渡り竜再び
こうやって二人を見ていると、普通に協力して実験をしているように見えるが、騎士隊のリアムには、やはりクリスの実験のせいで自分の実験が思う通りにいっていないという苛立ちがうかがえた。
クリスは、そんなリアムの皮肉などかけらも気にした様子はない。
「引き続き魔法師に風で煙を拡散してもらうつもりだが、正直なところ、今日は竜の忌避薬は効果がないものと思って警戒してあたってくれ」
「わかりました。情報ありがとうございます」
「こういった風向きの日が渡り竜の季節に何日あるのかも調べねばならない。実験は数年がかりになるかもしれんな」
クリスは独り言のように言い置いて草原に戻っていった。もちろん、ネリーのそばを離れたくないというわがままを言って叱られた後にである。
「び、びっくりした。生クリス様だわ」
「これですよ、これ」
どうして薬師ギルドにはクリスの信者が多いのか。モナだけでなく、ヘザーもうっとりしている。
「近くで見ると本当に素敵だよね」
「確かに顔はいい」
ネリーも頷いているが、サラはネリーにもそういう感性があったことにそもそも驚いた。そしてなんとなく女子会みたいに皆でおしゃべりをしていることに嬉しくなる。
「顔もいいんですけど、やはり薬師としては新薬を開発したり、従来の薬を改良したりというその実績が憧れなんですよね。薬師ギルド長の地位を惜しげもなくポイっと放りだして王都からいなくなったと思えばさっそうと新薬を携えて登場なんて、素敵すぎます」
ネリーにそう話しているモナに、それは無責任ということではないのかと言いかけて、サラはぐっと押し黙った。クリスが薬師関係で無責任だったことはなかったと知っているからだ。
「薬師の仕事に関しては本当に真摯だよ、クリスは」
まるで自分が褒められているかのように嬉しそうなネリーに、サラもほんわりと嬉しくなった。そもそもクリスがサラに厳しいから、サラもどうしてもクリスには厳しくなってしまうのであり、クリスが嫌いなわけではないのだから。
「さて、それでは午後の仕事をして来るかな。どうやら暇な時間は終わりそうだ」
ネリーにつられて空を仰ぐと、確かに午前中に比べて渡り竜の姿がはっきり見えるようになってきている。
「私がいる限り、渡り竜に攻撃する間など与えない。それに、あそこにいるハンターたちも」
ネリーは思い思いの場所で南の空をじっと見ているハンターたちに視線を向けた。
「ここにきているからには、腕に自信のあるものばかりだ。騎士隊も数が多いから役には立つ」
ずっと一人でハンターをしてきたネリーが、他の人を頼ってもいいと思えるようになったのがサラは嬉しい。
「だが、サラたちも気をつけてな。アレン」
アレンはその一言ですべてを理解していた。
「うん。俺は今日はサラたちの護衛だ。俺の領分で働くよ」
「それでいい」
ネリーはそのまま空に目を向けて、持ち場に歩いて行った。
アレンは、サラたちと騎士隊とが両方目に入る位置に陣取った。
「じゃあ私たちは、明日の騎士隊のために薬草採取よ!」
騎士隊を見ることができて元気いっぱいのモナが掛け声をかけ、サラたちも一斉に午後の仕事に入るのだった。
少しずつ移動しながら採取をしていて、ずっと下ばかり見ていても、騎士隊たちの気配が慌ただしくなってきているのがわかる。しばらくしてアレンから静かな声がかかった。
「サラ。そろそろ来るかもしれない」
「うん。モナ、ヘザー。いったん採取をやめて待機しましょう」
丘の上の、邪魔にならないところに集まると、サラたちは静かに騎士隊たちを見守った。
「西、竜、三体!」
警戒の声がかかると、弓を持った騎士が三人、麻痺薬を括り付けているらしい矢をつがえた。らしいとしか言えないのは、それが瓶ではなく、小さな素焼きの壺だからた。
その三人のそばに、どうやら魔法師らしい騎士が控えている。
「射よ!」
リアムの声と共に、矢が引き絞られ、竜の前方に放たれる。身体強化なのか、風魔法が乗っているのか、その矢は思ったより遠くに飛び、竜たちが通過するあたりでパンと壺が飛散した。矢はそのまま草原に弧を描いて落ちていく。
「直接ぶつけるんじゃなく、二人がかりでやるんだ」
思わずそうつぶやいてから、そういえば騎士隊はアレンやサラ、そしてネリーにもこの方法を使おうとしたことを思い出して少し苦い気持ちになった。だが、今はそれどころではない。
麻痺薬が飛散したあたりを竜が三頭、通り過ぎていくが、特に何も起こらない。むしろ、かすかな麻痺薬の匂いが風に乗ってこちらに流れてきた。このくらいなら大丈夫だろうが、もっと強い匂いがしたら、それは吸った人に軽い麻痺をもたらすから注意しなければならない。
