王都へ
便りといっても、もちろんそれぞれ別のところからである。
サラのところには恒例の婚約の打診だ。といっても、最近は二つの家に絞られているから、久しぶりではある。
「宰相家のほうは一度ハイドレンジアに会いに来たいって。私は会いたくないのに」
「それについてはな」
ライは何かに迷っているようにサラには見えたが、結論が出たのか、使用人になにかを持ってきてもらうように頼んだ。持ってきてもらったのはサラのところに来たのより数段立派な封筒だった。
「前に言ったことがあると思うのだが。招かれ人を一度は王都に連れてきてほしいと言われているとな。落ち着いたら行くと言っていたのだが、そろそろどうかと私のところにも話が来ていてな」
「そうでした」
サラはふんふんと頷いた。しばらくは断ったとしても、いつかは行って顔見せしたほうがいいことは理解していた。ただ、その時期については考えたくなかっただけだ。
「薬師というサラ自身の身分もできたことだし、ここに来てから一年たったことでもあるし、そろそろ一度、王に顔見せに行ってみないか? ハイドレンジアに来られたくないのなら、そのついでに、宰相家にもはっきり断ってきたらどうだろう。もちろん、私は付いていくし、間違いなくネフェルも一緒だろうから、あまり心配ないと思うが」
「薬師になったばかりだからこそ、もう少しちゃんと修業したいという気持ちもあるんですけど」
サラはちょっと考えてみた。ライの言う通りに、ちゃんと直接断ったら、さすがにしばらくは婚約の話は言ってこないかもしれない。
「ネリーがダンジョンから帰ってきたら相談してみます」
「それがよい」
それから数日後、今回は真っ黒にならず予定通りに帰って来たネリーは少し浮かない顔をしていた。なぜだかクリスも渋い顔だ。サラとライは思わず顔を見合わせた。
急いで話を聞くのもためらわれ、屋敷で食事をした後にゆっくりと話をすることにした。
「ネフェル。何かあったか」
皆でお茶のテーブルを囲みながら、ライが率直に尋ねた。
「ええ。ギルドに寄ったら、指名依頼が来ていました」
サラは胸がぎゅっとするような思いがした。指名依頼は実力が認められているという名誉なことではあるのだが、ネリーの場合は行きたくないのに呼ばれるという嫌な面のほうが大きいのだ。
「渡り竜か」
「そうです」
ネリーは素直に肯定した。
「父様、サラ。私もさすがに今年は行ったほうがいいかなと考えています。でもそうするとサラを置いていくことになるから心配で」
ネリーが浮かない顔をしていたのが自分のためだと知り、サラは心が温かくなった。
「もちろん、魔の山に一人置いてきた時とはわけが違う。サラはちゃんと仕事をしていて、その職場は頼りになる。住むところもあって、友だちもいる。なにより父様が後見です」
「うむ」
ライが満足そうに髭を手でひねった。
「要は私がサラと離れたくないという、それだけのことかもしれないな」
「ネリー」
ふっと苦笑したネリーに、行儀悪く椅子を近づけて甘えるように寄りかかったサラである。だが、そもそも王都に一度行こうかとライと話をしたばかりだったので、そのことを言おうとしたら、クリスが話し始めた。そういえばクリスも渋い顔をしていたなと、サラはまずクリスの話も聞こうとまっすぐに座り直した。
「私も王都に行くことになった」
「それは……」
サラは言いかけたが、なんと言おうかと悩み止まってしまった。そもそもクリスは、渡り竜に忌避薬を試したくて、あちこちに交渉していたはずだ。つまりここは、こういうのが正解だろう。
「おめでとうございます?」
語尾がちょっと上がってしまったのは、自信がなかったからだ。だが、めでたいのなら、なぜ渋い顔をしているのか。めでたいのは正解だったらしくクリスはかすかに頷いた。
「ありがとう。実験をさせてもらえるかどうか、私の実績をもってしても自信がなかったので、これは正直に言うととても嬉しいし、ありがたい連絡だった。だが」
そう、このだが、が問題になるのだ。
「今回の渡り竜退治では、騎士隊も同じように実験をやりたいという提案が出ているらしく、協力して行うようにと言う連絡が来た」
「騎士隊の実験って言うと、アレですか」
「そうだ。麻痺薬だ」
