やっとわかった
「うーん」
サラの寝起きはいい。正確に言うとこの世界にやってきてからの寝起きはいい。だが、今日はいつもより寝覚めが悪い気がした。体を動かそうとすると、あちこち筋肉痛の気配がするし、微妙に頭痛と吐き気がする。まるで二日酔いみたいだ。
「まさかお酒を飲んで踊りまくったとかそんなことはないよね」
サラはお酒は飲めないこともないが、強くもない。ただでさえだるい体がよりだるくなるので、なるべく飲まないようにしていたが、そこは若気の至り、転生前は、二日酔いの経験はあるにはあった。
そんなとりとめもないことを考えていたのは、気を失う前の記憶を思い出さないようにしていたからに違いない。
かちゃりと静かな音を立てて、ゆっくりとドアが開いた。ノックがないのはサラがまだ寝ていると思ったからだろう。だがドアから姿を現した人を見て、サラは思わず声を出してしまった。
「テッド?」
「起きたか」
テッドは表情を変えずにサラの枕元までやってくると、持っていた盆をベッドわきのテーブルにおいて、椅子に腰かけた。
「なんでテッド?」
サラの素直な疑問に、テッドは窓の外を顎で指し示した。
「ネフェルタリは指名依頼。クリス様は竜の忌避薬の実験。ライオット伯とアレンは居間にいる」
残りは俺しかいないという口ぶりだ。クンツの名前がないが、テッドにとってはとるに足りない存在だからだろう。でもなぜここにテッドがいるかという説明にはなっていないよねと思うサラである。
「顔を見せろ」
「かかか、かお?」
何が起きているのかわからないサラの顔はひきつっていたが、テッドはサラの顔を両手で挟むと、まるでお茶の作法で茶碗を拝見するかのように右に左にとゆっくり傾けた。
「ううう」
顔が近くて恥ずかしい。テッドの手は乾いていて温かかったが、サラは寝起きの自分の汗や汚れのほうが気になった。
「頭は痛くないか」
そう聞かれて、これは薬師の仕事なんだと理解して力が抜けた。
「少し痛い。あと吐き気もする」
「そうか。体は?」
「筋肉痛みたいにギシギシする」
「なるほど」
テッドは自分の膝をとんとんと叩くと、何かを決めたように腰のポーチからポーションの瓶を取り出し、水差しの乗っているお盆の上に置いた。そしてコップに水を注ぐと、サラの背に手を当ててゆっくりと体を起こす。サラはテッドという存在とは結び付かないその親切な行動に頭がくらくらした。
「まず水」
「はい」
サラは素直にコップに口をつけた。
「次にポーション、三分の一」
「はい」
そうして水と交互に飲ませられたポーションは、胃に優しいような気がして、サラはこんな時だけれど思わずくすっと笑ってしまった。
「どうした?」
「ネリーだったら、ここで上級ポーションを出すなあと思って。そして、とりあえずこれを飲めばたいていのことはなんとかなるって言うんだよ」
「そうか。強すぎる薬は結局は胃を痛め、体力を前借りすることになるから推奨しない」
テッドの薬師らしい言葉にもくすくすと笑っていたら、ようやっと自分の状況が納得できた。
「渡り竜の衝撃波のせい、なんだね」
「そうだ」
テッドはまたサラの背に手を当てて、ベッドに横にならせてくれた。
「あれから丸一日半、たってる」
「次の日の午後ってこと?」
慌てて窓の外を見ると、少し日が陰り夕暮れの気配がする。
「そうだ。渡り竜の衝撃波を浴びた人間なんてほとんどいないから、皆焦って大変だった」
衝撃波を浴びるようなところにいる人間は食べられてしまうから、浴びた後、体がどういう状況になるのかを説明できる人はいない。だから衝撃波を浴びないようにするし、もし渡り竜を落としたらさっさと倒してしまうのだとテッドは言った。
「ツノウサギは衝撃波を浴びても割とすぐに復活することは知られているから、大丈夫だとは思ったんだが、サラは人間だしな。一度アレンに無理やり起こされて、そのあとまた意識を失ったということで、起きるまで薬師がついていたほうがいいということになった」
それでテッドが様子を見にきていた理由が理解できた。
「ありがとう、テッド」
テッドはかまわないというように首を横に振る。それからサラが気になっていたことを少しずつ話してくれた。
