絶対、いなくならない
どんな状況でも冷静に自分を律してきたアレンだ。サラも、中身は年上のはずなのに、何度もアレンの大人びたものの考え方や行動に助けられてきたものだ。そんなアレンが子どものように唇を震わせている。
「ネリーにはライがいる。クリスにも王都に家族がいる。クンツだって帰る家がある。だけど俺には家族はない」
部屋の全員が息をのんだ。
アレンは今まで一度だって、身寄りのないことを嘆いてみせたことはなかった。
「サラだけなんだ、俺にいるのは」
アレンの頬に涙が一筋流れた。
「ローザで俺が一人になって、どれだけつらかったか。魔力の圧があって避けられることが、ゴミ以下と呼ばれることが、どんな気持かわかるかよ。サラと偶然知り合えたことがどれだけ幸運だったか。だけど、それからネリーと再会するまで、俺とサラがどれだけ努力して苦しいことを乗り越えてきたのか、本当のところは誰も知りやしないだろ」
アレンがそんなに大きな孤独を抱えていたとはサラも気がつかなかった。
「ネリーは自分がなんでもできるから、サラに求めるものも自然と厳しくなる。クリスはサラが招かれ人で、力があると知っているから、平気で無茶させる。その要求をかなえるために、サラがどれだけ無理をして努力しているかわかってないだろ。もとは体の弱いだけの普通の子なんだぞ」
無限の魔力があるからできて当たり前、そんな力をもらったからには努力して当たり前、それはサラ自身が自分に課した課題でもある。だからどんな無茶なことを言われても、文句を言いながらでも取り組んできた。その努力を、アレンだけはちゃんと見てくれていた。
「いくら皆に相談しても、結局はサラを厳しい状況に追いやるんだ。そんな奴らに相談なんかできるもんか!」
「アレン!」
サラはネリーから離れてアレンに走り寄ると、そっと背中に手を回した。
「ごめんね、ごめんね。心配かけて」
「サラが謝ることじゃない。ただ俺が不安でたまらないんだ」
アレンもサラの背中にそっと手を回した。
「やっとハイドレンジアに落ち着いたのに、やっと。王都じゃ俺がいくら頑張っても、ただのハンターじゃサラを守り切れない」
「アレン。大丈夫だよ、大丈夫」
サラはアレンに回した手に力を込めた。アレンは今とても混乱しているが、一番不安なのは、サラがいなくなってしまうことだ。アレンの叔父さんのように。
サラは薬師になれると決まった時、アレンとクンツとサラとで話したことを思い出した。アレンは、自分が死んでも誰もたいして悲しまないと思っている。サラでさえ、ネリーがいるからアレンがいなくなっても大丈夫だと思っているのだ。
「私はいなくならないから。絶対に」
アレンは無言で、サラに回した腕の力を強くした。そんなの信じられないと言っているのと同じだ。
サラはちょっとため息をついた。
「それに、アレンだって、いなくなったら嫌だよ、私」
「俺がいなくても、サラにはネリーがいるだろ」
「ネリーはいる。だけどアレンがいなくなったら、アレンがいないんだよ」
「俺だっていなくなったりしない。慎重だからな」
確かにサラはうかつだが、アレンだって無茶をするときは無茶をするではないか。
「ローザでテッドに騙されたとき、ツノウサギだらけの夜の草原に走り出していったの誰だった?」
「それは! 俺が12の時の話だろ」
「じゃあ12歳で魔の山に来ようとしたのは誰?」
「俺だ」
「チャイロヌマドクガエルの群れに飛び込んでいったのは?」
「……俺」
しぶしぶ認めたアレンの胸元で、サラは今度は本当にため息をついた。
「私がいつもどれだけ心配していると思うの? それにいつだって付いてきてほしいと思っているのに、アレンにはアレンの人生があるからって我慢して何も言わないようにしてるんだよ」
「言ってくれよ! 俺が必要だって。この世界に俺がいて嬉しいって思ってる人が、たった一人でもいてくれたら、それでいいんだ」
サラは自分がこの世界に来た時、どんな気持ちだったかを思い出していた。
ネリーが本当に優しい人だと、信頼できる人だとわかるまで不安でたまらなかったことを。