「あー」
サラにはクリスの心配が手に取るようにわかった。
「騎士隊のしりぬぐいに奔走する羽目になって、自分の実験が十分にできないのではないかということですね」
「その通りだ」
確かに忌避薬はワイバーンには効果があった。だが渡り竜が同じような反応をするとは限らないし、もしかしたら実験の初期の頃のように暴走して混乱が起こるかもしれない。
そんななか、麻痺薬で、竜が落ちてきたらどうなるか。考えるだけでも大変そうだ。
「私がしたい実験は、直接投げて竜を混乱させるものではなく、煙で竜の進む方角を少しばかり南にずらせないかというものなんだ。つまり、西から東へと渡る竜を見張るのが王都の南西の丘。麻痺薬の実験はその丘でハンターと共に行う。私はそこからさらに西に向かった草原で、忌避薬を垂らした焚火をいくつか設置し、魔法師と共に風向きや焚火の効果的な場所の研究をしたいんだ」
サラはその話を聞いて不思議に思った。
「それなら、騎士隊とは仕事場所が違うから、煩わされずに済むんじゃないですか?」
「逆だ。かなりの距離をいちいち呼び出されることになりそうな気がしてな」
杞憂のような気もするが、こればかりは起きてみないとなんとも言えない。
「ただひとついいことは、王都行きがネフと一緒だということだ」
「結果的にそうなったな」
フッと笑うネリーがかっこいいが、サラにはそれがちょっと寂しくもある。
ハイドレンジアに来てからのネリーはクリスと共にダンジョンに潜ることが多いが、去年の狩り勝負をきっかけに、ザッカリーと交代で、あるいは協力して若いハンターの面倒を見ることも多い。
それに加えて、魔力の圧もいっそうしっかりと調節できるようになった。
そのせいか、そもそも若い世代は噂を気にしないせいかはわからないが、ハンターギルドでのネリーは常に誰かに話しかけられており、決して孤独ではない。
相変わらずコミュニケーションは上手ではないとアレンやクンツに聞いてはいるが、そういう個性の人だと認識されれば、あとはハンターとして強ければそれでいいというのがハンターたちの考え方だそうだ。
結果、ローザで避けられていたころのネリーはもういない。
寂しさは、自分だけのネリーでいてほしかったという、サラの小さな独占欲がほんの少し顔をのぞかせてしまったというだけのことだ。
それに、クリスとネリーの二人だけで話を完結させてもらっては困る。
「そういえば、私とライも王都に行こうかって言う話をしてたとこなんだよ」
「サラも? 父様もですか?」
いったいなぜと言うネリーの視線に髭をひねりながら答えたのはライだ。
「うむ。また宰相家から、サラに会いに来たいという話があってな」
「飽きずにまあ。サラに嫌われていると気づいていないのか」
あきれるだけのネリーとは対照的に、クリスは冷静に頷いた。
「そもそも貴族の婚姻とはそういうものだ。宰相家にしてもうちのデルトモント家にしても、伯爵家以上なら先祖をたどればどこかに招かれ人がいる」
「ほんとに?」
久しぶりに驚きの新情報である。それに招かれ人は皆、本当に伯爵家以上の後見が付いていたんだなあとサラは遠い目になった。
「そういえばうちの祖先にもいたような気がするが、家系図などあまり気にしたこともなかったからな」
そんなライくらいの感覚でいいと思う。
「そこで、サラを連れて王に顔見せするついでに、宰相家にも一度きちんと顔を出して、サラの気持ちをはっきりと伝えさせたくてな」
「それがいいです。そうすればサラと王都でも一緒にいられる」
サラはにっこりしてネリーと手を取り合った。
「そううまくいけばいいが。王都の貴族はライやサラが思っているよりずっと頭が固い」
クリスがぽつりとつぶやいた。
「だが気にしすぎても仕方がない、か。カレンもこのような事情であれば、すんなりとサラを出してくれるだろう」
「このような事情であればって、じゃあ事情がなかったら?」
「優秀な薬師を一時でも手離したりはしないだろう。引き留められただろうな」
サラは薬師なりたてであって優秀な薬師ではないと言いたかったが、行くと決めたからにはちゃんとカレンに話をしようと思った。
ところが、サラが一生懸命理由を考える必要はまったくなかった。