反対はなし
そしてやっぱり反対はされなかった。
「ハイドレンジアのギルドにも、渡り竜討伐のハンター募集が掲示されていたから、サラも応募しないかなとちょっと思っていたところだったんだ。ほら、謁見のついでに」
ここでもついでが出てきてサラは少しうんざりした。
「ネリー。私ハンターじゃないからね」
「もちろんそうだが、クリスだって薬師だがダンジョンに入るだろう? それと同じようなものだし。サラと並んで渡り竜を狩るのは楽しかろうと思ってな」
「なんで渡り竜を狩るのがピクニック感覚なの?」
サラは思わず突っ込まずにはいられなかったが、ネリーがサラと王都に行くのを楽しみにしてくれていたことは伝わってきた。
「それができないのは残念だが、薬師ギルドからの依頼で解麻痺薬を作るとなれば、私の指名依頼の間、王都のタウンハウスではずっと一緒にいられるだろう」
「そうとなればタウンハウスにも先に人を送っておくか。めったに使わないものだから、最低限の使用人しか置いていないしな」
それは王都にもお屋敷があるということですかとサラはライに聞きそうになったが、騎士隊長をやったほどの人なら、当然のことなのかもしれないと聞くのを思い直した。
「だが残念だな。サラの用件が終わったら、二人であちこち観光に行こうと思っていたのに」
ライが孫を見るような目でサラを見たので、サラはくすぐったい気持ちになり、ライと同じように残念な気持ちになった。だが結局はライもサラが薬師の仕事を当然のようにすると思っているということだ。
「解麻痺薬の話については私もチェスターから連絡をもらってはいるが、急に来た話らしくてうんざりした様子ではあったぞ」
クリスによると、カレンの言う通り、準備する余裕などなかったようだ。ちなみにチェスターとは王都のギルド長のことらしい。
「とはいえ、そもそも騎士隊の麻痺薬の開発の手伝いをしていたのが王都の薬師ギルドだし、私もネフが連れ去られた時に、わずかとはいえ改良には手を貸してもいる。今年の秋冬に本格的な実験をすることは目に見えていただろうに、麻痺草を麻痺薬に回しすぎて、解麻痺薬が足りなかったか?」
クリスが考え込んでしまったのでそっとしておこうと思うサラだったが、クリスはすぐに自分の思考から戻って来た。
「サラ。サラは招かれ人としてそもそも誰にも侵されることのない地位を持っている。まだ幼いから後見を得ているだけで、大人になって独立することももちろんある。そのよい例が今、魔の山の管理人をしているブラッドリーだな」
「はい」
サラは返事をしたが、なぜクリスが急にこんな話をしたのかわからず戸惑った。
「だが、サラを薬師として見た時、王都での研修期間があるかどうかは評価を大きく左右する。今回のことがあってもなくても、いずれカレンも王都には行かせるつもりだったとは思う。私もそうだ。だが、そういうことだ」
どういうことなのかと問う前に、クリスが言い直した。
「つまり、ハイドレンジアの薬師として、王都に行っておけ」
これで、クリスに未熟だと言われて、薬師の仕事を逃れようというサラの最後の目論見は崩れ落ちた。
「なに、そもそも王都の薬師ギルドは大きくて、普段からあちこちの薬師が研修に来ている。どうせ新米薬師が行っても調薬などさせてもらえまい。せいぜい麻痺草をすりつぶすか、採取に向かわせられるかどちらかだろうな」
「それ、ハイドレンジアの薬師として向かう必要、あります?」
クリスはふっと笑いをこぼした。
「ないな」
「もう!」
「だから気楽に行ってこい。どうせ夜はこの面子で楽しく過ごせるのだからな」
サラはむしろ、クリスが夜、ネリーとだけでなく皆で過ごすのを楽しいと思っていたことに驚いた。だが、ずいぶん気持ちも楽になった。調薬で神経をすり減らすより、採取やすりつぶしで済むのならそのほうがいいかもしれない。
やらなければいけないことはあっても、ネリーと一緒にいられる。それだけでなく、ハイドレンジアの家族のような人たちとも一緒にいられるのだ。アレンのことが頭に浮かんだが、サラは慌ててその姿を打ち消した。
ローザからずっと一緒だが、アレンにはアレンの道がある。12歳の頃のように、いつも一緒というわけにはいかないのだ。
家族への相談は、サラの予想通り、全員一致で薬師としての依頼を受けろという結論であった。