信頼できる人だとわかって本当に親しくなったつもりでも、引き離されるまでお互いにどんなに大切か理解できていなかったことを。
サラは回していた腕をそっとほどくと、アレンの胸に手を押し当てた。
「アレン」
と呼ぶと、
「サラ」
とすぐ返事が返ってくる。
「私はアレンのことがとても大切だよ。アレンのことは、この世界の家族だと思ってる」
「サラのこと、ネリーのサラじゃなくて、俺の家族だと思ってもいいのか」
サラはアレンの言葉に思わずくすくすと笑った。涙はもう乾いていた。
「ネリーのサラであることは譲れないけど、アレンのサラでもあるんだよ。だって私たち、ローザでは双子みたいにいつも一緒にいたじゃない。町の外では、テントを並べて」
「物見の塔では、寒さに震えて、一緒に朝日を眺めたな」
「いつかネリーにきっと会えると信じて頑張って」
「あれからずっと、一緒にいる」
サラがローザからここまでのことを思い出している間、アレンもきっと同じように記憶をたどっていたことだろう。アレンの側にはいつもサラがいて他の仲間たちもいたはずだ。
アレンは一つ、大きく息を吸って吐いた。
「そうか、俺はずっと一人のつもりでいたけど、違ったのか」
「うん」
「サラと出会ってから、俺はずっと一人じゃなかったんだな」
「そうだよ。一人で悩みすぎだよ」
アレンはサラの背中に回していた手を外すと、サラの肩に置いた。そしてやっとサラと正面から目を合わせると、恥ずかしそうに袖で目をぬぐって、くしゃりと笑った。それは今日一日、大人びた目でサラを護衛してたアレンではなく、14歳の年相応の少年だった。
「ぐすっ」
後ろから鼻をすする音が聞こえて、サラは慌ててアレンから離れ、音がしたほうに振り向いた。
ネリーとライが片手を目に当てて鼻をすすりながらうつむいている横で、クリスがなぜか目をつむったまま腕を組んで天を仰ぎ、クンツは気まずそうにそっぽを向いている。
アレンは見る見るうちに赤くなって、その場で思い切り頭を下げた。
「俺! そんなつもりじゃなくて! ごめんなさい!」
「よいよい。ぐすっ」
ライがまだ鼻をすすっている。
「若い頃は思い詰めることもある。吐き出せてよかったではないか」
「うああ……。俺、なんてことを……」
サラはクンツを使って転ばされたことも忘れて、恥ずかしくて悶えているアレンにぷぷっと噴き出した。
「なんてことをは俺が言いたいよ。最初から素直に協力しろって言ってくれよ。めちゃくちゃ驚いただろうが」
クンツがぼやいている。
「ねえ、俺、二人の邪魔なの? いないほうがいい?」
サラもアレンも慌てて首を横に振った。
「俺だってアレンとパーティ組んでるし、アレンのこと大事にしてるのにさあ。ちょっとは信頼してくれよ」
「してる。信頼してるから!」
必死にクンツに言い訳しているアレンもおかしかった。
サラだけが薬師としてハイドレンジアから出ると知ってから、アレンはずっとサラが離れていくのが不安だったのだろう。むしろ距離をとられていた気がしたのは、その不安のせいだったのかもしれない。
ため込んでいた不安を吐き出して、少しはすっきりしたかなと思ったら、今まで黙っていたネリーがすっくと立ちあがった。
「アレン」
「あ、ネリー。ごめん、俺」
ネリーがいきなり消えたかと思うと、アレンの前に出現し、そのままアレンをぎこちない手つきでギュッと抱きしめた。
「え?」
「アレン! 弟子にそんな寂しい思いをさせていたことに気がつかなくてすまなかった」
「いや、俺、そんな」
「これからはサラと共に私のことも家族と思うがいい。なんなら母でも姉でもいい」
何も答えがないのは驚いているせいかと思ってアレンのほうを見て、サラは慌ててネリーを止めた。
「強すぎ! 強すぎ! アレンが死んじゃう!」
「なに? ああ」
感情が暴発し、ものすごい力でアレンを抱きしめてしまっていたようだ。
「俺、なんだか川が見えたような気がする……」
「渡っちゃダメなやつ!」
トリルガイアに三途の川があるのかどうかもわからないが、サラは思わず突っ込んでしまっていた。
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