渡り竜
「誰もいない……」
「私も今日は特に用を言いつけたりしてはいないから、いつものようにここでぼんやりしているはずだが」
その言い方に文句を言いたいが、今はそんな場合ではない。それに、せっかく提案した採取にたった三人でも参加してくれようとしているのだ。二人がいないからといって、探すのに時間をとるわけにはいかなかった。
用意された馬車は荷馬車ではなく、普通の馬車だった。よく考えたら収納ポーチがあるのに荷馬車である必要はまったくないのだ。今度こそサラはじろっとヨゼフを睨んでしまった。
だが、今にも馬車に乗りこもうとするサラたちの前に、昨日乗った荷馬車が一仕事終えたていで戻ってきて、サラたちを見かけて声をかけてきた。
「よーう、お二人さん。結局護衛なしで大丈夫ってことになったんだな」
「なんのことだ」
サラよりもアレンが先に反応した。
「なんのことだって、ほら。昨日、ツノウサギがいただろう? 俺もあんたに言われて、東の草原は危ないよって報告したんだけどさ」
やはりツノウサギの実物を見たのが効いたようだ。
「今朝になったら、南の草原に新人薬師を連れて行けって言われてさ。そうそう、あんたたちは後から来るって言われたんだが、今から行くのかい?」
「そんな話は聞いてない」
アレンが言っているが、御者は陽気に続けた。
「まあ、南はダンジョンまで人通りも多いし、報告したのにつれてけって言われるってことはさ、東じゃないんなら大丈夫ってことかなと思ったんだが、え、聞いてない?」
アレンとサラの真剣な面持ちを見て、どうやら問題らしいと気がついた御者は、言葉を途切れさせ、顔色を青くした。
「王都の住民じゃない俺でもわかるぞ。今渡り竜が来てるんだろ。それってツノウサギがどうとかじゃなくて、竜が横切る南西から南の草原って、めちゃくちゃ危険だってことじゃないのか」
渡り竜は大きいので、うっかり王都に下りて建物をめちゃくちゃにしたことがあったから騎士隊が出ているはずなのだ。王都に下りなくても、王都の南の草原には下りる可能性があるということではないか。アレンの言うことはもっともである。
「いや、まさか。今年は騎士隊が成果を出してて、南の草原にはほとんど竜は下りてこないって言うし。それにクリス様がなにか実験をしてくれてるんだろ? 心配ないだろ? なあ」
心配ないのかもしれない。だが、ヨゼフがいくら意地悪でも、おそらくそんな指示は出していないし、重大なすれ違いが起こった可能性がある。せっかく勇気を出したり虎の威を借りたりしてサラも頑張ったが、今は自分たちが薬草採取に向かうより大切なことができた。
サラは、何が起きたのかわからず戸惑っている三人の薬師と真っ青な御者に告げた。
「今の話を、ギルド長か、そうでなければヨゼフにすぐに伝えてください。ただのすれ違いでも、今の状況で何の手立てもなく草原で薬草採取なんて危険すぎます」
戸惑いながらも頷いたのを確認して、サラはアレンと目を見合わせた。
人の多い町中を身体強化で移動したことはないけれど、やるしかない。
「南の草原に先に向かいます」
待てと言う声が聞こえたような気がしたが、それどころではなかった。馬車で一時間ということは、サラたちの身体強化の移動なら30分かからずにつく。
「アレンのほうが早いと思うから先に行って!」
「わかった」
いったい誰がモナとヘザーを南の草原に向かわせたのだろう。ヨゼフは底意地悪いが、悪意を持って人を傷つけるほどではない。
南の草原に竜が下りるのかどうかはサラにはわからない。だけど、たった一匹でもツノウサギが二人を狙ったら、大怪我ではすまない可能性さえあるのだ。サラはローザでまだハンターギルドに登録できていなかった頃、アレンが一人で騎士隊を追いかけた時のことを思い出して、背筋が寒くなった。アレンでさえ、疲れれば後ろからの攻撃には気づかないこともあるのだ。
