音を弾く
「サラ! サラ!」
なんだかアレンに一生懸命呼ばれている気がする。
「サラ! 目を覚ませ! バリアを張るんだ!」
「ば、りあ」
「そうだ! 寝てる時だって張れるだろ! 今張るんだ!」
「ばりあ」
どうやらサラを抱え込んでいるらしいアレンとサラを覆うように大きめにバリアを張る。
とたんにドンという衝撃がきた。もっともその衝撃は相手に返るだけなので、サラのバリアの中は静かなものである。だがそんなのんきに自分のバリアについて解説している場合かと、サラははっと気がついた。
「渡り竜は!」
「すぐそこだ」
「うわっ!」
竜の口の中を見て生きて帰ってきたのはサラとアレンだけではないだろうか。
サラをかじろうとして結界に阻まれた渡り竜たちは、悔しそうに何度もバリアに体当たりしては、サラたちに噛みつこうとしている。
「サラ、サラ。静かに聞いてくれ」
アレンの落ち着いた声がする。その声にサラの背中を支えてくれているアレンを見上げると、額に汗が浮かんでおり、よく見ると目が泳いでいる。不安を必死に押さえているのだ。
「サラは渡り竜の咆哮で気絶した」
「きぜつ」
「そうだ。意識がなかった時間は10秒もなかったと思う。いいか、渡り竜は地面では足が遅い。それなのにどうやってツノウサギやワタヒツジを狩るかと言うと、威嚇なんだ」
サラの記憶の最後は竜が口を開けたところだ。
「竜の咆哮で気絶したんだね、私」
アレンの言ったことがようやっと頭の中に入ってきた。
「そうだ。ギリギリでバリアを張り直すことができたが、実はまだやばい」
その言葉にハッとして周りを見ると、三頭の竜はサラから興味を失っていない。
「今、竜が咆哮していないのは、三頭が俺たちを囲んで入り乱れているからだ。他の二頭が興味を失って去るか、お互いに咆哮の影響が出ない位置につけば、サラも俺も威嚇にさらされ、また気絶する可能性がある」
「そしたら、バリアが切れる」
「そうだ」
寝ているときは大丈夫でも、不意の攻撃には弱い。期せずして昨日アレンが指摘したサラのバリアの弱点が露呈した形だ。
「なんとかならないか」
「なんとか」
さっきからアレンの言葉を繰り返してばかりだ。
「なんとか、なんとか」
サラは魔法の教本を思い出した。
「魔力は自分の思い描いたとおりの力になる。自分の魔力量に応じて、無理せず、自由に自分の思い描いたように」
威嚇とは竜の咆哮、つまり音だ。サラのバリアは音は弾かない。
「まずい。二頭が町に向かい始めた。残り一頭になる」
つまり魔法や物理攻撃だけでなく、音も弾くようにすればいい。
「一頭が口を開けたぞ」
アレンの実況中継を頭の上に聞きながら、サラは思いを込めた。
「音も跳ね返せ。バリア!」
その瞬間、見えないバリアの何かが変わった。
「来る」
背中に回ったアレンの手に力がこもり、大きく開いた竜の口がぶるぶると振動して見えた。
「なにも、聞こえないな」
「うん。音も跳ね返すようにしてみた」
竜は口を開けたままどすんと草原に座り込んでしまった。サラのバリアは音もそのまま跳ね返したようだ。
「衝撃波って出した竜にもきくんだね」
「そうか。そうか」
アレンはほっとしたようにサラの背からそっと手を離すと、隣にすとんと座り込んだ。
「怖かった。さすがに今回は終わりだと思ったよ」
「そうだね。自分の身を守るのに精一杯で、建物を守ることができなかったな」
二頭の竜は今にも一番手前の建物にたどり着きそうだった。だがそのあたりの町には人気はない。逃げるだけの時間は十分にあったのが幸いだったと思う。
その時、建物の草原に面していないほうの窓になにかの影が映った。不安そうにカーテンから外をうかがっているのは、小さな子どもを抱いた若い女性だ。
「人がいる。建物の中に」
家にいて騒ぎに気がつかなかったか、小さな子どもがいて離れられなかったのだろう。
「竜もなんで道を行かないかな」