ばたばたと予定が決まってしまったが、そのことはアレンには伝えておきたい。
サラは次の日、カレンに承諾を告げた後は、練習よと言われて麻痺薬と解麻痺薬を作りながら、アレンが顔を出す夕方を待った。麻痺薬は貴重なので、練習に使わせてもらうのはちょっと緊張するが、そもそも採って来たのもサラだからまあいいかと頑張っていたらあっという間に夕方になった。
ちなみにその間ネリーはといえばダンジョンへ行き、クリスのほうは薬師ギルドでカレンと共に王都へ持っていく忌避薬の準備をしていた。
「サラ、戻ったよ」
「疲れた疲れた」
「アレン! クンツもおかえりなさい」
そもそもはシロツキヨタケの納品に来ているのだが、まるでうちに帰ってきたみたいになっているのがおかしくてサラはクスッと笑った。
そんなサラに、クンツが少しためらいがちに話しかけてきた。
「あのさ、サラ」
「なあに?」
サラも王都に行く話をしたかったのだが、先を越された気持ちではある。
「俺、渡り竜の討伐に参加することにしたんだ」
「ほんと? でもあれって、クンツには悪いけど、ベテランの人がやるものじゃないの?」
「うん。本来はそうなんだけれど。今年は特別なんだ。ほら、クリスがあのくさい奴の実験をするだろう?」
「竜の忌避薬ね」
サラは花の香りがしてすてきだと思うのだが、アレンもクンツもあまり好きではない。
「焚火の煙の方向の調整に風の魔法を使える魔法師が必要らしくて、俺レベルでも募集対象なんだ」
「それはすごいね! 行きたいって言ってたもんね」
「ああ」
クンツはにこっとして照れくさそうに鼻の横をこすった。
「もっと実力が付いたら渡り竜に直接攻撃して向きを変えさせる仕事をしたいけど、今はクリスの実験の手伝いを一生懸命やって、遠くからでも竜を見るんだ」
サラにはハンターとして成長し続けようとするクンツがまぶしく見えた。
「ちょうど私も、いろいろあって王都に行くことになったところだったの」
ここでやっとサラも自分も王都に行く予定だと言えた。そしてそのまま視線はアレンに向かった。
クンツが魔法師として王都に行くのなら、パーティを組んでいるアレンはどうなのだろうか。アレンを見るサラの目にはちょっと期待がこもっていたかもしれない。
アレンはちょっと口の端をあげた。
「ああ、俺も王都に行こうと思う」
「ほんと? やった!」
思わず笑みがこぼれた。
「俺の時にも同じくらい喜んでほしかったな」
隣でクンツが苦笑しているが、そこはそれ、付き合いの長さである。
「それで、今日ライに話があって、一緒にお屋敷に行きたいんだけど、いいかな」
「私はいいけど。そろそろネリーも帰ってくるんじゃないかな」
もう長期の実験はしないし、すぐに王都に向かうということで、ネリーとクリスも日帰りでダンジョンに行っているのだ。
「ネリーと聞こえたが」
倉庫のほうからクリスがひょいと顔を出した。
「ネリーと言っただけで、帰って来たとはいってませんよ」
サラはやれやれと肩をすくめた。
「昨日まで一日中ネリーと一緒だったじゃないですか。私なんて仕事で一緒にいられないのに」
「サラもネフと共にダンジョンに採取に潜ればいいではないか。素材の宝庫だぞ」
「それよりまず、ちゃんと薬師の修業をしなきゃでしょう。新米なんだから。薬師でそんな勝手が許されるのはクリスくらいです」
サラは口を尖らせて抗議した。
「そうか? まあ、ネフが来たら呼んでくれ」
「わかってますよ」
クリスにも多少は言い返せるようになったのがこの一年の進歩かもしれない。
「さすがクリス様のお弟子。おそれおおくてそんな口の利き方できないわ」
それを見ての同僚の感想である。
「クリスには言うべきことは言わないと。薬師としては優秀でも、ものすごく自由で勝手な人なんです」
サラもそう口にして、けっこうひどいこと言っているなとは思う。が、真実だ。
「そのくらいでないとギルド長なんて務まらないのかしらね」
フフフとギルドの皆で笑い合っていると、倉庫からカレンも顔を出した。
「あら、どこかで私の悪口が聞こえたかしら?」
「いえ、違いまーす」
こんな職場だから気楽で楽しいのである。
それからすぐネリーが帰ってきたので、クリスがいそいそと帰り支度を始めて、皆で賑やかに屋敷へ向かった。それを見ても、赤の死神の腰ぎんちゃくなどという者は、ハイドレンジアの町にはもう誰もいない。