町までの道のり
何かを感じたのか、高山オオカミはいつまでもついてきた。
「森オオカミとけんかするのやめようよ。君たちのほうが強いんだからさ」
「ガウガウ」
「ガウッ。キャーン」
どうせ獲物を横取りするなとかなんとか言っているんだろう。最初にわずかに抵抗したものの、森オオカミはすごすごと去っていった。実力差はあるようだ。
怪我をしないように、淡々と。休憩をはさみながら歩き通し、お昼はきちんと休み、お茶を沸かす。
急ぎだからコンロは使わない。カップを取り出すと、カップのお湯を魔法で温めて、茶葉を直接落とす。茶葉が沈んだら、葉をよけながらゆっくりお茶を飲む。そして本当はネリーのために作ったサンドを一つだけ食べる。ネリーなら二つ食べるんだけどな、と思いながら。
そして足元が見えなくなる夜は移動しない。これもネリーとの約束だ。まだ日のあるうちに、できれば道の上にキャンプの場所を確保する。どうせネリーとサラ以外は通らない道だ。
明かりを置いて、ギルドのお弁当箱を出す。一度味見して、似た料理を作って入れなおしてある。ホカホカのパンに熱々のスープ、そして鶏肉のソテーだ。なんの鶏肉だったかとサラは思い出そうとしたが、面倒になりやめた。コカトリスかなんかだろう、たぶん。鶏じゃなくてオオツノジカかもしれない。
一年間の訓練で、一日くらい歩き通すのは平気になった。だけど、一人でキャンプしたことはなかった。いつも隣にネリーがいて、楽しく笑って過ごしていた。誰とも何もしゃべらない夜は、こんなにも静かなものなんだなとサラは思った。
「ガウ」
「オオカミはいらない」
静かだからオオカミの声が欲しいといったわけでもないが、確かに二年間毎日聞き続けた高山オオカミの声は、耳にやさしいような気がした。
「いけない、心が弱ってるよ。あったかくして早く寝よう」
空を見上げれば知らない星座が瞬く。
「ネリー」
サラは目をつぶった。
サラが宿泊訓練で連続で泊まったことがあるのは三泊だ。つまり、二日目までは何とか歩いたことのある道だが、三日目からは初めて歩く道になる。
「サラの足だと三日目の終わりが山のふもと。そして四日目から草原。五日目の終わりにローザの町に着くくらいだな」
ネリーの言ったことを思い出す。三日目の朝のことだ。相変わらず高山オオカミが付いてくるおかげで、他の魔物に襲われることがなかったのはよかったが、時折試すようにバリアに体当たりをしてくるから、やっぱり隙あらば食べようとしているに違いなかった。
一度きちんと山小屋まで整備しただろう道は、獣道ではなくきちんと整地されており、歩きにくくはない。それでも下りとはいえ山道なので、何かの勢いで滑って転ぶこともあり、ふもとにたどり着くころにはサラはだいぶボロボロになっていた。
「やっと抜けた」
三日目の道中はほとんど森の中だった。木の上から見知らぬ生き物がとびかかってきたりしたが、バリアにぶつかって跳ね返されては高山オオカミたちに食べられていたので、実際どんな生き物だったのかサラにはわからなかった。
そして木々から差し込む光が弱くなってきたころ、ようやっと森を抜けた。
「うわ……平たい……」
目の前には草原が広がっていた。とはいえ、あちこちに丘があり、小さな森があり、その間を縫うように道が続いている。山の上から見えていた町は、目線が同じになったせいか見えなくなっていた。
少し行ったところには、整地された広場があり、今まで人一人が通れるほどだった道も、そこからおそらく車が一台通れるくらいの幅に広がっている。
「そういえばこの世界、移動手段ってなんなんだろう」
サラは首を傾げた。ネリーはいつも歩いていたし、ローザの町にはダンジョンがあるということ以外、何も聞いていなかったのだ。
「山小屋にはトイレがあって、魔石で水もお湯も困らなかった。魔石で自動車とかあるのかもしれないなあ」
ともかくも町に行ってみないとわからない。
「今日はあの広場でキャンプだ」
「ガウ」
「オオカミは、え」
高山オオカミは、森の入口で止まっている。
「そっか。生息域が違うって。ここが縄張りの限界なんだね」
「ガウ、ウ」