馬車よりも早く王都の南の端にたどり着くと、馬車の行き交う街道から少し離れたところにアレンが見えた。そしてアレンの横には、薬師のローブを着た二人の少女の姿もあった。
「アレン! モナ! ヘザー!」
サラはほっとして思わず叫んでいた。
「サラ!」
「サラも来てくれたんだ」
サラが息を荒くしながら立ち止まると、モナとヘザーは不安な顔をしながらもしっかりと立っていた。
「行けと言われたから来たけど、草原は不安だからって、人の気配のするところで何もせずにいてくれたらしい。助かったよ」
「よかった。本当によかった」
サラは二人が慎重なことを本当にありがたいと思う。
ヘザーはちょっと悪い顔をしながら、草原のほうを指さした。
「見て。あそこに薬草と麻痺草が生えてるの」
「え? ほんとだ」
サラが見てもちゃんと薬草と麻痺草だった。
「昨日一日でちゃんと覚えたんですね。さすが薬師!」
「よく考えたらしょっちゅう手に取ってるんだもの。コツを覚えたらすぐだよ」
鼻たかだかで平常運転のヘザーに本当にほっとしたサラである。でも、平常運転と言うのはサラの誤解だったようだ。
「でもね、ちょっと褒めてほしい」
そう言ったヘザーの声は不安そうに揺れていた。
「え? 褒める?」
「うん。採りに行きたかったけど、行かなかったから。サラとアレンに護衛なしじゃ駄目だって言われてたし」
モナも説明を足してくれる。
「東の草原じゃなければ大丈夫って、そんなのわからないじゃない。なんかおかしいってわかってたから、二人で相談して、薬草が採れなくても一日安全なところにいようねって決めていたのよ。どうせ期待なんてされてないんだし」
サラはとても感動した。無茶しがちな身内に囲まれていると、こういう普通の判断力のある人たちを逆に尊敬してしまう。危機管理ができているし、それにちゃんとサラとアレンの言うことを信用してくれていたのも嬉しい。
「でも二人が来てくれてよかった。とても不安だったの」
「もう大丈夫だよ」
そこは草原ではなく、町に少し入ったところだったので安全ではあったが、サラは念のために二人にもバリアを広げた。
だが、サラに声をかけたアレンの声は思いがけず緊張をはらんでいた。
「サラ。バリアを。そして、ゆっくり空を見上げたら、そのまま町のほうに戻るんだ」
「え?」
唐突な指示にサラは戸惑ったが、言われた通りに空を見上げた。西の方角から、群れになって飛んでくるものがいる。魔の山ではよく見た光景である。
「ワイバーンだ。群れなんて珍しい。いや、そんなわけない。ちょっと丸っこいし。じゃああれは?」
アレンは無言のまま空を警戒しているが、街道にいる人たちから渡り竜だというのんきな声が聞こえる。皆立ち止まって空を見上げているから、季節の風物詩のようなものになっているのかもしれない。
しかし、ワイバーンのように優雅に空を舞っているようには見えない。
「あれ、どんどん大きくなってきてる。ということは」
着地しようとしているということではないか。サラはそのことにやっと気づき、ぞっとしてモナとヘザーの手を引いた。
「町中へ戻るよ。急いで!」
バリアをかけたまま、だがサラと同じことに気がついて町のほうに急ぎ始めた人々の邪魔をしないくらいの大きさに縮めたまま、サラは人の流れに乗った。
「ツノウサギどころじゃないじゃない。こんなに大きな魔物が地面に降りてくるなんて。王都、怖いとこだ」
サラは今初めて、なぜネリーが執拗に指名依頼されるのかわかったような気がした。
死体ではあるがワイバーンをすぐそばで見たことのあるサラは、その大きさは理解できていた。渡り竜はワイバーンほどの長さはないが、その分幅が広く、いわゆる西洋のドラゴンのような形をしているのだという。
