王都は招く
次の日薬師ギルドに行くと、カレンがサラを待ち構えていた。その不自然に明るい様子は、狩り勝負の時にサラにダンジョン内での臨時出張所をさせた時と同じ匂いがして、サラは反射的に警戒が先に立った。
「サラ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「お断りします」
カレンは尊敬できる薬師ではあるが、クリスの後輩らしく強引で自分勝手でもある。サラは話を聞く前に断るくらい、カレンのお願いが無茶なものであることを知っていた。
「まあまあ、そう言わず」
カレンはサラの背に手を当てると、自然に椅子に座るよう誘導したので、サラはしぶしぶ話を聞くことになった。
「サラ、サラはカメリアで解麻痺薬の精製を手伝ったことがあるのよね」
「手伝ったと言っても、すりつぶしと瓶に注ぎ分けるくらいですよ」
「あと、麻痺草の採取も得意だったわよね」
「それはそうです」
サラは胸を張った。もともとは薬草の採取で暮らしを立てていたのだ。薬師の修業を始めてからだって、時間があればお屋敷の湖のほとりなどでこつこつと採取は続けている。
が、胸を張ったものの、この話はどこへ向かうのかとサラは不安になった。
「だったら、ちょっと王都に行ってきてくれないかしら」
「はあ?」
ちょっと王都に行ってきたいから休みますというのは、サラがまさに言いたかったことだ。カレンのほうから言われるとは思わなかった。
「実はね、事情があるのよ」
カレンもサラの向かいの椅子にすとんと座って足を組んだ。
「昨日クリス様から、竜の忌避薬の実験と、騎士隊の麻痺薬の実験とを一緒にやるという話を聞いたかしら」
「聞きました。実験を行う場所はずいぶん離れているけれど、迷惑をかけられそうな気配がするって」
カレンはその通りよと言うように頷いた。
「クリス様はともかくとして、既に薬師ギルドには迷惑がやってきたのよ」
カレンがクリス様はともかくなどというのは珍しい。だが、薬師ギルドの迷惑とは何だろうか。カレンは白衣のポケットから手紙を出して、ひらひらさせた。
「麻痺薬の実験で大量の解麻痺薬が必要になるだろうから、各地の薬師ギルドから、解麻痺薬に詳しい薬師を派遣してほしいって、王都の薬師ギルド長から要請がきたの。ついでに麻痺草もほしいって。そしてその要請のおおもとは騎士隊から。王都を守る事業だから、嫌だと思っても断れないのが面倒よね」
「はあ、そんなの実験をやる前からわかっていたでしょうに。なんで一年間かけて解麻痺薬を溜めなかったんでしょう」
「ブフッ」
カレンは思わず噴き出したが、珍しいことだ。
「一年前に要請があればできたんでしょうけど、おそらくそれはなかったと思うから、大目に見てあげて。そして本人の前では直接そうは言わないほうがいいかもしれないわね。王都のギルド長は優秀で公平な方だけど、けっこうカタブツよ」
王都のギルド長に会う機会などないと言いたかったが、なぜカレンがこんな話をするのかは見えてきた。
「私はやっと薬師になったばかりの新米です」
サラが解麻痺薬に詳しい薬師であるわけがない。カレンは新米と言うことは否定しなかった。
「確かに新米よね。でも、あなたを推薦する根拠がないわけではないのよ」
根拠とは、皆が王都に行きたくないというそれだけではないのかとサラは周りを見渡した。ハイドレンジアの薬師ギルドの薬師たちは、王都での暮らしがあまり好きではない人が多い気がする。ここで採用された薬師もいるが、カレンの方針で一度は王都に修業に出されている。その人たちからも王都の話を聞いたことはほとんどない。
サラと目が合った薬師たちは、目をそらしはしなかったものの、思わず苦笑いを浮かべていることから、サラの予想が当たらずとも遠からずだということが察せられる。
「サラ、あなた、魔力薬を成功させるのにずいぶん時間がかかったじゃない? 何度も失敗しているし」
「ええ、それはそうです。難しかったなあ」