そこまで考えて、サラははっと気がついた。
「バリアは風や匂いを普通に通してる。雨みたいに水の粒は弾いても、揮発した成分は通すことがあるんだ。気をつけないと」
魔法は弾くけれど、サラが生きるのに必要な空気などは弾かないことが、こういう形で裏目に出ることもあるのだ。
「ニジイロアゲハの時は無意識にできていたのにな。あの時は麻痺成分を体に取り込まないようにしようと思っていたから、バリアの質が違ってたんだな」
心を許した人はバリアに出入り自由など、サラのバリアはサラの気持ちをものすごく反映する。
「魔法は思い描いた通りになると言っても、直接ぶつけられたものならともかく、風に乗って流れてくる麻痺薬の成分だけを弾くっていうのは難しいな。ちょっとイメージできない」
竜の咆哮は音全部を遮断するからとっさにでもできたが、今回は難しそうだ。それならバリアにこだわらず、すぐに解麻痺薬を使えるようにしておこうとサラは頭を切り替えることにした。
「麻痺薬が思ったより風で流されてしまったようだな。飛散させる位置を、竜の通り道の向こう側にずらそう。できそうか」
騎士隊のほうも、調整を始めている。
「もう少し近い位置なら簡単ですが、このくらい離れてしまうとなかなか難しいですね。やってはみますが」
その会話を聞いていると、今日の風向きはやはり珍しいもののようだ。
「西、竜、な、七頭! 直撃コースです!」
七頭かという騎士たちのざわめく声と同時に、ハンターたちにも動きが出始めた。ネリーの他に、魔法師と思われるハンターたちが前に出てきた。後ろに控えているのは、落ちてきた渡り竜を倒す役割のハンターなのだろう。七頭というと、サラたちが草原で出会った群れと同じだ。
「弓矢隊! 竜の鼻づらに叩き込め!」
騎士隊は今度は向きを変えて、渡り竜の正面から攻めるようだ。
サラはモナとヘザーと身を寄せ合い。バリアを改めてしっかりとかけた。
今度は五人に増えた弓矢隊が、真西からやってくる渡り竜に弓をつがえた。
「射よ!」
リアムの声に、一斉に矢が放たれる。先頭の竜を中心に、左右、そして上を狙った矢に付けられた壺は時間差で飛散され、麻痺薬のカーテンのようなものがつくられたように見えた。
サラには七頭の渡り竜が次々にそのカーテンの部分を潜り抜けていくように思われた。そしてさっきとは違い、今度は竜にも変化が現れる。
先頭の竜はいきなり動きを止めて落ちていった。次の二頭は頭を振りながら丘のふもとに降り、さらに二頭は騎士隊のいる丘の頂上の少し手前へと方向を定め、緩やかに降りようとしている。
だが、麻痺薬はそこで拡散してしまったのか、最後の二頭は少し南に寄ったもののそのままのコースを飛んできた。
「ハンター諸君、お願いする!」
リアムの声が飛ぶ。
「では私が一頭落とそう」
ネリーの力強い声が響く。
「では私たちがもう一頭」
ネリーと共に前に出てきたハンターたちがそう宣言する。
「ネリーが、どうやって空の竜を落とすの?」
サラは混乱した。ネリーがワイバーンを倒すのを見たことはあるが、鹿を狩りに地面近くまで降りてきたワイバーンを最終的には剣で倒していたと思う。しかし、今ネリーは剣に手をかけてはいないし、渡り竜は低いところとはいえ空を飛んでいる。
一方で騎士隊と残りのハンターは、丘の下のほうと頂上手前に降り立った竜に既に向かっているところだ。素早く気をそらさないと、サラがやられたように竜の咆哮を浴びせられてしまうからだろう。
ネリーはこぶしを構えると、ダンジョンの魔物を倒すときのように、空の竜に向かってこぶしを振りぬいた。
一瞬遅れて何かに殴られたかのように竜の首が跳ね、その勢いのままどうんと丘に落ちてきた。ネリーは腰の剣に手を当てたが、ふむというように頷くとそのまま竜の前にスタスタと歩み寄る。
「こと切れているな。剣を抜くまでもない」
そのままサラの方をちらりと見たような気がしたが、サラは口をぽかんと開けて落ちた竜とネリーを見比べていたので確信は持てなかった。そしてネリーは、そのまま竜を放置して苦戦している騎士隊のほうへ走って行ってしまった。
「ネリー、すげえ。空の魔物も一発か」
アレンの声にはまぎれもなく感嘆があったが、サラも百パーセント同意である。
9月25日、書籍5巻発売です。
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