まず一歩から
「ネリー」
「なんだ」
夕食の後、思い思いに休んでいるときに、サラは思い切って聞いてみた。
「最近浮かない顔をしているようだけど、心配事でもあるの?」
「いや」
ぶっきらぼうな言い方とは裏腹に、返ってきた返事は穏やかなものだった。しかし、言おうかどうしようか迷っている様子も感じられたサラは、もう一押ししてみることにしてみた。
「町にいやなことでもあるの?」
「いいや。というか、なくもない、というか」
ネリーは暖房の前に投げ出していた足を体に引き寄せて、迷うように言葉を選んでいる。
どうやら話してくれそうだぞということで、サラは静かにネリーを待った。
「その、私がこの丘の上の小屋にいるのは、本当は春から秋にかけてだけなんだ」
「それって」
もしかしてサラがいるせいだろうか。いや、もしかしなくてもサラが来たせいで、冬もここから離れられないということに違いない。サラは胸が冷える思いだった。そして、それは言いにくかっただろうと思う。
「ネリー」
「いや、待て。サラ。違うんだ」
何が違うのだろうか。
「別に一年中この小屋にいてもいいんだ。というか、一年中ここにいたら、契約者のローザの町はむしろ大喜びだろう」
サラは落ち着いてもう少し話を聞くことにした。
「ただ、冬になるとギルドから指名依頼が入ることが多くてな」
「指名依頼?」
「つまりだな、個人を指定して、依頼をすること。その分野が得意なもの、つまり強い奴に指名がくることが多い」
ネリーは少し自慢そうにそう言って、しかし声を落とした。
「もちろん、断ることはできる。強いものに依頼が来るということは、危険な仕事でもある。それを強制はできないからな。基本的には」
基本的には。ネリーはそう言った。
つまり、ネリーが頼まれているという指名依頼は、強制、またはそれに近いということだろうか。
「おととしと、去年は断ったんだ。今年も断ろうとしているんだが」
ネリーは苦笑した。
「圧が強くてな」
「そうなんだ」
「サラのためということではない。私がこの小屋にいたいから断っているんだ。丘の上のこの小屋にな」
ネリーが手を伸ばしてサラの頭をなでた。
そうはいっても、本当はサラのため、いや、サラのせいだということは伝わってきた。だから口にしたくなかったのだろうということも。
サラはこの世界に来て二年たった。年も12歳になった。
確か12歳になれば、ギルドで登録もできるはず。
「三泊しか」
「サラ?」
「まだ三泊しかできないけど、あと二日くらいなんとか歩き切るから。だから、一緒に町に行こう。そしたらネリーだって!」
「ダメだ!」
もともと、来年の春には町に行けるだろうとサラは思っていた。それが半年早くなるだけのことなのに。
「サラはローザの町がどんなに冷たいか知らないからそんなことを言うんだ。あそこはダンジョンの町。元からいる町の住人と、ダンジョンで稼いでいる強者以外には、暮らしにくい町なんだ」
そういわれてみると、確かにサラはダンジョンに潜ろうとはこれっぽっちも思っていなかった。ギルドの登録をしようと思ったのも、ただ、今まで集めたスライムの魔石がギルドで売れればいいと思っていたからだけだった。
「住むところも用意するのは時間がかかるだろう。下手をすると町の外になるかもしれない。それに」
「それなら!」
サラはネリーを途中で遮った。
「指名依頼に、一緒についていくのは?」
「それは……」
ネリーはそれは考えてもみなかったという顔をした。
「私が依頼に出ている間、王都の誰かに預ければ……しかし、そのまま引き離されてしまうかも……」
サラはせかしたいのを我慢した。王都とはどこなのか。なぜ町の役に立っているネリーが町の外に住まなければならないのか。疑問に思うことはいくらでもある。
「サラ、すまない。すぐには決められない。今度町に行ったとき、信頼できる奴に相談してみる。ほら、薬師のクリスって、言ったことあっただろ」
サラは頭の中をさらってみた。
「クリス。ローザの町で唯一信頼できる人って」
「そうだ。まあ、ギルド長も、いや、あいつは間抜けだから……」
その人しか名前が出てきたことがないのでサラは覚えていたのだ。
「聞いてみれば案外道が開けるかもしれない。そうだ、一緒に行けるかもしれないんだな」
ネリーの顔が明るくなった。なんでも人に頼らず一人で考えてしまうのだ、この人は。
サラはそうほっとするのではなく、もう少しちゃんと話を聞いておけばよかったのだ、この時に。
「ちゃんと相談して、今後のことを少し考え直してみるよ」
「うん。町まで頑張って歩くから!」
「そうならないといいんだが、いいか、サラ」
次の買い出しの時、ネリーは真剣な顔をしてさらに言い聞かせた。
「三日。いや、四日だ。いつもは二日で帰ってくるが、今回は少し時間がかかるかもしれない。もし、四日過ぎても私が戻らなければ、ローザの町に行くんだ」
「ネリー?」
「一人でも、必ず。そして薬師ギルドのクリスを頼りなさい」
ネリーが何を覚悟していたのかわからない。しかし、サラは不安に思いながらも、しっかりうなずいた。
「帰ってきたら、今度は四日の宿泊訓練だ。そして、何がなくても来年には、一緒にローザの町に行こうな」
「うん」
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
「ガウ」
ワイバーンが飛び、高山オオカミが付きまとう中、いつものようにさっそうと町に買い出しに出かけたネリーは、三日たっても、四日たっても帰ってくることはなかった。
そして五日目の朝のこと。
「何かトラブルがあったんだろうな」
独り言をつぶやきながら、サラは出発の準備の最終確認をしていた。
これからサラは、ネリーとの約束通り町へ向かう。
「入れ違いになった時のために、備蓄は半分は残していく。ネリーが一人で三か月過ごせるように。その代わり、私の三か月分は持っていく」
それは小さいほうの収納ポーチの半分近く場所を取った。そのほかにキャンプ道具や着替え、たまったスライムの魔石などで、収納ポーチは三分の二は埋まっている。
「でも心配ない。私にはワイバーン三頭分のリュックがあるし、こっちはほとんど空っぽだし」
独り言を言いながら片付けていくと、涙がこぼれそうになる。
「ネリーは大丈夫。ネリーは強いもの。トラブルがあっても、身体強化があればたいていのことは何とかなる。高山オオカミにだって、ワイバーンにだって負けないんだから」
小屋の管理は任されていたから、部屋は大体いつだってきれいにしていた。サラは玄関から部屋を振り返った。もう服が乱雑に散らかっていたりしないし、何かの骨も落ちていない。
「いつ帰ってきてもいいように。またネリーと暮らすんだから」
サラは最後に自分の格好をチェックした。結局ネリーは女の子の服は買ってきてくれなかった。だから袖を折り返したシャツに、裾を折り返したズボンの上からチュニックを着て、そのウエストはベルトできゅっと締めている。ベルトには収納ポーチが付いていて、必要なものはすぐ出し入れできるようになっている。
リュックを背負って、上着を羽織ったら、出発だ。
サラは何かを振り切るようにドアを開けた。
「ガウ」
「オオカミはいらなーい。どうせすぐ下でお別れだよ」
「ガウ?」
どうせ誰も来ないから、鍵はかけない。
「次来るときは、ネリーと一緒。だから平気」
階段から降りて、結界の前で止まる。深呼吸をして、大きな声を出す。
「はじめのいーっぽ」
これがサラの異世界生活の、本当のスタートだ。