「モナとヘザーを南の草原に送り込んだのは、新人薬師の受付の子たちだった」
あまりに意外な犯人に、サラは頭がついてこない。
「なんで? そもそも理由がないし、送り込む権利だってないのに」
「前日の夕方にお前たちが荷馬車で戻ってきたのを見たらしい。同じ新人なのに、特別なことをさせられて、しかもハンサムな護衛付きで楽しそうに帰ってきたモナとヘザーのことをずるいと思ったんだとさ」
確かに楽しかったが、それは自分たちが一生懸命与えられた仕事をこなした充実感があったからだ。それにハンサムな護衛と言われても、アレンはサラと同じ一四歳なので、うらやましいというには幼すぎると思う。
「反省するどころか、どうしてひいきするんですかって言ってたな。望んで楽な受付業務をやっているというのに」
「それならばモナとヘザーを送り出さずに、自分たちが採取に行きたいと言えばよかったのに」
「採取に行きたいわけじゃなかったんだろう。要はアレンが付いて行かなければいいわけで、アレンが付いて行かないためにはお前が行かなければいい。それならお前が来る前に追い出してしまえという、短絡的な思考だ。あれが新人とは言え薬師とはな」
吐き捨てるようなテッドの言葉からうかがえる動機は、本当に幼いものだった。悪意と言えば悪意だが、危険だから採取に行くべきでないという情報は下のほうの薬師には共有されておらず、ちょっとしたいたずらのつもりだったという。また、それが許される身分だったそうだ。
「貴族の子どもたちなんだね」
「そうだ。平民の薬師には正直なところ、分が悪い。何も起こらなかったら本当にいたずらですんだ程度だ」
納得がいかないが、そういうものなのだろう。
「とりあえず飛び出したお前たちの後を追って、俺たちが馬車で遅れて現場に着いたのは、ネフェルタリがちょうどお前を揺さぶっている時で、状況はわからないものの俺は焦って止めた。意識のないものを揺するべきではないからな」
「ネリーの様子が目に浮かぶようだよ」
サラは苦笑した。
「意識のないお前にはとりあえずポーションを外側からかけた。見えないところが損傷している可能性もあったからな。意識がなくて飲むことができないときは、外側からかけただけでも多少は効果がある。それは覚えておくといい。少し多めにかけてしまったので、おそらく疲労感はそこからも来ている」
「うん」
こうして話に薬師としての知恵を織り交ぜる話し方はクリスと同じだと気がついて、やはりテッドもクリスの弟子なのだなと感じる。
「それからクリス様と騎士隊がやってきて大騒ぎだ。そしてお前は馬車でウルヴァリエの屋敷まで運ばれた。以上だ」
「ありがとう」
テッドはふんというようにテッドらしく頷くと、立ち上がった。
「アレンと伯を呼んでくる」
スタスタと部屋を出ようとしたテッドは、ドアのところで足を止め、半分だけ顔をサラの方に向けた。
「ただでさえ少ない俺の知り合いなのに。なぜこんなに愚かなことをしたのかと受付の薬師に詰め寄り、たいしたことじゃないでしょうと言うあいつらの顔を見て、ようやっと気がついたんだ」
テッドの言葉はどんどん小さくなっていく。
「俺はそいつらと同じことをしたんだなって」
「テッド、なんのこと?」
サラが聞き返すと、テッドは何も答えず、ただ顔をそらし、ドアの取っ手に手をかけた。
「まだ本調子じゃない。ゆっくり休め」
そう言い残すとパタンと小さな音を立ててテッドは去っていった。
「俺と同じことをした? そうか、ローザでのことか」
謝罪はきちんとしたと思っていたから、サラの中ではほぼ終わったことになっていた。アレンは許さないけどこれで終わりにすると言っていたような気がする。むしろ、テッドの中で終わっていなかったことにサラは驚いていた。
「やっと今になって腑に落ちたってこと? 二年以上たって? 遅いよ、テッド。それに」
サラはあきれ、それからクスクスと笑い出した。
「ただでさえ少ない知り合いって、テッド、友だち少ない自覚、あるんじゃない」
それからすぐにアレンとライオットが飛び込んできて、笑っている場合じゃないと叱られてしまった。
9月25日、書籍5巻発売です。
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