一度コツをつかんだらそこからは失敗しなくなったが、そこまでが大変だった。
「そこが薬師になるには一つの大きな関門なのよ。でもね、関門はもう一つあるの」
「もう一つ」
サラは六つのポーションの作り方を思い出してみた。安定した品質を作るのにはどれも時間がかかったけれど、生成に苦労した記憶はない。
「それが解麻痺薬よ」
そもそも麻痺薬も解麻痺薬もあまり需要がないので、作る機会も多くはない。麻痺草もあまり納入されないので、サラも何回か作らせてもらっただけだ。
「作る機会が少ないからただでさえ練習するのも大変なのに、魔力を注ぐタイミングがとても難しくて、たいていの薬師見習いはそこで引っ掛かるわね」
ふんふんとサラは一応頷いてみせた。
「でも、サラは一度で成功させたし、その後も一度も失敗しなかった」
それはおそらく、カメリアでテッドやクリスの仕事ぶりをしっかり観察していたからだろう。
「だから、ハイドレンジアの薬師ギルドの中では、たぶんサラが適任だと思うのよ。いい訓練の機会にもなるしね」
「いやいや、薬師になって一カ月ですよ。まだ無理ですよ。それに師匠について聞かれて、クリスですなんて言ったら、絶対にいじめられそうな気がします」
「大丈夫よ。師匠はカレンですって言っておけばいいのよ」
何も教わっていないのにと言いそうになったがぐっと我慢した。
「まあ、ハイドレンジアから来たというだけでアレだし、師匠が私と言うだけでアレだし、そもそも王都がアレだし、でもサラならなんとかなるわ」
そんなにあるアレってなんですかと聞きたかったが、よく考えたらサラはちょうど王都に行こうとしていたところだったのだ。
「ええと、私の一存だけでは決められないので、その話は一旦うちに持ち帰っていいですか」
サラはこの場で決めては危険だと判断した。そしてサラの話もきちんとしなければならない。
「それから、ちょうど私からもお願いがあります」
「なにかしら」
カレンは座ったまま優雅に足を組み替えた。
「ええと、個人的な事情で少し長いお休みをもらいたいんです」
「まあ。薬師になりたての今、長いお休みは好ましいとは言えないわよ」
それはサラ自身も思っていたことなので、神妙に頷いた。
「はい。私もそう思うんです。でも、私が招かれ人だからか、しつこく婚約の申し込みをして来る家があって」
「そういえばサラは招かれ人だったわね。婚約は受けないということなの?」
個人的なことではあるが、サラはそれを親しい人に隠す気持ちはいっさいなかったので、素直に返事をした。
「受けません。まだ一四だし、婚約なんて考えられないです。そもそも元の世界では、結婚は三〇歳くらいで普通だった気がします」
「三〇歳はのんびりね。でもわかるわ。仕事のスキルをある程度身につけようと思ったらそのくらいはかかるものね」
女性が働くということについてカレンは理解がある。
「そうなんです。今はそういうことで縛られたくないんです。だからはっきり断りに行くのと、ついでに王に謁見してきたらいいってライが言ってくれたので」
「サラ、どちらかというとついでは婚約を断るほうだと思うわ。王様に謁見って、けっこう大変なことよ」
カレンには苦笑されてしまった。だがサラにとっては王様は顔を見せるだけの案件であり、リアムはしつこいことが予想されるので戦いを控えた大きな案件なのである。やっぱり王様がついでだと思うサラであった。
「でもよかったわね。どうせネフェルタリもクリス様も王都に行くでしょうから、薬師としてサラが行くのがちょうどいいとも思っていたんだけれど、これで行く理由がもう一つ増えたじゃない」
「よくはないですよね。やることが増えてますよね」
だがサラの抗議はにっこりとかわされてしまった。昨日から突然、王都絡みの事案があれこれ出すぎて頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。こんな時は一人で悩んでいても仕方がないので、サラはやっぱり問題を持ち帰ることにした。