それがこんな人の近くに来るのだとしたら、確実に退治したいのはとてもよくわかる。だが何かを忘れているような気がする。
「アレン!」
「危ないじゃないか!」
サラはいきなり止まったので、後ろを急いでいた人に叱られてしまった。
「モナ、ヘザー、他の人と一緒に出来るだけ遠くに逃げて」
「でも」
「サラも危ないよ」
二人はサラが戻ろうとしていることに気づいて引き留めようとした。心配してくれてとても嬉しかったが、サラは首を横に振った。
「私はワイバーンでも防げる絶対防御の力があるの。アレンを、町の人を守らないと」
そうして人の波に逆らって戻り始めた。
すぐに人の群れは通り過ぎ、やがて先ほどの草原につくと、そこにはアレンと渡り竜が向かい合っていた。
「いち、に、さん。七頭。いくらなんでも相手にするのは無理だよ、アレン……。なんで一緒に逃げなかったの」
草原に降りたずんぐりした渡り竜のうち三頭が具合が悪そうなようすで頭を振ってふらふらしている。
「麻痺薬にやられたけれど、かかったのが少量だったから、しばらくは飛び、無理になって降りてきたのがここの草原。残りの竜は仲間で、心配して苛立っている、そして……」
冷静に判断すればそうなのだが、ワイバーンほどの大きさの竜が七頭も近くにいたら、怖くて足が震えそうだ。しかも距離はとっているとは言え、アレンに視線を定めて向かっている竜が一頭いる。どうやらずいぶん怒っているみたいだが、アレンと何かあったのだろうか。
しかし今、アレンに声をかけて、竜たちの注意が全部アレンに向いたらと思うと声もかけられない。サラのバリアを張ろうにも、どこに張っていいかもわからない。守るべきは町か、それともアレンか。
その時、サラに気づいたアレンから声がかかった。
「サラ、ヌマガエルの時みたいに、町を守ってくれ!」
「でも! アレン!」
「俺は大丈夫だ。ヘルハウンドを一撃で倒せるなら、ワイバーンもいけるってネリーが言ってたしな」
そう不敵に笑うアレンはつまり、ヘルハウンドを倒したことはあってもワイバーンを倒したことはないということではないか。ネリーがワイバーンを倒したのを一度だけ見たことがあるが、その時だって剣を使っていたような気がする。サラの不安は増すばかりだった。
やがて麻痺薬を浴びたと思われた三頭は草原に座り込んでだらんと伸びてしまい、それが唯一の安心材料となった。だが、残り四頭もいる。一頭は町から遠ざかるアレンを追って離れたところにいるが、残りの三頭は町の建物に気がついたようだ。
「まずいまずい。よし、バリア、展開」
サラはカメリアの町の時のように、渡り竜と町の間に入り込み、外に半球状に向けてバリアを張った。さすがに竜は怖いので、自分からだいぶ距離をとったところにバリアをとどめた。
「自分から離すと、多少コントロールが甘くなる気がする。うわっ」
見えない壁があることに気づいた渡り竜がどん、どんと頭突きをして来る。当たっていることがわかるだけで衝撃が来るわけではないのだが、怖いことは怖い。
だが朗報もある。
目の端に、アレンが大きく飛び上がると竜の頭にこぶしを叩きこんでいるのが見えた。一発、二発、三発。
「アレン、アレン」
サラには祈ることしかできない。やがて竜がどうと草原に倒れるのが見えた。
「無茶をするんだから」
ほっとしながらも無事を確かめようと、倒れた竜からアレンに視線を移そうとしたら、視界の端にサラのバリアで防いだ竜が三頭、一斉に口を開けたのが見えた。
「えっ」
そこからの記憶はない。
9月25日、書籍5巻発売です。
書影、活動報告に上げてあります!
それから、発売日に間に合うよう、これから10日くらい、
ほぼ毎日更新になります。
ちょっと大変ですがお付き合いくださいませ!