心の隅に
「さきほどのアレンの話はちゃんと聞いていたが」
クリスは二人を抱き寄せたまま話し始めた。そうすると体からクリスの低めの声が直に響き、それがなんだか心地いいような気がしてサラの緊張は少しほぐれた。そういえばクリスの声は心を落ち着かせるんだったとカメリアでのことを思い出す。
「すまないが、サラに無茶させていることはわかっていても、変えるつもりはない。魔力の強さ、身分による優位性、そういうもののある世界で、努力だけではどうにもできないこともあることはアレンのほうがわかっていると思う」
無茶をさせられているのはサラなのだが、クリスのすまないがと言う言葉は、サラにではなくアレンに向けられているのが解せない。
「ローザで身に染みたよ」
ローザでのクリスの態度だっていいものではなかった。もしクリスに不信感を持たず、ネリーの言う通り頼っていたら、もう少しだけ早く問題は解決したかもしれない。だが、あの時クリスは頼れると思える人ではなかった。今は遠慮なく話せるし頼れる人だけれど。
そこまで考えて、サラは小さいため息をついた。
クリスはあの時も今も変わっていない。ただ、クリスをよく知ったサラの考え方が変わっただけなのだ。そしてネリーにとっては当時も今も、いつでも信頼できる人であるのも事実だ。
「そんな世界の中で、無限に魔力があり、努力して向上することをいとわない弟子がいる。その弟子の力を、全力で引き上げることは私の義務とさえ思っているんだ」
サラは、自分に無茶させるのはクリスの傲岸不遜な性格からであって、そんな高尚な考えでさせているわけではないだろうと突っ込むところだった。そもそも弟子にだって自分から望んでなったわけではなく、いつの間にかそういう状況になっていただけのことである。
だが、とりあえず静かに続きを聞くことにした。
「サラは薬師になったが、そこがゴールではない。それがサラを伸ばすと思えば、私はこれからも無茶をさせるだろう」
「クリスのその考え方は、いっそのこと潔いかもしれないな」
疲れたようなアレンの言葉にサラは思わずこう言わざるをえなかった。
「アレン、あきらめないで!」
サラに無茶をさせるなと言ってくれるのはアレンくらいなのだから、クリスを認めないでほしい。
「だが、なんというのか」
クリスが珍しく言いよどんだ。
「アレンの話を聞いていて思ったんだ。私はサラに無茶をさせるだろう。だが、サラに他の者が無茶をさせたら? しかも、成長につながるなにかではなく、本当にただの無茶だったら?」
クリスの無茶振りだって、必ずしも成長につながってはいないではないかと反論しようとしたが、サラはうっと詰まってしまう。確かに、クリスの無茶はすべて、サラを薬師として成長させていたと気がついたからだ。
「私はそのことに、体が震えるような怒りを感じたんだ。ネフがむりやり王都に連れていかれた時のように」
サラは思わず隣のクリスを見上げた。ネリーと同じように、サラのことも心配してくれているということだろうか。クリスはサラと目を合わせずに続けた。視線はずっと空のほうを向いている。
「そして目の前で叫んでいるアレンを見てやっぱり腹が立ったのだ。アレンがこんなに苦しんでいるのは誰のせいなのかとな」
それから地面に目を落とした。
「そしてはっと気づいた。それは私ではないか」
正確に言うと、クリスだけではない。アレンを不安にさせたのは、サラがいなくなるかもしれない状況に何もしない周りの大人すべてのせいだ。
「この気持ちを何というのか私は知らない。だが、薬師であり、師匠である私の他に、もう一人の私が私の中にいる。こんなことは初めてで、正直なところ、受け止めきれなかった」
サラはちょっとおかしくなった。とても真剣な話をしているが、要は子どもだったクリスの情緒がほんの少し育ったということなのではないか。
「だが、こうして一人になって考えていたら、四人がこそこそやってきて、それからアレンが来た」
やはりサラたちが来たことは気づかれていたようだ。
「その時の、胸の中で羽が躍るような奇妙な気持ちを、きっと君たちは愛しい、と、そう呼ぶんだろう」
そのクリスの言葉を聞いて、サラの胸の中にも小さな羽が躍るような気がした。
勝手でもあり、厳しくもあり、そんなサラへのかかわりに愛しさがあるのだとしたら、それはサラがクリスにとって大事な人だということになるからだ。
「そうあきらめて自分に素直になってみると、君たちがそばにいることがとても嬉しい。ネフほどではないが」
「正直すぎるでしょう」
これには突っ込まずにはいられなかった。
「アレン。今まで不安にさせていたことは、謝ろうにも謝れない。すまないとも思っていないからな」
「いいです。謝ってほしいわけでもないし。俺の勝手な不安だし」
アレンも少し緊張が解けたようだ。もともといつまでも物事にこだわるタイプでもない。
「だが、これからは私のことも、家族、いや、ゴホンゴホン」
さすがにそれは言いすぎだと思ったのだろう。
「私のことも、親しいものの範疇に入れておいてくれ。これからアレンがどこに行こうと何をしようと、私はアレンのことも私の大切な人の中に入れておくから」
今までネリー一人だけだった心の隅っこに、私とアレンも入れてくれるということなのかなと、サラは理解した。
つまりアレンには、サラの他に、家族と思っていい人が、ネリー、そしてクリスともう二人増えたことになる。サラもアレンもこれから大人になって自立したら、どこで生活するかはわからない。だが、家族のような存在がいたなら、どんなに離れても、戻るところがあると思える。
「クリス、ありがとう」
アレンの手がクリスの背中に回された。サラもクリスに寄りかかってみた。
そんなサラたちの前に、すっと影が落ちた。ネリーだ。
「ネフ」
「ずるいぞ、クリス。自分だけアレンとサラと仲良くしようとして」
「いや、そんなつもりでは」
クリスにくっついていたサラには、クリスの心拍数が上がったのが感じられた。
「私のほうが、サラのこともアレンのことも好きだ」
比べることではないはずだが、腕を組んでぷんすかしているネリーがかわいい。
「皆、家族のようなものでいいではないか。血はつながっていないが、サラとアレンと、私とネフ」
ちゃっかりアプローチされていることにネリーは気がついているだろうか。
「私を忘れてもらっては困る。私も祖父のようなものだからな」
ライがぬっと出てきた。
「父様、やっと自分がおじいさまだと認めましたね」
「しまった!」
ここでやっと笑い声が起きた。
「あーあ、俺も家族の顔が見たくなってきたな」
クンツが頭の後ろで手を組んでぶつぶつ言っている。
「部屋はいつでも開けておくから、気軽に行き来するとよい。お前が思っているより親は会いたいと思っているはずだぞ」
「はい」
ライの言葉にクンツは照れくさそうに笑った。
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