷うようにサラの方を見た。モナもヘザーもサラよりは年上だが、全員10代半ばであり確かに頼りなく見える。サラは少し胸を張った。
「解麻痺薬での治療に参加したこともあります。新人ですが頑張ります」
「それならお願いしようか。解麻痺薬はそこに並んでいるから」
リアムはそう言うなりすぐに上空を確認している。丘での騒ぎを嫌ったのか、今度通り過ぎていく渡り竜一頭と次に続く二頭はずいぶん南寄りに飛んでいた。
「手の空いた者は持ち場に戻ってくれ。麻痺の回復した諸君も、体調が戻り次第上に」
てきぱきと指示を出すリアムとは違う場所にサラは移動した。
サラが治療した人は騎士ではなくハンターだったが、こぶしで殴ったせいで直接麻痺薬に触ってしまったのだそうだ。立ち上がるなりこぶしを軽く振ってみている。
「ネリーと同じだ」
サラも思わずこぶしを構えてにっこりとした。ネリーと同じような戦い方をしている人を見ると親近感がわくのはなぜだろう。
「ネフェルタリか。同じじゃねえよ」
けっと吐き捨てるような言い方に、サラはちょっと悲しくなる。でもそれは誤解だった。
「俺は王都のダンジョンではそれなりに力のあるハンターだと思ってる。だけどあの人に追いつける気がしねえ。なんだよ、こぶし一発でなんで空から竜が落ちてくる? それに、なんで直接殴っても麻痺薬の影響を受けない?」
ネリーになにか思うところがあるというより、ハンターとして追いつけないのが悔しいということのようだ。
「ハイドレンジアでは、ネリーは若いハンターの面倒も見てますよ。修行の仕方とか直接聞いたらいいと思います。シュッとしてバンとか、教え方はへたくそだけど」
「そうか。教えてくれてありがとうな」
そんな軽い症状の人の手当てを終えたころには、モナとヘザーのほうにも、もう麻痺した人は残っていなかった。
「解麻痺薬をだいぶ節約できたわね」
さわやかに額の汗をぬぐうモナにヘザーが突っ込んでいる。
「モナ、そこは治療がうまくいってよかったねだよ」
「そうね。やっぱり、ポーション類が役に立っているのを見るのは嬉しいものだわ。自分が作ったものじゃなくてもね」
備品の係と思われる騎士に後片付けを託し、サラたちはまた丘の上に戻ってきた。すうっと頬をなでる風は、いつの間にか南からではなく、西から吹いている。空を見れば、昼前と同じように竜は丘からずいぶん離れたところを飛んでおり、次から次へと竜を倒さねばならない状況はひとまず終わったのだとサラはほっと胸をなでおろした。
日が傾き始めたころ、薬師ギルドの御者がおっかなびっくりという足取りで丘を登ってきた。
「新米薬師さんたち、お迎えに来たぜ。ひえっ。騎士にハンターがこんなにたくさん。怖い怖い」
帰り道、荷馬車の後ろに座り込みながら、サラは今日一日のことを思い返していた。
思ったよりちゃんと仕事をしていた騎士隊。それでもクリスの実験を邪魔だと思っていること。
ネリーの活躍を見られたのはよかったが、サラがバリアを張らなかったら、もしかしてハンターに被害が出ていたかもしれないこと。薬師としての仕事。
疲れたのか、情報が多かったか、それらが頭の中でぐるぐるしているような気持ちで黙り込んでいたようだ。だから、モナに声をかけられた時は思わず体がびくっとしてしまった。
「ねえ、サラ」
「な、なに?」
ぼんやりしていた気持ちをモナとヘザーに戻すと、二人とも真剣な目でサラの方を見ていた。
「私、明日も南西の丘に行きたいの」
「私も」
「あそこにいたら、薬師として普段できない活動ができるでしょ。今日みたいなことはそんなにないよってリアム隊長が言ってたけど、もしあったとしても、自分が役に立つならそこにいたいと思ったの」
「私もそう」
モナの感想にヘザーが頷いている。
「薬師ギルドでは直接患者を診ることがあまりないからね。解麻痺薬がどう効くかを間近で見られたのはとてもいい経験だったな」
その薬師らしい言葉を聞いて、サラはなんだか肩の力が抜けたような気がした。
「うん。たぶん明日も朝に薬師ギルドに寄るから、モナとヘザーがよかったら一緒に行きましょう」
サラは力強く頷いた。
「ただ、今日戻って薬草を納めた時に、明日も行きたいってことを、ヨゼフに自分で言ってもらってもいいですか?」
「いいわ」
「もちろん」
「あと、それだけでなく」
サラはにこっと笑った。
「できれば今日のこと、つまり魔力草や麻痺草が採れることや薬師としての仕事ができることを、できるだけ知り合いの薬師に話してほしいんです」
「つまり、自分たちから行きたいって言わせるようにすればいいのね」
「今、薬師ギルドで採取に行きたいって声をあげるの、サラのこと知ってる私たちだけだもんね」
残念ながらその通りなのである。だが、現実には王都に来てまだ一週間もたっていないのに、二人も付いてきてくれているとも言える。
「私、王都に来てから五日目? なのに、事件起こりすぎだよ」
「ぷはっ」
アレンが突然噴き出した。サラはアレンを恨めしそうに見た。
「でも、今日でやっと、王都に来て何をやるかちゃんと決まってよかったよ」
「毎日いろいろ試してみてたもんな」
「うん」
これからは基本的に南西の丘で大好きなネリーを眺めながら薬草採取をする。ついでに、採取をする薬師が増えれば言うことはない。
王都に来るのは不安も大きかったし、来てからも何が何やらわからないまま駆け抜けて、それでも自分のやりたいことをきちんと始められたのは大きかったと思う。
「私、王都に来てよかった」
始まりはカレンに強制的に行かされた王都行きだったが、来てみれば、意地悪な先輩に草原に追い出されても、結果として竜に襲われても、自分の意思で決めたことを自分で乗り越えてこられたではないか。
「今度こそ巻き込まれずに、自分の意思で生きられそう」
意気込むサラを見てアレンはにっこりと笑顔を浮かべた。
「健闘を祈る」
「だよね」
サラも言ってはみたものの、ちょっと無理かなと思うので苦笑で返すしかない。
家族同然でもくせの強い仲間たちに囲まれ、自らも招かれ人という立場であれば、自分の思う通りに生きるのは難しいことだ。それでもサラは、自分の生きる未来が明るく照らされているように思えるのだ。
魔の山の管理小屋から出た一歩から始まり、ローザへ向かった一歩、アレンを守るために駆けだした一歩。
振り返れば、そんな小さな一歩ずつの積み重ねが、今の自分につながっているのだと思う。
それならば、この先の自分につながるのは今踏み出す一歩だ。
「明日も頑張ろう」
空を見上げれば渡り竜が飛び、草原を見ればツノウサギの跳ねる世界だけれど。
「転生少女はまず一歩からはじめたい」5巻ですが、
連休のせいか、もう売られているところもあるそうです。
更新のほうも、25日朝の更新で追いつきますので、
もう少しお付き合いくださいませ。