広い通りがあるではないか。わざわざ建物に向かっていく竜に怒りを覚えながら、サラはふらつく体を起こし、よろよろと立ち上がった。頭がくらくらするのは、気絶するくらいの衝撃波を受けたからだろう。
「サラ、無理するな」
「うん。でもいったん町のほうに下がって、建物ごとバリアを張れば、少なくともあの人たちだけでも助かるかもしれないし」
アレンはさっと起き上がると、サラの手をつかんで支えた。
「どうせ止めてもやるんだろ」
「ごめん」
「じゃあ、おぶされよ」
アレンは背中を向け、しゃがみこんだ。いい年をしておんぶは抵抗があったが、実際ふらついていて歩く自信はなかったし、恥ずかしさで動揺して、作ったばかりのバリアが元に戻ると困る。サラは心を静かに保つと、アレンの背中に覆いかぶさり、首に手を回した。
「よっと」
「うわっ」
思ったよりずっと高く、思ったよりずっと恥ずかしい。
「急ぐぞ」
「うん」
サラを上下に揺らさないように、アレンは竜を避けて急ぎ足で町のほうに回り込んだ。
「大丈夫だとわかっていても、正面には怖くて行けない。この位置からバリアを張ることはできるか」
「やってみる」
怖いからどころか、竜のすぐ前にはもう町はずれの建物があって、間に挟まる余裕などない。
アレンの背中から滑り降りたサラはそのまま座り込み、心を落ち着けると自分を起点にして、竜の前の家を囲うように、横に細長くバリアを伸ばしていく。音をはじくバリアの効果がなくならないように、丁寧に、でも大急ぎで。
「はいった。ギリギリ!」
竜は建物をよけようともせず、そのまま前に進もうとしてバリアに弾かれた。何度も進もうとしては進めないことに戸惑い、あたりをきょろきょろしてサラとアレンを見つけ、口を大きく開いた。
「また来る!」
アレンの声に、目をつぶらないようにしようと努力したが、やっぱり怖くて目をつぶってしまう。
目をつぶってみると、バリアの中はまったく音のしない世界だった。ただアレンと自分の少し早い呼吸の音がするだけだ。すぐにどうんという振動が来た。でもおかしい。それはバリアではなく地面からきた。
「来た! 来てくれた!」
アレンの声を頼りに目を開くと、渡り竜がさっきより近いところに二頭、横倒しに倒れていた。
「ひっ。なんで?」
「ネリーだ。ネリーだよ!」
倒れた竜から目を上げると、こぶしを胸の前で構えたネリーが、結った髪をしっぽのように揺らして静かに立っていた。
「ネリー!」
その声も聞こえないのか、ネリーの目があたりを油断なくうかがっている。他に竜がいないか、残っている町の人がいないかを確認しているのだろう。
「バリアが音を通さないとネリーに聞こえないや。でも竜が怖い」
サラの言葉にアレンがすぐさま渡り竜の様子を確認してくれた。
「三頭、麻痺薬で動けない。一頭。俺が倒した。二頭、ネリーが倒した。一頭、衝撃波の跳ね返りで動けない奴だけ注意だ。いつ復活するかわからない」
「じゃあとりあえず、バリアを元のやつに変えても大丈夫だね」
「そうだな。まず俺がバリアから出るから、サラは無理するな」
アレンはバリアに出入り自由なのだ。アレンがバリアから出た後は、サラはバリアをシュッと小さくして、いつものバリアに戻そうとした。
「いつものバリア、いつもの。あれ、どうやるんだった?」
音も弾くバリアは考えついても、音だけ弾かない元のバリアはどう作るんだっただろう。助けを求めるように手を伸ばすと、その手はガタガタと震えていた。
「サラ!」
何も音のしない世界に、突然ネリーの声が響き、前に伸ばした手ごとネリーに抱きこまれた。
「大丈夫か!」
「ネリー」
大丈夫だよと言おうとしたサラの目に映る景色は、なぜかぼやけたりはっきりしたり定まらない。アレンの顔が映ったような気がしたし、たくさんの人が走ってくるのが見えたような気もした。
だがそれからの記憶はない。本日二度目の失神であった。
9月25日、書籍5巻発売です。
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