高山オオカミは歯をむき出してうなると、ふいっと向きを変えて山に戻っていった。
「最後まで食べる気まんまんだったな。でも」
サラは胸のところで小さく手を振った。
「ありがとう。さよなら」
結局はオオカミたちのおかげで、たいして困ることなくここまで来られたのだから。
「さて、じゃあ広場に」
「ダンッ」
「え?」
正面から何かがぶつかった。
「う、ウサギ? 大きい」
目の前に、大きな灰色のウサギが倒れていた。サラは悲しくなってしゃがみこんだ。
「バリアにぶつかって死んじゃったのか。ごめんね」
「ダンッ」
「ダンッ」
「……」
そんなサラをめがけて、ウサギが弾丸のように次々ぶつかって跳ね返されていく。
あるものはそのまま絶命し、あるものはよろよろと逃げていく。
サラは衝撃に身を固くしながらも、ウサギをしっかりと観察していく。
「よく見ると鋭くてとがった歯に、太い爪。それに角があるじゃない。これ、見かけはウサギだけど、たぶん肉食だ。つまり、私はエサ認定ってこと」
おそらく魔物なのだろう。サラはため息をついて、リュックを下ろして落ちているウサギを入れていく。持ち上げなくても、かざせば入っていくのは本当に便利だと思う。
「ダンッ」
「うう、捨てていきたい。でもきっと売れるし、ネリーの教育が染みついてるから」
結局近くのはずの広場に着いたのは日も暮れかかった頃だった。
不思議なことに、広場には魔物は入ってこないようだった。
「初めて見たけど、時々は魔の山の討伐に人が入ってて、そのための拠点だから結界が張ってあるってことなのかな」
不思議だが、安全なのは助かる。それでも広場の真ん中にちゃんと結界を設置する。四隅に結界箱を置き、マットをしく。
歩きすぎて疲れると、なぜか肉は食べたくないので、パンとスープだけを出してもくもくと食べる。お茶も欲しくないので、飲むのはほんの少し温めた水だ。
広くなった道は街道と呼んでもいいものではあったけれど、先が見えず人気のない道は今までの山道より不安を掻き立てるものだった。
「あと二日、二日目の終わりにはローザにたどり着く。ローザにたどり着いたら、薬師ギルドのクリスを頼る。ほかの人はあてにならないから頼っちゃダメ」
サラはネリーに言われたことを指を折って確認する。
魔の山で二年暮らす間、サラは薬草を採り、偶然倒してしまった魔物もネリーに託し、結構なお金を稼いでいた。その大半は収納ポーチやリュックやキャンプ用具などに消えたが、それでもまだ十分残っていた、とも思う。
「でもそれ、ネリーが持ってたんだよね……」
町に行くときに渡すからと言っていた。実際、山でお金を使うことは全くなかったから気にしたことはなかったのだが、今回、ネリーが町に行くときに返してもらっておけばよかったのだ。
つまり、サラは今無一文である。
しかし、後悔しても遅い。
「薬草は必ず一定の値段で売れるから、薬師ギルドで薬草を売ってお金に換える。そして、そのお金でギルドに登録をし、身分証を作る。身分証を作ったら、スライムの魔石を売る」
結構やることがたくさんある。
「そもそも、どんな町でどこにギルドがあるんだろう。12歳で登録できるとは聞いているけど、大丈夫かな」
町に行くのを目標としていたのに、いざ本当に町に行くとなると、町のことなど何も聞いていなかったことに気が付いてサラは心もとない思いだった。
「お金の単位はギル。ワイバーン一頭が一千万ギルだということは聞いていても、パン一つがいくらかは聞いてなかったよ」
つまり町の物価が全く分からないということである。
「せっかくネリーっていう頼りになる人がいたのに、なんでもっとちゃんと聞いておかなかったんだろう」
無口だけど気の合うネリーと一緒の、元気に動ける毎日の生活が楽しくて、先のことを全然考えていなかった過去の自分を反省するしかない。
「お風呂に入りたい。ネリーがなんて言っても、テントを買っておいてもらえばよかった……」
見ているのが角の生えたウサギだけでも、野外で服を脱ぐのには抵抗があった。ましてや高山オオカミなど論外である。
「あと二日……」
頑張って歩くしかない。